料理の直観

黒いたち

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料理の直観

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「終わったー!」
「谷口、お疲れさん。早く帰れよ。彼氏が待ってるんじゃないか?」

 解放感から伸びをしていると、所長がすかさず口をはさんできた。
 45歳にしては若々しい所長には、素敵な奥様とかわいい学生の娘が2人いる。
 25歳独身の私を娘のように気にかけてくれるのは嬉しいが、その声には、わかりやすくからかいが含まれている。 

 デスクを片付けながら、所長に言い返す。

「所長、セクハラですよ。あと彼氏はいないので、誰か紹介してください」
「営業所内の独身、適当に持っていっていいぞ」
「嫌ですよ。彼女とかいたらどうするんですか」
修羅場しゅらばは外でやってくれよ?」
「明日までに、独身全員の名札なふだに、彼女の有り・無しを書いといてくださいね。では、お先に失礼しまーす」

 苦笑する所長に、笑顔で挨拶をする。

 私が帰るまで、所長はいつも営業所に残っている。
 自分が早く帰りたいから、早く帰れ早く帰れとせかされ、忙しい時はイラっとするときもあるが、義理堅ぎりがたい所長は、女子社員より早く帰ることができないさがだ。
 コーヒーを飲みながら、新聞を読んだり、爪を切ったりしながら、待っていてくれる。
 しかも、待っていると私に悟られないようにしているつもりなのが、ちょっとおもしろい。
 最初の頃からすでにバレバレである。
 
 私は去年、この営業所に異動いどうしてきた。
 慣れない業務でひぃひぃ言いながら、それでも仕事にやりがいと楽しさを見いだせたのは、ひとえに所長と営業所の皆のおかげだと思う。
 えらぶらない所長のおかげで、営業所の雰囲気は明るい。
 営業も若い子が多いので、にぎやかを通り越して騒がしく、よく倉庫でギャーギャー言っている声が聞こえる。
 他の営業所からは「動物園」とよばれている。
 ちなみに近くにもう一つ営業所があるが、そちらはうちよりも騒がしいので「サファリパーク」とよばれている。
 
「田島さーん!」

 倉庫の前で、パートのおじちゃんを呼ぶ。

「おー、今持っていくよ」
「よろしくお願いしまーす!」

 ネイビーの防寒着ぼうかんぎを着た田島さんが、すぐに業務用冷凍庫の中に入っていく。
 そして、置かせてもらっていた商品を、持ってきてくれた。

「谷口ちゃんお疲れ」
「ありがとう。田島さんも、がんばってね」
「おう」

 中身は、冷凍ケーキと冷凍チキンカツだ。
 どちらも業務用なので、量が多い。
 
 うちは、業務用の食品会社だ。
 月に1度の棚卸たなおろし後には、賞味期限が近い商品をもらって帰ることができる。
 廃棄はいきするより、私の夜ごはんになったほうが、地球にも優しいからね。



 駐車場について、愛車の運転席に乗り込む。
 ナンバー落ちした新古車として売られていた、ミニバンの軽だ。
 色は綺麗なアイスグリーン。
 冬は積雪がある地域なので、四駆よんくの頼れる相棒だ。

 帰宅ラッシュを過ぎた道は空いていて、いつもの半分の時間でアパートに着いた。

陽菜ひなちゃん、おかえり!」
碧人あおと!? 月初めだから遅くなるって言ったじゃん!」

 車から降りた直後、掛けられた声に、驚いて振り向く。
 見慣れた制服の男の子が、出迎えるように駆け寄ってきた。

「うん。だから、夜ごはん持ってきたよ」
「いや、嬉しいけど、いつから待ってたの?」
「つい、さっき?」
「いいから、とにかく入りな」

 日中はあたたかくなってきたが、夜はまだ冷える。
 鍵を開けて彼の背を押すと、触れた制服の冷たさに驚いた。

 碧人は、持っていた食材を、キッチンに置いた。

「味噌汁つくるね」
「あ、味噌切れてるわ」
「インスタントは?」
「そこの棚」

 碧人が筑前煮をレンジに入れるのを横目に、冷蔵庫からビールを取り出す。
 ごくごくと喉ごしを味わって、ようやく一息つく。
 まな板を準備しながら、碧人が私を呼ぶ。

「筑前煮、温め終わったから、先に食べてて」
「はーい」
 
 キッチンの作業台に置かれたタッパーの蓋を開ける。
 人参、しいたけ、たけのこ、こんにゃく、とりにく、ごぼうだ。
 この地味な色合いこそが、味が染み込んでいておいしいんだよね。

 行儀悪く手でつまみながら、碧人の手元をのぞきこむ。

 慣れた手つきで、青ネギをみじん切りしている。
 ジップつき袋の中に、青ネギと豚ひき肉を入れた。

「味噌汁だよね?」
「うん。肉団子入れようとおもって」
「おいしそう」
「たぶんおいしいよ」

 そう言いながら、袋の中にタマゴと片栗粉をいれた。
 封をしてしばらく揉んでいる間に、鍋のお湯が沸く。
 袋の先をちょんとハサミで切って、鍋に絞りだした。

「頭いい」
「動画サイトの受け売りだけど」
「洗い物が少なくていいねぇ」

 肉団子の色が変わったら、火を止めて、インスタント味噌汁を入れて完成だ。

「レシピを見ないで作れるのがすごい」
「それは直観ちょっかんというか……」
「直観」
「ハンバーグつくるときに、タマゴと玉ねぎとパン粉いれるでしょ? 似た性質の材料だったら、うまくいくかなって」
「……なるほど?」
「あとは、陽菜ちゃんが好む味付けに寄せれば、完璧」
「私が好む味付けって?」
「それも直観かな。玉ねぎより青ネギの方が好きとか、辛子からしよりワサビの方が好きとか、そういう細かいことの積み重ねだから」

 テーブルに、碧人が作った味噌汁と、ごはん、筑前煮が並ぶ。
 私は、飲みかけのビールをテーブルに置いて、箸と小皿を二人分出した。



 碧人あおととの出会いは、7年前。
 高卒で就職し、いまのアパートに引っ越してきた時、駐車場で子供たちが遊んでいた。
 碧人は当時10歳で、年のわりにしっかりとした顔つきをしている子供だった。
 ハキハキと挨拶あいさつをしてきたので、同じアパートの住人の子供だと思って、私も挨拶を返した。
 ちびっこが3人もいたから、他の家の子供と遊んであげているのか、えらいな、と思っていた。
 しばらくして、それは近所に住む大家族の兄弟だ、とお隣さんから聞いた。

 彼らはよく、アパートの駐車場にいた。
 たまたま休日の暇なときに見かけたので、一緒に遊んであげたらなつかれた。
 私も、一人暮らしを始めたばかりで、寂しかったんだと思う。

 下の子たちはやんちゃだったが、碧人の言うことは素直に聞くいい子だった。
 皆、私のことを陽菜ひなちゃん陽菜ちゃんとしたってくれた。
 そんな彼らだったが、碧人が中学生になる頃には、それぞれの友達の家に遊びにいくようになり、いつのまにかアパートの駐車場には来なくなった。 
 それでも、顔を合わせたら、陽菜ちゃん陽菜ちゃんと寄ってくるので、あいかわらずかわいい弟妹のようだった。

 社会人1年目はがむしゃらなうちに過ぎて、3年目で後輩ができ、6年目で異動になった。
 車で通える距離だったので、引っ越しせずに済んだのが、ラッキーだった。
 
 その年に、スーパーで碧人あおとと再会した。
 彼は、レジ打ちのバイトとして毎日そこにいた。
 レジで顔を合わせるたびに、彼は律儀りちぎに挨拶をしてきた。
 知り合いに毎日弁当を買っているのを見られるのは恥ずかしいな、と思ったけど、彼はしっかりした顔つきを崩さないまま、真面目にレジを打っていたので、自意識過剰かと思い直した。 

陽菜ひなちゃんおねがい! 部屋のすみっこ、貸してください!」

 しばらくして、アパートの駐車場で、碧人あおとに頭を下げられた。
 私の目の前に突き出されたタッパーには、筑前煮が入っていた。

「俺の家、受験勉強できる環境じゃないでしょ? でも塾に通うほどのお金がなくて。場所代がわりに、俺が作ったごはんを持っていくから」
「これ、碧人が作ったの!?」
「うん。味には自信あるよ」
「えーと、碧人のご両親は何て言ってるの?」
「親? 陽菜ちゃんがいいならいいって。むしろそうさせてもらえって」
「そうか」
「今年だけだから! ね?」

 目を潤ませて頼まれたら、断れるわけがない。
 それに、碧人が作った料理にも興味があった。
 弁当にも、飽き飽きしていたし。

「予定が合った時だけでいい?」
「陽菜ちゃん!」

 こうして、私の家に碧人が通うようになり、私の食生活は改善された。



「会社からデザートもらってきたよ! じゃーん、冷凍ティラミスー!」

 業務用なので、バカでかい。
 10×30cmぐらいある。
 暖房の近くにおいてあったから、もう溶けて食べごろだと思うけど。

 碧人あおとの目が輝く。
 甘党だもんね。

「まるごとスプーンで食べていいよ」
「ほんとう!?」
「ぜーんぶ碧人の」
陽菜ひなちゃんは食べないの?」
「甘いのはいいや。それは碧人のためにもらってきたやつだから」

 ビールを飲み終え、冷蔵庫からもう一本取り出す。

「……その言い方、ずるい」
「何か言ったー?」
「めっちゃおいしいって言った!」
「よかった!」

 狭い部屋なのに大声で会話し、ふたり同時にふきだした。
 綺麗にティラミスを食べきった碧人が、帰り支度を始めた。
 ビールを飲みながらその姿を眺めていたら、ふと疑問がわいてきた。

「ねえ碧人。今日遅くなるってメッセージ送ったのに、なんで待ってたの?」
「仕事が忙しい日は自炊しないだろうから、ごはん持っていったら喜ぶだろうなって思って」
「おお……正解」
「陽菜ちゃんのことなら、直観が働くんだ」
「料理みたいに?」
「そう。……ずっと、見てたから」
「なに? 聞こえない」
「なんでもない! また明日ね!」

 パッと笑顔を見せて、碧人は帰っていった。
 
「あ、タッパー返し忘れた。まあ、明日も来るって言ったし、その時でいっか」

 あくびをかみ殺し、寝る準備をする。

「待ってるのは彼氏じゃなくて、かわいい男の子って。悪い大人みたいだなぁ」

 クスクス笑いながら、ベットに入る。
 明日は早く帰れるはずだから、碧人が勉強していく時間も取れるはず。
 楽しみだな。
 明日のごはんも、碧人が長い時間、いるのも……。

 ふわふわとアルコールの心地良さに身をまかせながら、満ち足りた気持ちで眠りについた。
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