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#5 紗久の中の朔
しおりを挟むあの世の入り口、と言われる場所に僕は佇んでいた。
目の前には大きな川があって、船頭が小さな船で死んだ人の魂を対岸へと運ぶ。
「いい加減、乗ってくださいよ」
三途の川を船が岸を離れる直前、三途の川の係の人が僕に困った顔で言った。
毎回、同じ会話。
でも、僕は。
その船にどうしても乗ることができなかったんだ。
だって、早く生まれ変わりたい。
早く司に会いたいんだもの。
この川を渡ってしまえば、司に会うのが遅くなってしまう。
ここで待っていたら、ひょっとしたら死んだらいけない人がくるかもしれない。
短絡的だけど、僕はそう思ったんだ。
「いやだーっ!離せーっ!!」
甲高い声が、静かな空間に響き渡った。
三途の川の岸まであと数メートル。
そんな場所で、小学生くらいの男の子が係の人に羽交い締めにされて暴れている。
「君はまだ死んだらいけないんだよ!紗久くん!」
「やだ!!もう帰りたくないのっ!!離してってばーっ!!」
男の子と係員の押し問答は延々と続き、とうとう僕の目の前まで移動してきたんだ。
………これは、チャンスなんじゃないだろうか?
そう思うといてもたってもいられずに、僕は思わず口を開いた。
「ねぇ、いらないなら。僕に君の体を頂戴よ」
一瞬で、止まる空気。
その場にいる人の視線が一斉に僕に注がれた。
「ちょっと!新庄さん!何言ってるんですか?!」
「本気です、僕!!ねぇ、そんなに死にたいなら僕の権利を君にあげるよ!だから、僕に君の体を頂戴!!お願い!!」
僕よりだいぶ小さな男の子が、どうしてこんなに死にたがってるのか疑問には思ったけど、僕はどうしても生き返りたかった。
どうしても、司のそばにいたかったんだよ。
「紗久っ!!紗久っ!!」
聞きなれない女性の声が、僕の耳に突き刺さるように入り込む。
目を開けると、これまた見知らぬ男性と女性が僕を心配そうに見下ろしていて、その反対側には白衣を着たおじさんと、若い女性がいて。
………そっか、僕。
あの子と入れ替わったんだ、って思い出したんだ。
「死んだほうがいい。ボクなんか、死んだほうがいいんだよ!!」
三途の川の小さな船に乗る直前まで、そう言って暴れていたな、本物の紗久は。
春山紗久、10歳。
医者の父親と専業主婦の母親、2つ年上の優秀な兄の四人家族。
三途の川の係員は、それ以外の事は何も教えてはくれなかった。
僕の家族と似てる、けど………僕の家族より雲泥の差で恵まれているはずなのに………。
どうして、小さな紗久はあんなに死にたがっていたんだろうか?
あの時、僕の申し出に紗久は満面の笑みを浮かべると、「ありがとう!お兄ちゃん」と言って小さな船に乗り込んだ。
船に乗り込んでしまったら、係員たちはどうすることもできなくなってしまったのか、ただ一言、僕に行ったんだ。
「新庄朔さん、あなたは春山紗久として天寿を全うしてください。もし守れないようなことがあれば、あの犬があなたを迎えに行きますから」と、三途の川の対岸にいる方に視線を向けたんだ。
視線の先には、黒い大きな犬が三匹。
僕の記憶が間違っていなければ、あの犬はきっと………ケルベロスに違いない。
………司と、一緒にいたい。
少しでも早く、少しでも長く、司に会いたい。
なら、僕のやることは………一つ。
朔の僕は、紗久の僕として生きなきゃならないんだ。
僕はなんの愛情も感情も湧かない、目の前の人たちに、極力笑顔を作って言った。
「お父さん、お母さん。大丈夫だよ。僕は平気。心配しないで」
「退院おめでとう、紗久。一時はどうなることかと思ったけど、元気になって何よりだ」
「ありがとう、お父さん」
「でも、心配だわ。本当に事故前のこと、覚えていないの?」
「うん。ごめんね、お母さん」
「いいのよ、紗久が謝ることじゃないわ」
事故、か。
違う………多分、紗久は自殺をはかったんだ。
紗久の両親の話によると、紗久は自殺マンションの3階の階段の踊場から転落して、意識不明になっていたそうだ。
ランドセルを背負ったまま、平均台みたいに転落防止柵の上を歩いている紗久が、近所の人に目撃されていたらしいから。
見ようによったら、やんちゃな男の子がバカな遊びをしていて結果落ちた、くらいな感じなんだろうな。
でも、紗久は本気で死にたがっていた。
まだ僕はほんの一週間しか紗久として生活していないけど、紗久が何で死にたがっていたのか、未だに解らなかったんだ。
こんなに両親に恵まれて。
こんなに心配してくれる人がいて、とても幸せそうで。
何が、イヤだったんだろうか………?
「紗久」
自宅に到着して、紗久のいかにも小学生らしい部屋を見回していると、部屋の入口から声がした。
声変わり真っ最中な、不安定な声に僕は思わず振り返る。
「………えっと」
「本当に記憶がないんだな、紗久」
「ごめんね。………お兄さん、だよね?紗季、兄さん」
紗久とはあんまり似てない、紗久のお兄さんの紗季。
僕が入院していた時、紗季は一度も病院に姿を現さなかったから、僕は瞬時に反応することができなかった。
こういう時、〝記憶がない〟で押し通せばかなり便利だって心底思ったんだ。
「大丈夫、か?」
「うん、もう平気。ありがとう………お兄ちゃん」
「なんか………おまえ、変わったな。紗久」
ドキッと、した。
血を分けた兄弟の、第六感的なものが紗久の中にいる〝偽物の朔〟を見破ったんじゃないか、って。
………なら、これは逆にチャンスかもしれない。
「………そう、かもね。本当に分からないんだ、今までの僕のこと。だからね、お兄ちゃん。お願いがあるんだけど、聞いてくれてるかな?」
「なんだ?なんでも言って、紗久」
「僕の無くした紗久を、お兄ちゃんが知ってる限りでいい。教えてくれないかな?」
僕の知らない紗久は、かなりいい子だった。
学校ではクラス委員をしていて、運動は苦手だけど優しくて、みんなから慕われていたって。
だから、紗季は事故で紗久が落ちたのが信じられなかったらしい。
「高いところが嫌いなのに、あんな遊びを紗久がするわけない。落ちる何日か前から、紗久の様子が明らかにおかしくて、俺が何を聞いても『なんでもない、大丈夫』って笑って………。でも、よかった。紗久が生きてくれて、本当によかったよ」
と、言った紗季の笑顔が胸に刺さった。
紗久じゃない………んだよ、僕は。
紗久の体と命を無理やり奪った、朔なんだよ。
人生二巡目の小学校に通い出しても、紗久の生活は特に変わったところはなくて。
余計に、何で紗久があんなに死にたがっていたのか、分からなくなってしまったんだ。
そんな矢先、僕の目の前に現れたんだ。
「今日から4週間、この学級で教育実習をします、伊藤司です。学校のこととか色々教えてください。よろしくお願いします」
………時間は、かかると思っていた。
何せ紗久は小学生だから、司に会いに行くまで結構時間がかかるって。
何で………こんなに早く。
嬉しくて。
僕は、その衝動を抑えることができなかったんだ。
「先生からぼくと同じ匂いがする………。懐かしい………。つかさ………会いたかった」
その笑顔、イチゴミルクの香り、その全てが司で………
僕は涙が出そうになるくらい………嬉しかったんだ。
「俺だって………会いたかった………サクラ」
司の穏やかな優しい声が、耳に響いて………。
紗久を忘れて。
朔としてその体にしがみつきたくなってしまったんだ、僕は。
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