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業の国

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「牢の鍵を開けなさい」

 柱に縋る様にして全てを見聞きしていた係の者は、怯える様に首を横に振った。

「正しき神の言葉に従わぬ者は、生きている間も死後も煉獄の炎で炙られ続けるだろう。厄災はお前の上に留まらずお前の血に連なる者にも及ぶだろう。炎では終わらぬ、狂人の刃が、害獣の牙が、腐った水が、病んだ風がお前とお前の家族に及ぶだろう。もう一度言おう、牢の鍵を開けよ」

 
 それはこがらしの知っているクルスではなかった。司祭というより呪いの使者の様な声で眼差しで、気圧された係の者は後退り、腰のベルトから一つの鍵を外し、地面の上を滑らせた。

「おれは、おれはしらねぇ」
 言い捨てて係の者は走り去った。息をしただけで呪われそうな雰囲気に怯えて、脱兎の如く駆け去る姿を凩は見つめた。
 足元に滑らされた鍵を拾い上げ、クルスは牢の鍵を開けた。

『クルス…』
 クルスの行いをただ影の様に側で見守るしか凩には出来ない。

 
 クルスは独房の奥で転がっている男の傍でひざまずくと、痩せた頬を撫でて、ひび割れた唇をなぞった。胸にかけたネックレスから小さなどんぐりのような飾りを引き出す。
 アディムから渡された竜の肝が入っている。

 黒い竜の肝を指先で掬うと、ひび割れた唇の奥の渇いた舌の上にそっと塗りつけた。
 
 奈落の底の様な黒い目に光が戻り、痩せた顔に浮かんだ絶望の色と無力感に苛まされ生きている事を不幸に思うようなきこりの表情を見て、クルスは諦めて微笑んだ。


 この男の手に銀の斧を握らせる事は全くの無意味に思われた。


 この男は善良で、王に関わる事がなければ牢とも罪とも無縁な存在で妹の幸せを願う心優しい真面目な男だったと一目でわかる顔つきをしていた。
 こういう者が復讐の為に、手を血に染めるとは思えなかった。

 妹の死を嘆き、自らの不幸と王を呪う事はあっても刃を取る事はないだろう。この男は闘技場で静かに殺されて神のもとへ行くだろうとクルスにはそう視えた。

 
 クルスは着ていた外套を脱いで男の身体の上に掛けてやった。
 男に背を向けて静かに牢を出ようとした。




「…武器と秘薬とあんたは言った」



 消え入りそうな声だった。あの名前を出したくも無い男達が蟻の泣き声かと嘲笑しそうなか細い声だった。


「…何もできないかもしれないが、置いて行ってくれ、俺のためにそれをくれ」


 クルスは布で包んだままの斧の柄を男の手に握らせた。
「斧だ」

 男の目からぼろぼろと涙が落ちた。
 どう見ても独り生きている事を、斧を手にした事を後悔している顔だった。


「祭りの最後の日に三人対三人での殺し合いがある。向こうは正真正銘の人殺しの集まりなんだ。あんたは無理する事はない。抗わずにいた方が弓か槍で心臓を一突きにされて楽に死ねるだろう。斧を持ってきたのは…あんたがもっと復讐に燃えた屈強な山男かもしれないと、僕が勝手に想像したからだよ…。牢の鍵は開けたから、あんたは動ければ、運が良ければここから逃げられるかもしれない。僕に出来るのはここまでだ」


 クルスはゆっくりと立ち上がった。首にかけていた助司祭の印の青い飾り帯も外すとそれを樵の身体の上に置いた。
 そして牢を出た。

 振り返りもしなかった。

 まだ行かねばならない場所があるからだ。


 立ち止まり涙する時間をクルスは持っていなかった。

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