鬼の名語り

小目出鯛太郎

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枯れ木の子

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 長く手入れのされていない木立の間で名無しは生じた。弱いあやかしらしく親をもたず、身を守る術も持たず、ぼんやりと、覇気もなく幽鬼のように佇んでいた。
 偶然あやかしの里の岩館いわだてが見つけて、手を引いて来なければ、消え果てるまでそこに立っていたかもしれない。
 
 名無しはその枯れ木のような細い姿から、朽木くちきと名付けられた。名を授けたのは里の頭領だ。名前を持たないあやかしは簡単に消滅してしまう。名付けは強い者が行う。里にいるあやかしのほとんどの名付けを頭領の金剛が行ったという。

 朽木は弱かった。ちょっとした風の悪戯で髪はぼうぼうに乱れ、時には指が折れた。背の皮が剥がれることもあった。傷を見てやると触られた手で蚯蚓腫みみずばれや火膨れが生じる時もある。
 あの静かな木立の間でぼうっと一人で立っていたほうが幸せだったかもしれないと思うことが度々あった。

 ああ、嵐か吹雪が来ないかな…と朽木は思った。山の木が折れるほど強い雨風が吹くか、重い雪が降れば、心配した岩館が懐の中に入れてくれるのに。がっしりとした胸板にぴったり頬を寄せて目を瞑っている時が朽木にとって一幸せな時間だ。岩館にとっては邪魔であろうけれど。

 朽木はいつもなるべく邪魔にならないように、誰の邪魔もしないように静かにしているつもりだ。騒がしいのははやてだ。がさつで、乱暴で、ぼんやりしていると言っては小突かれ、だんまりしていると叩かれ、つまらないやつだと蹴り飛ばされる。
 つまらない奴とわかっているのなら、そっとしておいてくれればいいのにと思う朽木の気持ちはまるで通じない。

 もう一人恐ろしいのは歳若いあやかしのかがりだ。珍しい炎のあやかしで、そしてとても強い。弱すぎる朽木は、妖気を纏った篝に近づかれただけで肌が爛れる。炎と木のあやかしということで生まれながらの相性があわぬ。
 近寄られると熱いが冷めた目で見下される。ただこれに限っては朽木だけでなく、力の弱いあやかしを見る篝の眼差しは恐ろしく冷徹なのだ。
しかし分かってはいても塵か蛞蝓なめくじを見るような目で見られると寂しく思うのだ。

 もう少し歳を経ればあやかしの力の制御も自然と息をするように覚え互いを尊重し協力もするようになるのだがな、と頭領の金剛は言うが、そんな日が来るとは朽木には到底思えなかった。



 そして恐ろしい日が来てしまった。

「お前、おかしな匂いがするぞ」

 朽木の長く伸びた髪を掴んで篝は言った。
簡単に地面に引き倒されたことに朽木は驚き、引き倒した篝も何故か驚いていた。

「何かつけているのか」

朽木は首を横に振った。

「着物が匂うのか」
上からのしかかられ、今度は髪ではなく着物の胸元を掴まれた。襟がふわりと崩れ、灰が飛び散る。

 慌てて胸を隠そうとした両手をそのまま抑え込まれて朽木は硬直した。

 自分の胸がおかしな形をしていることに朽木は気がついてきた。岩館のような張りのある固さではなく、やわらかい小さなふくらみだ。

 篝の視線に晒される。
 いつもの冷めたような目つきではない。酒に酔ったような上気した顔で。
 篝の赤い髪が朽木の肌に重なった。
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