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王太子妃候補たちの試練
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昨日から降り出した雨は、今日も続いている。昨夜に比べて雨足は弱まったけれど、未だにしとしとと地を濡らしていた。
ルイーザは午前中に外に出され、ほかの犬と共に裏庭を見回っていた。ちょうど裏門と城を結ぶ石畳の道付近を歩いていたときに、裏門方面から調理場の下働きらしき服を身に着けた男が手押し車を押しながら城に向かうところだった。
裏門で商人から食品を受け取ったあと、食品が詰められた木箱をなるべく雨に濡らしたくなかったのだろう。重量のある荷を積んだ手押し車をガタガタと鳴らし、結構な速度で走っていた。
(使用人は大変ね……って、ええ!?)
「わっ、ご、ごめん!」
他人事のように思いながら男を眺めていると、ちょうどルイーザの前を通った時。不幸にも車輪が水溜まりに入り、泥水を盛大にルイーザに引っかけていった。使用人は謝りながらも、犬よりも荷物が優先らしく城へ向かって去っていく。
残されたのは泥に濡れたルイーザのみ。生まれてこのかた泥水なんて浴びたことがないルイーザは、瞳をぱちくりとさせて茫然としながら男性使用人を見送ることしかできなかった。
そこへたまたま通りがかったランドリーメイドが、茫然としているルイーザがあまりにも哀れだったのか綺麗に洗って泥を落としてくれたのだ。実家が犬を飼っているという彼女の指捌きは中々見事なものだった。
更には、わざわざ温風の出る魔道具まで借りてきてくれて、丁寧なブラッシングのおまけつきだ。今やルイーザの毛並みは、雨や泥水によって汚れていたのが嘘のように、ふわっふわになっている。
(元に戻ったら私の侍女にスカウトしたいくらいだわ)
もっとも、元に戻ったルイーザの全身は毛に覆われていないので彼女の指捌きが役立つかはわからないけれど。
幸い、洗い終わる頃には交代の時間になったので、今日はこの毛並みを雨に濡らす必要はなさそうだ。
犬舎に戻ると、庭に出ていない犬たちは各々の部屋で休んでいた。ルイーザの同室にも2匹ほどの犬が休んでいる。皆完全に眠っている訳ではないのだろうけれど、犬舎に入れられた犬には基本的にすることがない。
(暇ね……本でも読めたらいいんだけれど、この姿じゃ無理よね)
ルイーザは、元々読書が好きだった。異国文化に興味をもった切っ掛けが絵本だったこともあるのだけれど、知らない知識を得るという行為がそもそも好きなのだ。
自宅の書庫にある本は大抵読んだし、子供の頃から王城の一般開放されている図書館にもよく出入りしていた。
貴族の子供は、基本的に10歳になるまでは存在を伏せられる。もちろん、親戚や親しいものから「あの家に生まれたのは女児だ」とか「嫡男が生まれた」「養子をとった」などと噂は回るので完全に隠されるわけではないのだけれど。少なくとも、髪や瞳の色などの容姿は隠される。医療が発達していない、子供の生存率が低かったころの名残と言われるけれど、実際は多分誘拐防止である。
ローリング伯爵家も例外ではなかったのだけれど、ルイーザはよく父に頼み込み、使用人を付き添わせ、魔道具で瞳と髪の色を変えて裕福な平民風の装いでよく街の図書館や城の図書室に通ったのだ。
ノアに「人間であることを意識するように」と言われたこともあり、ルイーザは暇な時は昔のことを思い出すようにしている。今日は、今までどんな本を読んだとか、元の姿に戻ったら何が読みたいとか。本への思いを馳せながら、ゆっくりと目を伏せた。
いくらか時間が経った頃、犬舎に誰かが入ってくる音がした。匂いが雨に消されたために、誰が入ってきたのかはすぐにわからなかったけれど、人間が犬舎に入った時に、すぐに誰が来たのかわかった。
「やあ、皆。休んでいるときにごめんね」
ベッドに体を横たえたまま、部屋に入ってきた人たちに目をやる。思った通り、ヴィクトール王太子殿下だった。ただ、今日は少しだけ雰囲気が違う。
いつもは執務の休憩時間らしきときに一人でふらりと訪れ側近が迎えにくるまで犬を構うのだけれど、今は最初から2名の騎士を横につけている。更にその隣には、一人の令嬢と令嬢付きらしき女性が立っていた。
(シャーロットだわ)
元ルイーザの取り巻きである、伯爵令嬢だった。派閥も同じ、家格も同じなのだけれど、ルイーザの持つ教養や周りの評価が高かったために、シャーロットは取り巻きのような立ち位置になっていたのだ。
いつも夜会で見かける作り物のような笑顔で、ヴィクトールは微笑んでいる。反対に、シャーロットの表情は少し硬い。
「ず、随分立派な犬たちですね」
「ああ。立派だろう。毛並みもとてもいいんだ。
おいで、ショコラ」
普段であればヴィクトールは問答無用で犬に飛びつき触りまくるのだけれど、今は王子様スタイルを貫くようだ。ルイーザに彼の言う事を聞く義理はないのだが、一応は王族の臣下である身。この体に流れる青い血が、彼の言葉に従えと言っていた。
というのは建前で、本音をいうと、かすかにヴィクトールから美味しそうな匂いがする。言う事を聞けばおやつをもらえるかもしれないという下心だった。どうやら食べ物が絡むと、思考が犬になりやすいようだ。
ベッドから起き上がり、ヴィクトールの前に座ると、彼は屈んでゆっくりとルイーザの頭を撫でた。いつも無遠慮に毛皮を掻くように触る手つきとは大違いである。
「この子はとても人懐こくて可愛いんだ」
(懐いていないけどね)
フンと鼻を鳴らし、シャーロットの方を向く。状況から察するに、ヴィクトールが妃にする「犬好きの女性」を見極めるために呼んだのだろう。大方、彼女が犬好きだと答えたために、ここに連れてこられたのだと思われる。
(とても犬が好きそうには見えないけれど)
シャーロットは、手を胸の前で握り顔を引きつらせていた。少々哀れですらある。
ルイーザは元々、ヴィクトールの妻になりたかったわけではなく王妃になりたかったのだ。だから、ヴィクトールが他の女性を選ぼうとしている状況に特に乙女としての胸は痛まない。自分が辞退する羽目になった席に近い彼女に対して面白くないとは思うけれど。
王太子妃候補の実質辞退となってから、犬生活を送る中で考える時間だけは嫌というほどあった。最初は荒れ狂っていた気持ちも、今ではある程度割り切れるようになったのだ。
怯えながらも、恐る恐る彼女はルイーザを撫でようと手を伸ばす。そんな姿が、少し哀れにすら思えた。だから、ルイーザとしては完全に善意だったのだ。
(いいわ。同じ派閥のよしみとして触らせてあげる)
「ひぃっ」
あくまでも善意で、今日ふわふわになった毛、一番ふわふわな胸元の毛を触らせてあげようとしたのだ。クイ、と胸元を触りやすいように顎を上げた瞬間、彼女から細い悲鳴のような音が漏れて手を引っ込める。
大きな体躯の犬が突然動いたことに怯えたのか、はたまたかざした手に噛みつかれるとでも思ったのかもしれない。シャーロットはさっと顔を青ざめさせた。
「わ、私、ちょっと調子が悪いみたいで……今日は失礼いたします」
早口でそういった彼女は、すぐに踵を返すとぱたぱたと淑女らしからぬ早歩きで部屋を出ていき、付き人らしき女性がその後を追う。
(……なんなのよ! 失礼しちゃうわ!)
憮然としたルイーザと、呆気にとられたヴィクトールがその場に残された。微動だにしない騎士やこちらに興味を欠片も示さない同居犬もいたけれど。
無言の数秒が過ぎたのち、ヴィクトールが大きなため息をつく音が室内に響いた。
「あれのどこが犬好きなんだ。せっかく一番人懐っこいショコラを紹介したのに」
「お言葉ですが殿下、シャーロット嬢が飼われているのは小型犬です。突然大きな犬の前に連れてこられたら驚くのも無理はないでしょう」
「大きな犬だってこんなに可愛い」
納得がいかない様子のヴィクトールに、ついていた騎士の一人レーヴェはやれやれと首を横に振る。そんな騎士を気にする様子もないヴィクトールは、先ほどシャーロットに撫でてもらえなかったルイーザの胸元のふわふわを撫でまわした。
「ショコラ、何か今日はいつもよりもふわふわだね。
ああ、ここに顔を埋めたい……」
「わう」
(それは嫌よ)
王子様風からすっかりといつもの様子に戻ったヴィクトールは、ルイーザの首元に顔を近づけるが、なんかとても嫌だったので前足でぎゅっとヴィクトールの顔を押し返した。それすらも恍惚とした表情で受け止めるのだから、少々不気味である。
しかし、ルイーザが気になるのはそこではない。犬舎に彼がはいってきてからずっと、彼から美味しそうな匂いがしているのだ。ふんふんと鼻を鳴らし、ヴィクトールの右ポケットに長い鼻先を押し付ける。
ヴィクトールは、くすぐったそうに笑いながらポケットの中からナプキンに包まれたそれを出した。
「ははは。ショコラは鼻がいいな。何を持っているかわかっているのだな」
「わふ!」
(おいも!)
紫色の皮に包まれた、黄金に輝く芋は価格が安く貯蔵が出来、栄養価も高く美味しいという庶民に広く親しまれる食物だ。旬の時期には貴族が口にする菓子などに使用されることもあるけれど、やはり庶民が食べる野菜というイメージが強いためか身分の高い人たちからはあまり好まれていない。
伯爵令嬢のルイーザも好き好んで食べていたわけではなかったのだけれど……犬は芋が好きなのだ。犬になってから初めて食事に芋が入っていたときに、その美味しさに驚いた。素材の甘みとほくほくと蕩ける舌ざわりが素晴らしい。
「今日は嫌な思いをさせるかもしれないから、お詫びに持ってきたのだが……そんなに喜んで貰えるなら持ってきて正解だったよ」
「わふわふ!」
(まあ、おいもに免じて許してあげるわ! 痛い思いをしたわけでもないし)
太い尻尾をぶんぶんと振りながらヴィクトールの手から芋を食べる。こうしておやつを貰った日は、王太子付きの側近により何をどれだけ与えたか報告され当日や翌日の食事量が調整されるので、何も得にはならないのだけれど目の前の誘惑には抗えない。
「暫くは今日みたいに騒がしくするかもしれないけれど、協力頼んだぞ、ショコラ」
「わふん!」
(気が向いたらね!)
シャーロットは同派閥のよしみで触らせてあげようと思ったのだが、今後舌戦による牽制をしあった令嬢や因縁の令嬢がきても優しくするつもりはなかった。ルイーザはそこまで心が広くない。犬の本能のまま食べ物には釣られるかもしれないけれど。
ルイーザは午前中に外に出され、ほかの犬と共に裏庭を見回っていた。ちょうど裏門と城を結ぶ石畳の道付近を歩いていたときに、裏門方面から調理場の下働きらしき服を身に着けた男が手押し車を押しながら城に向かうところだった。
裏門で商人から食品を受け取ったあと、食品が詰められた木箱をなるべく雨に濡らしたくなかったのだろう。重量のある荷を積んだ手押し車をガタガタと鳴らし、結構な速度で走っていた。
(使用人は大変ね……って、ええ!?)
「わっ、ご、ごめん!」
他人事のように思いながら男を眺めていると、ちょうどルイーザの前を通った時。不幸にも車輪が水溜まりに入り、泥水を盛大にルイーザに引っかけていった。使用人は謝りながらも、犬よりも荷物が優先らしく城へ向かって去っていく。
残されたのは泥に濡れたルイーザのみ。生まれてこのかた泥水なんて浴びたことがないルイーザは、瞳をぱちくりとさせて茫然としながら男性使用人を見送ることしかできなかった。
そこへたまたま通りがかったランドリーメイドが、茫然としているルイーザがあまりにも哀れだったのか綺麗に洗って泥を落としてくれたのだ。実家が犬を飼っているという彼女の指捌きは中々見事なものだった。
更には、わざわざ温風の出る魔道具まで借りてきてくれて、丁寧なブラッシングのおまけつきだ。今やルイーザの毛並みは、雨や泥水によって汚れていたのが嘘のように、ふわっふわになっている。
(元に戻ったら私の侍女にスカウトしたいくらいだわ)
もっとも、元に戻ったルイーザの全身は毛に覆われていないので彼女の指捌きが役立つかはわからないけれど。
幸い、洗い終わる頃には交代の時間になったので、今日はこの毛並みを雨に濡らす必要はなさそうだ。
犬舎に戻ると、庭に出ていない犬たちは各々の部屋で休んでいた。ルイーザの同室にも2匹ほどの犬が休んでいる。皆完全に眠っている訳ではないのだろうけれど、犬舎に入れられた犬には基本的にすることがない。
(暇ね……本でも読めたらいいんだけれど、この姿じゃ無理よね)
ルイーザは、元々読書が好きだった。異国文化に興味をもった切っ掛けが絵本だったこともあるのだけれど、知らない知識を得るという行為がそもそも好きなのだ。
自宅の書庫にある本は大抵読んだし、子供の頃から王城の一般開放されている図書館にもよく出入りしていた。
貴族の子供は、基本的に10歳になるまでは存在を伏せられる。もちろん、親戚や親しいものから「あの家に生まれたのは女児だ」とか「嫡男が生まれた」「養子をとった」などと噂は回るので完全に隠されるわけではないのだけれど。少なくとも、髪や瞳の色などの容姿は隠される。医療が発達していない、子供の生存率が低かったころの名残と言われるけれど、実際は多分誘拐防止である。
ローリング伯爵家も例外ではなかったのだけれど、ルイーザはよく父に頼み込み、使用人を付き添わせ、魔道具で瞳と髪の色を変えて裕福な平民風の装いでよく街の図書館や城の図書室に通ったのだ。
ノアに「人間であることを意識するように」と言われたこともあり、ルイーザは暇な時は昔のことを思い出すようにしている。今日は、今までどんな本を読んだとか、元の姿に戻ったら何が読みたいとか。本への思いを馳せながら、ゆっくりと目を伏せた。
いくらか時間が経った頃、犬舎に誰かが入ってくる音がした。匂いが雨に消されたために、誰が入ってきたのかはすぐにわからなかったけれど、人間が犬舎に入った時に、すぐに誰が来たのかわかった。
「やあ、皆。休んでいるときにごめんね」
ベッドに体を横たえたまま、部屋に入ってきた人たちに目をやる。思った通り、ヴィクトール王太子殿下だった。ただ、今日は少しだけ雰囲気が違う。
いつもは執務の休憩時間らしきときに一人でふらりと訪れ側近が迎えにくるまで犬を構うのだけれど、今は最初から2名の騎士を横につけている。更にその隣には、一人の令嬢と令嬢付きらしき女性が立っていた。
(シャーロットだわ)
元ルイーザの取り巻きである、伯爵令嬢だった。派閥も同じ、家格も同じなのだけれど、ルイーザの持つ教養や周りの評価が高かったために、シャーロットは取り巻きのような立ち位置になっていたのだ。
いつも夜会で見かける作り物のような笑顔で、ヴィクトールは微笑んでいる。反対に、シャーロットの表情は少し硬い。
「ず、随分立派な犬たちですね」
「ああ。立派だろう。毛並みもとてもいいんだ。
おいで、ショコラ」
普段であればヴィクトールは問答無用で犬に飛びつき触りまくるのだけれど、今は王子様スタイルを貫くようだ。ルイーザに彼の言う事を聞く義理はないのだが、一応は王族の臣下である身。この体に流れる青い血が、彼の言葉に従えと言っていた。
というのは建前で、本音をいうと、かすかにヴィクトールから美味しそうな匂いがする。言う事を聞けばおやつをもらえるかもしれないという下心だった。どうやら食べ物が絡むと、思考が犬になりやすいようだ。
ベッドから起き上がり、ヴィクトールの前に座ると、彼は屈んでゆっくりとルイーザの頭を撫でた。いつも無遠慮に毛皮を掻くように触る手つきとは大違いである。
「この子はとても人懐こくて可愛いんだ」
(懐いていないけどね)
フンと鼻を鳴らし、シャーロットの方を向く。状況から察するに、ヴィクトールが妃にする「犬好きの女性」を見極めるために呼んだのだろう。大方、彼女が犬好きだと答えたために、ここに連れてこられたのだと思われる。
(とても犬が好きそうには見えないけれど)
シャーロットは、手を胸の前で握り顔を引きつらせていた。少々哀れですらある。
ルイーザは元々、ヴィクトールの妻になりたかったわけではなく王妃になりたかったのだ。だから、ヴィクトールが他の女性を選ぼうとしている状況に特に乙女としての胸は痛まない。自分が辞退する羽目になった席に近い彼女に対して面白くないとは思うけれど。
王太子妃候補の実質辞退となってから、犬生活を送る中で考える時間だけは嫌というほどあった。最初は荒れ狂っていた気持ちも、今ではある程度割り切れるようになったのだ。
怯えながらも、恐る恐る彼女はルイーザを撫でようと手を伸ばす。そんな姿が、少し哀れにすら思えた。だから、ルイーザとしては完全に善意だったのだ。
(いいわ。同じ派閥のよしみとして触らせてあげる)
「ひぃっ」
あくまでも善意で、今日ふわふわになった毛、一番ふわふわな胸元の毛を触らせてあげようとしたのだ。クイ、と胸元を触りやすいように顎を上げた瞬間、彼女から細い悲鳴のような音が漏れて手を引っ込める。
大きな体躯の犬が突然動いたことに怯えたのか、はたまたかざした手に噛みつかれるとでも思ったのかもしれない。シャーロットはさっと顔を青ざめさせた。
「わ、私、ちょっと調子が悪いみたいで……今日は失礼いたします」
早口でそういった彼女は、すぐに踵を返すとぱたぱたと淑女らしからぬ早歩きで部屋を出ていき、付き人らしき女性がその後を追う。
(……なんなのよ! 失礼しちゃうわ!)
憮然としたルイーザと、呆気にとられたヴィクトールがその場に残された。微動だにしない騎士やこちらに興味を欠片も示さない同居犬もいたけれど。
無言の数秒が過ぎたのち、ヴィクトールが大きなため息をつく音が室内に響いた。
「あれのどこが犬好きなんだ。せっかく一番人懐っこいショコラを紹介したのに」
「お言葉ですが殿下、シャーロット嬢が飼われているのは小型犬です。突然大きな犬の前に連れてこられたら驚くのも無理はないでしょう」
「大きな犬だってこんなに可愛い」
納得がいかない様子のヴィクトールに、ついていた騎士の一人レーヴェはやれやれと首を横に振る。そんな騎士を気にする様子もないヴィクトールは、先ほどシャーロットに撫でてもらえなかったルイーザの胸元のふわふわを撫でまわした。
「ショコラ、何か今日はいつもよりもふわふわだね。
ああ、ここに顔を埋めたい……」
「わう」
(それは嫌よ)
王子様風からすっかりといつもの様子に戻ったヴィクトールは、ルイーザの首元に顔を近づけるが、なんかとても嫌だったので前足でぎゅっとヴィクトールの顔を押し返した。それすらも恍惚とした表情で受け止めるのだから、少々不気味である。
しかし、ルイーザが気になるのはそこではない。犬舎に彼がはいってきてからずっと、彼から美味しそうな匂いがしているのだ。ふんふんと鼻を鳴らし、ヴィクトールの右ポケットに長い鼻先を押し付ける。
ヴィクトールは、くすぐったそうに笑いながらポケットの中からナプキンに包まれたそれを出した。
「ははは。ショコラは鼻がいいな。何を持っているかわかっているのだな」
「わふ!」
(おいも!)
紫色の皮に包まれた、黄金に輝く芋は価格が安く貯蔵が出来、栄養価も高く美味しいという庶民に広く親しまれる食物だ。旬の時期には貴族が口にする菓子などに使用されることもあるけれど、やはり庶民が食べる野菜というイメージが強いためか身分の高い人たちからはあまり好まれていない。
伯爵令嬢のルイーザも好き好んで食べていたわけではなかったのだけれど……犬は芋が好きなのだ。犬になってから初めて食事に芋が入っていたときに、その美味しさに驚いた。素材の甘みとほくほくと蕩ける舌ざわりが素晴らしい。
「今日は嫌な思いをさせるかもしれないから、お詫びに持ってきたのだが……そんなに喜んで貰えるなら持ってきて正解だったよ」
「わふわふ!」
(まあ、おいもに免じて許してあげるわ! 痛い思いをしたわけでもないし)
太い尻尾をぶんぶんと振りながらヴィクトールの手から芋を食べる。こうしておやつを貰った日は、王太子付きの側近により何をどれだけ与えたか報告され当日や翌日の食事量が調整されるので、何も得にはならないのだけれど目の前の誘惑には抗えない。
「暫くは今日みたいに騒がしくするかもしれないけれど、協力頼んだぞ、ショコラ」
「わふん!」
(気が向いたらね!)
シャーロットは同派閥のよしみで触らせてあげようと思ったのだが、今後舌戦による牽制をしあった令嬢や因縁の令嬢がきても優しくするつもりはなかった。ルイーザはそこまで心が広くない。犬の本能のまま食べ物には釣られるかもしれないけれど。
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