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2章 暗殺者ギルド『深海』の壊滅
1、ケイは暗殺者ナンバーAを思い出す
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忘れない。
忘れられない。
耳につく泣き声を、肉を穿つ感触を、手についた熱い血の温度を、自分の心が壊れる音を。
僕は一生忘れないだろう。
*
「なあなあ、お前んとこのギルドにAって有名な暗殺者いたよな? どんなヤツだ?」
「え? そうだなぁ……」
宿屋に戻ってすぐ、レオンハルトにそんなことを聞かれた。暗殺者ギルド『深海』をこの人が壊滅状態にして、ほとんどのギルドメンバーが捕縛されたと噂話で聞いたけれど、ここでそんな質問を僕にしてくるということは、Aは逃げ伸びたのか。
僕とAは弟子と師匠のような関係だった。Aはなぜか僕を気に入り、暗殺業から行儀作法まで、ありとあらゆることを教えてくれた恩人でもある。Aはギルドが壊滅する原因を作った僕を恨んでいるだろうか。あの人に殺されても文句は言えないし、抗っても僕はAに手も足も出ないだろう。マジックバッグに入れてあったAと初めて戦った時に使った短刀と、もらった漆黒の戦闘用ナイフは今レオンハルトが持っているはずだ。
「とにかく速い人。動きが素早すぎて目で追えないし、気配察知をしようにも存在が希薄すぎて探せなくって、気が付いたら死角から斬撃が飛んでくる感じ。あと、本当の姿を見たことがある人はあんまりいないんじゃないかなあ……」
ナンバーA。
同じ暗殺者ギルド『深海』で働いていながら、僕たちは誰も彼(便宜上彼と呼ぶ)の素顔を見たことがなかった。
ある時はシルバーグレイのいかにも執事といった口髭のお年寄り、ある時は青い長髪を靡かせた精巧な人形のような美少女、ある時は凡庸な顔をした眼鏡の青年、ある時は男を一目で虜にするような艶やかな女性と、会うたびに姿が変わっていた。実際、Aの本当の姿を見たことがあるのは首領くらいのものだろう。
簡単にすげ替えられる他のナンバーとは違い、ナンバーAの座は『深海』の中で一番腕の良い暗殺者が受け継ぐ。彼は僕がギルドに引き取られる前からエースナンバーの地位にいて、ただの一度もその座を譲り渡したことはなかった。
「よく僕の訓練に付き合ってくれたかなぁ。でも、悔しいけど僕は一度だってAにかすり傷ひとつ付けることが出来なかった。自分が認めた相手には笑いながら容赦なく致命傷になる場所ばっかりを狙ってナイフを振るってくる戦闘狂で、そんな所はあんたに似てるかも」
男相手の誘惑の仕方もAに教わったと言ったら、レオンハルトはどんな顔をするだろうか。そんな自分から罠にはまるようなことを言うつもりはないけれど。
「なぁーーんか、お前の口から他の男の話を聞くのはイヤだなあ」
「聞いたのはそっちだろ? ……なんでベッドが二つあるのに僕の方に入って来ようとしてるのかな?」
僕が座っているベッドの布団の中に頭を突っ込んできたレオンハルトを足で蹴って、隣のベッドへと追い出す。僕は頭まですっぽりと布団を被って、それごと自分に結界を張って目を閉じた。
*
一通りの座学と訓練が終わり、見習いの最終試験とも言える、目上の暗殺者との戦闘訓練の相手がAだった。普通、実力差がありすぎてエースナンバーを持つ実力者が僕のような見習いのテストをすることはないのだが、たまたまギルドに報告のため立ち寄ったのか、首領が呼んだのか、氷属性の魔法が使える見習いが面白そうだと思ったのか、なぜかそこにAがいた。
闘技場の結界の外に審判の役目を請け負う首領が立っている。闘技場と言っても客席が周りをぐるっと取り囲むような本格的な円型の闘技場ではなく、草を抜き、土魔法で整地しただけの何もない広場だ。ギルドの建物に被害が出ないようにあらかじめ周りに防御と認識阻害の結界のスクロールは展開しているが。
その日のAは、サイドを短めにカットしたツーブロックの髪型に、ダボっとした迷彩柄のカーゴパンツと白いスニーカー、大きめの黒パーカーを着た、裏通りを縄張りにしていそうな崩れた雰囲気の若い青年の姿だった。手には刃が薄い小振りの黒い戦闘用ナイフ。薄いがその分鋭利で軽く、触れただけで切れそうなそれを、指だけで器用にくるくると回していた。
「この子? 氷属性魔法の特性持ち」
「ああ」
「体術は?」
「ガキん中じゃあトップクラスだ」
「ふ~~ん……」
首領と話をしながらも僕を品定めするような視線が下から上へと動いた。その全てを見透かすようなAの目線に恐怖を感じ、思わず身を固くする。
「緊張してるの? だいじょーぶだいじょーぶ。最高級ポーションがあるから、何本骨を折っても、手足が千切れても治してあげられるよぉ」
へらりと笑ったAはふらふらと訓練場の中央へ歩いた。威圧も殺気も感じない、ただ歩いているだけ。それなのに脳内が早く逃げろと警鐘を鳴らしている。確かに目の前にいるはずなのに、存在が幻影か幽鬼のように希薄で、生物の気配を全く感じない。こんな感覚は初めてだ。
動かない足を叱咤して震えながら動かし、Aから距離を空けて自分の間合いを取る。怖くない、怖くない。動け、動け。自分に言い聞かせる。大きく深呼吸して息を整える。Aは相も変わらずへらへらと腑抜けたような笑いを浮かべて僕の準備が終わるのを待っている。一番使い慣れたダガーを利き腕で持って、逆側に籠手を嵌める。Aの手の上を漆黒のナイフがくるくると回る。刃が黒いのは反射光が出ないようにするためだろう。
「準備はいいか? では、はじめ!」
首領のその声を合図に目の前からふっと男の姿が消失した。
すぐに冷たい感触が頸に触れ、僕の背後にはAが立っていた。頸動脈にナイフが押し当てられている。一瞬の出来事。立ち竦んでいると、ふっと息を吐いた男はすっとナイフを僕の首から離した。咄嗟に発動した氷結魔法がナイフを凍らせていなければ、そのまま喉を掻き切られていただろう。
「んーー、もうちょっと出来る奴だと思ったんだけどなぁ」
使えなくなった氷漬けのナイフをさっと懐に仕舞った彼の口調は、今の外見とぴったり合う軽いものだった。
「目で相手を追おうとしちゃ駄目。感覚を研ぎ澄ますか、気配察知をレベルMAXまで上げて常時発動しておいて。魔法が使えるからって攻撃を魔法に頼っちゃダメ。特に氷属性魔法は威力は強いけど、魔力を多く使うからすぐに枯渇して息切れしちゃうよ。それにKは魔法の短縮詠唱も無詠唱も出来てないよね? 戦いながらの詠唱は集中力が乱れるし、動きも遅くなる。ヘイトを稼いでくれる味方がいない場合、魔力は身体強化に回した方がいい。まあ余裕があるようなら魔法攻撃してもいいけど、暗器を使った方が絶対に早い」
矢継ぎ早にダメ出しをされる。言っていることは全部もっともで反論の余地はない。この頃の僕はまだ魔法の短縮詠唱が出来なかった。
シャツの袖口から新たなナイフを出していたAは、再び親指から中指までの三本の指を使ってくるくると回す。鋭利なナイフはAの指に傷をつけることはない。
「それと、」
ひゅん、という風切り音と共に、Aが持ったナイフが左下から右上へ振り上げられた。間一髪で身体を反らし、急所の心臓は外したけれど、避けきれなかったナイフの切っ先が深く頬を斜めに切り裂いた。
「……っ!」
どろり、と何かが流れる感触と共に遅れて痛みが襲ってくる。ナイフが鋭すぎて直ぐに痛みを感じられなかったのだ。ダガーをいつでも振るえるようにAに向けたまま、肩口でぐっと血を拭う。
「今のオレたちは敵で、オレたちはまだ戦闘中。オレの話を悠長に聞いてる暇があったらちゃんと反撃して。戦闘訓練だから殺されないって甘い考えはさっさと捨ててね、っと! うん、それでいい」
Aに言われた通り、話している間に詠唱、氷の矢を何本もAに飛ばし、Aがそれに対処している隙に懐に入り、肘を曲げて持ったダガーを横へ勢い良く薙ぐ。いつの間にか反対側の手にもナイフを持っていたAは二本を交差してダガーの刃を弾き、嬉しそうに笑った。
力で押され、勢いで後ろに一歩下がったところにAの足。人体の急所の一つである皮膚の薄い脛を蹴り飛ばされる。
「ぐ、うっ」
Aの脚に身体強化が掛かっているようだ。
容赦のない蹴りに倒れそうになったが、足を踏ん張ってなんとか堪える。痛みにうめいている暇はない。すぐに眼に向けてAのナイフが迫る。脛といい眼といい、暗殺者らしく弱点ばかりを狙ってくる。籠手で防御。ダガーを振るう。かすりもしない。既に目の前にAの姿はなく、十メトル先に立っていた。どうやって? どうして? 身体強化だけでこんなにも早く動けるものだろうか? 敏捷性をマックスまで強化した教官でもここまで速くはなかったように思う。
「考えごとしてるヒマがあるの?」
あっという間に距離を縮めてきたAは、何度も刺突するように左右交互にナイフを僕に向けて繰り出してくる。二刀流は手数が多くて防戦一方だった。僕も籠手やダガーの刃で防御するも、腕のリーチの直線距離だけで急所ばかりを狙ってくるスピードの早いナイフを避けるのは一苦労で、時間の経過と共に生傷が増えていく。ナイフを避けるのに神経を使うから、なかなか魔法にリソースを割くことができず、氷の盾も結界も張ることが出来ない。
「ほらねーー。スピードがある攻撃の最中には魔法の詠唱なんてしてるヒマないだろ? 魔法さえ封じちゃえば君なんて何の脅威もないんだよ」
「くっ!」
突きの合間に蹴りが飛んでくる。足の振りは速く、眼に身体強化を掛けておかないとほとんど軌跡が見えなかった。ナイフの突きよりも足運びの方が速いのではないだろうか。急所の一つである肝臓に向けて繰り出された蹴りでその理由が分かった。
Aの足首に筒のような形をした銀色の装身具が嵌められているのが見えた。僕の視線でそれに気がついたAはへらりと笑って足を止めた。
「あ、見つかっちゃった? これは『神具』【疾風迅雷】だよ。着けている部位のアジリティを、レベルマックスからさらに二倍にするんだ。普段は華奢な輪状のカタチなんだけど、使用者の魔力を流せばこの形に戻る」
だからトップスピードだと全く見えなかったのか。
Aはゆっくりと寸止めをした脚を下ろし、結界外にいる首領に声をかけた。
「ねえ、ボス~~、この子オレの下につけてもらってもいい?」
僕はテストに合格したのだろう。それからというものAは時間を見つけては僕の相手をしてくれた。死角からの攻撃方法や効果的なフェイントの仕方などの暗殺技術や、それ以外のことも色々と教えてくれた。
そして初めての暗殺依頼。Aは見届け人として僕について来たのだった。
…………………………………………………………………………
【補遺】
ーー 登場人物表 ーー
◯ロイ・クレイン
二つ名、『強弓』のロイ。
レオンハルトが付けようとしていた二つ名『無限矢の滅殺者』が嫌すぎて隣町までわざわざ行ってA級に昇格した弓使い。
短い茶髪、茶色の瞳。二十代後半。B級冒険者パーティー『天上の射手』のリーダー。
おっぱいは大きければ大きいほどいい。よく頬に紅葉マークを付けている。女性にフラれては殴られているらしい。
◯エリオット・バークレー
隣国、エマーシャル王国の王室御用達バークレー商会の三男。
上二人は店で経営に携わっているが、エリオットだけは竜の噂を聞きにあちこち回りたいため営業をしている。
仕事はとてもできる男だが、憧れの存在の前ではぐだぐだ。
竜を追ってあっちへふらふらこっちへふらふらしてたまに行方不明になるため、お目付役としてハッシュさんを付けられた。
◯ハッシュ・フォージャー
バークレー商会に勤める従業員兼御者。五十代前半。妻と二人の娘がいるが、娘は二人とも結婚済みで、長女とその旦那さんと二男一女の孫と暮らしている。次女は農家と結婚して近所に住んでいる。
エリオットのお目付役に抜擢され、放浪癖があるエリオットに付いてあちこちを回っていたため、ほとんど家に帰れず、一時期は離婚の危機にあった。バークレー商会のトップ(エリオットの父)から妻に謝罪があり、離婚はなんとか免れた。
◯ ドーラ・レヴュラ
レオンハルトの定宿、『夜見月亭』のおかみ。ドーラは某アニメから。
四十代後半。黒狼なので、髪も尻尾も黒い。旦那は宿屋の一階にある食事処の料理長。息子は猟師兼宿屋の手伝い。家族みんな狼の獣人。
お運び上手で人情味がある肝っ玉かあさん。皿はいっぺんに五枚運べるよ!
…………………………………………………………………………
忘れられない。
耳につく泣き声を、肉を穿つ感触を、手についた熱い血の温度を、自分の心が壊れる音を。
僕は一生忘れないだろう。
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「なあなあ、お前んとこのギルドにAって有名な暗殺者いたよな? どんなヤツだ?」
「え? そうだなぁ……」
宿屋に戻ってすぐ、レオンハルトにそんなことを聞かれた。暗殺者ギルド『深海』をこの人が壊滅状態にして、ほとんどのギルドメンバーが捕縛されたと噂話で聞いたけれど、ここでそんな質問を僕にしてくるということは、Aは逃げ伸びたのか。
僕とAは弟子と師匠のような関係だった。Aはなぜか僕を気に入り、暗殺業から行儀作法まで、ありとあらゆることを教えてくれた恩人でもある。Aはギルドが壊滅する原因を作った僕を恨んでいるだろうか。あの人に殺されても文句は言えないし、抗っても僕はAに手も足も出ないだろう。マジックバッグに入れてあったAと初めて戦った時に使った短刀と、もらった漆黒の戦闘用ナイフは今レオンハルトが持っているはずだ。
「とにかく速い人。動きが素早すぎて目で追えないし、気配察知をしようにも存在が希薄すぎて探せなくって、気が付いたら死角から斬撃が飛んでくる感じ。あと、本当の姿を見たことがある人はあんまりいないんじゃないかなあ……」
ナンバーA。
同じ暗殺者ギルド『深海』で働いていながら、僕たちは誰も彼(便宜上彼と呼ぶ)の素顔を見たことがなかった。
ある時はシルバーグレイのいかにも執事といった口髭のお年寄り、ある時は青い長髪を靡かせた精巧な人形のような美少女、ある時は凡庸な顔をした眼鏡の青年、ある時は男を一目で虜にするような艶やかな女性と、会うたびに姿が変わっていた。実際、Aの本当の姿を見たことがあるのは首領くらいのものだろう。
簡単にすげ替えられる他のナンバーとは違い、ナンバーAの座は『深海』の中で一番腕の良い暗殺者が受け継ぐ。彼は僕がギルドに引き取られる前からエースナンバーの地位にいて、ただの一度もその座を譲り渡したことはなかった。
「よく僕の訓練に付き合ってくれたかなぁ。でも、悔しいけど僕は一度だってAにかすり傷ひとつ付けることが出来なかった。自分が認めた相手には笑いながら容赦なく致命傷になる場所ばっかりを狙ってナイフを振るってくる戦闘狂で、そんな所はあんたに似てるかも」
男相手の誘惑の仕方もAに教わったと言ったら、レオンハルトはどんな顔をするだろうか。そんな自分から罠にはまるようなことを言うつもりはないけれど。
「なぁーーんか、お前の口から他の男の話を聞くのはイヤだなあ」
「聞いたのはそっちだろ? ……なんでベッドが二つあるのに僕の方に入って来ようとしてるのかな?」
僕が座っているベッドの布団の中に頭を突っ込んできたレオンハルトを足で蹴って、隣のベッドへと追い出す。僕は頭まですっぽりと布団を被って、それごと自分に結界を張って目を閉じた。
*
一通りの座学と訓練が終わり、見習いの最終試験とも言える、目上の暗殺者との戦闘訓練の相手がAだった。普通、実力差がありすぎてエースナンバーを持つ実力者が僕のような見習いのテストをすることはないのだが、たまたまギルドに報告のため立ち寄ったのか、首領が呼んだのか、氷属性の魔法が使える見習いが面白そうだと思ったのか、なぜかそこにAがいた。
闘技場の結界の外に審判の役目を請け負う首領が立っている。闘技場と言っても客席が周りをぐるっと取り囲むような本格的な円型の闘技場ではなく、草を抜き、土魔法で整地しただけの何もない広場だ。ギルドの建物に被害が出ないようにあらかじめ周りに防御と認識阻害の結界のスクロールは展開しているが。
その日のAは、サイドを短めにカットしたツーブロックの髪型に、ダボっとした迷彩柄のカーゴパンツと白いスニーカー、大きめの黒パーカーを着た、裏通りを縄張りにしていそうな崩れた雰囲気の若い青年の姿だった。手には刃が薄い小振りの黒い戦闘用ナイフ。薄いがその分鋭利で軽く、触れただけで切れそうなそれを、指だけで器用にくるくると回していた。
「この子? 氷属性魔法の特性持ち」
「ああ」
「体術は?」
「ガキん中じゃあトップクラスだ」
「ふ~~ん……」
首領と話をしながらも僕を品定めするような視線が下から上へと動いた。その全てを見透かすようなAの目線に恐怖を感じ、思わず身を固くする。
「緊張してるの? だいじょーぶだいじょーぶ。最高級ポーションがあるから、何本骨を折っても、手足が千切れても治してあげられるよぉ」
へらりと笑ったAはふらふらと訓練場の中央へ歩いた。威圧も殺気も感じない、ただ歩いているだけ。それなのに脳内が早く逃げろと警鐘を鳴らしている。確かに目の前にいるはずなのに、存在が幻影か幽鬼のように希薄で、生物の気配を全く感じない。こんな感覚は初めてだ。
動かない足を叱咤して震えながら動かし、Aから距離を空けて自分の間合いを取る。怖くない、怖くない。動け、動け。自分に言い聞かせる。大きく深呼吸して息を整える。Aは相も変わらずへらへらと腑抜けたような笑いを浮かべて僕の準備が終わるのを待っている。一番使い慣れたダガーを利き腕で持って、逆側に籠手を嵌める。Aの手の上を漆黒のナイフがくるくると回る。刃が黒いのは反射光が出ないようにするためだろう。
「準備はいいか? では、はじめ!」
首領のその声を合図に目の前からふっと男の姿が消失した。
すぐに冷たい感触が頸に触れ、僕の背後にはAが立っていた。頸動脈にナイフが押し当てられている。一瞬の出来事。立ち竦んでいると、ふっと息を吐いた男はすっとナイフを僕の首から離した。咄嗟に発動した氷結魔法がナイフを凍らせていなければ、そのまま喉を掻き切られていただろう。
「んーー、もうちょっと出来る奴だと思ったんだけどなぁ」
使えなくなった氷漬けのナイフをさっと懐に仕舞った彼の口調は、今の外見とぴったり合う軽いものだった。
「目で相手を追おうとしちゃ駄目。感覚を研ぎ澄ますか、気配察知をレベルMAXまで上げて常時発動しておいて。魔法が使えるからって攻撃を魔法に頼っちゃダメ。特に氷属性魔法は威力は強いけど、魔力を多く使うからすぐに枯渇して息切れしちゃうよ。それにKは魔法の短縮詠唱も無詠唱も出来てないよね? 戦いながらの詠唱は集中力が乱れるし、動きも遅くなる。ヘイトを稼いでくれる味方がいない場合、魔力は身体強化に回した方がいい。まあ余裕があるようなら魔法攻撃してもいいけど、暗器を使った方が絶対に早い」
矢継ぎ早にダメ出しをされる。言っていることは全部もっともで反論の余地はない。この頃の僕はまだ魔法の短縮詠唱が出来なかった。
シャツの袖口から新たなナイフを出していたAは、再び親指から中指までの三本の指を使ってくるくると回す。鋭利なナイフはAの指に傷をつけることはない。
「それと、」
ひゅん、という風切り音と共に、Aが持ったナイフが左下から右上へ振り上げられた。間一髪で身体を反らし、急所の心臓は外したけれど、避けきれなかったナイフの切っ先が深く頬を斜めに切り裂いた。
「……っ!」
どろり、と何かが流れる感触と共に遅れて痛みが襲ってくる。ナイフが鋭すぎて直ぐに痛みを感じられなかったのだ。ダガーをいつでも振るえるようにAに向けたまま、肩口でぐっと血を拭う。
「今のオレたちは敵で、オレたちはまだ戦闘中。オレの話を悠長に聞いてる暇があったらちゃんと反撃して。戦闘訓練だから殺されないって甘い考えはさっさと捨ててね、っと! うん、それでいい」
Aに言われた通り、話している間に詠唱、氷の矢を何本もAに飛ばし、Aがそれに対処している隙に懐に入り、肘を曲げて持ったダガーを横へ勢い良く薙ぐ。いつの間にか反対側の手にもナイフを持っていたAは二本を交差してダガーの刃を弾き、嬉しそうに笑った。
力で押され、勢いで後ろに一歩下がったところにAの足。人体の急所の一つである皮膚の薄い脛を蹴り飛ばされる。
「ぐ、うっ」
Aの脚に身体強化が掛かっているようだ。
容赦のない蹴りに倒れそうになったが、足を踏ん張ってなんとか堪える。痛みにうめいている暇はない。すぐに眼に向けてAのナイフが迫る。脛といい眼といい、暗殺者らしく弱点ばかりを狙ってくる。籠手で防御。ダガーを振るう。かすりもしない。既に目の前にAの姿はなく、十メトル先に立っていた。どうやって? どうして? 身体強化だけでこんなにも早く動けるものだろうか? 敏捷性をマックスまで強化した教官でもここまで速くはなかったように思う。
「考えごとしてるヒマがあるの?」
あっという間に距離を縮めてきたAは、何度も刺突するように左右交互にナイフを僕に向けて繰り出してくる。二刀流は手数が多くて防戦一方だった。僕も籠手やダガーの刃で防御するも、腕のリーチの直線距離だけで急所ばかりを狙ってくるスピードの早いナイフを避けるのは一苦労で、時間の経過と共に生傷が増えていく。ナイフを避けるのに神経を使うから、なかなか魔法にリソースを割くことができず、氷の盾も結界も張ることが出来ない。
「ほらねーー。スピードがある攻撃の最中には魔法の詠唱なんてしてるヒマないだろ? 魔法さえ封じちゃえば君なんて何の脅威もないんだよ」
「くっ!」
突きの合間に蹴りが飛んでくる。足の振りは速く、眼に身体強化を掛けておかないとほとんど軌跡が見えなかった。ナイフの突きよりも足運びの方が速いのではないだろうか。急所の一つである肝臓に向けて繰り出された蹴りでその理由が分かった。
Aの足首に筒のような形をした銀色の装身具が嵌められているのが見えた。僕の視線でそれに気がついたAはへらりと笑って足を止めた。
「あ、見つかっちゃった? これは『神具』【疾風迅雷】だよ。着けている部位のアジリティを、レベルマックスからさらに二倍にするんだ。普段は華奢な輪状のカタチなんだけど、使用者の魔力を流せばこの形に戻る」
だからトップスピードだと全く見えなかったのか。
Aはゆっくりと寸止めをした脚を下ろし、結界外にいる首領に声をかけた。
「ねえ、ボス~~、この子オレの下につけてもらってもいい?」
僕はテストに合格したのだろう。それからというものAは時間を見つけては僕の相手をしてくれた。死角からの攻撃方法や効果的なフェイントの仕方などの暗殺技術や、それ以外のことも色々と教えてくれた。
そして初めての暗殺依頼。Aは見届け人として僕について来たのだった。
…………………………………………………………………………
【補遺】
ーー 登場人物表 ーー
◯ロイ・クレイン
二つ名、『強弓』のロイ。
レオンハルトが付けようとしていた二つ名『無限矢の滅殺者』が嫌すぎて隣町までわざわざ行ってA級に昇格した弓使い。
短い茶髪、茶色の瞳。二十代後半。B級冒険者パーティー『天上の射手』のリーダー。
おっぱいは大きければ大きいほどいい。よく頬に紅葉マークを付けている。女性にフラれては殴られているらしい。
◯エリオット・バークレー
隣国、エマーシャル王国の王室御用達バークレー商会の三男。
上二人は店で経営に携わっているが、エリオットだけは竜の噂を聞きにあちこち回りたいため営業をしている。
仕事はとてもできる男だが、憧れの存在の前ではぐだぐだ。
竜を追ってあっちへふらふらこっちへふらふらしてたまに行方不明になるため、お目付役としてハッシュさんを付けられた。
◯ハッシュ・フォージャー
バークレー商会に勤める従業員兼御者。五十代前半。妻と二人の娘がいるが、娘は二人とも結婚済みで、長女とその旦那さんと二男一女の孫と暮らしている。次女は農家と結婚して近所に住んでいる。
エリオットのお目付役に抜擢され、放浪癖があるエリオットに付いてあちこちを回っていたため、ほとんど家に帰れず、一時期は離婚の危機にあった。バークレー商会のトップ(エリオットの父)から妻に謝罪があり、離婚はなんとか免れた。
◯ ドーラ・レヴュラ
レオンハルトの定宿、『夜見月亭』のおかみ。ドーラは某アニメから。
四十代後半。黒狼なので、髪も尻尾も黒い。旦那は宿屋の一階にある食事処の料理長。息子は猟師兼宿屋の手伝い。家族みんな狼の獣人。
お運び上手で人情味がある肝っ玉かあさん。皿はいっぺんに五枚運べるよ!
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『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。
側妃は捨てられましたので
なか
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「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
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別の女性を正妃として迎え入れた。
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だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
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王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
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後悔するのはどちらかを示すために。
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