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しおりを挟む大学の食堂で焼魚定食を運んでいると、わっと歓声が響いた。
特に気にすることもなく空いている席に座った。
あれから俺は大学院に進み、研究の手伝いをしている。一度作成した論文が偉い人たちの目に留まり新聞の小さな記事になって以来、大学で研究を続けている教授たちは代わる代わる俺を頼ってくるし、これといって勉強以外に夢中になれるものもなかったので、ここで毎日研究だの実験だのを進められることになんの不満もなかった。
千明は今頃どうしてるかな。
朝バスに乗っているとき、空が真っ青に澄み渡っていたとき、夜ベッドに入って目を閉じたとき。いつだって最初に浮かんでくるのはあいつの顔。笑ったり、ノートを睨みつけて悩んでいたり、恥ずかしそうに赤くなったり、泣いていたり。どの表情も忘れてしまわないように一日に何度も頭に描く。おかげであの雨の日から五年経って今でも千明のことを鮮明に思い出せる。俺に出来ることはそれだけだった。
あの日、傘もささずに歩き存分に濡れて風邪をひいた。バイトを休み、それから辞めて、あれから一度も千明とは会っていない。
今後、千明の人生と俺の人生が交わることはあり得ない。だからせめて、いつまでも千明を心の中に留めておきたいだなんて、女々しくて未練だらけでダサいこと、自分が一番よくわかっている。
かっこ悪くたっていい。この先かっこよく見られたい相手なんて、現れるはずないから。
手を合わせて誰に聞こえるでもなく「いただきます」と呟いてから茶碗を持った。
先程の歓声はテレビの前を陣取っている学生たちからだった。圧倒的に女子ばかりが群がっていて、みんな同じような髪形で同じような服装で、誰に何をアピールをしたいのか良い匂いをさせてニコニコと笑っている。かっこいいとか、誰がいいとか、心底どうでもいい。なのに味噌汁に手を伸ばしたときたまたま耳に入ってきた名前で心臓が大きく揺さぶられた。
「ちーたんかわいい!」
「千明くん出身この辺らしいよ~」
「まじ?出会いたぁい」
耳から入った情報を頭で処理するより早く、ふらふらとテレビに向かって歩き出していた。香水臭い女子たちの間をすり抜けてテレビの前まであと数人となったところで、画面に映る青年が視界に飛び込んできた。
何人いるかはわからない、それぞれ違う色の衣装を着て歌って踊っている。女子たちがきゃあきゃあ言ってたし、出演しているのも音楽番組だし、多分、アイドル。
その中で全身緑っぽい衣装を着て、汗を流しながら踊っている男を見て汗が噴き出る。千明はヘッドセットをつけているけどほとんど歌ってない。別にテレビに向かって笑いかけたりアピールするでもないけど、五年前に見たダンス大会のときと同じように、心底ダンスを楽しんでるみたいに、羽でも生えてるのかと思うほど軽やかに踊っている。
曲が終わり、全員が集合して最後のポーズを決めている。肩で息をして、汗もたくさんかいているのに、顔は喜びに満ち溢れて、太陽と見間違えるほどの眩しさを放っていた。
その瞬間、晴れた。
長い長い雨が、終わった。
「ねぇ、これなに?」
近くの女子に話しかける。話しかけられた女子はびっくりしたようで「え?」と聞き返すだけだった。
もう一度、お前に話しかけたんだとわかるように目を見て聞く。
「アイドル?人気あんの?」
頬を少し赤くして緊張したように話し出す。隣の女子も相槌や会話に入ってきて、だいたいのことは理解した。
最近人気が出てきたアイドル「ハロマイ」というグループで、千明は踊りはダントツ上手いのだが歌に難ありであまり前に出てくるようなタイプじゃない。メンバーカラーというものがあるらしく、緑。だから緑の服着てんのかと納得した。あだ名はちーたん。なんて可愛いのだろう。あまりの情報過多に目眩がする。
「ね、鈴木くんも好きなの?」
「あぁ好きだよ、好きすぎる」
「そんなに?今から近くでライブあるけど行かないの?」
「は?!」
わけがわからないまま女子たちに連れてこられたのは近くのショッピングモール。カラフルな服とペンライト、髪型や爪の先にまで気合いが表れている女子たちがぎゅうぎゅうになってステージの前に集まっている。中に行く?と聞かれたけれど流石に飛び込む勇気がないので後ろからこっそり見ることにした。待つこと数分、大きな音楽と女子たちの黄色い歓声で一気に周りの空気が熱くなる。初めての感覚に思わず耳を塞ぎたくなったけれど、ステージの上にいる千明を探すために目を凝らす。
「…ちあき」
いた。千明だ。髪の色が明るくなっていたし身長も伸びているけれど、すぐにわかった。頭の中で何度も思い浮かべた笑顔で、踊っている。
ぐっと胸が苦しくなる。心臓が痛い。人間の限界を超えてしまっているんじゃないかと不安になるほどにバクバクとうるさく鳴っているのだ。深呼吸をして落ち着こうにも、それがうまく出来ない。呼吸ってどうやってするんだっけ。
無意識に胸に手を当てて、シャツをぎゅっと掴む。視線は千明から外せない。かっこいい曲や可愛らしい曲、お客さんと一緒に盛り上がる曲など数曲を披露していたが、千明はずっと楽しそうだった。本当にダンスが好きなんだな、とあの頃の千明を思い出して涙が出そうになった。
最後の曲です、と誰かが言った。パフォーマンスが始まってからずっと、千明から目が離せない。もう人生が交わることはないけれど、こうやって遠くからでも成長した千明を見ることが出来て幸せだった。
俺の人生に最早思い残すことはない。
やけに満たされた気分のまま振り返り、ショッピングモールをあとにした。
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