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第二章 臣下とは王のために存在する

討伐、おかわり!

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 私室で昼食をとった国王は、執務室へとむかう。

 直通の廊下は、シンと静まりかえっている。
 人気ひとけがないのはいつものこと。
 ここには、かぎられた人間しか入れない。

 窓からの陽だまりが、年季ねんきのはいった絨毯じゅうたんに、ぽつぽつとおちている。
 その合間を縫って、ひかえめな調度品ちょうどひんと、せり出した柱が、等間隔とうかんかくにならぶ。

 昼下がり特有のぬるい風が、眠気をつれて、やってくる。
 だれもいないのをいいことに、国王はおおきなあくびをした。

「ご機嫌うるわしゅう、国王陛下」

 死角から声をかけられ、あやうく飛び上がるところだった。

 壁に背中をあずけていた青年が、ゆっくりと体を起こす。
 国王の御前であることに、頓着とんちゃくするようすはない。

 青年を見据えた国王は、平常心を装って、口を開く。
 
「なぜ、おぬしがここにいる」

 問われた青年――ギルバートは、ここでようやく、臣下の礼をとる。

「陛下からたまわった、通行手形がございます」
おどしとった、の間違いであろう」
「とてもおもしろい冗談です。――話を進めても?」

 にっこりとギルバートがわらう。
 初対面の人間がみれば、愛想のいい青年に見えるだろう。
 しかし国王は、彼の目の奥が、わらっていないことを知っている。

休暇きゅうかの申請にまいりました。期間は、来月の二十日から二十六日」
「来月下旬だと? そのような時期に――」
「陛下」

 ギルバートが、不意ふいに国王との距離をつめる。
 
「単身討伐だった理由を、お聞かせ願えますか?」
「聞いてどうする」
「なぜ、ブラットリー副所長が、私宛の命令書を持っていたのか」

 涼やかな碧眼が、おもしろそうに弧を描く。
 
密約みつやくでも交わされたのか――想像が、はかどります」
「くだらんことを、言うでない」

 国王がわらいぶくみに答える。
 そのふてぶてしい態度にも、ギルバートは笑顔をくずさなかった。

「魔獣対策費の横流し」

 国王が一瞬、ことばに詰まる。
 それを見逃すギルバートではなかった。

宰相閣下さいしょうかっかが聞いたら、どのように思われるでしょうか」

 追い打ちのように、たたみかける。
 のぞきこんだ国王の目は、わかりやすく泳いでいた。

 国のトップが情けない、とギルバートは胸中でため息をつく。
 おっさんをいじめて喜ぶ趣味はないので、早々に解決策を提示してやることにした。
 
「すべてが丸くおさまる方法を、ご存じですか?」
「……なんじゃ」
「この書類に、玉璽ぎょくじを押すことです。親愛なる国王陛下」

 ギルバートはひざをつき、休暇申請書をうやうやしく献上する。
 国王は、しばしギルバートと休暇申請書を見比べる。
 
 しぶしぶ手に取り、ざっと目を通して、国王は歩きだす。

「玉璽は執務室だ。押印後は、よきにはからえ」
「仰せのままに」

 年相応の笑顔を見せたギルバートに、国王はあきれたようなため息をついた。


 
 しろい扉を、ギルバートが開いておさえる。
 正面の扉とくらべ、ちいさく作られた扉だ。
 献身的な彼の態度を横目に、国王は執務室に入る。

 広い室内は、南向きの大きな窓がならぶおかげで、陽当たりがよく、明るい。
 廊下とくらべ、ぜいを凝らした造りになっている。

 壁のいたるところに金がほどこされ、豪奢な調度品が、絶妙な塩梅で配置されている。
 天井のシャンデリアは、大粒のクリスタルが幾重いくえにも連なり、うつくしい曲線を描く。

 暖炉の上には、天井まで届く、おおきな鏡がはめこまれている。
 それが映し出すのは、対面の壁のタペストリーだ。
 四百年前に織られたとされる、宗教画のタペストリーは、歴史的価値が高い。

 国王が執務をするのは、深い飴色あめいろのアンティークデスクだ。
 天板てんばんはルビーレッド、四方を金で縁取ふちどりし、引き出しをなぞるように装飾がつづく。
 はばは、大人が三人、ならんで座れるほどもある。

 めだつのは、四本の足に控える、金で高彫りされた兵士だ。
 かぶとをかぶった、勇ましい表情の兵士が、まるで守護神のように、にらみをきかせている。

 アンティークデスクをはさむように、イスが一脚と二脚に分かれて置いてある。
 政務の些細ささいな相談などは、ここで行われている。
 国王が使用しているのは、一脚の方で、背もたれはゆるやかな半円だ。

 部屋には、他にも、ローテーブルが二脚あった。
 いかにも座り心地がよさそうなソファやイスが、ローテーブルの周囲をかざる。
 ひじ掛けや足は金でつくられ、厚い座面は、白地に金糸で刺繍ししゅうがほどこされている。

 それだけ置かれていても、窮屈きゅうくつな感じは一切しない。
 これぐらいの家具がないと、殺風景になってしまうだろう。
 そう思わせるほどの広さが、この執務室にはあった。

 国王は、アンティークデスクに着席する。
 離れた場所で待機する、ギルバートの視線を、痛いほど感じる。

 玉璽ぎょくじは左の引き出しの中、特殊な魔術がかかっており、国王以外が開けることはできない。
 その取っ手に指をかけたとき、正面の扉がひらいた。

「いらっしゃいましたか。よかったです」

 安堵の色を前面に押し出した優男が、数枚の書類を持ってあらわれた。

宰相さいしょう! あ、いや、これはその」

 国王が言葉を探している間に、宰相がアンティークデスクにたどりつく。
 そうして、彼は、ゆっくりはっきりと発音した。

国立公園こくりつこうえんで、魔獣の大量発生が確認されました」
「なんじゃと!?」

 驚きのあまりイスから立ち上がった国王に、宰相はうなずく。

「至急、対策を講じましょう。まずはお座りください。――ギルバートくんも」

 そう言って、傍観者ぼうかんしゃよろしく、成り行きを見守っていたギルバートに、顔をむけた。



 指名されたギルバートが、宰相を見据みすえ、口角を上げる。

「けっこうです。用が済めば、すぐに退出いたします」

 視線を国王に移す。
 かちあったダークグレーの瞳が、余計なことをいうな、と訴えてきたが、無視をした。

「では、なおさら座りなさい。君の用は、今、済むことはない」
「どういうことでしょうか」
玉璽ぎょくじはメンテナンス中なので、ここには無いですよ」

 にっこりと宰相が笑う。
 その笑顔のまま、デスクの休暇申請書を手にとった。

「なるほど。時期以外じきいがいの、問題はありませんね」
「宰相閣下。玉璽のメンテナンスなど、聞いたことがございません」

 低い声のギルバートにも、宰相はからりと答える。

「それはそうでしょう。君は国王になったことがないのだから」
「陛下は玉璽ぎょくじを取り出そうとしていました。陛下以外が、玉璽を持ち出すのは不可能なはず」
「ええ。ですから今朝、陛下からお預かりいたしました。そうですよね、陛下」
「お、おお、そうじゃったな。すっかり忘れておったわ」

 安堵したように笑う国王に、ギルバートは侮蔑ぶべつの視線をむける。

「自身の行動を記憶していないとは、認知症ではございませんか? 病状が進行するまえに、臣下として、退位たいいをお勧めします」

 ギルバートは、威圧的に国王をにらむ。
 早くそこの引き出しを開けろと、目線でおどす。
 国王の額に、汗がにじむ。

 宰相が、パンッと手をたたいた。

「はいそこまで。魔獣対策会議まじゅうたいさくかいぎをはじめます。必要でしたら、本会議の招集命令書を作成しますが、どうしますか、ギルバートくん」
「……必要ありません。時間の無駄です。さっさと始めましょう」
 
 不遜ふそんな態度で着席するギルバートに、宰相がうなずく。
 その表情は、ものわかりのいい生徒を褒める、教師のようだった。

「『影』からの報告があったのは、本日昼前。わかっているだけで、牛型魔獣ヘビーモスが一頭と、狼型魔獣ダイアウルフが二十頭ほどの群れです」

 国立公園の地図を広げ、宰相がペン先でだいたいの位置を示す。

「ダイアウルフは、行動範囲がひろい。そこで、機動力の高い竜騎士団に、出撃していただきたい」
「了承いたしました」

 なげやりに快諾かいだくしたギルバートに、宰相がはかるような目を向ける。
 不審げに見返す彼に、決定事項を口にする。

「国立公園を立入禁止区画に指定しました。付近の住民の避難は完了しています。悪魔との融合も許可しますので、今日中に、殲滅せんめつしてください」
「今日中!?」

 身を乗り出したギルバートの、両肩を手で押さえる。
 彼が立ち上がるのを阻止しながら、宰相は、言い聞かせるように説明する。
 
「国立公園は王都のとなり。城壁で区切られているとはいえ、魔獣が王都に入って来ないとは限りません。早急な討伐が必要なことぐらい、竜騎士団長のあなたが、わからないはずはありませんよね」

 ギルバートが、奥歯をかみしめる。

「さきほど、グリズリーを討伐したばかりです」

 うなるような声音に、宰相は同意する。

「すばらしい手際てぎわだったと、聞き及んでいます。その調子で、いちはやく国民に安心をもたらしてください」

 お願いのていで言っているが、竜騎士団に王命が下れば、ギルバートが従うよりほかはない。
 この会議で決定したことは、すぐに王命として発令されるだろう。
 それは、ここにいる全員が、わかっていることだ。

 耐えるように目を伏せるギルバートを見て、宰相はわずかに良心が痛むのを感じる。
 昨夜の褒章授与式に加え、午前中の単身討伐。
 その直前で、一度倒れたとの報告も上がってきている。
 それなのに単身討伐の王命を下したのか、と竜騎士団から抗議がきていた。
 そこまで酷使こくしされる彼が、少々不憫ふびんに思えた。

 宰相は、わざと明るい声を出す。
 
「ねえ、陛下。今日中に達成できたら、認めてあげてもいいんじゃないですか? 彼の長期休暇」
「そ、そうじゃな」

 いきなり振られた国王が、どもりながら答える。
 肯定にとれる返事にも、ギルバートの顔が晴れることは無かった。

「宰相閣下。さきほど国王の私室に、こころよく通していただいた理由がわかりました。結局は、あなたの手の内だ」

 仄暗い瞳を向けられ、相互理解がなしえなかったことに、宰相にはすこしばかり残念な気分が残る。
 だがすぐに、気持ちを切り替える。
 はなから他人とは、わかりあえるとは思っていない。
 かるく息を吐いて、いつも通りにほほえんだ。

「そのようなつもりは」
「どのようなつもりだろうと、かまいません。休暇を確約していただけるなら、派手に踊ってみせましょう」

 彼の碧眼が、スッと細まる。
 宰相は、それをながめるにとどめた。

「頼もしいことです。では、仮に陛下が渋っても、私がなんとかするとお約束いたします」

 ギルバートがイスから立ち上がる。
 こんどは、それを止めなかった。

「国王陛下ならびに宰相閣下。御前を失礼いたします」

 見惚れるような優美な礼をとって、ギルバートは振り返らずに退室した。
 


 国王が、待っていたかのようにため息をつく。

「宰相。あのような時期の休暇を確約するとは、いささか悪手ではないのか」
「なにをおっしゃいます。魔獣に国を荒らされれば、建国記念祭どころではございませんよ」

 そういって、数枚の書類を差し出す。
 それは、いまから国王が作成すべき、魔獣討伐命令書だった。

「さあ陛下。口ではなく手を動かしましょう。今日中に終わらないと困るのは、私ではなく陛下です」
「おぬしまさか、明日はそのまま休むつもりか!?」
「あたりまえじゃないですか」
「こんな大変なときにか!?」
「おおげさな。魔獣は今日中に殲滅されるのですから、問題はありません」

 国王は、あっけにとられて、絶句する。
 そんな彼にかまわず、宰相はすらすらと言葉をならべる。

「今の時代、ワークライフバランスを整えるのは基本ですよ。貴重な人材を、過労で失うのは、惜しいと思いませんか?」
「言いたいことは、わかるがな」

 不服そうな国王に、宰相は首をかしげた。

「どうなさいました? まだなにか?」
「よりにもよって、あやつを、私室に通すことはなかろう」

 ぼやいた国王に、宰相は明朗な笑い声をあげる。
 彼に脅されたことが、よっぽどのストレスだったらしい。
 だが宰相には、その苦情を受け付けるつもりはない。

「勘違いなさいますな。彼を通したのは、玉璽のある通行手形――陛下のご威光の、賜物ではございませんか」

 一片の曇りもない笑顔で告げられ、国王は、降参するように羽ペンを手に取った。







「アルデじゃないか! ひさしぶりだな!」

 病院を出たところで名前を呼ばれ、アルデはふりかえる。

「おまえ、どうしてたんだよ! だまって引っ越すなんて、みずくさいじゃないか」

 駆け寄ってくるのは、おさななじみの少年だった。

「リネ、ひさしぶり」

 名を呼ぶと、リネは歯をみせて笑った。

「時間あるか? ちょっと話そうぜ」
「うん。午後から休みだから、だいじょうぶ」
「やすみ……? 働いてんのか?」

 声のトーンを落としたリネに、アルデはわらってみせる。
 ちょうど昼時でもあったため、屋台で軽食を買って、ちかくの公園のベンチに座ることにした。

 肉増しのラップサンドをかじりながら、だいたいのあらましを話しおえる。
 リネを見ると、まばたきも忘れて、こちらを凝視していた。

「いや、おまえ、それって……」
「うん。前よりいいもの食ってるわ。ブレイデン公爵家のまかない、すげーうまいよ」
「え、うらやまし……くはない、こともないけど」
「どっちだよ」

 リネの態度に、アルデが笑う。
 破産したとはいえ、穏やかな日々をすごしている。
 
「庭師もやりがいあるし。まだ見習いだけど」

 最近では、人目に付きにくい場所の、花壇や樹木の選定を任されるようになった。
 あるていど好きにしてもいいので、自分の作品が形になっていく高揚感がある。

「ただ、まあ」
「なんだ?」
「金が足りない」

 さきほど病院から発行された、請求書の金額をおもいだす。
 支払期限はまだ先だとはいえ、一か月の給金よりも入院費のほうが高い。
 
「ふたりぶんの入院費は、子供が稼げる額じゃないしな」

 アルデは自分に言い聞かせる。
 軽く吐いたはずの息が、ため息になった。

 父親は、意識不明のまま。
 母親は、意識をとりもどしたが、精神を病んで精神病棟に移った。

 なんとかしなくてはいけないが、どうすればいいのかわからない。
 
「帰りに職業斡旋所しょくぎょうあっせんじょに寄って、単発バイトでも探してみる」

 勤務に影響がでない範囲で、休日に働くことは、許可をもらっている。
 できることをやるしかない、と肩をすくめると、リネが真剣な顔をしていた。

「あのさ、国立公園で、魔獣が目撃されたの、知ってるか?」
「しらない。そうなんだ」

 国立公園は、王都のすぐそばだ。
 しかし王都は、城壁で囲まれており、魔獣が侵入してくる心配はない。

「俺のにーちゃん、薬師やくしなんだ。国立公園って、薬草の群生地らしくて。立入禁止令が出たから、薬草の値段が軒並みあがったって、愚痴ってて」
「ふうん。たいへんだね」

 アルデは、おもいっきり他人事ひとごと相槌あいづちをうつ。
 そんなアルデを、リネがちらりと見た。
 なにかを言いよどんでいるようすに、アルデは軽く笑う。

「なに?」
「いや、その……」
「なんなの? 言ってよ」
「うん……薬草があったら、高値で買い取るって」
「ん? それ、俺と関係ある?」

 意味がわからなくて、聞きかえす。
 すると、リネが意を決したように、顔をあげた。

「薬草、取りに行ってみたらいいんじゃね?」
「取りに行く? え、国立公園に?」
「そう」
「だって、立入禁止だろ?」
「そうだけど……それってさ、魔獣に会う可能性があるからだろ? でも、会う可能性なんて、めちゃくちゃ低くないか?」
「俺に聞かれても」
「パッと取ってパッと帰ってくればいいんだよ。短時間で稼げるぜ」

 アルデは、しばし考える。
 リネは、よかれと思って提案してくれている。
 危険はともなうが、たしかに、魔獣なんてめずらしいものに会う確率は、たかが知れている。
 
 脳裏のうりをよぎるのは、高額の医療費の請求書。
 薬草が手に入れば、支払えるかもしれない。

 さいわいなことに、アルデは庭師の見習いだ。
 薬草の形状や生息地、採取方法は頭に入っている。

「もし取れたら、リネの家にもっていけばいい?」

 リネが、うれしそうにうなずいた。
 それから、すこしばかりバツの悪そうな顔をする。
 
「たきつけといてなんだけど。無理はするなよ、アルデ」
「わかってる。行ってみて、みつからなかったら、すぐ帰るよ」

 こぶしを軽くぶつけて、リネに別れを告げる。
 アルデは、散歩に行くような軽い気持ちで、国立公園にむかって歩きだした。 
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