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76,フレッシャー商会の内情。

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 ※今回はフレッシャー商会の商会長であるセオドア・フレッシャー目線の話です。

 「例の湖の件、どうなっている」
 閉ざされた密室の商会室で、私は副商会長であるハロルドにそう尋ねる。
 「は。現在治癒士のムッサを潜り込ませ、湖の周辺を見張らせております」
 「なにか問題は起こってはいないだろうな」
 「今のところ問題はありません。……汚染された湖が原因で村民たちに病が広がったようですが、幸いなことに、彼らは全員”沈黙の呪縛“に感染し、誰もなにも話せない状況となっています。悲惨な状況ではありますが、我々にとっては、好都合かと」
 「”沈黙の呪縛“か……。あれは巷では老人病で治せないということになっている。……治癒されて、村民がなにか我々に不都合なことを話し出す恐れはないだろうな?」

 フレッシャー商会の造る“魔力抑制剤”は、本来、ダークヴァインという素材を無毒化して用いる。
 だが、長い経営のなかでこの工程は徐々に粗雑になり、いつしか莫大な数の粗悪品が精製されるようになった。
 商会の立て直しの為に、特に品質の悪い粗悪品を集め、それを街の外れの湖に大量廃棄させたのが、つい二か月前のことだ。
 父から受け継いだこの商会を建て直す為に行った突然の改善策だったが、どうにか大ごとにならずに済みそうだ。

 「村民が治療を受けて再び話し出す恐れはまずないでしょう。”沈黙の呪縛“は完全治癒はおろか、再び話し出すレベルにまで快復した例はまずありません。……治癒院が若い治癒士を派遣しておるようですが、治療としてはなんの効果も見られない、というのが現状のようです」
 「なら安心か……」
 と、私はほっと胸を撫で下ろす。
 「それに」とハロルドは続ける。「いざとなればムッサに命じて村民を皆殺しにしてしまえば済みます。山賊に襲われたとか、魔獣が攻めて来たとか言えば、言い訳はいくらでも後付け出来るでしょう」
 「そうか」と、私は呟く。
 そこまでのことは出来ればしたくはないが、しかし、いざとなればそれも致し方あるまい……。
 「ムッサはそれなりに戦闘力が強いんだったかな?」と、私はふと、そう確認をする。
 「ええ。治癒士としては一級ですし、攻撃面の聖魔術もいくつか扱えます。その辺の冒険者であれば、まず彼には敵わないでしょう」
 

 ◇◇


 私たちは狭い商会長室を出て、工場の作業場へと移動する。
 作業場では大勢の従業員が黙々と仕事をしていた。

 この商会を創業した父が亡くなったのが、つい半年前のことだ。突然のことで戸惑ったが、この大企業を継続させるには戸惑っているような時間などなかった。とにかく多少の粗さはあっても、無理やりにでも会社を回さなくてはならなかった。

 しかし商会長に就任してみて驚いたのは、長く続いたこの商会の凄まじいまでの腐敗だった。
 薬品の多くはその精製過程が雑になり、特に”魔力抑制剤“については原材料のダークヴァインの毒性を除去し切らないまま扱うようになっていた。”沈黙の呪縛“が流行り出したのも恐らくはこの薬品が原因だが、そうと分かっていても、会社がこの薬品を造ることを止めることが出来ない。この薬品の問題が公になれば、商会の仕事すべてが共倒れに消えてなくなる恐れがあり、そうなれば、従業員全員が路頭に迷う。私にその選択は取れなかった。出来たのは、企業を存続させる代わりに、汚職を徹底的に隠ぺいすることだ。

 「どうにかこの窮地を脱せるでしょうか」
 隣に立つハロルドが言う。
 「さあなあ。……この商会は、あまりにも問題が多すぎる」
 「……どこからこれほどに経営が悪化したのでしょうね」
 「長期間に渡る腐敗……それに、決定打になったのは、例の美容液が巷に出てからだ」
 「例の美容液……。ロジャー商会が出したR.Tとかいうブランドの美容液ですね?」
 「そうだ。おかげで美容液業界における我々の地位は地に落ちてしまった。……だが、我々にはまだアルコール飲料の売り上げがある。それがあれば、なんとか生き残ってはいけるだろう」

 フレッシャー商会の業種は多岐に渡る。
 そのなかでも特にこの企業の業績を支えているのが、美容品とアルコール飲料の二つ柱だ。
 ロジャー商会の出現によって美容品業界では完全にフレッシャー商会の製品は売れなくなったが、アルコール業界にはまだ盤石の礎がある。そこさえ崩れなければ、時間は掛かるがこの商会は再建できるだろう。いや、しなくてはならない……。

 「しかし、ロジャー商会の連中、余計なことをしてくれましたね」
 「まったくだ。しかし、なぜあれほど高品質の美容液を開発できたのか、さっぱりわからん……」
 「あれはこの世界の基準からは飛びぬけて高品質ですよ。人間に造れるものとは思えません」
 「まさか、魔族とでも契約しているのだろうか?」
 「どうでしょうね。ただ、そうだと言われても、私はまったく驚きませんがね」
 
 魔族か……。もう長いあいだ人類は魔族と遭遇していないが、知能の高い魔族が大企業のトップと裏で繋がっていたという事態は、考えられない話ではない。
 いずれにしてもあの化粧品は造り方がまったくわかないほど、あまりにも品質が飛びぬけている。
 
 「……ところで、そのロジャー商会、この国から階級を無くす、などとほざいているそうですな」
 「階級を、無くす、だと?」
 「ええ」と、ハロルドが頷く。「階級などという古い体制は辞めて、みなが平等な社会を築こうというのです。その手始めとして、第四階級の者をロジャー商会の工場で雇い出したそうです」
 「馬鹿な。第四階級の奴らは使い物にならないゴミだ。あいつらを雇うなど、頭がどうにかしているのか?」
 「私もそう思います。ですが……」
 ハロルドは一呼吸置いて続ける。
 「その工場で造られたのが、例の“セーター”なるものです」
 「あの爆発的にヒットした衣類か?」
 ハロルドは憎々し気に首を振り、言った。「そうです」
 
 なにかが変わり始めているのだろうか。
 私の知らないどこかでこの世界を大きく変えるような出来事があり、そこを中心に、この世界は変容しつつあるのだろうか……。
 もしそうだとすれば、私たちは今や“旧体制”側の人間なのかもしれない。新しい体制を築く者たちに駆逐され、追いやられ、殲滅される立場なのかもしれない。そんな恐れが、じわりとした汗になって、額に浮かぶ。

 そのときのことだ。

 「……なんだ」
 と、ハロルドが振り返る。
 そこには一人の伝令が立っていた。
 「ふむ、……なるほど。わかった」
 ハロルドがそう答えると、伝令は間もなく姿を消した。
 「どうした。なにかあったか」
 「……ムッサからの伝言です」 
 「なんと言っている……? 」
 「村人全員の“沈黙の呪縛”が何者かに治癒されたそうです。今、村長の証言をもとに、その何者かが湖を調査している、とのことです」
 さっきと同じ種類の嫌な汗が、どっと全身に噴き出る。
 「……始末させろ」
 そう命じると、私は怒りのあまり、目の前にあった鉄の柵を思いきり足で蹴った。


 
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