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第二章 臣下とは王のために存在する
守護者の性分
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ギルバートの私室には、暗赤色の絨毯が敷かれている。ほどよい厚みと弾力は、直に座りつづけていても不都合がない。
貴族といえども騎士という職業柄、野営の経験は両手で足りぬほど、固い地面に寝ることもあるために、屋根と壁があるだけで僥倖だと思うぐらいには染まっている。
煮炊きできぬ時に決まって登場する騎士団の携行食は、手軽で栄養価が高い優秀な食べものだ。
しかしその真価が発揮される野営時でさえギリギリまで敬遠される――味が死ぬほどクソまずいために。
例にもれず、敬遠された携行食はローテーブルの隅に追いやられ、焼き菓子の山ばかりが崩される。
とはいえ、その速度はさきほどから停滞し、ついにギルバートの手が止まった。
「……もう食えない」
手で口をおさえ、ギルバートが降参する。
「情けない。大のおとながたったの八個ですか」
「甘ったるくて胸やけすんだよ!」
「しかたないですね。では、せめて公爵家にいるときぐらいは食事を抜かないとお約束ください。それで手を打ちましょう」
「……その約束は、おまえに利があるのか?」
「広義に解釈すれば、そうですね」
「どうせ交渉を受けた時点でこちらの分が悪い。承諾するほかないだろう」
「賢明なご判断です。――国王陛下の孫、ナサニエル殿下の婚約話がでています」
ギルバートはハッと顔をあげ、次いで訝しげに眉をひそめた。
「うちはいまさら、王族と誼を結ぶ必要などない」
「そうでしょうけど、あちらの意向というものがあります。候補は三大公爵家の公女。そのなかで婚約者がいないのは、アンジェリカただひとり」
「……そうだが」
不機嫌が孕む声で、しぶしぶ相槌をうつ。
公女には婚約者がいるのが普通であり、それはおおよそ齢一桁の時分、家柄をはじめとしたさまざまな条件を最大限考慮し、気候の良い大吉日をもって定められる。
筆頭公爵家であるブレイデン家のご令嬢ともなれば、生まれた年に婚約者が決まっていても不思議ではない。
アンジェリカの婚約者がいない理由――元凶ともいえるのが、ギルバートだ。
ともすれば、婚約者におさまる人間をうっかり殺しかねない。
無詠唱で魔術を発動できるということは、殺意を持っただけで発動してしまう可能性がある。
そして稀代の魔人の強大な魔術の前に、婚約者はなすすべもなく消滅してしまう――そういう未来しか描けないために、最大限に考慮すべきは、ギルバートの意向だった。
障壁を張れる人間ならばとも思われたが、そもそも障壁自体が中難度魔術、それを扱えたとして攻撃の気配にとっさに展開できる人間はごくわずか、そのなかに家柄・年齢のつりあう男子は皆無、いたところで稀代の魔人に勝てる人間など存在しない。
「今回、王家はそれを逆手にとり、アンジェリカに婚約者がいない理由を、王族側の調整の遅れによるものだと発表するようです」
ギルバートは舌打ちする。
アンジェリカ可愛さから大切に守ってきたが、今回の件に限っては、どうやら裏目にでたらしい。
「ならば俺が国王と話をつける。婚約話がなくなるか、クソ殿下がなくなるかの二択だ」
「大逆は慎んでいただきたい」
「見くびるな、エリオット。――俺ならうまく殺る」
「うまくやられても困るんですけど。なんにせよ、わざわざ婚約解消という煩雑な手続きがつきまとう相手が選ばれるのは、よほど利点がおおきい場合のみ。つまり、現時点ではアンジェリカが最有力候補だということです」
部屋に沈黙が落ちる。
ギルバートが、重い息を吐いた。
「……不本意ながら、おまえたちがアンジェリカに婚約者をつくりたがる理由はわかった。――で?」
「で?」
「おまえがアンジェリカの婚約者になりたいのは、なぜだ」
ギルバートがエリオットを鋭くにらむ。
刺すような目つきは、ゼノあたりなら脱兎のごとく逃げだしそうな迫力だ。
しかしエリオットは気にしないどころか、不躾なまでに、まじまじとギルバートを見返した。
「……どういう思考が過ぎて、その極まった愚問になるんですか? アンジェリカが絡むと阿呆になるのは知っていましたが、俺の対処が甘かったということですね、失礼しました」
「謝る場所がちがうだろ!?」
「それぐらいはわかるみたいで安心しました。その調子で、つぎの説明もご理解ください。――例え人選をおこない、傀儡だか生贄だかを用意したところで、俺が残骸を処理するだけです」
「まだ、そうなると決まっては――」
「そこで殺さないと断言しないことが問題なんです!」
エリオットがこぶしを床にたたきつける。
問題は――問題にすべきは、そんなことではない。
アンジェリカが絡むと冷静でいられないおさななじみは、自らの首を締める行為だと理解してなお、その愚行に手を染める。――それがわかっていて、どうして見捨てることができるだろうか。
「殺した方が悪くなるんですこの国は! 俺なら貴方に殺されるようなヘマはしない――みすみす貴方の立場を悪くするようなことだけは、絶対に回避する」
――特定の人物が絡むと冷静でいられないのは、自分も一緒だ。
エリオットは胸中で自嘲し、反論を探して視線をめぐらせるギルバートを見つめる。
「……脅威が去れば、破棄なさるのも貴方の自由。その際、俺の過失にしてもらってもかまいません」
あまり追い詰め、意固地になっても困る。
そんな思いから付け加えた言葉だったが、意図せず優しい声音になった。
ギルバートが、むくれたように下を向く。
「……俺におまえを認めろというのか」
そうではないが、そういうことなのかもしれない。
ギルバートの問いに対する答えを、エリオットはひとつしか持っていない。
「――俺はいつでも、貴方の決定に従います」
部屋の空気が一変した。
顔をあげたエリオットは、廊下を行く使用人のひかえめな足音を耳にして、障壁が解かれたことに思い至る。
「……帰れ」
うつむくギルバートが、しぼりだすような声でつぶやく。
「わかりました。お大事に」
引き際を見定め、エリオットはあっさりと立ち上がる。
一礼し、ギルバートの私室から速やかに退室した。
扉を閉めた瞬間、おおきく息を吐いた自分に、存外、緊張していたと知る。
周囲に人の気配はなく、ひかえめな調度品がならぶ廊下をひとり歩く。
ギルバートが溺愛する妹、アンジェリカの婚約者。
一蹴される可能性も視野に入れていたが、さいごまで話を聞いてもらえたことが希望で――まあここまでくれば、そうなるだろうという直観がある。
婚約者になれば、公式またはそれに準ずる式典でのエスコートや、月に一度以上の訪問、書簡のやりとり、そういった不文律に多少時間がとられるが、どれもたいした手間ではない。
そもそもアンジェリカは十五歳、公爵家御令嬢といえども学生の身、式典への出席は最小限にとどめられている。
ギルバートからアンジェリカを取り上げたいわけでも、兄妹の時間を邪魔したいわけでもない。
それは伝わったと確信できる。いまエリオットが五体満足でいることが、その証だ。
となれば、あとはギルバートの気持ちが落ち着くのを待つだけ。
どれだけの時間がかかろうとも、待てができないほど無能ではない。
「……忠犬と揶揄されるのは、そういうことか?」
しかし騎士ならば、上官の待機命令に従うのは当然だ。
やはり意味がわからない、とエリオットは首をひねりながら、長い廊下を進んでいく。
曲がり角に差し掛かったとき、あらわれた人影に足を止めた。
「お帰りですか、エリオット様」
洗練された立ち姿は、執事長のロベルトだ。
偶然を装ってはいるが、十中八九、そこの角で待機していたのだろう。
おさないころから接しているが、隙のない御仁であり、ギルバートを大切にしている人間のひとりだ。
つまり、彼への受け答えはこうあるべきだ。
「――ええ。長居してギルバートの体調が悪化したら困ります」
「お気遣いありがたく存じます。ゆっくりご歓談は出来ましたでしょうか」
そしてなかなかの狸。
思いやりにあふれた口調と温かいまなざしは、演技にみえないほど自然だ。
わざわざエリオットに声をかけたのは、何かを目的があってのことだろうが、それにつきあう義理も気力もない。
公爵家当主とのあたりさわりのない雑談に、おさななじみの地雷処理、そのうえ狸の相手は骨が折れる。
ここはひとつ、戦利品を差し出して、解放してもらおう。
「ギルバートから、ここにいるあいだは食事を抜かないと言質を取りました。どなたかにお伝えするつもりでしたが、ここで偶然、出会えてよかった」
「……それは素晴らしいお約束を。私がたしかに承りました」
ロベルトがきっちりと一礼する。
どうやら献上品にご満足いただけたらしい。
「では、失礼させていただきます」
彼の気が変わらないうちに、別れの挨拶を告げる。
執事の鏡のような立礼に、やはり隙のない御仁だと再認識しながら、エリオットはブレイデン公爵家を後にした。
「……ま、及第点ですな」
エリオットの気配が完全に消えてから、ロベルトは体勢を戻す。
つぶやく評価は貴族の次男坊にではなく、アンジェリカの婚約者候補へのものだ。
アンジェリカは、屋敷中の人間が蝶よ花よと尊び、大切に慈しんできたご令嬢だ。
その婚約者候補には、点が辛くなるのも致し方ない。
筆頭公爵家として、なまじ下手な相手では、候補として名をあげることすら許されないほどだ。
すくなくとも、あの青年は莫迦ではない。
道理を知り、礼儀を重んじ、公私ともにギルバートの側近に足る働きをしている。
ローガン侯爵家の次男という生まれに、聖騎士の称号――彼の利用価値は高い。
執事長として、ブレイデン公爵家の繁栄のために尽力することは最重要事項だ。
当主への進言をも考慮しながら、ロベルトは厨房へと足を向ける。
「食べやすく、胃にやさしいもの……スープをメインに、滋養になるものを薄味で……」
歩きながら考えるのは、そろそろ昼食の仕込みを開始するであろう料理長への相談だ。
心身ともに疲弊したであろうギルバートを思うと、どうにも落ち着いていられない。
執事長としての職務かどうかは関係なく――ロベルトにとって、ギルバートの一刻も早い回復のために尽力することは、紛れもない最重要事項であった。
貴族といえども騎士という職業柄、野営の経験は両手で足りぬほど、固い地面に寝ることもあるために、屋根と壁があるだけで僥倖だと思うぐらいには染まっている。
煮炊きできぬ時に決まって登場する騎士団の携行食は、手軽で栄養価が高い優秀な食べものだ。
しかしその真価が発揮される野営時でさえギリギリまで敬遠される――味が死ぬほどクソまずいために。
例にもれず、敬遠された携行食はローテーブルの隅に追いやられ、焼き菓子の山ばかりが崩される。
とはいえ、その速度はさきほどから停滞し、ついにギルバートの手が止まった。
「……もう食えない」
手で口をおさえ、ギルバートが降参する。
「情けない。大のおとながたったの八個ですか」
「甘ったるくて胸やけすんだよ!」
「しかたないですね。では、せめて公爵家にいるときぐらいは食事を抜かないとお約束ください。それで手を打ちましょう」
「……その約束は、おまえに利があるのか?」
「広義に解釈すれば、そうですね」
「どうせ交渉を受けた時点でこちらの分が悪い。承諾するほかないだろう」
「賢明なご判断です。――国王陛下の孫、ナサニエル殿下の婚約話がでています」
ギルバートはハッと顔をあげ、次いで訝しげに眉をひそめた。
「うちはいまさら、王族と誼を結ぶ必要などない」
「そうでしょうけど、あちらの意向というものがあります。候補は三大公爵家の公女。そのなかで婚約者がいないのは、アンジェリカただひとり」
「……そうだが」
不機嫌が孕む声で、しぶしぶ相槌をうつ。
公女には婚約者がいるのが普通であり、それはおおよそ齢一桁の時分、家柄をはじめとしたさまざまな条件を最大限考慮し、気候の良い大吉日をもって定められる。
筆頭公爵家であるブレイデン家のご令嬢ともなれば、生まれた年に婚約者が決まっていても不思議ではない。
アンジェリカの婚約者がいない理由――元凶ともいえるのが、ギルバートだ。
ともすれば、婚約者におさまる人間をうっかり殺しかねない。
無詠唱で魔術を発動できるということは、殺意を持っただけで発動してしまう可能性がある。
そして稀代の魔人の強大な魔術の前に、婚約者はなすすべもなく消滅してしまう――そういう未来しか描けないために、最大限に考慮すべきは、ギルバートの意向だった。
障壁を張れる人間ならばとも思われたが、そもそも障壁自体が中難度魔術、それを扱えたとして攻撃の気配にとっさに展開できる人間はごくわずか、そのなかに家柄・年齢のつりあう男子は皆無、いたところで稀代の魔人に勝てる人間など存在しない。
「今回、王家はそれを逆手にとり、アンジェリカに婚約者がいない理由を、王族側の調整の遅れによるものだと発表するようです」
ギルバートは舌打ちする。
アンジェリカ可愛さから大切に守ってきたが、今回の件に限っては、どうやら裏目にでたらしい。
「ならば俺が国王と話をつける。婚約話がなくなるか、クソ殿下がなくなるかの二択だ」
「大逆は慎んでいただきたい」
「見くびるな、エリオット。――俺ならうまく殺る」
「うまくやられても困るんですけど。なんにせよ、わざわざ婚約解消という煩雑な手続きがつきまとう相手が選ばれるのは、よほど利点がおおきい場合のみ。つまり、現時点ではアンジェリカが最有力候補だということです」
部屋に沈黙が落ちる。
ギルバートが、重い息を吐いた。
「……不本意ながら、おまえたちがアンジェリカに婚約者をつくりたがる理由はわかった。――で?」
「で?」
「おまえがアンジェリカの婚約者になりたいのは、なぜだ」
ギルバートがエリオットを鋭くにらむ。
刺すような目つきは、ゼノあたりなら脱兎のごとく逃げだしそうな迫力だ。
しかしエリオットは気にしないどころか、不躾なまでに、まじまじとギルバートを見返した。
「……どういう思考が過ぎて、その極まった愚問になるんですか? アンジェリカが絡むと阿呆になるのは知っていましたが、俺の対処が甘かったということですね、失礼しました」
「謝る場所がちがうだろ!?」
「それぐらいはわかるみたいで安心しました。その調子で、つぎの説明もご理解ください。――例え人選をおこない、傀儡だか生贄だかを用意したところで、俺が残骸を処理するだけです」
「まだ、そうなると決まっては――」
「そこで殺さないと断言しないことが問題なんです!」
エリオットがこぶしを床にたたきつける。
問題は――問題にすべきは、そんなことではない。
アンジェリカが絡むと冷静でいられないおさななじみは、自らの首を締める行為だと理解してなお、その愚行に手を染める。――それがわかっていて、どうして見捨てることができるだろうか。
「殺した方が悪くなるんですこの国は! 俺なら貴方に殺されるようなヘマはしない――みすみす貴方の立場を悪くするようなことだけは、絶対に回避する」
――特定の人物が絡むと冷静でいられないのは、自分も一緒だ。
エリオットは胸中で自嘲し、反論を探して視線をめぐらせるギルバートを見つめる。
「……脅威が去れば、破棄なさるのも貴方の自由。その際、俺の過失にしてもらってもかまいません」
あまり追い詰め、意固地になっても困る。
そんな思いから付け加えた言葉だったが、意図せず優しい声音になった。
ギルバートが、むくれたように下を向く。
「……俺におまえを認めろというのか」
そうではないが、そういうことなのかもしれない。
ギルバートの問いに対する答えを、エリオットはひとつしか持っていない。
「――俺はいつでも、貴方の決定に従います」
部屋の空気が一変した。
顔をあげたエリオットは、廊下を行く使用人のひかえめな足音を耳にして、障壁が解かれたことに思い至る。
「……帰れ」
うつむくギルバートが、しぼりだすような声でつぶやく。
「わかりました。お大事に」
引き際を見定め、エリオットはあっさりと立ち上がる。
一礼し、ギルバートの私室から速やかに退室した。
扉を閉めた瞬間、おおきく息を吐いた自分に、存外、緊張していたと知る。
周囲に人の気配はなく、ひかえめな調度品がならぶ廊下をひとり歩く。
ギルバートが溺愛する妹、アンジェリカの婚約者。
一蹴される可能性も視野に入れていたが、さいごまで話を聞いてもらえたことが希望で――まあここまでくれば、そうなるだろうという直観がある。
婚約者になれば、公式またはそれに準ずる式典でのエスコートや、月に一度以上の訪問、書簡のやりとり、そういった不文律に多少時間がとられるが、どれもたいした手間ではない。
そもそもアンジェリカは十五歳、公爵家御令嬢といえども学生の身、式典への出席は最小限にとどめられている。
ギルバートからアンジェリカを取り上げたいわけでも、兄妹の時間を邪魔したいわけでもない。
それは伝わったと確信できる。いまエリオットが五体満足でいることが、その証だ。
となれば、あとはギルバートの気持ちが落ち着くのを待つだけ。
どれだけの時間がかかろうとも、待てができないほど無能ではない。
「……忠犬と揶揄されるのは、そういうことか?」
しかし騎士ならば、上官の待機命令に従うのは当然だ。
やはり意味がわからない、とエリオットは首をひねりながら、長い廊下を進んでいく。
曲がり角に差し掛かったとき、あらわれた人影に足を止めた。
「お帰りですか、エリオット様」
洗練された立ち姿は、執事長のロベルトだ。
偶然を装ってはいるが、十中八九、そこの角で待機していたのだろう。
おさないころから接しているが、隙のない御仁であり、ギルバートを大切にしている人間のひとりだ。
つまり、彼への受け答えはこうあるべきだ。
「――ええ。長居してギルバートの体調が悪化したら困ります」
「お気遣いありがたく存じます。ゆっくりご歓談は出来ましたでしょうか」
そしてなかなかの狸。
思いやりにあふれた口調と温かいまなざしは、演技にみえないほど自然だ。
わざわざエリオットに声をかけたのは、何かを目的があってのことだろうが、それにつきあう義理も気力もない。
公爵家当主とのあたりさわりのない雑談に、おさななじみの地雷処理、そのうえ狸の相手は骨が折れる。
ここはひとつ、戦利品を差し出して、解放してもらおう。
「ギルバートから、ここにいるあいだは食事を抜かないと言質を取りました。どなたかにお伝えするつもりでしたが、ここで偶然、出会えてよかった」
「……それは素晴らしいお約束を。私がたしかに承りました」
ロベルトがきっちりと一礼する。
どうやら献上品にご満足いただけたらしい。
「では、失礼させていただきます」
彼の気が変わらないうちに、別れの挨拶を告げる。
執事の鏡のような立礼に、やはり隙のない御仁だと再認識しながら、エリオットはブレイデン公爵家を後にした。
「……ま、及第点ですな」
エリオットの気配が完全に消えてから、ロベルトは体勢を戻す。
つぶやく評価は貴族の次男坊にではなく、アンジェリカの婚約者候補へのものだ。
アンジェリカは、屋敷中の人間が蝶よ花よと尊び、大切に慈しんできたご令嬢だ。
その婚約者候補には、点が辛くなるのも致し方ない。
筆頭公爵家として、なまじ下手な相手では、候補として名をあげることすら許されないほどだ。
すくなくとも、あの青年は莫迦ではない。
道理を知り、礼儀を重んじ、公私ともにギルバートの側近に足る働きをしている。
ローガン侯爵家の次男という生まれに、聖騎士の称号――彼の利用価値は高い。
執事長として、ブレイデン公爵家の繁栄のために尽力することは最重要事項だ。
当主への進言をも考慮しながら、ロベルトは厨房へと足を向ける。
「食べやすく、胃にやさしいもの……スープをメインに、滋養になるものを薄味で……」
歩きながら考えるのは、そろそろ昼食の仕込みを開始するであろう料理長への相談だ。
心身ともに疲弊したであろうギルバートを思うと、どうにも落ち着いていられない。
執事長としての職務かどうかは関係なく――ロベルトにとって、ギルバートの一刻も早い回復のために尽力することは、紛れもない最重要事項であった。
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