Star's in the sky with Blood Diamond

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4-1 きらきら星

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 F県警察K警察署--。
 署員でさえもあまり立ち入らない、一階奥の保護房。
 遠野とすばるは、そこにいた。小さな三畳ほどの空間に畳が敷かれている。通常と違うのは、出入り口と畳の間に鉄格子があることだ。二人は会話すら交わさない。すばるは畳の上に寝転がり。遠野は小さな座卓の上に置かれたパソコンを前に、何やら考え込んでいる。
 男に襲われた遠野たちは、快速に乗り換え県境まできていた。近くのホテルにチェックインすると、その足でK警察署に入り、狭い保護房に二人して身を潜めているのだ。
 こんな早い段階で襲われるとは、遠野自身想定外だった。遠野は紙の地図を座卓に広げ、幾度となく繰り返される動画に視線を送っている。
 県警単独のネットワークに繋がったパソコン。外部とは遮断されたネットワークの画面には、ライブ配信の録画映像と駅の監視カメラの画像が映されていた。チラッと、遠野はすばるに投げる。そして徐に、目の前に置かれた電話の受話器を手にし番号を押下した。
『サイバー、市川です』
「イッチー、遠野だ」
『……遠野補佐』
「画像、全部チェックした。なんつーか、アレだな。用意周到だな」
『状況は逼迫しています。警護をつけましょうか?』
「いや、このままでいい」
『しかしッ……』
「ザッと見ても、結構な数の監視カメラが、ピンポイントでハッキングされてんだ。警護の数が増えただけ目立っちまう」
『すばるも……いるんです。二人の心身の負担が心配です』
「心配するな。俺もすばるも意外とタフだよ。それにな」
『それに?』
 遠野は、パソコンの画面を見ながら小さく笑った。
「お前らがちゃんと見ていてくれる。それだけで、大分心強いよ。イッチー」
『また、そんなことを……』
 ため息混じりに言う市川の声。かつての教え子から心底心配されている自身の立場。〝まだまだやれる〟と思ってはいても、受話器から流れるその声音が、なんとも言えず遠野に耳にくすぐったさを与える。
「今日は一度ホテルに戻ってよく寝るよ。明日、一度警察署に寄って、それからまた仕切り直しだ」
『了解です。こちらも後方支援を進めます』
「おう。頼んだぞ、市川」
 --少し気持ちも圧も、軽くなった。
 遠野は深く息を吸いながら受話器を耳から離すと、そっと置いた。
「ドードー、ソーソー、ラーラーソーソー」
 同時に、背後のすばるが音程など無視した音階を単調に歌い出した。振り返ると、寝っ転がったまま白く四角い天井を見上げたすばるは、遠野の方を見ることなく歌い続けている。
「なんだ? 〝きらきら星〟か?」
「うん。きらきら星っていっても変奏曲の方」
「変奏曲? そんなのがあるのか?」
 音楽にはこれといって造詣もない遠野。すばるの発した難解な言葉に、すでに思考が停止していた。
「お母さんがさ、好きだったんだよね」
 すばるは相変わらず、遠野と目を合わさない。白い無機質な天井の先にある、無数の星を見ているかのように。すばるの視線は揺るがず、眼光には力強さすら感じる。遠野はすばるの様子に若干の違和感を覚えた。
「オレの名前はすばるだろ? お兄ちゃんは〝なつか〟っていうんだ。火星の和名なんだけどさ。星が好きなお母さんが、お兄ちゃんとオレの名前をつけたんだって」
「そうか。いい名前だな」
「歌う子守唄も〝きらきら星〟だったんだよね。しかも変奏曲の方」
 すばるは、クスッと笑って続けた。
「幼稚園で必ず、きらきら星を歌うんだ。そしたら、オレだけ違うんだよ」
 ごろっと寝返りを打ち、イタズラをした子どものような表情で、すばるは遠野を見上げる。
「皆に『変だ』って言われた。でも、オレにとったら、お母さんが歌ったきらきら星が本当なんだ」
 畳の上で大きく伸びをしたすばるは、反動をつけて上体を起こした。
「遠野さんもこれを機に覚えてよ」
「きらきら星変奏曲をか?」
「うん」
「えー、無理だろ。俺、音楽成績悪かったんだぜ?」
「最初の八小節だけでいいからさ。キャンプ行った時に一緒に歌ってよ」
「……すげぇこと。ぶっこんでくるな、すばるは」
「ね、遠野さん。お願い!」
「分かったよ」
「絶対だからね! 約束!」
 すばるの小指が、遠野の面前に差し出された。大した約束事でもない内容と、こんな歳になって指切りをするとか……と、戸惑いつつも。遠野は自らの右手の小指を、すばるのそれに絡ませる。すばるの冷たい指先と、遠野の温かな指先。言い出しっぺのくせに驚いたのか、すばるは一瞬、目を見開いた。すぐさまニヤリと笑うと、遠野の手を乱暴に振り回し「指切ったーッ!」と楽しげに叫んだ。


✳︎     ✳︎     ✳︎


 男の目には、夜空いっぱいの星がうつりこんでいた。湿り気のある土と草の匂いが鼻をつく。遠くから、近くから。ジーと虫の声が重なる。その身に覚えのない状況によって、今置かれている自身の存在について、心許なさをわきあがらせた。
(どうして……一体、何が起こった?)
 そう直近の記憶を蘇らせようとした、その時。男の耳を、思考を。恐怖の箱に仕舞われたあの声が貫いた。
〝二十四時以内ニデキナケレバ、オ前ヲScrap stone(木端微塵)ニシチャウケド?〟
〝ドッチガ、早イカナ? オ前ガ、Pleiadesヲ捕マエルカ。オ前ガDiamondsニ捕マエラレルカ〟
〝Break a leg. Goodbye(幸運を。じゃあ、またね)〟
 ディスプレイの向こう側にいる人物が放つ、弾んだ機械的な声。滝のように冷たく大量の汗が、一気に男の体から吹き出した。
 嫌な予感しかしない。視界いっぱいに広がる星空が与える印象とは真逆の感情。今はその星空に見入るほどの余裕は微塵もない。
 地面に投げ出された四肢に力を入れ、男は上体を起こした。
 真っ暗で、何も見えない。どこかの公園か山林か。人の気配など全く感じない。周りを見ようと、男は体を少し捻った。
「!?」
 ガチャリと自らの体が異音を発する。
 心臓が飛び出そうになる感覚に、さらに追い討ちをかけるように。男のスマートフォンが胸元で大きく振動した。震える手は、徐々に大きくなる心臓の鼓動に比例して覚束ない。胸ポケットの中で、泳ぐようにスマートフォンを探る。激しく振動するそれをようやく掴み、男は滑らかな画面を汗ばんだ冷たい手でなぞった。
『Hey! !  It looks like you failed the mission.(やぁ! ミッション、失敗したみたいだね)』
「ッ!!」
 男は小さく息止めて、通話終了ボタンに指を運んだ。
『オット! 切ルナヨ。コレカラ重要ナ事ヲ教エテアゲルンダカラ。ソレニ、時間ハ有効ニ活用シタ方ガイイ』
 抑揚のない機械的な声。それにも拘らず、男の耳にはどこか楽しげに響く。
『素敵ナChoker(チョーカー)ハ、気ニイッタ?』
 男は慌てて自分の首に手を添えた。カチッと爪に当たる冷たい感触。パイプ状の何かが、男の首をぐるっと囲っている。
 --首輪。であることを、否が応でも認識してさせられる首元のそれは、全身を巡る男の血液をより冷たくした。逃げられない--!! 本能が叫ぶ。
『私カラノpresent(プレゼント)最初デ最後ノpresent』
「……ッ」
『君が逃ゲルカラ、Diamondsモ大分手間取ッタミタイダネ』
 その言葉に、靄がかかっていた記憶が突然鮮明になる。
 余裕とはいかなくても、必ず仕留められると思っていた。アピールをするため、眼鏡にカメラを仕込んでライブ配信までしていたのに。あっさりと返り討ちにあって……夢中で逃げた。
 組織からも、世の中からも。生き延びるために、卑怯と言われようとも。必死で走って、隠れて、逃げて。それなのに、あっさりとは目の前に現れた。現れて、捕まえて。奴等は意識を無くした男に〝首輪〟をかけたのだ。
 男は、カラカラに乾いた喉を鳴らした。
『装着カラ二十四時間ガtime limit   モウ半分ハ、経過シテイルンジャナイカナ?』
「ッ!?」
『smartphoneニdisplayシテルcountdown   ソレガ君ノ余命ダヨ』
 耳からスマートフォンを離し、男は通話をスピーカーにする。震える手で黒い画面を再びなぞると、画面の中央に大きくカウントダウンの数字が表示されていた。
 十一時間四十八分。三十三秒、三十二、一……。
 目に見えて命が削られていくような感覚。全ての臓器が緊張に圧迫され、男は思わずスマートフォンを放り出し嘔吐えずいた。
『ソノChokerはBomb(爆弾)君ニ相応シイpresent   時間内ニ解除デキタラ君ヲ解放シテアゲルヨ』
「……」
『無理ニ切断シテモ爆発シチャウヨ? 解除ハ慎重ニネ! 生キルカ死ヌカ、君次第ダヨ』
 男は走り出した。機械的な声を響かせるスマートフォンをその場に残し、足元すら見えない道なき道を走る。
 --生きるか、死ぬか。
 残り十一時間の余命を覆すため。元の穏やかな成果を取り戻すため。
 男は、ただひたすら走った。
 漆黒の夜に浮かぶ何億という星の輝きは、男の走る姿を優しく冷ややかに見下ろしていた。


✳︎     ✳︎     ✳︎


「すばる、よく寝られたか?」
「うん。遠野さんのイビキが凄かったのは想定内だったから大丈夫だったよ」
「……」
 一夜明け、白み出した早朝の空の下。
 ホテルをチェックアウトした遠野とすばるは、当直体制のK警察署に寄り、サイバー犯罪対策課に連絡を入れた。それから、数百メートル先の駅に向かって歩く。
 駅に近くなったとはいえ、主要駅に比べると歩いている人の数もまばら。遠野はイヤホンの無線に注意しながらも、すばると冗談を交わし足を進めた。
『サイバー統括からサイバー特務』
 イヤホンから流れる市川の声。遠野達の動きに合わせて出勤・退庁しているはずだ。それにも拘らず、市川の声はいつものように冷静で穏やかに無線から響いた。
「サイバー特務、どうぞ」
『駅構内、現在のところ特に異常無し。近辺の監視カメラが、ハッキングされた様子もない模様』
「サイバー特務、了解」
 会話を最小限に抑え、遠野はすばるにピッタリと引っ付き駅の入口へと向かう。
「おい……あんた。警察官なんだろ?」
 駅の入口に設置されている奇妙な形をしたモニュメントを通り過ぎようとした、その時。遠野はいきなり声をかけられた。異様に疲労感のある男の声と〝警察官なんだろ?〟という言葉に、遠野はつい足を止めて振り返る。
 モニュメントの影に身を潜めるように、黒い服を着た男がゆっくりと立ち上がった。
(昨日の男……!?)
 咄嗟に、すばるを背中に隠す。モニュメントの影から姿を現す男を、駅構内の灯りが徐々に照らしだした。
「!?」
「あんた……警察官なんだろ? これ、取ってくれよ」
 目の下に深い影を落とした男の顔は、かなり憔悴しているような見える。その首元には、パイプらしき物で作らたドーナツ状の物体。
 遠野の経験が一瞬にして、体を流れる血液を足下に落下させた。
「イッチー……市川ッ!」
『遠野補佐!?』
「至急! K駅に爆発物処理班を向かわせてくれ!」
『え?』
「K駅周辺半径三キロに避難勧告だ!」
『遠野補佐、一体……』
 困惑げな市川の声を受け、遠野は頬を流れる冷や汗拭いながら続けた。
「爆弾を付けてやがる……! 昨日の男が首に爆弾を巻いてやがる!!」
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