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業の国

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 幕が降り、拍手が鳴り響き、ある者は余韻に浸り、これで現実の世界に、己の家にさてそれでは帰ろうかと人々が腰を上げかけた時、幕がするすると上がっていく。
 今まで一度として終幕挨拶カーテンコールがあったことはない。

 観客は固唾を呑み、その影さえ動きを止めた。

 しつらえられた階段から、白い姿が現れる。


 さざなみのようにそこかしこでぱちぱちと生まれた拍手が驟雨スコールのように激しく大きくなる。

 こがらし少年クルスの頭上の舞台梁の上からその様子を眺めた。

 歓声と幾千の瞳に一斉に迎えられても、クルスは全く怯む様子もない。静かに星空の下に独り佇むように見える。

「今宵、皆様には足をお運び頂き誠にありがとうございます。ここは王の愉しみのための場所でしたので今まで一度も皆さんにこのような形でご挨拶したことはございませんでした。今一度この場を借りて深く御礼申し上げます」

 わっと喝采に包まれ、深々と頭を下げる少年は静かに語り出した。

「私の我儘わがままでこの幕を上げてもらいました」

 皆様に厚かましくもお願いしたい事があるからです、と彼は続けた。

 今週末の祭りの日に西の最も大きな闘技場では今年で一番大きな催しがあります。そこでは命のやり取りをする事が生業なりわいの剛の者もいれば、罪からそれに出ざるを得なくなった哀れな者もいます。
 罪は罪として罰を受けるのか当然と仰る方もいらっしゃるでしょう、その通りです。しかし幼いながらに頼れる父母に先立たれ飢えからパンを盗んだ子の罪はどれほどのものでしょうか?それは命をかけて償わなくてはいけない罪でしょうか? 
 彼の手には指輪もなく、腰には身を飾る帯もなく、靴もなく、衣服も寝る場所にも事欠き、満足に食べたこともなく、救いの手もありません。

 彼は私です。

 王の手に救われなければ、私がそこにいてもおかしくはないのです。

 多くの方はご存知でしょう、私が貧民窟ひんみんくつの生まれであることを。


 そこで客席からえ、ええっ!?と驚きの声が幾つも上がった。少年は構わずに話し続ける。

 
 私があまりにも大きな声で甲高く泣くので、姉は泣き女に、私は同じように泣く子として死者のために泣いてお恵みを頂き、少し大きくなってから教会で歌を習い死者の為の弔いの歌を歌うことで糊口ここうを凌いでおりました。

 その弔いの歌で王に見出され、今のこの姿があるのです。

 王に救われなければ、私があの闘技場にいてもおかしくはないのです。
 その時はよく通る悲鳴と哀れな断末魔の叫びで皆様を喜ばせ、お一人かお二人ほどは哀れと涙をくださったかもしれません。そこのお嬢様のように。

 客席の前の席で涙ぐむ裕福そうな少女にクルスは微笑みかけた。

 私は彼の命を救う事はできませんが、祭りの日に失われる命であってもその前に一度は美味しい食事や、暖かな寝床を…それから、血の滲む傷口に薬を塗って上げたいのです。

 あの場所には似た境遇の方がたくさんいます、私一人ではとても叶えられないのです。もし皆様の中に、私の思いに共感してくださる方がいらっしゃればわずかでもお恵みを頂きたいのです。

 そこから少年クルスは静かに歌い出した。その後を追うように一挺いっちょうの弦楽器が音を奏で始める。 
 
 あふれる愛の雫、と凩の耳に届いた。その声が届くより先に、前の客席に座っていた少女が真っ先に立ち上がり指輪を外し、耳の小さなイヤリングを外すのが見えた。そして舞台に歩み寄るとクルスの前に置かれた箱にそれを入れた。
 
 ことん、と指輪が箱の底に落ちた小さな音が響く。
「出遅れたじゃないか…」
 とどこかで聞いたような声がして、影からのっそりと現れたアディムが指に幾つも嵌めた指輪をいれ、腕に嵌めた金の輪を入れ、夜目にも目立つ宝石のついた飾りの帯を手にするのを凩もクルスも、そして名も知らぬ少女も見つめた。

 どさっと重い音がするがそれを隠すように「こんな可憐で心優しいお嬢さんが真っ先に立ってくださるとは、この国も捨てたもんじゃないねぇ」
 アディムは言ってクルスと少女に順に目線を投げた。
 クルスの目は潤んでいた。
 少女は薔薇色に頬を染めて俯いた。

 それ続けと、席を立ったものが首飾りをあるいは財布の中身を、豪華な帽子をと列に並び、箱の中に入れていく。

 箱は、劇中でクルスが倒れ込んだ棺だった。クルスは、歌い続けた。凩が聞いた事もない歌もあった。そのどれも美しく、少し悲しい旋律だった。
 
 劇中にあった「神のみもとにこの身ひとつ」が歌われると、弦楽器が増えた。奏者は目を真っ赤にしていた。
 客席の誰かが我慢しきれぬように共に歌い出した。

 声は一つ増え、二つ増え、最後には歌える者はみな声を出して歌い始めた。

 歌い続ける少年くるすが微笑みながら涙を拭うのを見て、誰も彼もがひととき満たされたような気になり、歌と共に舞台の幕は静かに降りていった。

 それは劇場にいた者達だけの幻のような時間だった。
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