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第二章 臣下とは王のために存在する

悪魔のささやき

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 うつくしい夕焼けが、まだらな黒でりつぶされる。 
 禍々まがまがしい色彩のなか、えた銀髪の少年があらわれた。
 装飾を散らしたワインレッドの上衣をひるがえし、ヒールを鳴らして着地する。
 背に生えた漆黒しっこくの翼が、バランスを取るように広がった。

『やあ、ギル。こないだぶり』

 そう言って、右手で持ったクッキーをかじり、左手で持ったカップを口につけた。

「イブリース。何をやっている」
『だって、急に呼ぶから』

 イブリースがカップを手放すと、跡形あとかたもなく消え失せた。
 ギルバートが、気を取りなおして宣言せんげんする。
 
「ギルバート・ブレイデンの名において要求する。俺と融合ゆうごうし、国立公園の魔鳥を殲滅せんめつしろ。報酬は――んぐっ!?」

 イブリースが、いきなりギルバートの口にクッキーをつっこんだ。
 眉をひそめたギルバートが、数秒のちにおとなしく咀嚼そしゃくする。
 クッキーを飲みこむと、複雑な表情でイブリースをにらんだ。

「なぜアンジェリカが作ったクッキーを持っている」
『よくわかったね!? あはは、ギルきもちわるい!』
「また勝手に現世こちらに来ていたのか」

 高位悪魔こういあくまであるイブリースは、魔界まかい現世げんせを自由に行き来することができる。
 ばれると色々と面倒なので、いまのところ、国王には秘密である。

『それよりギル。その右耳のピアス、説明してほしいな』
「これか? 通信術具つうしんじゅつぐだ! いいだろう」

 右耳を見せてやると、イブリースがなぜか半眼になった。

『ふーん。エリオットとおそろいで素敵すてきー』
「おそろい? 同じ術具なんだから、あたりまえだろ」
『ギルはそういう認識か』

 ふくみのある言い方がひっかかるが、たいしたことではないだろうと聞き流す。

「それより、さっさと融合しろ」
『そんな顔色で、耐えきれるの?』
「寝ていないだけだ。魔力は残っている」
『微量すぎて、働く気になれないよ』

 やれやれ、とイブリースが首を振る。

『言ったら聞かないからな、僕のご主人様は。報酬がもらえるまで、またブレイデン公爵家で待機か』
「一流シェフのディナーが食べられるぞ」
『デザートにフォンダンショコラ出る?』
「作らせよう」
『さっすが次期当主!』

 パチン、と指をならしたイブリースが、ギルバートの背に抱きつく。

『ああ、そうだ。宣言せんげんしなかった報酬の内容は、あとで僕が決めるからね』
「は!? おまえがクッキーをつっこむからだろ!」

 ギルバートは身をよじり、背中のイブリースを追い払おうとする。
 イブリースが笑って、ギルバートの背中に溶けこんだ。

 



 落陽らくようの光にかがやく空を、二頭の竜がかける。
 温暖な昼間とは違い、黄昏たそがれの風は冷たい。
 肺に冷気れいきが流れ込み、ゼノは疾走する竜の上で軽くむせた。

 乗騎する竜が、なにかを知らせるように短く鳴いた。
 ゼノが周囲に目をやると、夕陽をふくんだ赤い雲に、複数の影がちらついた。
 えた影は、その巨体に似合わずはやい。

「――魔鳥イクティノス」

 つぶやくと、雲の切れ間からそれが飛来した。
 見た目は巨大な猛禽類もうきんるい褐色かっしょくと白色のまだら模様をしている。

 ゼノは気息きそくと重心を整えて、弓を引き絞る。
 つがえた矢は白銀、追跡魔術ついせきまじゅつ仕込しこめば、命中率はほぼ100%だ。

 当たれ、と念じて矢を放つ。
 
 風切り音とともに飛んだ矢は、イクティノスの脳天を弾き飛ばした。
 
「やるな、ゼノ」

 レスターが竜を寄せて、ゼノをねぎらう。
 
白銀はくぎんのおかげです。一矢で撃破できるとは」
「魔獣の弱点だからな。傷さえ付けば、勝手に死んでくれる」

 証明するように、レスターが振るう白銀のやりが、かすめた一羽を絶命させた。
 その向こうがわで滑空する翼を、ゼノが射抜く。
 翼がはじけた魔鳥は、あっけなく落下した。  
 白銀の圧倒的な攻撃力に、ゼノは感嘆のため息をついて、矢を撫でる。
 
「ほんとうに頼りになるな」
「――俺は?」
「もちろん。いちばん頼りにしていますよ、レスター先輩」

 笑いをこらえて、ゼノが返す。
 冗談に聞こえたかもしれないが、まぎれもない本心だ。

 さきほど、空におおきな魔術陣が現れるやいなや、エリオットが真顔で「回収してくる」と言い残して離脱した。
 ふたりきりで討伐をたくされ、それでも平常心でいどめたのは、レスターのまったく気後れしない態度のおかげだ。

「この調子なら、すぐに殲滅せんめつできそうですね」
「だからって、気を抜くなよ。イクティノスは、気配を消して後方から急襲きゅうしゅうしてくる」
「背中合わせで戦います?」
「それより、上に注意しろ。すさまじい高度から降下してくると――ゼノ!」

 なにげなく空を見上げたレスターが叫ぶ。
 ゼノが反射的に手綱たづなをひるがえすが、それを待たずに竜が斜めに急降下した。
 振り返ると、直前までいた場所に、魔鳥が連なって飛び込んできた。
 ざっと見ただけで、十羽はくだらない。

 レスターがおおきく槍を振るう。
 数羽が死に至るが、半数以上が穂先ほさきからのがれ、ゼノに向かってきた。

 弓が武器のゼノは、身を守る術がない。
 たまらず逃げの一手を取るが、小回こまわりのくイクティノスを振り切ることができない。
 攪乱かくらんのために方向転換を繰り返す竜の上、いちかばちかで放った矢が、かろうじて一羽を落とす。

 左右から飛び込んでくるイクティノスに、竜が急停止して身をよじる。
 かまそこねて、ゼノは体勢をおおきく崩す。
 背負った矢筒やづつふたが開いて、白銀の矢が空中に散らばった。

 ゼノはとっさに手を伸ばす。
 くらから身を乗りだし、白銀に追いすがる。

「つかんだ――!?」

 喜んだ矢先、浮遊感に凍りつく。
 手をついた先に竜がおらず、くらからすべりおちた。

「――ぁぐっ!」

 あげた悲鳴が、苦悶くもんの声にすり替わる。
 ベルトについた命綱が、限界まで伸びて、ゼノを救った。

 ゼノは、犬のように、ハッ、ハッと短く息を吐く。
 逆さまの世界で、発狂しそうになるのを、理性で押しとどめる。
 背骨がきしむ痛みをこらえ、あぶみに片足をひっかけた。

 天に昇った一羽が、急降下してくるのが見えた。

 ――迷えば死ぬ!

 確信かくしんと同時に、うでにつながる弓をつかみ、手中の一矢をつがえる。
 竜の横腹をかかとで踏みしめ、空と水平に身体を保つ。
 無理むり承知しょうちで引き絞る弓が、ギリギリと音を立てる。

「当たれ!!」

 魔力を込めた白い矢は、光となってイクティノスをつらぬいた。

「やった――!?」

 落下する羽毛の影から、新たな個体がおどりかかる。
 かげる視界に蹴爪けづめがせまり、ゼノは衝撃を覚悟する。

 視界の端を、赤い炎を横切った。
 ゼノに爪をかけたはずの魔鳥が、爆音をたてて砕け散る。
 強烈な熱風にあおられ、竜ごと回転した勢いを味方に、くらに手をかけて飛び乗る。
 うろたえる竜の手綱を引き、首をたたいてしずめた。

 ゼノを助けたのは、正確で強大な炎の魔術。
 それをあつかう人間を、ゼノはひとりしか知らない。
 周囲に充満じゅうまんする蒸気をいて、漆黒の影が駆け抜けた。

「ギルバート団長!」

 ゼノの声に、黄金の瞳がこたえる。
 彼は抜刀する動きで、ついでのように近くの魔鳥を断ち切った。

 ギルバートは、散らばった鳥に特攻し、次々にとどめを刺していく。
 漆黒の魔術剣は、白銀ほどの攻撃力は無い。
 それでも彼は、圧倒的に強く、はやかった。

 魔鳥を片付かたづけたギルバートが、遠くの空を見やる。
 つられてそちらを見たゼノは、新手の群れの存在を知る。
 風に乗って聞こえてくるのは、仲間に警告をうながすような、短く繰り返す鳴き声だ。

 ギルバートが身をひるがえし、空を駆ける。
 群れの中央に突っこみ、両腕をおおきく振り払った。

火炎かえんの波!」

 天と地を分かつように、火炎が水平に空に広がる。
 魔鳥を飲みこみ、大爆発を起こした炎は、辺りを昼間のように明るく照らした。
 絶命したイクティノスが、雨のように地上に落ちていく。

「ギルバート団長! 突出しすぎです!」

 叫ぶエリオットが、ギルバートの取りこぼした魔鳥を、確実に一羽ずつ仕留めていく。
 竜騎士団の双璧そうへきの猛攻に、ゼノは戦況が優勢に転じるのを実感する。
 レスターの竜が、おおきく跳躍ちょうやくしてとなりに並んだ。

「ゼノ、無事か!」
「はい! ……でも、矢が」

 地上ははる彼方かなた、落下地点の特定はむずかしい。

「こんなこともあろうかと、持ってきた」

 レスターが予備の矢筒を放って寄越す。
 受け取ったゼノは、白銀の矢束に顔をかがやかせた。

「――ありがとうございます!」
「頼りになる先輩で、よかったな」

 揶揄やゆするレスターが、おもしろそうに笑う。
 いつもどおりのまったく気後れしない態度に、ゼノは憧憬しょうけいを抱く。
 ゼノには無い強さ、それに近づきたくて、感情がうずく。

 与えられた矢筒を背負い、白銀の矢を引きだす。
 白い矢じりは、まばゆいほどに陽光をはじく。
 そのきらめきに負けないよう、ゼノは顔を上げ、イクティノスに照準を合わせて弓を引き絞った。





 ギルバートは浮遊したまま、周囲を見渡す。
 炎が消えた空は、薄墨を垂らしたよう、すでに茜色あかねいろも絶えて久しい。

 急激に暮れる太陽に、肉眼で見える距離が縮まっていく。
 そう遠くない場所に竜の影が三頭、空中にそれ以外の気配は無い。

 魔術剣が、白刃に戻る。
 魔力が切れる前に殲滅せんめつできたことに口角が上がった。

「……アンジェリカ」

 最愛の妹との休暇が確定し、ギルバートは快哉かいさいを叫びたい気持ちでいっぱいだった。
 肩でおおきく息をつくと、ゆるい眩暈めまいにおそわれ、首を振って追い払う。
 ここで気を抜いて墜落ついらくなど、あまりに笑えない。
 自嘲じちょうするように目を細めると、夜の匂いがする風が吹いた。
 
 剣を収め、合流しようとギルバートが羽ばたく。

『ギルバート、上だ!!』

 通信術具のするどい声に、考える前に体が動いた。
 かざすように抜刀ばっとうした剣が、降ってくる鉤爪かぎづめと衝突する。
 目を見張るほどの太いあしは、竜をもしのぐ巨大なイクティノスだ。
 魔力を流しそこねた白刃があっけなく折れて、蹴爪けづめがギルバートのどうをわしづかみにした。
 
「ぐっ!」

 握り潰されたギルバートの翼が、音を立てて折れる。
 脇腹わきばらに食いこむ魔鳥の爪が、皮膚を突き破り鮮血が飛び散った。
 ギルバートの喉笛のどぶえねらい、かぎ状のくちばしがせまる。

――消滅してしまう。

 まばたきする間もない一瞬、危惧きぐするのは自分の命――ではない。

――アンジェリカとの休暇が!

 痛みが怒りに変わる。
 傷付くこともかまわず、蹴爪からうでを引きぬき、折れた剣を魔鳥の左目に突き刺した。

「低位魔獣のぶんざいで!!」
 
 魔術剣の残骸ざんがいにぶちこんだ魔力が爆ぜる。
 片目をつぶされた鳥が、悲鳴をあげて暴れだす。 
 蹴爪けづめの拘束がゆるみ、好機とみて抜けでる瞬間。
 ふりまわされた堅いくちばしが、ギルバートの側頭部そくとうぶを強打した。

 すさまじい衝撃に、ギルバートの息がつまる。
 骨にひびく打撃音が脳を揺らし、聴覚が消えた。
 焼けるような痛みのなか、こめかみから耳朶に熱い液体が伝う。
 くびの力が抜けて、指先すら動かせない。

 まぶたの奥から、世界が白に浸食されていく。
 かすかに残る視界のなかで、白い光が一閃する。
 魔鳥の胴体に白銀の槍が突き刺さり、そこから鳥が破裂した。





 空中に血のりをばらまきながら、ギルバートが墜落ついらくする。
 極限まで竜を疾駆しっくさせたゼノが、真下にすべりこむ。

「受け止めました!」

 後方に向け、ありったけの大声で報告を飛ばす。
 すくいあげるように飛翔した後、平らな地面に着地した。
 すぐさま竜の背から彼を下ろす。
 竜が足を折りまげて、小柄こがらなゼノの動きを助けた。

 ゼノは魔術で光球をともす。
 明りの下で見るギルバートは、想像以上に無惨むざんなありさまだった。
 漆黒の翼は折れて、あらぬ方向に曲がっている。
 融合した魔人の肌は白いが、それを抜きにしても生気が感じられない。
 大量の血糊ちのりが騎士服をまだらに染めあげ、腹部からはいまだに出血が止まらない。

「ギルバート団長、聞こえますか!?」

 呼びかけに、ギルバートのまぶたがかろうじてひらく。
 焦点しょうてんの合わない黄金の瞳が揺れている。
 彼の意識が混濁こんだくしているのは明らかだ。

 ゼノは自責じせきねんに駆られる。
 さきほど彼に助けられたばかりなのに、イクティノスのボスが出現したとき、まったく動けなかった。
 矢が届かぬ距離だとはいえ、敵に一番近かったのは自分だ。
 エリオットがイクティノスを倒さなければ、どうなっていたかわからない。
 
「せめて、応急処置を」

 自分の無力さをなげくまえに、できることをしたい。
 ――俺だって、すこしは役に立てるはずだ。
 なぜか、強くそう思った。 

 治癒魔術ちゆまじゅつは習ったばかりで、治せる傷はごくわずか。
 それでも止血ぐらいはできる、とギルバートの脇腹わきばらに手をかざす。

 レスターとエリオットが、間近に竜を着地させる気配がした。

「――術式展開」 
「待てゼノ!!」
「え?」

 つよい制止に、ゼノが振りかえる。
 治癒魔術が発動し、ゼノの手のひらが淡く光った。

「――あああ゛!!」

 ギルバートが絶叫する。
 視線を戻したゼノは、ギルバートの傷が広がり、血がきだすのを見た。 

 愕然がくぜんとする間もなく、ゼノはギルバートから引きはがされる。
 気付くと、背後からレスターに羽交はがめにされていた。

 なにが起こったのか分からない。
 それでも、自分の治癒魔術が原因なのは間違いない。
 よけいなことをしてしまった――こうあせったばっかりに!

 後悔に震えるゼノの耳に、エリオットの叱咤しったする声が聞こえた。

「動くな、ギルバート!」
「ぅっ……ぐ!」

 エリオットが、錯乱さくらんするように暴れるギルバートを押さえつけている。
 折れた翼が地をたたき、彼が移動したわずかな距離、その地面が血でどす黒く変色している。

「れ、レスター先輩……」

 ゼノは青い顔でレスターをあおぎ見る。
 痛ましげにギルバートを見やるレスターが、静かに告げる。

融合ゆうごうした魔人に、聖魔術は禁忌だ」
「す、すみません、俺……」

 聖属性せいぞくせいの白銀が、魔属性まぞくせいの魔獣を滅ぼすと知っていたのに。
 治癒魔術ちゆまじゅつなど、聖属性のきわみ――悪魔と融合したギルバートにとって、それが毒にしかならないと、なぜわからなかった。
 どうしてだか、頭の中は自分の能力を誇示こじすることで埋まり、他のことを考える余裕がなかった。
 欲求を満たす行動をすべきだと、耳元でずっとささやかれているような気分だった。

 叱責しっせきを覚悟するゼノに、レスターが苦笑して両手をはなす。

「伝えていなくて、悪かった」
「いいえ! ……先走った、俺の過失かしつです」 
「そうじゃない。悪魔の瘴気しょうきてられたんだよ、おまえ」

 思ってもみないことを言われ、ゼノはレスターを見返す。

「瘴気は人の欲望よくぼうを増幅させる。ゼノは、どうしてもギルバート団長を治したかったんだな」
 
 レスターは、失敗した子供を見守るような目をしていた。
 善意ぜんい解釈かいしゃくに、ゼノの頬に朱がはしる。

 そうではない。
 自分は役立たずではないと、証明したかっただけだ。
 
 否定を口にする前に、レスターがつづけた。

「ちなみに俺は今、きれいなお姉さんといいことがしたい」
「――えっ!?」
「話なら後で聞いてやる。美人ぞろいの店でな」
「……焼肉がいいです」

 こぼれた本音に、レスターが破顔した。

「それじゃ、さっさとエリオット副団長の『回収』を手伝って帰るぞ。来いゼノ!」
「はい!」

 ゼノは歯切れよく返事をする。
 こんどは自分のためではなく、ギルバートを救うために行動する。
 矮小わいしょうな己を律するように、ゼノは気合を入れて、レスターの背中を追いかけた。
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