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ワルキューレが鳴り響く。〜β→Ωにされた僕の12ヶ月〜

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………や、ばぁ。
これ、〝ヒート〟って、ヤツだよな……。

小学生の頃、性教育の一環で習った。

男性女性のほかに、アルファ、ベータ、オメガって性があって、オメガは男性でも子どもが産めちゃうって先生が教えてくれて、幼心にも「オメガって大変そうだな」って思ったんだよ。

実際、本当に大変だ。

呼吸が乱れて、体が熱を帯びて………。
なにより………ヤリたい。

職場で急にこんなになって、「具合悪い」って言って、僕は非常用発電室にこもった。

だって、匂いとか、凄い………んだろ?

緩衝材が敷き詰められた壁に、非常用発電室の分厚いドア。

とにかく自分自身を隔離して、こんなにグズグズになって。
一人シコってヒートをやり過ごす………はずだったのに。

………何回、シコっても止まんない。

………シコるたんびに、後ろが濡れてくるって……。

どういうことだよ?!

っていうか。

ちょっと、まてよ?

僕、ベータなはずだぞ………?

母さんも父さんもベータだし、生まれた時からベータだって聞かされてきたんだ。

なのに、なんで?!

なんで、ヒートがきてんだよ?!

オメガじゃないだろ、僕は?!

ベータって聞いて生きてきたぞ………?

平凡な頭で平凡に生きてきたんだ。

これから先も、平凡に生きていくハズだったのに。

心の準備もキチンとできてないまま。
いきなりベータからオメガに性転換なんて、無理ゲーだろ?!

何回って出してるのに、僕のソレ萎えるはことなく。
後ろが疼いて、どうしようもなくなって………。

僕は床にうつ伏せになって、倒れ込んでしまった。

………僕、ここから一生出られないんじゃないだろうか?

急に弱気になって………体の底が余計熱くなる。
体の中から発せられた熱は、頭まで伝わって………ボーっとして、何も考えられなくなった。

………や、ばぁ。

もう、誰でもいいから、僕を犯して欲しいなんて………。

この熱から解放して欲しいなんて………。

シコる手が限界で、淀みなく溢れ出る性欲に歯止めが効かなくて。

薄暗い非常用発電室にかすかな光が入り込んだのを夢見心地で感じていた。

………あれ、かな?

発情しすぎて、昇天しちゃたヤツ、かな?

そう、バカげたことを思ったのが最後で………そこから先は全く記憶がない。

ワープを経験したんじゃないか、ってくらい。
僕は今、見知らぬ所にいて………。

クラッシックの………よく、どっかの音楽隊が演奏してる………そう、「ワルキューレの騎行」が流れて…………。

そして、最高に気持ちいい………。


…………ん?


………気持ち、いい?


………なんで気持ちんだよ!!


「あ、気がついた?」

体は火照ってグズグズに気持ちいいのに、頭は妙にクリアで………。
そう、僕に声をかけた真正面にいるヤツが………。
衝撃すぎて、クリアだった頭が途端に真っ白なる。

石神眞白………うちの会社の、マッドサイエンティスト、が………。

裸で、僕の中に突っ込んでる。

やめろ!!石神っ!!

「や、やめぇ……ぁあん……ぃ、いしぃ……っんぁ」

………やめてほしいのに、よがってどうする、僕。

「やめる?いやいやぁ、何言ってるの?君にそんな権利はないんだよ?斉木琥珀くん」
「………っや、な……なんでぇ……」
「だって、君。俺の実験の被験者になるってサインしたじゃん」

………は?

いつ?。

………そんなサインした覚えないぞ!!

ましてや変わり者のコイツがリーダーで進めてる実験なんて、職場のヤツは全員拒否するだろ!!

………あっ。

そういや………。

課長からなんか書類を渡されて、「君、ご指名らしいから」なんて言われて………よく読まずにフルネームを書いた書類があった。
だって、ただでさえ忙しいのに、細かい字がみっちり詰まった、厚さ5センチはあろうかと思われる書類なんか熟読しないだろ、普通。
僕がサインした時に、課長の顔が心なしかホッとしたように見えたんだ。

………生贄だ。

僕は、このマッドサイエンティストの生贄にされたんだ………。

「君は俺が開発した、〝第三の性を転換できる薬〟の被験者たんだよ。ただこの薬、すっごく不安定でね。服薬した一人に合わせて、アルファになるかオメガになるかわからないんだ。だから、自虐的でツイてなさげで、いたって普通のベータである斉木くんなら、絶対オメガになるって思って。君を指名していただきました。総務課長も喜んでたよ、君が被験者を引き受けてくれたって」

………あんの、タヌキじじい!!

わざと、わざと読まさなかっただろ………そんな重要なこと、わざと言わなかっただろ!!

「………やだぁ……オメガ………ずっと、やらぁ」

頭以外は、グズグズにオメガな僕は喘ぎながら、腰を揺らしながら、まるでねだってるみたいに目の前の石神に反論した。

「大丈夫。薬の効き目は12ヶ月。被験者の斉木くんにはベータがオメガになって、妊娠して出産するまで僕に付き合ってもらう予定だから」

………サラッと。

12ヶ月って言ったぞ?

要は……1年じゃないかっ!!

「俺、アルファでちょうどよかったよ~。だから、毎日子作りしようね?斉木………琥珀くん」
「………っぁ、やぁあ……ぁあん……」

この喘ぎ声は、このよがりは、決して「いいよ、子作りしよ!」的な返事じゃない。

返事じゃないけど………。
ベータな頭とは裏腹なオメガになった僕の体は、石神のソレを全身で欲して、中に出して欲しくて………。
体がしなる、石神にしがみつく。

「………そんなに……しないで、琥珀くん……!……やばいなぁ、イキそうだよ………っ!!」

そう石神が言った瞬間。
僕の中に熱いのがたくさん広がって、お腹の中を満たして………外に、溢れ出した。

「まだまだ、イケそう。琥珀くんがかわいいから、実験を忘れてしまいそうだよ………」

石神は出したばかりで萎えてるはずのソレを、またギンギンにして僕の中にねじ込んでくる。

「……やらぁ、やらぁ……らめぇ………ん、やぁあ」

オメガの僕の体はそれに敏感に反応して、足を広げて、腰をあげて………。
そんな行為にベータの頭がついていかなくて………。

ワルキューレは戦場で倒れた戦士たちを天国に導く武装した乙女で………。
僕を天国に連れて行ってくれるはずのワルキューレは、死神のような石神に導いて………。

これが悪い夢ならいいのに………。
そう考えたのが、最後で。

僕の思考はまたシャットダウンしてしまった。








医薬品メーカーの花形って言ったら営業で、中枢って言ったら開発で。
総務課自体、地味~な存在で。
その地味な総務課でも、一際パッとせず、目立たず、いたって平均平凡な存在だったんだ、僕は。
その僕と全く対極にいるのが、僕をオメガに変えた張本人、石神眞白だ。

石神眞白は、開発の中でも群を抜いて天才で……群を抜いて変人で。
奇抜すぎて、死神って意味の〝リーパー石神〟ってあだ名がつくくらい、変人を極めている。

天才と変人は、本当、紙一重なんだろうな。

そんな〝死神〟が開発する薬も医療機器も、奇抜なものが多い。
多いけど、確実に世の中の役に立っているものも多くて、うちの職場としては多少変わっていても優秀な人材を流出させたくないから、石神をフェローとして自由気ままに放し飼いをさせているんだ。
なんで平凡極まりない僕がそんな、〝死神〟に目をつけられて、なんで被験者になってしまったのか、全く見当がつかない。
つかない上に、第三の性転換を実用化して、一体誰が得をするのかさえも、皆目見当がつかない。

あれだ、な。
天才が考えることは、よくわからない。

でも、考えれば考えるほど、僕の平凡な頭でさえも、疑問な事が湧き上がってくる。

僕はいつ、その薬を飲まされたんだろう、とか。

非常用発電室にこもってるって、分かったんだろう、とか。

オメガである12ヶ月、僕の職場での扱ってどうなってるんだろう、とか。

………あと、さ……この人は。


……ああーっ!!


もう、やだーっ!!


色々気になることが多すぎて、考えても解決できそうにない。
オメガになった、って実感がないままオメガになった元ベータには、荷が重すぎるよ……マジで。

………そして、オメガになって。

職場で発情してから、ずっと………。

ヒートが………止まらなくて、キツい。

オメガは、大変だなぁ。

毎朝、自分が振りまく甘ったるい匂いで、目が覚めて。
一日中体が火照って、石神がかけているワルキューレを聴きながら、ヤリたい欲求を抱えながら日中を過ごし。
その熱をとってもらいたくて、アルファと激しく肌を重ねる。
ここにきて7回朝食を食べているから、僕はすでに1週間、新人オメガとして生活しているわけなんだけど。

相変わらず、ヒートには慣れないし。
石神とヤルことにもまだ抵抗があって………。

ヒートのせいで、やりたいことも、することもない僕は体の中にこもった熱をやりすごして、ベッドに横たわる。
そして邪魔をするように、パソコンに向かって仕事をしている石神に、何かしらいつも話しかけていたんだ。

「………ねぇ、石神さん。僕、いつ、その薬を飲まされたんですか?」
「分からなかった?」

僕のくだらない質問も、石神は穏やかな笑顔を浮かべながら、冷たい声で丁寧に答えてくれる。

「………分かりませんよ、そんなの」
「社食の時。君だけ特別メニューだったんだよ」
「………そうだったんですね。全く気付きませんでした」
「琥珀くんは、そんなもんだろうと思ったよ」
「………はい?」
「几帳面で隙がなさそうに見えて、実はかなり隙だらけだし」
「………あぁ、そうですね!!」

そんなこと、一番僕が分かってますよ!!
ボーっとしてて、鈍感ですよ!!
ムカついて、興奮したせいか。
オメガになったばかりの僕の体は、急激に熱を帯びてくる。

「………っ!……薬だけで………遺伝子レベルの変異が可能………なんです、か?………僕は、ちゃんと赤ちゃんを………作れる、体、なんですか?」

ヒートの波が僕を襲ってきて、それでも質問を止めない僕を、ベッドに腰掛けた石神は冷たい手で僕の頰に優しく触れる。

…………この、ギャップ。

優しいんだか、冷たいんだか…………。

それが余計、僕のヒートを呼び起こすんだ。

「体の中に小さな傷があったら、それだけでいい。小さな小さな入り口から入り込んで、遺伝子を組み替える。琥珀くんは、ちょうど口内炎が出来てただろ?あとね、琥珀くんに子を宿す生殖機能ができてることは、エコーでちゃんと確認してるから、心配しなくても大丈夫だよ」

………そういや。

仕事のストレスで、口内炎なんてしょっちゅうできてたし………。
内服薬だけで遺伝子を組み替える薬を発明するなんて……。

やっぱ、この人………死神レベルに天才なのかも。

ただ………その方向性が、違う気がするぞ?

「ヒート、ツラいよねぇ。琥珀くん」

石神はその冷たい手の指を、熱くて溶けそうなくらい濡れてる僕の中に入れて、感じやすいところを弾く………。

たまらず、身をよじって………女の子みたいな声を上げてしまった。

「ぃゃぁ……あんっ………」
「かわいい声で、鳴くよね………琥珀くんは」
「いしがみ、さっ………も、ひとつ………聞きたいこと、が………」
「何?」

僕の体にグズグズにたまった熱が頭に回って、これ以上は無理って時に、僕はどうしても聞きたかった、最後の質問を石神に投げかけた。

「………実験には………愛は、いらないもの………ですか……?」

ぼんやりする視界の中で、石神がどんな顔をするのか、僕はただジッと石神の表情を見ていた。

どんな回答を、するんだろう………この死神は。

でも、石神はその穏やかな笑顔を崩すことなく、僕を見下ろして………僕の中に突っ込んでいた指を口に含んだ。
そして、大きくなったアルファのソレを僕の中に深く差し込んで、大きくかき乱す。

「………んゃああ!!………や、だぁ………中………こ、すれる………」
「琥珀くん。今日も子作り、頑張ろうね!」

淡々と………石神は、淡々と言うんだ。 

こういう行為ってさ、例えば風俗に行っても、エッチな動画を見てでも、どっちか片方には一時的には〝好き〟って感情が存在する、と恋愛経験値はそんなに高いわけじゃない僕はそう思うわけで。

そうじゃなければ………単なるレイプみたいな………。

そんな感じになるわけで。

僕はオメガになったばっかりだし、さらには野郎とスるなんて初体験、だから。
体は石神のコトを好きなんだろうけど、僕の頭はなかなかそう言う感情まで追いつかない。
でも、最終的には………。

この人を愛して、子どもを宿して、産んで………。

育てていかなきゃいけないのに。

この人には、僕に対しての愛が存在するのか。
〝僕が好き〟と言う感情を秘めているのか。

………わからない。

愛とか好きとか、そう言う感情を持っているかどうか。

それすらも分からない人と、肌を重ねて、子を待ち望む。
なんだかなぁ………。

よくわからないけど、ちょっとだけ、寂しい。

………天才の考えることは、わからない。
………それが、正しいのかさえもわからない。

だけど、僕は……。

僕はヒートの波と、石神の快楽に溺れて………。

また、オメガ全開で石神を求めるんだ。

「……ぁあ…………ひぁ………」
「すごいね、琥珀くん。香りも強くなってるし、中も凄くうねってるよ………。俺、また止まんなくなっちゃう」
「………っん、………ほしぃ………」
「何?琥珀くん、何が欲しいの?」
「……ぁん……いしが、みさっ………が………かんで…………噛んでぇ………」

………こんなこと、普段の……ベータの僕じゃ絶対言わない。

500円を賭けてもいい。
それくらい。
賭けにならないくらい当たり前なことを、オメガになった僕は勝手に口が動いて、女の子みたいな恥ずかしいことをサラッと言ってのける。

………オメガの体は、石神を好きで、石神が欲しくて………噛んでもらいたくて。

「そんなおねだりもできるようになったの?……すごいね、琥珀くん」
「………いしがみ、さん………おねがい………」

被験者は、1週間目で番になることを望む、とか。
僕が言った内容とか、石神とヤッてることとか、全部実験の記録として、淡々と残されるんだろうな………。

…………恥ずかしい。
…………恥ずかしい、けど。

オメガの僕の体は、この死神みたいな石神に惹かれて、好きになって………番になって欲しい。

って………切望して、いる。

「…いっ……しがみ、さ………お、ねがっ………」

その時、僕の体は勢いよく反転して、うつ伏せに組み敷かれた。
熱い僕の体でも分かるくらい、さらに熱い吐息が僕のうなじにかかる。

………あ、これ。

「琥珀くんが………誘ったんだからね?」

相変わらず、冷たい石神の口調。
次の瞬間、熱い吐息がかかったところに激痛が走る。

「ぃっ………あぁぁっ!!」

痛い……けど、僕の体はその衝撃に反応して、体がしなる。

………なんか、体が喜んでる。

これが、番になるってヤツかぁ………。 

元々はベータだから、よく分からないけど。
結婚式で指輪を交換する程度の繋がりじゃなくて、体ごと、心ごと。

全部、お互いがつながった……そんな、気がした。

中から、また一気に熱くなって、石神を受け入れるように濡れて、締まって………。

石神が出したあったかいのが、僕のお腹を満たしていく。

………ホッとしたんだろうな。

僕はなんだかふわふわした気分になって、体をよじらせると、僕から石神にキスをした。








番になったら、あのダラダラ続いていたヒートが嘘みたいにおさまって。
体が軽くなった僕は、隔離されているこの家をようやく歩き回ることができるようになった。
石神曰く、ここは石神の亡くなった両親が残してくれた別荘らしい。
やっぱアルファは、金も、持ってるものも、何もかも違うな。
別荘って維持管理だけでも大変なのに、実験室もあったりして普通の別荘じゃない。
さらに付け加えるなら、この別荘はだだっ広い野原みたいなとこにポツンと立っていて、二階のベランダからはきれいな海が見えることも分かった。

あらゆることから、隔離されてる………。
そんなとこで………。

僕と石神は地球に取り残された、たった一組の番になってしまったんじゃないか、って錯覚してしまう。

………情緒不安定、じゃなきゃ、イっちゃってるヤツだろ……僕は。

テレビは普通にテレビ番組を放映してるから、まぁ、単なる錯覚なんだけど………。
動けるようになった僕は、あまりにも暇すぎるオメガライフを持て余し、この別荘の家事全般をするようになった。
料理は石神作るから、それ以外の掃除や洗濯、庭掃除まで。
全部、全部している。

だって、暇だから。
それでも、午前中には終わってしまって、午後からはテレビを見るか、石神の蔵書を読むか。

………専門書だらけで、正直訳わかんなくて………。 

でも、テレビばっかり見るのも飽きちゃって、分厚い図鑑みたいな本を引っ張り出しては顕微鏡で写した写真のページをパラパラめくって、いつの間に寝落ちして。
「琥珀くん、ご飯できたよ~」って言う石神の声で目が覚める。
そんな単調な日中を過ごして、夜はまた、石神と肌を重ねるんだ。

「石神さんは、兄弟とかいるんですか?」

番の効果は、すごいなぁ。
末端が冷たい石神の体にもだいぶ抵抗が無くなってきて、僕は石神のことがもっと知りたいと思うようになってしまった。
よく見ると、いつもは分厚い眼鏡に隠れた石神の目は涼しげで、顔立ちも整っていてかっこいい。

体つきだって、「あぁ、アルファって感じ」って思うくらい、良い体をしてる………白衣にマッチョを隠してたんだ。
だから、石神の中身をもっと知りたくなる。

「いるよ。体の中にね」
「………え?」
「〝キメラ〟だよ。俺は元々、母親のお腹にいる時は双子だったんだ。でも、もう一人の俺は今の俺に吸収されて、一つになった。だから、俺の中に兄弟が存在するんだ。すごいだろ?兄弟なのに会ったことがない。それなのに0㎜の距離で近くにいる」
「………すごい…。あっ………」
「何?琥珀くん」
「いや、なんでもありません。すみません、立ち入ったことを聞いてしまって」
「いいよ。別に隠してることじゃないから」

石神は穏やかに笑うと、僕にその冷たい唇を重ねる。
僕の体は石神の冷たい手や唇に触れられると、発熱して蓄熱するんじゃないか、ってくらい火照り出して………僕はその火照った腕を石神の首と背中にからますように、抱きついて引き寄せた。

………石神について、一つ気づいたことがある。

石神は、愛するという感情を持っている。

自分の中にいる、喋らないし見ることも叶わない兄弟のことを、たまらなく愛おしく思っている。

そりゃそうかもな………。

石神の両親は亡くなっているし、唯一の肉親は自分の中にいる。

触れることも、喋ることも叶わない相手を思って………。

石神は、愛の塊を内に宿している。

………僕は、その一部になれるだろうか。

変人だと思ってた石神を。

死神なんて言っていた石神を。

一緒に暮らすうちに、新しい一面を次々と僕に見せてくれる石神を。

僕は………だんだん、石神に惹かれている。

こんなに穏やかに笑う石神を生きている人間知っているのは、僕だけで。

料理も上手で、えと……エッチも上手だって知っるし。

冷たい口調だし、手足も冷たいけど………。
僕を抱きしめるその体は、優しくてあったかい………気がする。

オメガになった僕が、石神と番になったからかもしれないけど………。

僕は石神が、好きになったんだ………と、思う………多分。

石神は僕の肩に手をかけて、アルファ特有のソレを僕の中に深く入れて、中をかき乱すように激しく揺らした。

「……ゃあ……っあ!………い、しが……み、さんぁ………」
「琥珀、くん」
「………あか、ちゃん………っん、ん………好き……です、か?」
「………好き、だよ。とても」
「おねがい………が、あります………」
「何?琥珀くん」

激しく上下に僕を揺さぶっていた石神が、ゆっくり動きを止めて、僕の頬をそっとなでた。

「琥珀くん、何で泣いてるの?」
「約束して、ください………僕に赤ちゃんができて、生まれて………そしたら、そしたら………赤ちゃんを愛してください」
「………琥珀くん?」

そっか、僕………いつの間にか、泣いていたんだ。

ベータだった僕がオメガになって、例えそれが実験であっても………。

僕が初めて産む赤ちゃんには、この世の幸せを味わって欲しかった。

親から、愛を授かって欲しいと思ったんだ。

この世に生を受けるであろう、まだ見ぬ我が子を思って………。

その幸せと溢れんばりの祝福を願って………。

「僕のことは………いいんです。被験者だし、大人だし………もし、赤ちゃんをこの手に抱くことが出来たのなら…………真っ先に、その子を愛してもらえますか?石神さん」

石神は、呆気にとられた顔をして………僕をジッと見下ろしていた。

「お願い………約束して………もらえませんか?」
「………わかった、約束するよ。琥珀くん」

穏やかな笑顔を僕に向けて、気を使って、会えて優しい口調で石神は言った。

…………あの、変人……。

リーパーがものすごく気を使っている。

嘘でも、嬉しかった………。
嬉しくて、涙が出てきて………。

僕は石神の体を引き寄せて唇を重ねると、その石神の言葉のお礼と言わんばかりに、舌を絡めて………。

この瞬間から、僕は身も心も、オメガになった気がした。








「ご飯、食べられそうにない?」
「………ご飯が炊ける匂いが、ダメ……」

僕を見下ろす石神の顔が心配そうに、その、よく見たら無駄にイケメンなその顔を曇らせる。

そう、ご察しのとおり。
僕は今、つわりに苦しんでいる。

ベータからオメガになる薬を服薬した被験者の僕と、マッドサイエンティストのアルファの異色な番が、毎日ヤりまくった結果、とうとう愛の結晶を授かった。
嬉しくて、嬉しくて、仕方がないのに。
赤ちゃんを大事に育てると、意気込んでいたのに。
つわりがひどくて、そんな感情をキープすることもままならず。

しかも、ご飯を全く受け付けない。

ご飯が炊ける匂いをここまで嫌悪するなんて、知らなかった。

立ちあがると、フラフラするし。

僕はヒートのときみたいに、また、ベッドから動けない状態に逆戻りしてしまったんだ。
赤ちゃんが、できて嬉しいんだけど。
僕がこんなに弱くていいんだろうか、って不安になってくる。

………うわぁ、身も心も………。
………僕、お母さんじゃん。

すごい、なぁ。
オメガも、女の人も。

こんなに辛いことを経験して、なんでもないような顔をしてるなんて………。

かっこいい。

「琥珀くん、何か食べられるもの……ある?」
「………いちご」
「いちごなら、大丈夫そう?」
「………はい、おそらく」
「そっか。じゃあ、早速取り寄せなきゃ」
「あの、石神さん」
「何?他に食べられそうなのある?」
「そうじゃなくて………僕はお母さん?それともお父さん?」
「え?」
「あ、いや。今、すごく不安で………。この子のお母さんみたいなのに、僕は男で………どうしたらいいか、わかんなくなっちゃって」

なんだよ、この会話………。

テレビの再現とかでよく見る、新婚さんの不安を吐露したまんまのシチュエーションじゃん。

「もとはベータだしね………琥珀くんは、琥珀くんでいいんじゃない?母親も父親も両方をもってる。それでいいんじゃないかな?」

…………そっか、そうなんだ、両方か……便利だなぁ、僕。 

いやいや………違う、違うだろ。

なんか違う……違和感が僕を襲う。

僕は………そういう答えを石神からもらいたかったんじゃない。
上手く、言えないけど。

僕の腹の底に、変な塊がずしっと落ちた気がした。

「琥珀くん?」
「………あ、はい」
「大丈夫?すぐにいちご、準備するから」
「………いや、無理しなくて……大丈夫。しばらく寝てたら………いいんで」

僕は、本当に不安定なのかも。
たかだか、自分の感情が整理がつかないからって、こんなに乱れることなんて………今までなかったのに。
身の置きどころがなくて、僕は無理矢理目を閉じた。

ふ、と。

石神の冷たい手が僕の頰に触れて………。
今すぐにでも僕はその手に触れたかった………んだけど。
腹の底の塊が、それを邪魔してくる。

「…………苦し」
「大丈夫?琥珀くん」
「………く、るし……い」

つわりもさることながら、腹の底の塊も、僕の感情も………全てが苦しくて………。

僕は頰に触れている石神の手を振り払うように寝返りを打って、石神に顔を見せないように、両腕で顔を覆った。

………僕は被験者だからしょうがない。

にわかオメガの、にわか番だから………。

僕は愛をもらえなくてもしょうがない。

でも、さ。

実験で生まれた赤ちゃんには、罪もない。

だから、赤ちゃんには………。

せめて、赤ちゃんには………「俺が父親になるから」って、石神に言って欲しかった。

だから………苦しいんだ、僕は。








「順調に育ってますよ。大丈夫です」

あくまでも実験だから、おいそれと一般の病院に行くこともできない僕に、お医者さんがわざわざ石神の別荘まで出張健診に来てくれる。 
つわりもだいぶおさまって、僕のガリガリだった体が少し柔らかくなって………ぺったんこだったお腹がだいぶ前に大きく出てきた。

エコーをとおして画面に映し出される、小さな人のカタチ。
小さな手が、小さな足が、小さく動いて………。

なんか、不思議な感じ………。

「つわりがひどかったんで………心配してたんです。よかったぁ、ちゃんと手足を動かしてる」
「元気ですね!今、大体の大きさを計測しますね」
「男の子とか、女の子とか、わかりますか?」
「………うーん、、恥ずかしがり屋かなぁ。肝心なところを見せてくれないねぇ。少し逆子気味だし」
「えっ!?逆子っ?!大丈夫なんですか?!」
「大丈夫。週数が重なるとだんだん正常な位置になるから。元気だからくるくる動き回ってるのよ」
「………そうですか」
「心配しなさんな!あなたが落ち込んでると、赤ちゃんにまで伝わるんだからね?大丈夫だから」
「はい!ありがとうございます」
「それより、あなたの骨盤。小さくて狭いから、帝王切開も視野に入れていた方がいいかもね」

………え???
テイオウセッカイ???

「男性オメガの子宮は体の内部にあるし、産道が長いから、骨盤が狭いと赤ちゃんが苦しくなってしまうからねぇ………少し厳しいけど………臨月になったら、まだまだお腹も迫り出してくるし、もう少し様子を見て決めましょうね」
「………はい」
「そう心配することじゃないよ。男性オメガの3割はあなたみたいに骨盤が狭くて、帝王切開をしているから。赤ちゃんが苦しくない方法を選択することは、親として一番最初にする大事な務めだと思うよ」

………親として、か。

お父さんとか、お母さんとか………。

ひっくるめて、親かぁ。

つわりが酷かった時、石神が「父親になるから」って言ってくれなかくて、僕の中のモヤモヤが塊になってしまった、あの時の。

ずしっとした変な塊が……小さくなって、消えていく。

僕は僕で、石神は石神で。

2人で親になればいいんだ………。

でも、この子が喋りだしたら聞かれるんだろうなぁ………。

「私、或いは僕は、どうやって生まれてきたの?」とか「お母さんなの?お父さんなの?どっちなの?」とか、さ。

………ま、今は目の前のことだけ………真剣に考えよ。

お医者さんが帰って、僕は広い別荘に1人と2分の1になった。
今日は、石神が職場に行ってるからなぁ。
ワルキューレも久々に鳴り響いていない。
だから、静か………話し相手もいないし。
帰ってきたら言わなきゃ、テイオウセッカイってのをしなきゃいけないかもって。

「今日は、もう一人の親は遅いんだって。寂しいねぇ」

ふっくらしたお腹をさすりながら、僕はお腹の中で聞き耳を立てているであろう、赤ちゃんに話しかけるように、独り言を呟いた。

深夜、車の音で目が覚めて。

少ししたら、石神がニコニコしながら寝室のドアを開けて入ってきた。

この人のいいトコ。
いつでも穏やかに、時間関係なくフラットで機嫌がいいコト。

「ただいま」
「おかえり」
「今日、ついてあげられなくてゴメンね、琥珀くん。どうだった?赤ちゃん、元気だった?」
「うん。手足をパタパタ動かしてて、すごく元気だったよ。………ただ」
「ただ?」
「僕の骨盤が狭いから、テイオウセッカイになるかもって」
「そうか………。赤ちゃんが苦しくない方を選択しなきゃならないからね」

ベッドに腰掛けている僕の頰に、石神はそっと手を添えると、深く、それでいて、優しくキスをした。

「俺は琥珀くんが心配だ」
「どうして?」
「琥珀くんの体にメスを入れなきゃいけない。だから、たかが……じゃない。簡単なことじゃないんだよ、帝王切開も」

………あ、あぁ、テイオウセッカイって、そう言う意味だったんだ。

…………よかった、おっきな声でお医者さんに「それ、なんですか」って聞かなくて。

怖い、けど………。

でも………大丈夫。

「僕は、平気。赤ちゃんさえ無事なら。それでいいい」

僕は石神の首に腕を回して、体重をかけて石神をベッドに引きずり倒した。

「琥珀くん………」
「しばらく………このまま……で、いてもらって……いい?」

今………言わなきゃ。
石神に………言わなきゃ。

「あのさ、石神」
「何?どうしたの?」
「僕を被験者に選んでくれて、ありがとう。は、はじめは………はじめさは、すごくイヤだったんだ。なんでベータな僕がオメガになる被験者になって、妊娠とか出産まで経験しなきゃいけないんだって………」

無駄にイケメンな石神は、ビックリしたら顔をして………瞳をゆらして僕を見ていて。

………絶句、している。

そりゃ、そうだ。
きっと「この期に及んで、コイツは何をいってるんだよ?」って思ってるハズだ。

でも、伝えなきゃ。
ちゃんと、ありがとうを言わなきゃ。

「でも、今は嬉しい。子どもを授かれるなんて、そうそう経験できることじゃないし。この子を育てていかなきゃいけないって、不安しかないけど………こういう機会を与えてくれてありがとう。石神さん」

そう言って僕は石神に抱きついた。

かつての僕の真っ平らな体なら、全て石神にピッタリくっついて全身で石神の感触を受け止めていたのに、今はお腹がつかえてて。
回した腕は伸び伸びで、ひっつき面はお腹だけで。

石神とこんなことできるのも、あともう少しなんだなぁって思うと。

少し切なくなってきたんだ。

赤ちゃんを産んで、薬の効果が切れてまた元のベータに戻った後。
僕と、石神と、赤ちゃんと。
どんな人生の歯車が回り出すんだろうか。







「……重い」

番になって初めてのヒートがきてから十月十日。

僕のお腹も、とうとう張り裂けんばかりに大きくなって。
僕はオメガとして、臨月………を、迎えてしまった。

あんだけお腹の中で縦横無尽にパタパタ暴れていた赤ちゃんもだんだん落ち着いてきて、逆子気味だったのも正常位におさまってきた。
たまに、ぐーっと威力のあるキックが、体の中からお見舞いされるから、思わず「イテテテ」って呟くのが口癖になって。
お腹の皮膚がボコっとつきでるたびに、僕はその正体を想像しながらソッとなでるんだ。

不安の種でしかなかった僕の骨盤は、赤ちゃんの頭が通れるくらいギリギリ広くなって、このまま通常分娩で出産することが決まった。

それでも………なんとなく、不安であることにはかわりない。

そんな不安を忘れるかのように、僕は赤ちゃん用の産着やらガーゼハンカチやらを一心不乱に洗って、いつ生まれてもいいように準備している。

小さな、小さな。

人形の洋服みたいに小さな産着を干していると、ワルキューレが部屋の中から聞こえてきた。

その音に反応するかのように、浅い痛みを伴って僕のお腹がぐーっと張ってくる。

「この曲、好き?………ずっと、聴こえてたもんねぇ………」

僕は、張ってくるお腹をさすりながら呟いた。 

「生まれてくるときに、かけてあげよっか?この曲。ドラマチックな曲だから、すごい勢いで生まれてきそうだね」

男の子でも、女の子でも。

アルファでも、ベータでも、オメガでも。

とにかく、無事で生まれてきて欲しい。 


僕の願いは、それだけだ。


部屋の中では、相変わらずワルキューレをかけながら仕事に没頭していて、僕は座っている石神の体を後ろから抱きしめた。

「石神さん。実験のデータ、だいぶ収集できた?」
「うん。琥珀くんとお腹の中の赤ちゃんのおかげでね」
「どうして、この薬を作ろうと思ったわけ?」

石神は穏やかな優しい笑顔を僕に向けた。

「琥珀くんになら、本当のことを言ってもいいかな?」
「………本当のこと?」
「俺の中の兄弟、のためかな?その人に会ってみたくなったんだ。でも、そんなこと叶わないし。なら、作ってみようって。子どもを生めないベータをクセのないオメガにして、そのまっさらで純粋な遺伝子と俺の遺伝子と結合させたら…………その子どもは、俺の中の兄弟に近いんじゃないか、って」

優しい、のに………寂しそうに石神は笑う。

「俺のエゴで琥珀くんを巻き込んでしまって、本当に悪かったと思ってる。薬や、医療機器を開発するのは楽しいんだけど……今回の実験、正直、迷ってた………。口では強気なことを言っていたけど………琥珀くんに嫌われてるって、ずっと思ってたし。少し前、琥珀くんが言ってたでしょ?〝子どもを授かる機会をくれてありがとう〟って。………それで、救われた」
「石神さん………」
「俺、琥珀くんが、ずっと好きだった。だからこの実験は絶対琥珀くんとじゃなきゃイヤだったんだ。琥珀くんを無理矢理オメガにして、強引に犯して、孕ませて………。ただ、自分の欲求を叶えるために。琥珀くんと、ずっとこんなことをしたかった。こういう風に穏やかな生活を過ごしたかったんだ」

………う、わぁ……石神のそんな顔、初めて見た。

無駄にイケメンで、無駄に澄み切った瞳に涙をたくさん溜めて………泣くまいと、声を震わせ必死に耐えて………。

不器用で、それでいて、甘く、優しく、切ない告白。

僕は女の子じゃないけど………。
こんなこと言われたら、胸がキュンってになるに決まってる………。


ずるいよ、石神。


今まで、僕は石神の本心がわからなかった。

この子の親になることを望んでいるようにも見えなかったし、所詮、実験の一部としか思ってないんだろう、って。

だから、だんだん石神に惹かれている気持ちを押し殺して。

寂しい気持ちも、苦しい気持ちも、なかったことにして。

石神に迷惑をかけないように、赤ちゃんを産んだら、僕は一人でその子を育てようって決めていたんだ。


決めていたのに…………。


石神の言葉に、胸が苦しくなって、お腹が張って………。



パンッ!!



僕の足の間で弾ける感覚がした。
その瞬間、大量の液体が僕の太腿を伝って、足元を濡らす。

「………石神、さっ……」
「どうしたの?琥珀くん」
「…………破水、したかも……」
「………え?」
「…………どうしよう、破水した!生まれる!!」

動揺したら、急にお腹が痛くなった。
今で経験したこともないような激しい痛みが、赤ちゃんがいるお腹を締め付けるように襲ってくる。
赤ちゃんが出てくるんじゃないかって恐怖と、経験したことのないあまりの痛さに、僕はその場に座り込んでしまった。

…………陣痛、なのか……?

しかし………めちゃめちゃ、痛いっ!!

痛さに何もできない僕を尻目に、石神は僕を抱き上げてベッドに寝かせると、お医者さんに電話をしたりして、その間も僕の背中をさすりながら、テキパキ動いていた。

相変わらず、穏やかな笑顔で石神は僕を見つめていて………安心する。

するんだけど………。


痛さが勝って、それどころじゃない!!


「先生がすぐ来てくれるって。大丈夫だから、ね。琥珀くん」
「いしが、みさん………赤ちゃん、苦しくないかな………大丈夫かな………」
「大丈夫。俺がそばにいるから」
「…………僕とか、赤ちゃんとか………重荷じゃない?」
「どうして?」
「石神さんの本心がずっとわからなかった………こんな平凡で、なんの取り柄もない僕を好きだって言ってくれて………嬉しいのに………。僕は、石神さんのそばにいたいって思うのに………。実験の後ろめたさから、石神さんをそんな気持ちにさせてるんじゃないか、って思う僕もいて………いっ!!いたたたたっ!!」
「こ、琥珀くんっ!!」

陣痛の波に、僕は確実に体力を奪われていて。

こんな弱っちいの、ダメなのに………でも、でも!!

「石神さん!!」
「はいっ!!」

ありったけの力で腹の底から声を張り上げた僕に、石神は体をビクつかせて条件反射的に返事をした。

「ご迷惑じゃなければ、僕と結婚して!!」

無我夢中で。

意識がはっきりしていたのは、僕が陣痛によって引き起こされたであろうハイテンションで、石神にプロポーズしたこの時までで。

陣痛の間隔が短くなるにつれ、僕はなんとなく、断片的にしか覚えてない。

お医者さんのいつもとは違う、緊張感のある声が聞こえて。

石神の僕の名前を呼ぶ声が、いつもより大きく耳にこだまして。

……赤ちゃん、大丈夫かな…。

僕がちゃんとしてないから………赤ちゃんが苦しいのかも。

赤ちゃんを苦しくさせてるんだったら………。

僕はいいから………赤ちゃんを助けて欲しい。

「いしがみ、さ………赤ちゃん………たすけて……」

その瞬間、「ワルキューレの騎行」が頭の中で鳴り響いて………。

「ぁぁーっ、ぁぁーっ!」って、かわいい小さな泣き声が聞こえて………全身の力が抜けた。







「ましろ!きょうのごはんは、なぁに?」
「そうだなぁ………茄子があるから、ナス味噌炒めにしようなかなぁ」
「やったー!まおくん、すきぃ!」
「真王、お味噌汁に何をいれて欲しい?」
「ねぎ!」
「ネギだけ?他には?」
「ねぎ!」
「………お豆腐と、かぼちゃもいれようね」
「うん!」

夕飯の話をしている、愛しい人と愛しい我が子の声が、だんだん近づいて、だんだん大きくなって。
「ただいまー!」

玄関を開けたと同時に元気な我が子の声が、家中に響き渡る。

「おかえり、真王。保育園楽しかった?」
「うん!おすなであそんだ!あのね!おだんごつくったの!たくさんできたよ!」
「そっかぁ、すごいなぁ!よかったねぇ」

愛しい人によく似た我が子は、僕の出っ張った大きなおなかに、ほっぺたをそっとひっつけた。

「あかちゃん、げんき?」
「元気だよ?……ほら、わかる?赤ちゃん、蹴ってる」
「あーっ!!あし!!あかちゃんのあし!!」

僕のお腹がボコっと飛び出た部分を、その小さな手で優しく触れる。

「赤ちゃんが〝真王、おかえり〟だって」

僕の言葉に、その真っ直ぐな瞳をキラキラさせて、僕のおなかに口を近づけて言った。

「あかちゃん、ただいまーっ」

約3年前、僕は真王を産んだ。

ベータの僕は、愛しいマッドサイエンティストの実験でオメガになって、その人の子をこの身に宿して、育てて。

出産して………。

僕は、一人の子の親になったんだ。

そして、今………。

もうすぐ二人の子の親になろうとしている。








「……はく、く……!!……琥珀くんっ!!」

気がついたら。
僕の目の前には、今にも泣きそうな顔をした石神が僕の右手を握りしめて、僕を凝視していた。
体の上にのっかっている左手の感覚がいつもと違って、お腹の方に目を向けると、お腹の出っ張りが小さくなっていて………。

一気に不安が押し寄せて………。

背中が、スッと冷たくなる。

「いしがみ……さん……赤ちゃんは?………赤ちゃんはっ!?」
「先生たちが体を洗ったり、体重を測ったりしてくれてる。大丈夫。元気な男の子だったよ」


…………よかった。


無事だったんだ………でも、さ。


我が子が生まれた瞬間の記憶が一切ない。

僕、一体どうなってしまったんだろう………。

「心配した……琥珀くん………」

そう言って、石神はのしかかるように僕を抱きしめると、肩を震わせた。


………泣いてる?


顔が見えないから、よくわからないけど………。

石神は、確実に泣いてる……!!

「石神さん、何?!どうした?!僕、何かした?」
「出産中、琥珀くん血圧がものすごく上昇して、意識も混濁してて…………産んだ瞬間、血圧が急激に下がったから、意識がなくなって」

……う、わぁ、、、マジで?

石神がこんなに取り乱すのも無理はない。

僕が石神の立場でも、きっと同じになるはずだ。
僕を抱きしめる石神の腕により力が入って、その肩の震えがますます大きくなった。

「………また、大事な人を…………愛する人を失ってしまうかと思った。………俺に関わる人は、みんないなくなる。………俺が好きになった人は、みんな………職場の人が言うとおり、俺は〝死神〟なんじゃないだろうか、って」

………やばぁ…………。

リーパー石神って、あだ名……知ってたんだ。

しかも、かなり気にしてる………。

「大丈夫だから。石神さん!泣かないで!僕は大丈夫だから!」
「琥珀くん………」
「僕はいなくならないよ!!ほら、僕は生きてる、大丈夫だったでしょ?石神さんは死神じゃない!!だから………だから、そんなこと言わないで………石神さ………眞白さん」

僕の肩に顔を埋めていた眞白は、涙で真っ赤になった瞳を僕に向けた。

「………名前で、初めて呼ばれた」
「だって………僕と結婚してくれるんでしょ?」
「………琥珀くん」

僕はまだ小刻みに震える眞白の肩をそっと抱いて、例えるなら、泣きじゃくる子どもをなだめるように眞白の体を引き寄せる。

「琥珀くん、俺のそばにいて………子どもと一緒に………ずっと、そばにいて」
「もちろん。ずっと、ずっと………眞白さんの中の兄弟以上に、ずっとそばにいる」

眞白が泣きはらした顔を笑顔にして。 

僕もつられて笑顔になって。

どちらからともなく、唇を重ねる。

今までのキスとは、どこか違う。

優しくて、軽いキスなのに…………。

無理矢理、深く舌を絡めなくても、互いの気持ちや考えているコトの細部まで………。


分かる、繋がる。


なんか、もう………このままでいい。

「ねぇ、眞白さん」
「何?琥珀くん」
「子どもの名前………僕、考えたんだけど……言っていい?」
「うん、どんな名前?」
「真王って、つけようかと思って。眞白さんの眞からヒと縦棒を取った真と、僕の琥珀の琥から虎を取った王で、真王。僕たちの遺伝子を持つ、でも僕たちの完コピじゃない、足りない部分があるオリジナルな存在」

その足りない部分は眞白の中の兄弟の部分でもあり、自分で見つけて切り開いて欲しい部分でもあり。

型にはまらず、自由な意思を持って、その人生を楽しんで欲しい。

だって、そうでしょう?

平凡すぎる僕は、このまま平凡に生きて行くんだって思ってたんだ。

でも、愛しいマッドサイエンティストに出会って。

ベータからオメガになって、妊娠して出産するくらい。

人生は、予想だにしないことが起こる。

だから、しなやかに、負けることなく。

アルファでも、ベータでも、オメガでも。

その人生を、楽しく生きて欲しい。

「………すてきな、名前」

僕の意を汲むかのように、眞白は穏やかに笑って言った。

この、眞白の笑顔………僕、大好きだ。

「僕は当初の予定だと、あと1か月でベータに戻っちゃうけど………眞白さんを愛しいと思う気持ちは変わらない。眞白さんのことも、真王のことも、眞白さんの中の兄弟のことも………みんなひっくるめて………僕と一緒に、これからの人生………楽しく生きようよ、眞白さん」







それからは、とても慌ただしかった。
育児休業を取得した僕は、母親に手伝ってもらいながら、真王のお世話に追われて………。

もちろん、真王は泣くことしかできないから、なんで真王が泣いてるのか分からなくて、ヘタレな僕は、泣く真王と一緒に泣いてしまうくらい切羽詰まった時期もあったりしてさ。

親初心者の僕たちと人初心者の真王と、毎日バタバタ過ごして。

その合間に、僕と真王は実験のデータ採取をしたりして………。

真王が寝返りをしたらビックリして、ハイハイやつかまり立ちをしたら涙が出るくらい嬉しくて。

僕が作る離乳食には複雑な顔をするのに、眞白が作った離乳食は美味しそうに食べて。

あっという間に。

真王は、もうすぐ3歳になる。

そして、また僕は、眞白との子を宿した。

………まぁ、真王のスキと折を見て………。

久々のヒートに乗じて、激しくヤってしまった結果で。

でも、僕は今、すごく幸せなんだ。

「琥珀と真王のおかげで、新薬の臨床実験の認可がおりたよ」

眞白は〝リーパー石神〟から〝イケメンのイクメン〟に華麗に変身して、今、ナス味噌炒めを作りながら嬉しそうに言った。

「よかったね!結局、不妊治療の新薬で申請したの?」
「うん。不妊のオメガや女性のベータに一定の効果が見られそうなんだ。ただし、男性ベータは服用禁止にしなきゃならなくなったけどね」

死神の領域並みに天才な眞白でも、予測不可能な事態が起きた。


それは、僕。


眞白の予想では、僕は服薬してから12カ月で元のベータに戻るはずだったんだけど。
予想に反して、12カ月たっても、2年たっても僕はオメガのままで。

きっと、憶測でしかないけど。

予想外に眞白にハマった僕が、ヒートに耐えかねて、眞白と番になったせいだ。

番の繋がりは、にわかオメガの遺伝子変異でさえも凌駕する。


………それくらい、深いんだ。


だから、また、赤ちゃんを授かることができたんだ。

「琥珀………ありがとう」
「いきなり、何?」
「……俺の、家族になってくれて、ありがとう」
「どういたしまして。僕も眞白さんにお礼を言わなきゃ。毎日、幸せをありがとう」

そして、僕たちは、真王が生まれた日にしたみたいなキスをする。

「ましろー!あれ、ききたい!!あかちゃんもききたいって!!」

空間を切り裂く真王の声に、密着していた体を僕らは慌てて引き離す。

………なんだよ、これ。

新婚さんじゃあるまいし………。

でも、なんか照れる。

「僕が行くよ。眞白はご飯お願い」
「うん。わかった」

リビングのCDプレーヤーの前で、ボロボロになったCDケースを抱えた真王が、僕を見て小さな歯を見せて笑った。

「ワーキューレ!こはくもいっしょにきこう!!あかちゃんも!!」
「いいよ、赤ちゃんも真王も、好きだもんねぇ」

カラヤンのワルキューレの騎行。

ドラマチックで印象に残る、ワルキューレが軽快に響き渡る。
元々はすれ違ってる、接点すらない僕と眞白の人生が交差して、絡まって。

真王という奇跡が生まれて、そしてまた、奇跡が生まれようとしていて。

僕は真王を膝にのせて、そっと目を閉じた。

不安もないわけじゃないけど、こうしているとなんだか変に安定してきて、大丈夫って思えるんだ。

せまい、この空間に………ワルキューレが鳴り響く。
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