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 その後も、舞踏会の話や社交界の話、流行りのお菓子の話などとりとめない会話を楽しんだアリシアは、もやもやとした気持ちも少し軽くなり、城に来る前とは打って変わって明るい気持ちでローズマリーとのお茶会を終えた。
 
 城門までの送りに、王女は迎え同様マーカスを指名しようかと言ったけれど、面白がるような表情だったのでアリシアは断った。代わりに、給仕をしていたカーラがそのまま送ることになり、私室から城門までの道のりを2人で歩く。
 
「アリシアは考えすぎて空回りすることがあるから、あまり考えすぎないようにね」
 
 歩きながら、カーラが昔の口調で言う。空回りって……と少々納得できない気持ちもあるが、彼女がこちらを気遣っていることはわかるのでアリシアは頷いた。
 
「私はアリシアの事が大好きよ。ちょっと夢見がちがすぎるけれど、そういうところも可愛いもの。
 だから、アリシアはそのままでいいと思う」
 
「微妙に褒めていないと思うのだけれど……。ありがとう。私もカーラが大好きよ」
 
 話しているうちに、城門が近づいた。多分これからも、たくさん悩むだろうし暫くは初恋を忘れられず胸が痛む日々が続くとは思うけれど、こうして元気づけてくれる人がいることがアリシアは嬉しかった。
 
「アリシア! 良かった、会えた」
 
「クラウス様!?どうしてここに?」
 
 城門にほど近い所で、思わぬ人物に声をかけられた。まさかこんなところで会うとは思わず、アリシアもカーラも驚きに足を止める。
 
「熱が下がったと聞いたから公爵邸に行ったら、パトリックがアリシアは城に呼ばれたと言うから、待ってたんだ」
 
「え、兄さまずっとここで待ちぶせていたの?怖……」
 
 カーラの呟きが聞こえたクラウスはそっと彼女を睨む。クラウスはちょっと自覚があるだけに文句も言えず睨むだけに留めた。パトリックは帰りの時間は知らないというし、できるだけ早くアリシアに会いたかったのだ。
「その、きちんと話がしたかったんだ。
 邸まで送らせてくれないか?」
 
「でも……わたくし、乗ってきた馬車が待っておりますの」
 
「公爵家の馬車ならもう帰したから気にしなくても大丈夫だよ」
 
 「送らせてほしい」と言う割に他の選択肢を残していない兄に、カーラは結構引いていた。アリシアを見ると、困った様子ではありながらも慕う男性に送ると言われて、嬉しそうな、それでいてどこか寂しそうな表情をしている。それを見たカーラはアリシアに助け舟を出すことにした。
 
「アリシア、どうしても嫌なら今から殿下のところに戻って馬車を呼ぶこともできると思うけど……」
 
「ううん。大丈夫。話すのは怖いけれど……傷ついてもちゃんと現実を受け止めるわ。
 
 クラウス様……よろしくお願いいたします。」
 
「ああ、ありがとう、アリシア。
 カーラ、また今度な。たまには休暇のときは家に戻ってくるといい」
 
 どこか緊張をした表情で、2人は城門へと向かう。何故か噛み合っていない男女の背中を見送りながら、カーラは仕える王女に付き合って読書をしたときに見かけた、遠い異国の言葉を思い出した。「破れ鍋に綴じ蓋」と。
 
 
 
 
*****
 
 
 
 馬車の中を沈黙が支配している。アリシアは今までにないほどに緊張していた。取り巻きだった頃は、もっと自分を見てほしくて、─他の強気な令嬢に押され気味ではあったけれど─積極的にクラウスに話しかけていた。でも、今は何と声をかけていいのかわからない。クラウスも気まずいのは同じようで、外を見たり視線を彷徨わせたりしながら、時折何か口を開きかけては閉じるを繰り返す。車輪がカタカタと回る音だけが馬車の中に響いた。
 先に、どうにかその沈黙を破ったのはクラウスだった。
 
「その……この前の舞踏会のことだけれど。
 一緒にいた騎士は、王女殿下に紹介されたの?」
 
 何の意図があっての質問かアリシアにはわからなかったが、正直に事情─初恋を諦め婚約者探しをしていること─を言うのはなんとなく抵抗があったため、少々ぼかして答えた。
 
「はい。お兄さま以外にエスコートする人がいないとローズ……王女殿下に言ったら、たまには違う人のエスコートで出席してみたらどうかと紹介されたのです」
 
「それは……恋人候補として紹介された、とか……?」
 
「まさか!? エスコート兼護衛として、ですわ!
 どうやら護衛としての効果の方が強かったみたいですけれど……」
 
 マーカスの警戒によって、ほとんどの人が近寄ってこなかったことを思い出してアリシアは苦笑する。そして、クラウスの誤解に内心驚いていた。あんなに真面目な騎士が、恋人候補のような浮ついた存在だと思われていたなんてと、アリシアはマーカスに対して少し申し訳なさを感じてしまう。
 
「そっか……」
 
 納得したようにクラウスが呟いたあと、馬車の中には再び沈黙が落ちる。しかし、今度の沈黙はそう長くは続かなかった。クラウスは何かを決意したように、アリシアをまっすぐと見つめた。
 
「自分を飾ろうとするとまた私は空回りしてしまうと思うから、率直に言わせてほしい。
 アリシア……。その……。
 ……うちの伯爵家は、先日結んだ契約でようやく安定の目途がたったんだ」
 
「そうなんですの? おめでとうございます」
 
 アリシアも、クラウスが家のことで苦労してきた様子をずっと見てきた。当主が存命でありながら、10代で爵位を継ぐというのは異例中の異例。さらには領地経営の他に自分でいくつか事業を起こし、家の立て直しのために奔走していた。そんな努力家なところも、彼を好きになった理由の一つだ。想い人の努力が実を結んだと聞いて、嬉しくないわけがない。思わず顔を綻ばせた。
 
「あー……ごめん、結局回りくどくなってしまう。本当に言いたいのはそのことではないんだ。
 
 まだ、安定しかけた所で……決して裕福とは言えない。
 ようやく伯爵としての体裁をなんとか整えられるようになった程度だ。
 
 公爵令嬢であるアリシアを迎えるにはまだ足りないかもしれないが……。私と、結婚してくれないか?」
 
「え……その……わたくし、ですか……?
  でも、クラウス様は私との結婚を望んでいないのでは……?」

「何故?結婚して欲しくなければプロポーズなんてしない。
 私はずっと、アリシアのことが好きだった」

「先日……兄の部屋にクラウス様がいらっしゃるときに聞いてしまいました。
 クラウス様が、私との結婚の打診を断ったと……」

 アリシアの言葉を聞いて、クラウスが何やら唸りながら頭を掻く。やはり聞いてはいけないことだったのかとアリシアは不安になる。

「それは違うんだ……。爵位を継ぐときに、君と私の婚約を結んで公爵家から援助をしようかとパトリックが提案してくれたんだ。
 でも……私は、アリシアに相応しい自分になってから、ちゃんと自分で婚約を申し込みたかったからその時は断った」

 アリシアの脳は、クラウスの言葉を処理できなかった。妹のように思われていると思っていたし、最近では、クラウスにお似合いの美少女との仲を見せられた。最近はずっとそのことで悩んでいたせいもあり、喜びよりもまず、何かの間違いでは、という想いが先行してしまった。
 混乱しているアリシアの様子を見て、クラウスは正面の座席から立ちアリシアの隣に移動する。一呼吸置いたところで、膝の上にあったアリシアの手に自分の手を重ねた。
 
「本当は、アリシアが20歳になるまでに、もっと家を安定させてから伝えたかったんだけれど……。
 年々綺麗になっていく君を見て、不安になってしまった。
 
 この通り結構情けない男だけれど、君への想いは誰にも負けないから……前向きに考えてほしい」
 
 クラウスは、不安気な表情でアリシアの様子を窺っている。彼のこんな表情を見るのは初めてだ。アリシアの前ではいつでも余裕があって優しい王子様みたいな人だったから。
 ぽろり。クラウスの言っていることを理解すると同時に何か言葉にするよりも前に、アリシアの瞳から涙がこぼれる。
 
「嬉しい……とても嬉しいです……。
 クラウス様は、わたくしのことを妹のようにしか思っていないのだとばかり……」
 
「アリシアを妹みたいとは思っていない。
 たしかに初めて会った時は、幼い君をただ可愛らしく思うだけだったけれど、いつからか辛いときや自信をなくしたときはいつもアリシアに元気をもらってることに気づいた。
 それ以来ずっと、アリシアは私にとって特別な女の子だよ」

「……わたくし、何もしておりませんわ。いつも夢を見て、クラウス様にも甘えてばかりでした」

 家のことで辛いときや、自信をなくしたときに、どれほどアリシアに慰められたことか。スクールで実家の経済状況を蔑まれ落ち込んでいたときだって、アリシアはいつもと変わらず自分を慕ってくれた。そのお陰で卑屈にならずに前を向いていられた。
 元気付けられたい時は、自然と公爵邸に足が向くようになった。パトリックには、「僕に会いに来ているのかアリシアに会いに来ているのかわからない」なんて揶揄われたけれど。
 アリシアがいなければ、今頃没落しかけた家なんてさっさと捨てて、市井で平民として適当に暮らしていただろう。
 
「アリシアのおかげで今の私がいるんだ。
 だから、私はずっとアリシアの隣にいる権利がほしい」

 アリシアはクラウスの言葉を聞いて、喜びが胸に広がる。でも、まだ一点だけ気になっていることがあった。先日からずっと彼女を悩ませていた存在……自分が取り巻きであったことを自覚した少女の存在だ。
 
「ユーリ・ロット嬢のことはよろしいんですの?
 わたくし、てっきり彼女がクラウス様の想い人だと……」
 
「……誰?」
 
 可憐な少女の名前を聞いたクラウスは眉を寄せる。本当にわかっていない様子に、アリシアの頭に疑問符が浮かぶ。あの様子で、名前を聞いてもピンときていないのは予想外だった。
 
「クラウス様が舞踏会で助けた少女ですわ。先日の夜会でも踊っていた、あの可愛らしい少女……」
 
 そこまで聞いて、ようやく合点がいったようだ。その様子に、嘘は感じられなかった。
 
「街で偶然会っただけだよ。彼女、猫を助けようとして木に登って自分が降りられなくなっていたのを助けたんだ。木登りする少女なんて、誰かを彷彿とさせるだろう?だから助けた後に、思わずカーラに対するみたいに揶揄ってしまった」
 
 アリシアは彼の妹、カーラを思い浮かべた。彼女もよく木に登っていた。アリシアにも木登りを勧めては、その度にクラウスに叱られていた。もっとも、止められなくともアリシアには木に登る運動神経は備わっていないのだけれど。
 
「まさか木登りをする令嬢がカーラ以外にいるとは思わなかったから夜会で会った時は驚いたよ。
 その次にあった時に、父親以外とダンスを踊ったことがないと言っていたから踊ったのだけれど……不慣れな感じが益々カーラに似ていて微笑ましくは思ったけどそれだけだ。
 
 ……もしかして妬いてくれたの?」
 
 先ほどまでの不安気な様子はどこへやら、少し意地悪そうに笑ったクラウスに、アリシアは思わず口を尖らせる。妬いたなんてものじゃない。あまりにもお似合いだったから、傷つくのを恐れて恋心に蓋をしようとしたというのに。
 
「だって……あの夜会の日といい、舞踏会のときに助けに入った時といい、あまりにも運命的でしたわ。
 何年も傍にいたのに全く関係が進展できないわたくしなんて太刀打ちできないと思いましたの」
 
「夜会で会ったのは完全に偶然だし、舞踏会のときは……アリシアを追いかけて庭園に出たんだよ。」
 
「でも……彼女を助けた姿は、まるでヒロインを危機から救うヒーローのようで……」
 
「アリシアが令嬢たちに注意しようとしていたから、逆上されて怪我をするかもしれないと思って助けに入っただけだ。
 あの時私が助けたのは彼女じゃなくて君だよ」
 
 クラウスの言葉を聞いてアリシアは嬉しくなる。それでも、先ほどから嫉妬に対して喜びを隠さないクラウスの様子に、少々拗ねたい気持ちになった。散々悩まされたから。もっとも、勘違いしたアリシアの自業自得でもあるのだけれど。
 
「……クラウス様は意地悪ですわ。
 2人があまりにもお似合いだったから、わたくし自分の気持ちに蓋をして身を引こうと思いましたのに」
 
「私が好きなのはアリシアだ。他の誰かとお似合いだなんて言わないでおくれ。
 
 それにアリシアだって、舞踏会の日はずっとあの騎士が傍にいて……。私がどんなに嫉妬したかわかるかい?
 庭園で、それについて聞こうとしたらアリシアは騎士と逃げてしまうし。危うく決闘を申し込むところだった」
 
 クラウスだってそこそこ体格は良い方だけれど、マーカスは騎士の中でも更に鍛え抜かれた体つきをしている。そんな彼に決闘を申し込むところを想像して、アリシアはくすくすと笑ってしまった。
 
「……今無謀な奴だと思っただろう?
 アリシアを娶るために公爵閣下すら驚く速さで家を建て直した私の執念深さを舐めないでくれよ。
 多分、アリシアのためなら倍くらいの実力差があっても勝てると思う」
 
 拗ねた演技で言い募るクラウスの様子がおかしくて、アリシアは笑いが止まらなくなる。そんな時、アリシアの頬にクラウスの手がそっと添えられる。
 思い込みが激しいとか、鈍いとか、周りが見えていないと兄やローズから度々揶揄われるアリシアでも、今のクラウスの瞳に熱がこもっているのがわかった。
 顔を見ているのがなんだか恥ずかしくて、思わず瞳を閉じると、顔の前に影が落ちてくる。互いの吐息が感じられるほど、2人の距離が縮んだ。
 
 
 
「はい、そこまで」
 
「お兄さま!?」
 
 思わぬ人の登場に、2人は慌てて距離を取る。開いた馬車の窓からパトリックが笑顔で顔を覗かせていた。
 窓のそとの景色に目を向けると、そこは既に公爵邸の目の前だった。兄の後ろには、伯爵家の御者が気まずそうに立っている。お互い、完全に周りが見えていなかった。未婚の男女2人で乗っているため、やましいことはしていない証明を兼ねて馬車の窓は全開にしていたのだ。
 
「声をかけても出てこないと御者が困って呼びにきたんだよ。
 その様子だと、2人とも馬車が止まったことにすら気が付かなかったみたいだね」
 
 盛り上がって口づけしようとしているところを見られたのだ。恥ずかしくないわけがない。気まずくなって、2人揃ってパトリックから目を逸らす。
 
「先ほど父上が帰ってきた。その様子だと、報告したいこともあるだろう?
 とりあえず二人とも早く家に上がりなさい」

 既にどういう形で落ち着いたのか察しているパトリックが呆れた顔で家の中へと促す。アリシアとクラウスは、照れくささに頬を染めながら目を合わせて笑いあった。
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