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第二章 臣下とは王のために存在する

アンジェリカと朝食を

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 着替えを終えたギルバートが、鏡のまえに立つ。
 自分の姿を360度確認して、ほこらしげにうなずいた。

「どこからどう見ても、理想の兄だ」

 すっきりとした顔つきで、ビシリと身なりを整えたギルバートは、たしかに見目が良かった。
 蜂蜜色の髪に、涼やかな碧眼もあいまって、貴公子然としている。

 ブレイデン公爵家の本邸には、三つのダイニングルームが存在する。
 家族で食事をする時に使用される、プライベートダイニングルーム。
 小規模な夕食会が開かれるときには、ファミリーダイニングルーム。
 賓客ひんきゃくを招く晩餐会ばんさんかいが開催されるのは、豪華絢爛な造りの、ステートダイニングルームだ。

 朝食はいつも、プライベートダイニングルームだ。
 浴室と同じ階にあるために、長い廊下を進めばすぐだ。

 颯爽さっそうと歩くギルバートの姿に、若い使用人メイドたちが、頬を染めて頭を下げる。
 
 通路のはしに控えた彼女たちは、ギルバートが去ったあとに、手をとりあって小さく歓喜の声を上げた。 



「おはよう、アンジェリカ!」

 廊下の先に最愛の妹の姿をみつけ、ギルバートは足早にかけよる。
 ふりかえったのは、ゆるやかな金糸の髪に、宝石のような碧眼をもつ、うつくしい少女だった。

「おはようございます、お兄様」

 期待を裏切らない澄みきった声は、耳に心地良い。

 ギルバートは、とろけるような笑顔をうかべ、アンジェリカに手を差しのべる。
 アンジェリカは、そこに白い手をかさねた。
 
 使用人たちが、心得こころえたように扉を開ける。
 ギルバートのエスコートで、アンジェリカはプライベートダイニングルームに入室した。

 上座で、新聞を読んでいた男性が顔を上げる。
 となりに座る女性が、ふたりを見てほほえんだ。

 公爵家当主であるディビット・ブレイデンと、その妻のクリスティーナだ。
 年の頃は、どちらも四十代半ば。

 ギルバートとアンジェリカが、ふたりにむかって、優美なお辞儀をする。

『おはようございます』

 声をそろえて挨拶をする兄妹に、公爵夫妻は、おだやかな笑い声をあげた。

「知らぬまに、舞踏会場にまぎれこんでしまったかな」
「よくご覧になって。あれは私たちの素晴らしい子供たちよ」
「なんと。まぶしくて、目がくらんでしまったようだ」

 ふたりは、子煩悩こぼんのうで、仲のいい夫婦として知られている。
 
 ギルバートは、アンジェリカを席までエスコートすると、彼女のとなりの席についた。

 使用人が、朝食をサーブする。

 目に鮮やかなサラダやオムレツのとなりには、あっさりとした味付けの肉料理や魚料理がならぶ。

 編みこみバスケットの中には、香り豊かな焼きたてパンがつまっている。

 かま直焼じかやきをしたハースブレッドに、マフィンやベーグル、クロワッサン。
 あらびきヘーゼルナッツのパンに、かぼちゃパンやくるみパン。
 
 アンジェリカのそばのパンバスケットには、スコーンやブリオッシュ、アップルカスタードにキャラメルデニッシュなど、甘味があるものが多い。
 
 ジャムやバター、はちみつにクロテッドクリームまでが添えられ、ひろいダイニングテーブルが、料理であふれかえった。
 
 クリスティーナが、スコーンを手にとり、アンジェリカに話しかける。

「学院はどう? アンジェリカ」
「とても楽しいです。先週は、魔術まじゅつ魔法まほうについて学びました」
「あら、そのふたつは、どうちがうのかしら?」

 小首をかしげ、ふしぎそうに問う。
 アンジェリカは、すこしかんがえてから、話しだした。

発動はつどう条件じょうけんがちがいます」
「条件?」
「はい。魔術まじゅつは、術式じゅつしき構築こうちくして、展開てんかいすることで発動はつどうします。魔法は、魔力をかてに発動させます」

 聞き慣れない言葉に、クリスティーナが苦笑する。

「むずかしいのね」

 説明のしかたがわるかったことに気づき、アンジェリカは、つぎに教師の言葉をなぞる。

「いちばんかんたんな覚えかたは、人が使うのが魔術で、悪魔や魔獣まじゅうが使うのが魔法です」
「じゃあ、ギルバートは魔術で、イブちゃんは魔法ね」

 イブちゃん、とは、ギルバートが使役しえきする悪魔、イブリースだ。
 ギルバートが生まれた時からそばにいるので、ブレイデン家では、すでに家族のようなあつかいになっている。
 
「そうだとおもいます」

 伝わったことがうれしくて、アンジェリカがふわりと笑った。

「アンジェリカは、よく勉強していて、とても偉いね」

 ギルバートは、いつくしむようなまなざしで、アンジェリカを褒めたたえる。
 
「私など、お兄様にくらべたら、まだまだです」
謙遜けんそんする必要はないよ、アンジェリカ。それともまさか、だれかに俺と比べるような発言をされたのか?」

 いたわるような声音だったが、彼の目は真剣だった。
 バキリ、と音がして、ギルバートの手のシルバーのフォークが折れた。
 
 かべに控えていたロベルトは、表情を変えずにフォークを交換する。
 ギルバートが激昂げっこうしたときに、無意識によくやるやつで、今月に入って三本目だ。   
 なんでも、力をいれすぎた部位の魔力濃度が、一時的に上がってしまうとかなんとか。
 折れたカラトリーは、無残に黒ずんでおり、まるで消し炭のようだ。

 ギルバートの問いに、アンジェリカは、ふしぎそうに小首をかしげた。

「いいえ。ですが、ブレイデン公爵家の一員として、恥ずかしくない成績をとりたいと思っています」
「すばらしい心がけだね、アンジェリカ。だけど、がんばりすぎてはいけないよ。休むときには、しっかり休むことも大切だ」

 会話を聞いていたディビットが、たまらず口をはさむ。

「おまえがいうのか、ギルバート」
「妹をいたわってはいけませんか」

 幻聴げんちょうか、と思うほど、冷たい声音だった。
 アンジェリカに語りかけるときの、温かみのかけらすら無い。

 ディビットには目もくれず、ギルバートはアンジェリカに笑いかける。

「ところでアンジェリカ、つぎの週休しゅうやすみは、いつになる?」

 週休みとは、国立魔術学院が独自に定める休暇のことだ。
 奇数月きすうづきの、一週7日間が、休みになる。

 全寮制の国立魔術学院には、実家が遠い者もいる。
 そういう生徒のために、週休みができた。

 アンジェリカは、学院の予定表を、頭のなかに思い浮かべた。

「来月の、二十日から二十六日です」
「では、ひさしぶりに、一緒に別荘に行かないか?」

 アンジェリカの顔が、パッと華やいだ。
 やさしい兄と過ごす時間は、楽しく心地よい。
 話したいことも、聞きたいことも、たくさんある。
 
 二つ返事でうなずこうとしたが、兄が多忙であることを思い出す。

「あの、でも……お兄様は、お忙しいのでは」
「だいじょうぶ。なんとしてでも、ぜったいに、7日間の休暇を、もぎとってみせるから」

 ギルバートが、一言ずつ、はっきりと発音する。
 握りしめすぎたシルバーのスプーンが、バキリと折れた。

 壁に控えていたロベルトは、顔色を変えずにスプーンを交換する。
 坊ちゃんのカラトリーだけ、安い銀メッキでいいのでは、と本気で考えた。
 
 兄妹の会話に、ディビットが、またもや口をはさむ。

「ギルバート。その二週間後には、建国記念祭けんこくきねんさいがひかえている」
「それがなにか」
「竜騎士団長のおまえが、そのような時期に、休暇をとれるはずがない。あきらめなさい」

 その忠告を、ギルバートは鼻でわらう。

勇猛果敢ゆうもうかかんな父上の背中を見て育った俺には、やるまえからあきらめるなど、到底できません」
「くれぐれも、国王をおどすのは、やめなさい」
「人聞きがわるい。こんなにも国に尽くしている、俺の忠誠心を疑うのですか?」

 心外だ、というように、ギルバートはゆるく首をふる。
 会話を切り上げ、壁に控えるロベルトを、手を軽くあげて呼んだ。

「珈琲をたのむ」
「かしこまりました」

 ロベルトは、ギルバートが好む、コクと苦味がある珈琲を準備する。
 彼の前にサーブしたあと、年若い執事に目配めくばせをした。

 目礼もくれいした執事は、銀の盆に書簡をのせて、ギルバートにさしだす。

 カップを傾けながら、ギルバートが書簡を手に取る。
 裏を返した瞬間、ぐしゃりと握りつぶした。

「どうした、ギルバート」

 息子の奇行に、ディビットはおもわず声をかける。

「いえ。クソ……国王の封蝋ふうろうに、手がふるえました」

 ジジィという言葉を飲みこんだギルバートに、ディビットがあきらめたように告げる。

「……より不敬ふけいに聞こえるから、気をつけなさい」

 ギルバートは、その忠告を聞き流し、つぶれた書簡をテーブルに投げる。
 ディビットが、片頬をひきつらせた。

「なにをしている。至急、内容を確認しなさい」
「おそれおおくて、できません」
「やるんだ、ギルバート」
「では、これを飲んだあとに。心をおちつけないと、開封できませんから」

 ギルバートはカップを軽くかかげる。
 そして、書簡めがけて、中身をぶちまけた。 

「たいせつな書簡に珈琲をこぼしてしまった! これではもう読めないな」

 わざとらしく大声で話すのは、この場にいる人間を証人しょうにんに仕立てあげるためだ。
 腹黒貴族がよく使う手に、純粋なアンジェリカが心配の声をあげる。

「だいじょうぶですか、お兄様」
「ああ、なんということだ! となりに天使がいるのかと思ったよ。兄の身を案じるとは、なんて慈悲深じひぶかいんだ。俺はだいじょうぶだ。ありがとう、アンジェリカ」
 
 甘い声音でほほえむギルバートのうしろで、使用人たちが手早く後始末を終える。
 その手慣れた様子は、これが日常茶飯事であると物語っている。

「ギルバート」

 ディビットが、とがめるように、その名を呼ぶ。
 差出人が国王など、本来なら無視がゆるされる相手ではない。
 場合によっては、公爵家の問題となってしまうため、当主である彼には、見逃すことができない案件だ。

「俺の不注意です。もうしわけありません」

 ギルバートは胸に手をあて、しおらしくディビットに謝罪する。

 不注意で珈琲をこぼし、書簡が読めなくなった。
 そういう筋書きで、国王からの書簡を無視するつもりだ。

「朝一番で、国王に謝罪してきなさい」
「まさか。俺の不手際で、国王の手をわずらわせるわけにはいきません」
「おまえの手元に書簡が届いてないとなれば、ブレイデン公爵家の質が疑われるのだぞ」
「聞かれたら言います。ほんとうに重要な用事なら、ほっといてもそのうちわかります」

 そういうと、ギルバートはさっさと立ち上がる。

「仕事におくれますので、これにて失礼させていただきます」
「まちなさい、ギルバート」
「まだなにか?」

 ギルバートが、ディビットを見つめる。
 その瞳はまっすぐ、真摯しんしに、ひたむきに。
 いっそ無邪気なまでの透きとおった瞳に、ディビットは言葉に詰まる。

 愛妻家で有名な彼は、妻に似た涼やかな碧眼で見つめられることに、とても弱かった。

「……つぎから、気をつけなさい」 
「もちろん。じゃあね、アンジェリカ」
「はい、お兄様。おしごと、がんばってくださいね」
「ありがとう!」

 アンジェリカにだけ愛想のいいギルバートに、ディビットは閉口する。

 強くたしなめることができない主人に、存在感を消しながら一部始終を見ていたロベルトは、胸中でおおきなため息をつくのであった。
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