異端の巫子

小目出鯛太郎

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ダリア

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 昼食がしっかりと食べられるようにと、朝食はごく軽めで食事が終わるなりヘベスは俺の前に立った。

 銀縁眼鏡の奥の瞳が糸のように細くなっている。
 あれ?俺もしかして服に食べこぼしか飲み物の雫でも溢しちゃったかなと不安になった。

 ヘベスの手が俺の襟元についっと伸びると立襟の内側を留めている小さな金具を外した。そのまま指先は二番目の金具も外してしまった。

 !?

  なんで脱がそうとするの?と少し焦ったんだけどヘベスの目的はペンダントの鎖で、金色の細い鎖と親指の爪程の飾りの先端だけがちょっと覗くように俺の襟元を整えた。



「頬が赤いですよ」


 ぐっ……!!

 今のはヘベスがいけないと思う。襟を少し開けましょうか、とか言ってくれたら自分でするよ、もう。なんだよ、俺、これぐらいで恥ずかしがっちゃって…。

 
 きっとこの服の着こなし方みたいなのがあるんだろうけど。
 穴が開いてなくて着れれば良いや!みたいな服ばっかりだった俺からすると、ヘベスが用意したたくさんの綺麗な服のタッグとか飾りボタンとか宝石のついた襟飾りとかもう何なのって思っちゃう…。


「これ、アルテア殿下に人に見せちゃ駄目だって言われてるんだけど…」

 
「…わたくしはもう何度も見ておりますが」


 !?

 !?うぁぁあああ!!

 俺が一人百面相するのをヘベスは目を細めて見ていた。この目つきは怪訝そうに見るのではなくてちょっと悦に入った目つきだ。



「そのぐらいでしたら、殿下の所有欲や独占欲をほどほどに満たせるでしょう。大丈夫です」


 …へベスの言うことが変だ。

 やっぱりこれ犬の首輪みたいなものなのかな…。何が大丈夫なのかもう少し詳しく説明して欲しい気もするけれど、ヘベスが大丈夫ならそうなんだろう。
 こんな小さなものひとつで欲…なんて。


 ただ沢山ある持ち物の中の一つに名前を書いたようなもんなのかな。

 俺の欲とは全然違う気がする。



 つけていて全然気にしていなかった物が、急になんだか重いような熱いような気がしてくる。ううん…。平常心だ。発動しろ、俺の平常心。



 朝食後の時間は読書か書き取りの時間になるんだけど、落ち着かなくて、立ったり座ったり、うろうろ部屋を歩き回ったりしてしまった。


 正直どんな顔でアルテア殿下に会えば良いのかわからなかった。


 何を話していいかも、どう振る舞えば良いかも分からなくなる。




 同じ失敗をしないように…。
 いらっしゃる前に失敗しないように考えておけばいいんだよな。動作とか話題とか。


 会えて嬉しいと言う顔をしなくちゃいけない。それから?

 ロベリオの話をしないように気をつけなくちゃいけない。また殿下を不快にさせてはいけないから。


「巫子」


 へベスの声に俺はひゃっと飛び上がった。相変わらず足音がしない。
「気分転換に一階の応接室に飾る花でも切りましょうか」

 まだ時間もあるでしょうから一緒に外へ如何ですか、とへベスに手を引かれて階段を降りて外に出た。


「庭の花、勝手に切って怒られない?」

「誰も怒ったりしませんよ」

 庭が広すぎてどの花を切ってもそれがどこに咲いていたか分からない位の花々が咲いていた。確かにこれならどれを切っても何も言われなさそうだ。





 
 へベスは鈍い色の剪定鋏で赤い花を切った。
 花首の下で切られていて、花瓶に挿せそうにない。
「これ…」

「ああ、手元が狂ってしまいました」


 赤い大輪のダリアだった。

 へベスは次はちゃんと茎の長さをとって花を切った。

 ばつん、と重い音が響く。今度は黄色の花が地面に落ちていた。
「これは少し虫が食っているようでした」

 へベスは茎が真っ直ぐに伸びた花ばかりを幾つか切って、茎につく脇目を掻き落とした。

「花の色も形も違いますが、どれも皆同じ花だそうです」

 
 教えてもらわなければ、全部違う花だと思うくらいに大きさも花の着き方も違う。

 へベスは斑入ふいりの緑に白の混じった葉だけの植物も何本か切った。


 どれもダリアの花なのかと、俺はへベスが切り落とした赤い大輪を拾った。

 あらま、このまま捨てるには勿体無いような綺麗な花だ。

「落とした花を拾ってどうなさるのです?」
「まだ綺麗だし、お皿にでも入れたら二、三日は持つんじゃ無いかと思って」

 花を受け取ろうとすると、大輪の白だけを二輪渡された。
 へベスの口元を伺い見ると、不機嫌とまではは言えないけれど、なんとなく浮かない感じだ。


「だめ?」

「いいえ、なにか入れ物を用意しましょう」

 玄関のホールの花もへベスが生けているの?と聞けば別に係がいるらしい。


 星養宮では何の集まりもないのでのんびりしたものだけれど、茶会や夜会を多く行う宮では毎日、場合によっては昼夜で生け替えたりするらしい。
 庭の花がなくなっちゃうんじゃないかと思ったけれど、郊外には広大な花畑や温室があり主要な農業と観光資源になっているらしかった。

 一面見渡す限りの花畑だって。

 セルカの見渡す限りの荒地とは大違いだよなぁ…。

 戻りましょうかと声をかけられて、俺は家鴨アヒルの雛のようにへベスの後をついて行く。


 振り返ってみると地面に落ちて無惨に踏み潰された黄色いダリアの花があった。


 へベスはこの花嫌いなんだろうか。
 

 アルテア殿下にお会いした時に着ていらっしゃった殿下の白い立襟の上着を思い出した。
生き生きとした赤と黄色の大輪のダリアの花の刺繍。

 
 …まさか、ね。


 陽光の差す暖かい日であるのに、背筋の上に氷の粒を一つ滑らせたような気がした。




 殿下との面会も会食も俺が心配するようなことは何一つ起こらず、あっけないほど淡々と進んだ。

 アルテア殿下は殿下が不在中の間に、俺に読ませたい本や資料を部下の方に大量に運ばせた。そして亡くなった先代のようにこれはしっかり勉強しておくようにと幾つかの項目をまとめた物を俺に渡して、一瞬俺の首元に目を止めてにっこりと微笑んだ。


 殿下の感情が伺えたのはその時だけであとはとても…なんて言うのか事務的だった。



 へベスが生けた花を気に留めることもなく、料理長が腕によりをかけた料理にも取り立てて驚くこともなく、一陣の風が吹き去るように帰ってしまわれた。


 準備などで色々お忙しいのだろう。実の所俺はほっとしていた。


 へベスと夜にあんなことをしてしまった手前、後ろめたさから俺はアルテア殿下の顔を見たらもう少し狼狽えてしまうのではないかと思っていたのに。

 へベスとの朝のやり取りの方が余程どぎまぎした。


 俺が視界に入れて注視出来なかったのは、ゼルドさ…んの方だ。

 二年も会えなくなってしまうから、見なきゃと思っていたのに、無理だった。
 

 不実と純情は両立する。



 殿下を宮からお見送りしつつ、俺が見つめていたのはゼルドさんの後ろ姿だった。
 












 

 
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