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第二章 臣下とは王のために存在する
討伐、おかわり!
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私室で昼食をとった国王は、執務室へとむかう。
直通の廊下は、シンと静まりかえっている。
人気がないのはいつものこと。
ここには、かぎられた人間しか入れない。
窓からの陽だまりが、年季のはいった絨毯に、ぽつぽつとおちている。
その合間を縫って、ひかえめな調度品と、せり出した柱が、等間隔にならぶ。
昼下がり特有のぬるい風が、眠気をつれて、やってくる。
だれもいないのをいいことに、国王はおおきなあくびをした。
「ご機嫌うるわしゅう、国王陛下」
死角から声をかけられ、あやうく飛び上がるところだった。
壁に背中をあずけていた青年が、ゆっくりと体を起こす。
国王の御前であることに、頓着するようすはない。
青年を見据えた国王は、平常心を装って、口を開く。
「なぜ、おぬしがここにいる」
問われた青年――ギルバートは、ここでようやく、臣下の礼をとる。
「陛下から賜った、通行手形がございます」
「脅しとった、の間違いであろう」
「とてもおもしろい冗談です。――話を進めても?」
にっこりとギルバートがわらう。
初対面の人間がみれば、愛想のいい青年に見えるだろう。
しかし国王は、彼の目の奥が、わらっていないことを知っている。
「休暇の申請にまいりました。期間は、来月の二十日から二十六日」
「来月下旬だと? そのような時期に――」
「陛下」
ギルバートが、不意に国王との距離をつめる。
「単身討伐だった理由を、お聞かせ願えますか?」
「聞いてどうする」
「なぜ、ブラットリー副所長が、私宛の命令書を持っていたのか」
涼やかな碧眼が、おもしろそうに弧を描く。
「密約でも交わされたのか――想像が、はかどります」
「くだらんことを、言うでない」
国王がわらいぶくみに答える。
そのふてぶてしい態度にも、ギルバートは笑顔をくずさなかった。
「魔獣対策費の横流し」
国王が一瞬、ことばに詰まる。
それを見逃すギルバートではなかった。
「宰相閣下が聞いたら、どのように思われるでしょうか」
追い打ちのように、たたみかける。
のぞきこんだ国王の目は、わかりやすく泳いでいた。
国のトップが情けない、とギルバートは胸中でため息をつく。
おっさんをいじめて喜ぶ趣味はないので、早々に解決策を提示してやることにした。
「すべてが丸くおさまる方法を、ご存じですか?」
「……なんじゃ」
「この書類に、玉璽を押すことです。親愛なる国王陛下」
ギルバートは膝をつき、休暇申請書をうやうやしく献上する。
国王は、しばしギルバートと休暇申請書を見比べる。
しぶしぶ手に取り、ざっと目を通して、国王は歩きだす。
「玉璽は執務室だ。押印後は、よきにはからえ」
「仰せのままに」
年相応の笑顔を見せたギルバートに、国王はあきれたようなため息をついた。
しろい扉を、ギルバートが開いておさえる。
正面の扉とくらべ、ちいさく作られた扉だ。
献身的な彼の態度を横目に、国王は執務室に入る。
広い室内は、南向きの大きな窓がならぶおかげで、陽当たりがよく、明るい。
廊下とくらべ、贅を凝らした造りになっている。
壁のいたるところに金がほどこされ、豪奢な調度品が、絶妙な塩梅で配置されている。
天井のシャンデリアは、大粒のクリスタルが幾重にも連なり、うつくしい曲線を描く。
暖炉の上には、天井まで届く、おおきな鏡がはめこまれている。
それが映し出すのは、対面の壁のタペストリーだ。
四百年前に織られたとされる、宗教画のタペストリーは、歴史的価値が高い。
国王が執務をするのは、深い飴色のアンティークデスクだ。
天板はルビーレッド、四方を金で縁取りし、引き出しをなぞるように装飾がつづく。
幅は、大人が三人、ならんで座れるほどもある。
めだつのは、四本の足に控える、金で高彫りされた兵士だ。
兜をかぶった、勇ましい表情の兵士が、まるで守護神のように、にらみをきかせている。
アンティークデスクをはさむように、イスが一脚と二脚に分かれて置いてある。
政務の些細な相談などは、ここで行われている。
国王が使用しているのは、一脚の方で、背もたれはゆるやかな半円だ。
部屋には、他にも、ローテーブルが二脚あった。
いかにも座り心地がよさそうなソファやイスが、ローテーブルの周囲をかざる。
ひじ掛けや足は金でつくられ、厚い座面は、白地に金糸で刺繍がほどこされている。
それだけ置かれていても、窮屈な感じは一切しない。
これぐらいの家具がないと、殺風景になってしまうだろう。
そう思わせるほどの広さが、この執務室にはあった。
国王は、アンティークデスクに着席する。
離れた場所で待機する、ギルバートの視線を、痛いほど感じる。
玉璽は左の引き出しの中、特殊な魔術がかかっており、国王以外が開けることはできない。
その取っ手に指をかけたとき、正面の扉がひらいた。
「いらっしゃいましたか。よかったです」
安堵の色を前面に押し出した優男が、数枚の書類を持ってあらわれた。
「宰相! あ、いや、これはその」
国王が言葉を探している間に、宰相がアンティークデスクにたどりつく。
そうして、彼は、ゆっくりはっきりと発音した。
「国立公園で、魔獣の大量発生が確認されました」
「なんじゃと!?」
驚きのあまりイスから立ち上がった国王に、宰相はうなずく。
「至急、対策を講じましょう。まずはお座りください。――ギルバートくんも」
そう言って、傍観者よろしく、成り行きを見守っていたギルバートに、顔をむけた。
指名されたギルバートが、宰相を見据え、口角を上げる。
「けっこうです。用が済めば、すぐに退出いたします」
視線を国王に移す。
かちあったダークグレーの瞳が、余計なことをいうな、と訴えてきたが、無視をした。
「では、なおさら座りなさい。君の用は、今、済むことはない」
「どういうことでしょうか」
「玉璽はメンテナンス中なので、ここには無いですよ」
にっこりと宰相が笑う。
その笑顔のまま、デスクの休暇申請書を手にとった。
「なるほど。時期以外の、問題はありませんね」
「宰相閣下。玉璽のメンテナンスなど、聞いたことがございません」
低い声のギルバートにも、宰相はからりと答える。
「それはそうでしょう。君は国王になったことがないのだから」
「陛下は玉璽を取り出そうとしていました。陛下以外が、玉璽を持ち出すのは不可能なはず」
「ええ。ですから今朝、陛下からお預かりいたしました。そうですよね、陛下」
「お、おお、そうじゃったな。すっかり忘れておったわ」
安堵したように笑う国王に、ギルバートは侮蔑の視線をむける。
「自身の行動を記憶していないとは、認知症ではございませんか? 病状が進行するまえに、臣下として、退位をお勧めします」
ギルバートは、威圧的に国王をにらむ。
早くそこの引き出しを開けろと、目線で脅す。
国王の額に、汗がにじむ。
宰相が、パンッと手をたたいた。
「はいそこまで。魔獣対策会議をはじめます。必要でしたら、本会議の招集命令書を作成しますが、どうしますか、ギルバートくん」
「……必要ありません。時間の無駄です。さっさと始めましょう」
不遜な態度で着席するギルバートに、宰相がうなずく。
その表情は、ものわかりのいい生徒を褒める、教師のようだった。
「『影』からの報告があったのは、本日昼前。わかっているだけで、牛型魔獣ヘビーモスが一頭と、狼型魔獣ダイアウルフが二十頭ほどの群れです」
国立公園の地図を広げ、宰相がペン先でだいたいの位置を示す。
「ダイアウルフは、行動範囲がひろい。そこで、機動力の高い竜騎士団に、出撃していただきたい」
「了承いたしました」
なげやりに快諾したギルバートに、宰相が計るような目を向ける。
不審げに見返す彼に、決定事項を口にする。
「国立公園を立入禁止区画に指定しました。付近の住民の避難は完了しています。悪魔との融合も許可しますので、今日中に、殲滅してください」
「今日中!?」
身を乗り出したギルバートの、両肩を手で押さえる。
彼が立ち上がるのを阻止しながら、宰相は、言い聞かせるように説明する。
「国立公園は王都のとなり。城壁で区切られているとはいえ、魔獣が王都に入って来ないとは限りません。早急な討伐が必要なことぐらい、竜騎士団長のあなたが、わからないはずはありませんよね」
ギルバートが、奥歯をかみしめる。
「さきほど、グリズリーを討伐したばかりです」
うなるような声音に、宰相は同意する。
「すばらしい手際だったと、聞き及んでいます。その調子で、いちはやく国民に安心をもたらしてください」
お願いの体で言っているが、竜騎士団に王命が下れば、ギルバートが従うよりほかはない。
この会議で決定したことは、すぐに王命として発令されるだろう。
それは、ここにいる全員が、わかっていることだ。
耐えるように目を伏せるギルバートを見て、宰相はわずかに良心が痛むのを感じる。
昨夜の褒章授与式に加え、午前中の単身討伐。
その直前で、一度倒れたとの報告も上がってきている。
それなのに単身討伐の王命を下したのか、と竜騎士団から抗議がきていた。
そこまで酷使される彼が、少々不憫に思えた。
宰相は、わざと明るい声を出す。
「ねえ、陛下。今日中に達成できたら、認めてあげてもいいんじゃないですか? 彼の長期休暇」
「そ、そうじゃな」
いきなり振られた国王が、どもりながら答える。
肯定にとれる返事にも、ギルバートの顔が晴れることは無かった。
「宰相閣下。さきほど国王の私室に、快く通していただいた理由がわかりました。結局は、あなたの手の内だ」
仄暗い瞳を向けられ、相互理解がなしえなかったことに、宰相にはすこしばかり残念な気分が残る。
だがすぐに、気持ちを切り替える。
はなから他人とは、わかりあえるとは思っていない。
かるく息を吐いて、いつも通りにほほえんだ。
「そのようなつもりは」
「どのようなつもりだろうと、かまいません。休暇を確約していただけるなら、派手に踊ってみせましょう」
彼の碧眼が、スッと細まる。
宰相は、それを眺めるにとどめた。
「頼もしいことです。では、仮に陛下が渋っても、私がなんとかするとお約束いたします」
ギルバートがイスから立ち上がる。
こんどは、それを止めなかった。
「国王陛下ならびに宰相閣下。御前を失礼いたします」
見惚れるような優美な礼をとって、ギルバートは振り返らずに退室した。
国王が、待っていたかのようにため息をつく。
「宰相。あのような時期の休暇を確約するとは、いささか悪手ではないのか」
「なにをおっしゃいます。魔獣に国を荒らされれば、建国記念祭どころではございませんよ」
そういって、数枚の書類を差し出す。
それは、いまから国王が作成すべき、魔獣討伐命令書だった。
「さあ陛下。口ではなく手を動かしましょう。今日中に終わらないと困るのは、私ではなく陛下です」
「おぬしまさか、明日はそのまま休むつもりか!?」
「あたりまえじゃないですか」
「こんな大変なときにか!?」
「おおげさな。魔獣は今日中に殲滅されるのですから、問題はありません」
国王は、あっけにとられて、絶句する。
そんな彼にかまわず、宰相はすらすらと言葉をならべる。
「今の時代、ワークライフバランスを整えるのは基本ですよ。貴重な人材を、過労で失うのは、惜しいと思いませんか?」
「言いたいことは、わかるがな」
不服そうな国王に、宰相は首をかしげた。
「どうなさいました? まだなにか?」
「よりにもよって、あやつを、私室に通すことはなかろう」
ぼやいた国王に、宰相は明朗な笑い声をあげる。
彼に脅されたことが、よっぽどのストレスだったらしい。
だが宰相には、その苦情を受け付けるつもりはない。
「勘違いなさいますな。彼を通したのは、玉璽のある通行手形――陛下のご威光の、賜物ではございませんか」
一片の曇りもない笑顔で告げられ、国王は、降参するように羽ペンを手に取った。
「アルデじゃないか! ひさしぶりだな!」
病院を出たところで名前を呼ばれ、アルデはふりかえる。
「おまえ、どうしてたんだよ! だまって引っ越すなんて、みずくさいじゃないか」
駆け寄ってくるのは、おさななじみの少年だった。
「リネ、ひさしぶり」
名を呼ぶと、リネは歯をみせて笑った。
「時間あるか? ちょっと話そうぜ」
「うん。午後から休みだから、だいじょうぶ」
「やすみ……? 働いてんのか?」
声のトーンを落としたリネに、アルデはわらってみせる。
ちょうど昼時でもあったため、屋台で軽食を買って、ちかくの公園のベンチに座ることにした。
肉増しのラップサンドをかじりながら、だいたいのあらましを話しおえる。
リネを見ると、まばたきも忘れて、こちらを凝視していた。
「いや、おまえ、それって……」
「うん。前よりいいもの食ってるわ。ブレイデン公爵家の賄い、すげーうまいよ」
「え、うらやまし……くはない、こともないけど」
「どっちだよ」
リネの態度に、アルデが笑う。
破産したとはいえ、穏やかな日々をすごしている。
「庭師もやりがいあるし。まだ見習いだけど」
最近では、人目に付きにくい場所の、花壇や樹木の選定を任されるようになった。
あるていど好きにしてもいいので、自分の作品が形になっていく高揚感がある。
「ただ、まあ」
「なんだ?」
「金が足りない」
さきほど病院から発行された、請求書の金額をおもいだす。
支払期限はまだ先だとはいえ、一か月の給金よりも入院費のほうが高い。
「ふたりぶんの入院費は、子供が稼げる額じゃないしな」
アルデは自分に言い聞かせる。
軽く吐いたはずの息が、ため息になった。
父親は、意識不明のまま。
母親は、意識をとりもどしたが、精神を病んで精神病棟に移った。
なんとかしなくてはいけないが、どうすればいいのかわからない。
「帰りに職業斡旋所に寄って、単発バイトでも探してみる」
勤務に影響がでない範囲で、休日に働くことは、許可をもらっている。
できることをやるしかない、と肩をすくめると、リネが真剣な顔をしていた。
「あのさ、国立公園で、魔獣が目撃されたの、知ってるか?」
「しらない。そうなんだ」
国立公園は、王都のすぐそばだ。
しかし王都は、城壁で囲まれており、魔獣が侵入してくる心配はない。
「俺のにーちゃん、薬師なんだ。国立公園って、薬草の群生地らしくて。立入禁止令が出たから、薬草の値段が軒並みあがったって、愚痴ってて」
「ふうん。たいへんだね」
アルデは、おもいっきり他人事の相槌をうつ。
そんなアルデを、リネがちらりと見た。
なにかを言いよどんでいるようすに、アルデは軽く笑う。
「なに?」
「いや、その……」
「なんなの? 言ってよ」
「うん……薬草があったら、高値で買い取るって」
「ん? それ、俺と関係ある?」
意味がわからなくて、聞きかえす。
すると、リネが意を決したように、顔をあげた。
「薬草、取りに行ってみたらいいんじゃね?」
「取りに行く? え、国立公園に?」
「そう」
「だって、立入禁止だろ?」
「そうだけど……それってさ、魔獣に会う可能性があるからだろ? でも、会う可能性なんて、めちゃくちゃ低くないか?」
「俺に聞かれても」
「パッと取ってパッと帰ってくればいいんだよ。短時間で稼げるぜ」
アルデは、しばし考える。
リネは、よかれと思って提案してくれている。
危険はともなうが、たしかに、魔獣なんてめずらしいものに会う確率は、たかが知れている。
脳裏をよぎるのは、高額の医療費の請求書。
薬草が手に入れば、支払えるかもしれない。
さいわいなことに、アルデは庭師の見習いだ。
薬草の形状や生息地、採取方法は頭に入っている。
「もし取れたら、リネの家にもっていけばいい?」
リネが、うれしそうにうなずいた。
それから、すこしばかりバツの悪そうな顔をする。
「たきつけといてなんだけど。無理はするなよ、アルデ」
「わかってる。行ってみて、みつからなかったら、すぐ帰るよ」
こぶしを軽くぶつけて、リネに別れを告げる。
アルデは、散歩に行くような軽い気持ちで、国立公園にむかって歩きだした。
直通の廊下は、シンと静まりかえっている。
人気がないのはいつものこと。
ここには、かぎられた人間しか入れない。
窓からの陽だまりが、年季のはいった絨毯に、ぽつぽつとおちている。
その合間を縫って、ひかえめな調度品と、せり出した柱が、等間隔にならぶ。
昼下がり特有のぬるい風が、眠気をつれて、やってくる。
だれもいないのをいいことに、国王はおおきなあくびをした。
「ご機嫌うるわしゅう、国王陛下」
死角から声をかけられ、あやうく飛び上がるところだった。
壁に背中をあずけていた青年が、ゆっくりと体を起こす。
国王の御前であることに、頓着するようすはない。
青年を見据えた国王は、平常心を装って、口を開く。
「なぜ、おぬしがここにいる」
問われた青年――ギルバートは、ここでようやく、臣下の礼をとる。
「陛下から賜った、通行手形がございます」
「脅しとった、の間違いであろう」
「とてもおもしろい冗談です。――話を進めても?」
にっこりとギルバートがわらう。
初対面の人間がみれば、愛想のいい青年に見えるだろう。
しかし国王は、彼の目の奥が、わらっていないことを知っている。
「休暇の申請にまいりました。期間は、来月の二十日から二十六日」
「来月下旬だと? そのような時期に――」
「陛下」
ギルバートが、不意に国王との距離をつめる。
「単身討伐だった理由を、お聞かせ願えますか?」
「聞いてどうする」
「なぜ、ブラットリー副所長が、私宛の命令書を持っていたのか」
涼やかな碧眼が、おもしろそうに弧を描く。
「密約でも交わされたのか――想像が、はかどります」
「くだらんことを、言うでない」
国王がわらいぶくみに答える。
そのふてぶてしい態度にも、ギルバートは笑顔をくずさなかった。
「魔獣対策費の横流し」
国王が一瞬、ことばに詰まる。
それを見逃すギルバートではなかった。
「宰相閣下が聞いたら、どのように思われるでしょうか」
追い打ちのように、たたみかける。
のぞきこんだ国王の目は、わかりやすく泳いでいた。
国のトップが情けない、とギルバートは胸中でため息をつく。
おっさんをいじめて喜ぶ趣味はないので、早々に解決策を提示してやることにした。
「すべてが丸くおさまる方法を、ご存じですか?」
「……なんじゃ」
「この書類に、玉璽を押すことです。親愛なる国王陛下」
ギルバートは膝をつき、休暇申請書をうやうやしく献上する。
国王は、しばしギルバートと休暇申請書を見比べる。
しぶしぶ手に取り、ざっと目を通して、国王は歩きだす。
「玉璽は執務室だ。押印後は、よきにはからえ」
「仰せのままに」
年相応の笑顔を見せたギルバートに、国王はあきれたようなため息をついた。
しろい扉を、ギルバートが開いておさえる。
正面の扉とくらべ、ちいさく作られた扉だ。
献身的な彼の態度を横目に、国王は執務室に入る。
広い室内は、南向きの大きな窓がならぶおかげで、陽当たりがよく、明るい。
廊下とくらべ、贅を凝らした造りになっている。
壁のいたるところに金がほどこされ、豪奢な調度品が、絶妙な塩梅で配置されている。
天井のシャンデリアは、大粒のクリスタルが幾重にも連なり、うつくしい曲線を描く。
暖炉の上には、天井まで届く、おおきな鏡がはめこまれている。
それが映し出すのは、対面の壁のタペストリーだ。
四百年前に織られたとされる、宗教画のタペストリーは、歴史的価値が高い。
国王が執務をするのは、深い飴色のアンティークデスクだ。
天板はルビーレッド、四方を金で縁取りし、引き出しをなぞるように装飾がつづく。
幅は、大人が三人、ならんで座れるほどもある。
めだつのは、四本の足に控える、金で高彫りされた兵士だ。
兜をかぶった、勇ましい表情の兵士が、まるで守護神のように、にらみをきかせている。
アンティークデスクをはさむように、イスが一脚と二脚に分かれて置いてある。
政務の些細な相談などは、ここで行われている。
国王が使用しているのは、一脚の方で、背もたれはゆるやかな半円だ。
部屋には、他にも、ローテーブルが二脚あった。
いかにも座り心地がよさそうなソファやイスが、ローテーブルの周囲をかざる。
ひじ掛けや足は金でつくられ、厚い座面は、白地に金糸で刺繍がほどこされている。
それだけ置かれていても、窮屈な感じは一切しない。
これぐらいの家具がないと、殺風景になってしまうだろう。
そう思わせるほどの広さが、この執務室にはあった。
国王は、アンティークデスクに着席する。
離れた場所で待機する、ギルバートの視線を、痛いほど感じる。
玉璽は左の引き出しの中、特殊な魔術がかかっており、国王以外が開けることはできない。
その取っ手に指をかけたとき、正面の扉がひらいた。
「いらっしゃいましたか。よかったです」
安堵の色を前面に押し出した優男が、数枚の書類を持ってあらわれた。
「宰相! あ、いや、これはその」
国王が言葉を探している間に、宰相がアンティークデスクにたどりつく。
そうして、彼は、ゆっくりはっきりと発音した。
「国立公園で、魔獣の大量発生が確認されました」
「なんじゃと!?」
驚きのあまりイスから立ち上がった国王に、宰相はうなずく。
「至急、対策を講じましょう。まずはお座りください。――ギルバートくんも」
そう言って、傍観者よろしく、成り行きを見守っていたギルバートに、顔をむけた。
指名されたギルバートが、宰相を見据え、口角を上げる。
「けっこうです。用が済めば、すぐに退出いたします」
視線を国王に移す。
かちあったダークグレーの瞳が、余計なことをいうな、と訴えてきたが、無視をした。
「では、なおさら座りなさい。君の用は、今、済むことはない」
「どういうことでしょうか」
「玉璽はメンテナンス中なので、ここには無いですよ」
にっこりと宰相が笑う。
その笑顔のまま、デスクの休暇申請書を手にとった。
「なるほど。時期以外の、問題はありませんね」
「宰相閣下。玉璽のメンテナンスなど、聞いたことがございません」
低い声のギルバートにも、宰相はからりと答える。
「それはそうでしょう。君は国王になったことがないのだから」
「陛下は玉璽を取り出そうとしていました。陛下以外が、玉璽を持ち出すのは不可能なはず」
「ええ。ですから今朝、陛下からお預かりいたしました。そうですよね、陛下」
「お、おお、そうじゃったな。すっかり忘れておったわ」
安堵したように笑う国王に、ギルバートは侮蔑の視線をむける。
「自身の行動を記憶していないとは、認知症ではございませんか? 病状が進行するまえに、臣下として、退位をお勧めします」
ギルバートは、威圧的に国王をにらむ。
早くそこの引き出しを開けろと、目線で脅す。
国王の額に、汗がにじむ。
宰相が、パンッと手をたたいた。
「はいそこまで。魔獣対策会議をはじめます。必要でしたら、本会議の招集命令書を作成しますが、どうしますか、ギルバートくん」
「……必要ありません。時間の無駄です。さっさと始めましょう」
不遜な態度で着席するギルバートに、宰相がうなずく。
その表情は、ものわかりのいい生徒を褒める、教師のようだった。
「『影』からの報告があったのは、本日昼前。わかっているだけで、牛型魔獣ヘビーモスが一頭と、狼型魔獣ダイアウルフが二十頭ほどの群れです」
国立公園の地図を広げ、宰相がペン先でだいたいの位置を示す。
「ダイアウルフは、行動範囲がひろい。そこで、機動力の高い竜騎士団に、出撃していただきたい」
「了承いたしました」
なげやりに快諾したギルバートに、宰相が計るような目を向ける。
不審げに見返す彼に、決定事項を口にする。
「国立公園を立入禁止区画に指定しました。付近の住民の避難は完了しています。悪魔との融合も許可しますので、今日中に、殲滅してください」
「今日中!?」
身を乗り出したギルバートの、両肩を手で押さえる。
彼が立ち上がるのを阻止しながら、宰相は、言い聞かせるように説明する。
「国立公園は王都のとなり。城壁で区切られているとはいえ、魔獣が王都に入って来ないとは限りません。早急な討伐が必要なことぐらい、竜騎士団長のあなたが、わからないはずはありませんよね」
ギルバートが、奥歯をかみしめる。
「さきほど、グリズリーを討伐したばかりです」
うなるような声音に、宰相は同意する。
「すばらしい手際だったと、聞き及んでいます。その調子で、いちはやく国民に安心をもたらしてください」
お願いの体で言っているが、竜騎士団に王命が下れば、ギルバートが従うよりほかはない。
この会議で決定したことは、すぐに王命として発令されるだろう。
それは、ここにいる全員が、わかっていることだ。
耐えるように目を伏せるギルバートを見て、宰相はわずかに良心が痛むのを感じる。
昨夜の褒章授与式に加え、午前中の単身討伐。
その直前で、一度倒れたとの報告も上がってきている。
それなのに単身討伐の王命を下したのか、と竜騎士団から抗議がきていた。
そこまで酷使される彼が、少々不憫に思えた。
宰相は、わざと明るい声を出す。
「ねえ、陛下。今日中に達成できたら、認めてあげてもいいんじゃないですか? 彼の長期休暇」
「そ、そうじゃな」
いきなり振られた国王が、どもりながら答える。
肯定にとれる返事にも、ギルバートの顔が晴れることは無かった。
「宰相閣下。さきほど国王の私室に、快く通していただいた理由がわかりました。結局は、あなたの手の内だ」
仄暗い瞳を向けられ、相互理解がなしえなかったことに、宰相にはすこしばかり残念な気分が残る。
だがすぐに、気持ちを切り替える。
はなから他人とは、わかりあえるとは思っていない。
かるく息を吐いて、いつも通りにほほえんだ。
「そのようなつもりは」
「どのようなつもりだろうと、かまいません。休暇を確約していただけるなら、派手に踊ってみせましょう」
彼の碧眼が、スッと細まる。
宰相は、それを眺めるにとどめた。
「頼もしいことです。では、仮に陛下が渋っても、私がなんとかするとお約束いたします」
ギルバートがイスから立ち上がる。
こんどは、それを止めなかった。
「国王陛下ならびに宰相閣下。御前を失礼いたします」
見惚れるような優美な礼をとって、ギルバートは振り返らずに退室した。
国王が、待っていたかのようにため息をつく。
「宰相。あのような時期の休暇を確約するとは、いささか悪手ではないのか」
「なにをおっしゃいます。魔獣に国を荒らされれば、建国記念祭どころではございませんよ」
そういって、数枚の書類を差し出す。
それは、いまから国王が作成すべき、魔獣討伐命令書だった。
「さあ陛下。口ではなく手を動かしましょう。今日中に終わらないと困るのは、私ではなく陛下です」
「おぬしまさか、明日はそのまま休むつもりか!?」
「あたりまえじゃないですか」
「こんな大変なときにか!?」
「おおげさな。魔獣は今日中に殲滅されるのですから、問題はありません」
国王は、あっけにとられて、絶句する。
そんな彼にかまわず、宰相はすらすらと言葉をならべる。
「今の時代、ワークライフバランスを整えるのは基本ですよ。貴重な人材を、過労で失うのは、惜しいと思いませんか?」
「言いたいことは、わかるがな」
不服そうな国王に、宰相は首をかしげた。
「どうなさいました? まだなにか?」
「よりにもよって、あやつを、私室に通すことはなかろう」
ぼやいた国王に、宰相は明朗な笑い声をあげる。
彼に脅されたことが、よっぽどのストレスだったらしい。
だが宰相には、その苦情を受け付けるつもりはない。
「勘違いなさいますな。彼を通したのは、玉璽のある通行手形――陛下のご威光の、賜物ではございませんか」
一片の曇りもない笑顔で告げられ、国王は、降参するように羽ペンを手に取った。
「アルデじゃないか! ひさしぶりだな!」
病院を出たところで名前を呼ばれ、アルデはふりかえる。
「おまえ、どうしてたんだよ! だまって引っ越すなんて、みずくさいじゃないか」
駆け寄ってくるのは、おさななじみの少年だった。
「リネ、ひさしぶり」
名を呼ぶと、リネは歯をみせて笑った。
「時間あるか? ちょっと話そうぜ」
「うん。午後から休みだから、だいじょうぶ」
「やすみ……? 働いてんのか?」
声のトーンを落としたリネに、アルデはわらってみせる。
ちょうど昼時でもあったため、屋台で軽食を買って、ちかくの公園のベンチに座ることにした。
肉増しのラップサンドをかじりながら、だいたいのあらましを話しおえる。
リネを見ると、まばたきも忘れて、こちらを凝視していた。
「いや、おまえ、それって……」
「うん。前よりいいもの食ってるわ。ブレイデン公爵家の賄い、すげーうまいよ」
「え、うらやまし……くはない、こともないけど」
「どっちだよ」
リネの態度に、アルデが笑う。
破産したとはいえ、穏やかな日々をすごしている。
「庭師もやりがいあるし。まだ見習いだけど」
最近では、人目に付きにくい場所の、花壇や樹木の選定を任されるようになった。
あるていど好きにしてもいいので、自分の作品が形になっていく高揚感がある。
「ただ、まあ」
「なんだ?」
「金が足りない」
さきほど病院から発行された、請求書の金額をおもいだす。
支払期限はまだ先だとはいえ、一か月の給金よりも入院費のほうが高い。
「ふたりぶんの入院費は、子供が稼げる額じゃないしな」
アルデは自分に言い聞かせる。
軽く吐いたはずの息が、ため息になった。
父親は、意識不明のまま。
母親は、意識をとりもどしたが、精神を病んで精神病棟に移った。
なんとかしなくてはいけないが、どうすればいいのかわからない。
「帰りに職業斡旋所に寄って、単発バイトでも探してみる」
勤務に影響がでない範囲で、休日に働くことは、許可をもらっている。
できることをやるしかない、と肩をすくめると、リネが真剣な顔をしていた。
「あのさ、国立公園で、魔獣が目撃されたの、知ってるか?」
「しらない。そうなんだ」
国立公園は、王都のすぐそばだ。
しかし王都は、城壁で囲まれており、魔獣が侵入してくる心配はない。
「俺のにーちゃん、薬師なんだ。国立公園って、薬草の群生地らしくて。立入禁止令が出たから、薬草の値段が軒並みあがったって、愚痴ってて」
「ふうん。たいへんだね」
アルデは、おもいっきり他人事の相槌をうつ。
そんなアルデを、リネがちらりと見た。
なにかを言いよどんでいるようすに、アルデは軽く笑う。
「なに?」
「いや、その……」
「なんなの? 言ってよ」
「うん……薬草があったら、高値で買い取るって」
「ん? それ、俺と関係ある?」
意味がわからなくて、聞きかえす。
すると、リネが意を決したように、顔をあげた。
「薬草、取りに行ってみたらいいんじゃね?」
「取りに行く? え、国立公園に?」
「そう」
「だって、立入禁止だろ?」
「そうだけど……それってさ、魔獣に会う可能性があるからだろ? でも、会う可能性なんて、めちゃくちゃ低くないか?」
「俺に聞かれても」
「パッと取ってパッと帰ってくればいいんだよ。短時間で稼げるぜ」
アルデは、しばし考える。
リネは、よかれと思って提案してくれている。
危険はともなうが、たしかに、魔獣なんてめずらしいものに会う確率は、たかが知れている。
脳裏をよぎるのは、高額の医療費の請求書。
薬草が手に入れば、支払えるかもしれない。
さいわいなことに、アルデは庭師の見習いだ。
薬草の形状や生息地、採取方法は頭に入っている。
「もし取れたら、リネの家にもっていけばいい?」
リネが、うれしそうにうなずいた。
それから、すこしばかりバツの悪そうな顔をする。
「たきつけといてなんだけど。無理はするなよ、アルデ」
「わかってる。行ってみて、みつからなかったら、すぐ帰るよ」
こぶしを軽くぶつけて、リネに別れを告げる。
アルデは、散歩に行くような軽い気持ちで、国立公園にむかって歩きだした。
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