田村涼は異世界で物乞いを始めた。

イペンシ・ノキマ

文字の大きさ
上 下
90 / 125

89,胸を撫で下ろす。

しおりを挟む
 
食事を終えるころには、すでに陽は暮れていた。
 涼はアニーの片づけを手伝い、食後に紅茶をご馳走になって、荷物をまとめ始める。
 もう少しアニーと話をしたかったけれど、“一緒に夕食を取る”という用事はすでに済んでいる。これ以上いるのは、国民に大人気のこの絶世の美少女にとっては、迷惑かも知れない。

 しかも、セレスティアル大聖堂でのあの式典を見た後なのだ。
 公務で彼女は忙しくなるだろうし、多くの貴族が言い寄るのも目に見ている。
 “もしかしたらアニーさんとふたりで食事をするのはこれが最後かもしれない”とさえ、涼は思っていた。

 「あ、あの……」
 と、玄関を出たところで、涼は言う。
 “また食事に誘ってください”と言いたいが、その言葉が、喉から出てこない。
 ほんの短いフレーズなのに、汗ばかりが額から流れてくる。
 自分でも、なぜこんなに緊張するのだろう、とすら思う。
 「あ、あの、ほんとうに、ほんとうに、多分、迷惑だとは思うのですが、……それに、おれなんかが言うのは失礼かもしれませんが……」
 ここまで言っても、涼は“また食事に誘ってください”の一言が、どうしても口に出来ない。
 それで、
 「……少し歩きませんか」
 と、ようやく、そう言葉を絞り出す。


 アニーの家を出たフィヨル広原の夜景は、遠い街の明かりのほかは特に明るいものもない。
 オーヴェルニュのひんやりとした冬の空気が広がっているだけで、人や動物の気配もしなかった。

 アニーと無言で草原の散歩道を歩きながら、涼は改めて“なぜこれまでアニーが自分に構ってくれたのか”不思議に感じていた。

 ”チート“能力があるだけで、自分にはなんら特別なものはない。
 アニーのように持って産まれた美貌もなければ、優れた冒険者のように勇ましいわけでもない。
 もともとの自分は、ただの高校生であり、平凡な人間に過ぎない。多分アニーも、長い付き合いのなかでそのことが分かってきているだろう。

 でも……、
 と涼は思う。
 会えなくなるのは、すごく寂しい。

 (自分はアニーさんのことが好きなんだな……)

 と、そのときやっと、涼はこの感情を正面から自覚したのだった。
 
 「あの」
 と、そのとき無言を破ったのは、アニーの方だった。
 「もし良かったら、手を繋いで歩きませんか」
 「お、俺で良かったら!」
 涼はそう答えるが、思わず声が、裏返る。
 そっと手を差し出すと、アニーがそれを柔らかく握り返した。
 心臓が高く跳ね上がり、いつもよりもずっと身体が硬直する。
 
 無言を乗り越えて喋ってくれたのだ。
 今度は自分が勇気を出してなにかを言う番だった。
 「……また食事に呼んでくれませんか」
 やっと、その言葉が言えた。
 「……喜んで」
 「食事だけじゃなくて、もっと一緒にいたいです」
 「……私も、もっといろいろ一緒にしたいです」
 「アニーさんは忙しくなるでしょうし、自分に構っている時間なんてないでしょうが……」
 「……涼さんこそ、私を気に掛けている時間なんてないのではないでしょうか……」

 “好きです”と伝えたら、迷惑になるだろうかと涼は思う。
 でもせめて、自分はもっとアニーと一緒にいたいと誠意を持って伝えたかった。

 「自分は……、多分今よりももっと忙しくなるし、時間も取れなくなるとは思います。でも、アニーさんと一緒に過ごすこの時間がし、大切です。どんなに時間がなくても、呼ばれれば、必ず時間を空けて、会いに来ます」
 「私も……」と、アニーが話し出す。「公務に正式に復帰したので時間はないですし、忙しいとも思いますが、……涼さんと過ごす時間が、なによりし、私には必要です。私も、どれだけ時間がなくても、必ず時間を空けますから、どうか、どうかまた、夕飯を食べに来てください。お願いします……!」

 ふたりでなにを恐縮し合っているのだろうと、そのとき、ふいに二人は笑い合う。
 それまでずっとわだかまっていたものが、急にほぐれたようだった。
 
「では、また食事会をするということでよろしいでしょうか」
 と、アニーが微笑みながら言い、
 「そうですね。……ぜひ、また」
 と、涼が微笑みをアニーに向ける。

 今やふたりは、向かい合って両手で手を繋いでいた。

 前進したのか、もとの位置に戻ったのか。
 少なくともふたりは、自分の不安が和らいだように感じ、ほっと胸を撫で下ろしていた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります

内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品] 冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた! 物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。 職人ギルドから追放された美少女ソフィア。 逃亡中の魔法使いノエル。 騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。 彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。 カクヨムにて完結済み。 ( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )

Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!

仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。 しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。 そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。 一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった! これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!

高身長お姉さん達に囲まれてると思ったらここは貞操逆転世界でした。〜どうやら元の世界には帰れないので、今を謳歌しようと思います〜

水国 水
恋愛
ある日、阿宮 海(あみや かい)はバイト先から自転車で家へ帰っていた。 その時、快晴で雲一つ無い空が急変し、突如、周囲に濃い霧に包まれる。 危険を感じた阿宮は自転車を押して帰ることにした。そして徒歩で歩き、喉も乾いてきた時、運良く喫茶店の看板を発見する。 彼は霧が晴れるまでそこで休憩しようと思い、扉を開く。そこには女性の店員が一人居るだけだった。 初めは男装だと考えていた女性の店員、阿宮と会話していくうちに彼が男性だということに気がついた。そして同時に阿宮も世界の常識がおかしいことに気がつく。 そして話していくうちに貞操逆転世界へ転移してしまったことを知る。 警察へ連れて行かれ、戸籍がないことも発覚し、家もない状況。先が不安ではあるが、戻れないだろうと考え新たな世界で生きていくことを決意した。 これはひょんなことから貞操逆転世界に転移してしまった阿宮が高身長女子と関わり、関係を深めながら貞操逆転世界を謳歌する話。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

Sランクパーティを引退したおっさんは故郷でスローライフがしたい。~王都に残した仲間が事あるごとに呼び出してくる~

味のないお茶
ファンタジー
Sランクパーティのリーダーだったベルフォードは、冒険者歴二十年のベテランだった。 しかし、加齢による衰えを感じていた彼は後人に愛弟子のエリックを指名し一年間見守っていた。 彼のリーダー能力に安心したベルフォードは、冒険者家業の引退を決意する。 故郷に帰ってゆっくりと日々を過しながら、剣術道場を開いて結婚相手を探そう。 そう考えていたベルフォードだったが、周りは彼をほっておいてはくれなかった。 これはスローライフがしたい凄腕のおっさんと、彼を慕う人達が織り成す物語。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

処理中です...