鬼の名語り

小目出鯛太郎

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木は外を這い

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 誰か想う相手はいないのか?誰か会いたいと思う相手はいないのか?心から慕う相手はいないのか?

 
 金剛や鋼の問いかけのどれにも朽木は答える事が出来なかった。
 恐ろしくて言えなかった。

 言っても良いのだろうか?
 言えば叶うのだろうか?何かが違ってくるのだろうか?


『鍵は掛けていないぞ…』と鋼はわざと告げて去った。


 不安のせいで扉の格子を掴む手が震えている。あの人は本当に鍵を掛けていかなかった。朽木はそろそろと扉を開けた。上から押さえつけるような息苦しさを感じる部屋を抜け出す。



 もし、外から鍵をかけられてしまえば、きっとあそこから出られなくなり、ただ誰かが来るのを待つ日だけが来るに違いなかった。
 
 
 もっと力があれば、岩館いわだての場所まで飛べるのにと、朽木は自分の無力さを嘆く。

 此処が何処か分からないけれど、一度外に出ようと壁沿いに歩く。
 暗く狭い通路を一人で歩く。

 そろそろと歩くうちに朽木は思いがけずはやての言葉を思い出した。
『もう朽木じゃなくて、かえでだってさ。俺と風の字が一緒だぞ』

 いつも颯爽と現れ、軽やかに風を操った。
 
 風の力。名前に、字に力があるのなら、颯のように飛びたい。風のあやかしでなくとも叫んだ時に一瞬で来てくれた岩館のように飛びたい。

 何故だか分からないが、今、行かなければもう二度と会えぬ気がした。

 静かな雨音が聞こえ外が近いことが分かる。

 
 どうか岩館のもとへ。


 助けを呼ぶ以外で初めて強く願ったことがこれだったかもしれない。
 朽木の身体はその場から掻き消えた。

 
 頭の中をぐるぐると掻きまわされた眩暈を覚え、朽木の身体は殺伐とした石切り場へ放り出された。

 壁面を横に横にと掘り進められた垣根切りの痕がある。
 自然に削られいったものではなく、なんらかの方法で削られ割られたのは朽木が見ても分かる。

 雨音以外は何の音もせず、静かで朽木は失敗したのではないかと不安になった。

 周囲を見回すが場所に見覚えも、ない。

 もとよりそう出歩く性質たちではない。見覚えがなくても仕方なかった。


「…いわだて」


「…いわだて、どこ?」


 もし、ここで岩館に会えなければ、少し高い所から飛び降りて手でも足でも折ってしまおう、と朽木は思った。大怪我をすれば怪我が治る間は見向きされまい、とひどく後ろ向きの考えで。


「…どうしてこんな所にいるんだ…」
 暗がりの中から幽鬼のように会いたかった顔が現れて、その表情に朽木は笑いたくなった。

 驚きに目を見開く岩館の顔を初めて見たからだ。
 きっと朽木の知らぬ表情かおがたくさんあるに違いなかった。知らぬ表情を全部見たいと思った。


 思っていることを話すのは朽木にはひどく難しいことだったが、言おうと口を開く。
「あいたくて、とんできたんだ」

 岩館が伸ばした手を掴む。
 ぼんやりとしていたのを掴まれるのではなく、自分から手を伸ばして掴む。
 それだけのことがただ嬉しい。

 迷惑をかけてはいけないとずっと思っていたのに、飛んできてしまった。この手を振り払われたら、馬鹿な事をしていると怒られたら、その時こそどこか遠くへ行って木端微塵になろうと、震えるような決断を朽木はしたのだった。




 

 
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