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28,エレノアの過去。

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 通称“第二の門”をくぐり、その先のフィールドまで冒険に出ることが通例となっていた。
 この日も、俺はエレノアを連れ立って、コボルトとオークで構成された群れを討伐する為にエボル洞穴に来ていた。
 
 洞穴の入り口付近で野営していたときのことだ。

 「涼。たまにはお互いの過去について話さないか」

 エレノアは突然、そんなことを口にした。
 夕餉を共にしたあと、森の奥で焚火の火を囲んでのことである。

 「過去、ですか……。そうですね……」
 幾度目かの冒険の際に、自分が“彼方人”であることはエレノアには打ち明けてある。
 彼女が“過去の話”と言ったのは、そんな俺の出自のことが念頭にあったのかもしれない。
 
 「正直に言うと……、それなりに上手く行っている人生だったんです。仲間にも家族にも恵まれていたし、生活も充実していました」
 「なんとなく、それはわかる。お前は親に愛された者の性格をしているよ」
 「でも、それだけに、失ったショックが大きいんです。今でも立ち直れているかわからない。元の世界に戻れる手立てがあるのなら、その方法を探したい」
 「こっちの世界には、まだ慣れないか? 」
 「慣れた、と言えるのかもしれません。でも、やっぱり、家族や仲間にはもう一度会いたい」
 エレノアはなにも言わず、いかにも“お前の気持ちはわかる”とでも言いたげに、目を細めて俺を見ていた。
 「それに、こっちの世界で失った仲間もいます。同じ第四階級の人間で、名前はゴーゴと言うんです。俺より遥かに若かった。でも、死んでしまった。……こっちの世界に来てから、俺は失ってばっかりです」
 「そうか……」

 エレノアがそう言うと、俺たちのあいだに長い沈黙が挟まった。
 時折火のなかで爆ぜる音だけが、森の深い静寂を破り、あとはかすかに悲しみを帯びた静けさだけが森を包んでいた。

 「……私と、姉のセシリアは両親を亡くしているんだ」
 
 と、エレノアが口を開いたのはそのときのことだ。

 「それは、いつごろのことですか……? 」
 「私たちが十三歳のときのことだ。両親は急死だった。まずは父親が病に倒れ、その後、一週間も経たないうちに、今度は母親が亡くなった」
 「それは、暗殺とか、そういう話ですか……? 」
 「さあな」と、エレノアは首を振る。「あとになってみればそうと疑えなくもないが、今のところ、二人とも病に罹ったのだと思っている。……当時は必死だった。ローゼ家は弟のロッシが引き継いだけれど、同時に誰かがローゼ商会をまとめなくてはならなかった。仮に暗殺だったとしても、それを疑っている暇さえなかったんだ」
 「ローゼ商会……。両親は商会を運営されていたのですか? 」
 「ああ。それなりに大きな商会だった。今では姉が引き継いでいるよ。……姉にはまったく、あらゆることで世話になった。姉は認めてくれないが、私としては彼女は母親代わりだったと思っているよ」

 エレノアはそれから、十四歳になったときに受けた“成人の儀”について話し始めた。

 「私と姉は十四歳になり、成人の儀を受けに教会へ行った。姉は両親と同じ”神官“の職業を得た。第一階級の、上級職だ。……問題は私だった」
 「どんな職業の判定が出たのですか? 」
 「……魔術師とシャドウマンサーだ。前にも言ったが、ふたつの職業の適性が表示されたんだ。教会では大騒ぎだった。数百年に一度の天才だとも言われたよ。こんな判定が下されたのはかつてない、ってな」

 そう言うと、エレノアはどこか自嘲気味に、ふっと笑い森の奥へと視線を向けるのだった。

 
 ふたつの職業が、ひとり人間に割り振られる。それはこの世界では前代未聞のこと、なのだと言う。
 ……だが、それがエレノアにとって幸福なことだったかと言うと、そうでもなかったらしい。

 その後エレノアは認定に従って冒険者になったが、簡単には上手く行かなかった。
 ふたつの職業が自分の体内で拮抗し、どちらの職業のスキルもなかなかうまく扱えるようにはならなかった。
 おまけに、彼女は莫大な魔力量を持って産まれ、それが余計に彼女の魔力コントロールを難しくしていたのだ。


 「……始まりが良かっただけに、そのあとの苦労は私を大いに悩ませた。それに、周囲の嫉妬も激しかった。同世代の冒険者はことごとく私を敵視していた。なにせ、“ふたつの職業を認定された世界初の冒険者”、というフレコミでデビューしたんだ。国中の脚光を独り占めする私を快く思わない連中も少なくはなかった」
 「……その時期、エレノアさんは、苦労したんですね」
 「……苦労したなんてものじゃなかった。正直に言って、命の危険を感じるほど過酷なものだった」
 「そんなにも、ですか?? 」
 「ああ。……当時はどこにも味方がいなかった。両親は亡くなり、頼りの姉は商会の仕事に忙殺され、弟は家を引き継ぐのに忙しかった。同じ冒険者たちは私を敵視し、頼れる知人もいなかった。……私は極めて孤独だった、と言えると思う。フードを深く被り、誰とも口を利かないよう努めた」
 エレノアは過去を思い返すような目で、焚火の火を見つめている。
 「そんな日々が続いたある日のことだ。……私は臨時で組んだパーティーでとある洞穴に来ていた。それは垂直方向に延びる縦型の洞穴で、入り口から徐々に下降していく算段になっていた。ところが……」
 と、エレノアはそこで一旦、言葉を切る。
 「その入り口で、仲間であったはずのパーティーメンバーに、洞窟の底へ蹴り落とされたんだ。……私は真っ逆さまに底へと落下した。幸い、洞穴の底には長年蓄えられた枯れ葉が蓄積していてダメージはなかった。だが……」

 、とエレノアは言った。

 「誰かに蹴られたというより、“この世界そのもの”に後ろから蹴っ飛ばされた気がしたよ」
 「その気持ち、俺にもわかります」
 「……私はしばらくそこから動けなかった。だが、困難はそれでは終わらなかった。洞窟内には当然、魔獣たちが棲息している。おまけにそこは、ダンジョンの最奥だった」
 「魔獣の群れに、囲まれたのですか? 」
 「囲まれたよ。コボルトとオークの群れにな。……私は魔術を使って戦闘を始めたが、敵の群れはいつ尽きるとも知れなかった。幸いだった、と言うべきなのか、私はそこで”魔術のコントロールの仕方”を強制的に身体に教え込むことになる。それまで出来なかった“魔力を節約しながら戦う”という戦法でしか、その窮地を乗り切る手立てはなかったんだ」
 「無事に、その洞穴からは出られたのですね? 」
 「出られたさ。だが、洞穴を出るころには七日が過ぎていた。ぎりぎりの体力と、死の瀬戸際で掴んだ“魔力コントロールのコツ”のようものを携えてね。……私はなんとか生き延びることに成功したが、今でも、あのときに出来た心の傷が癒えたとは言えない」
 「……エレノアさんを蹴り落とした冒険者たちは、どうしたのですか? 」
 「成敗したよ」と、エレノアはにやりと笑って、言う。「街に戻り、奴らを探し、一人ずつ懲らしめた。ギルドにも報告し、冒険者資格を剥奪させた。……今ではどこで何をしているかは知らん。興味もない。……だが、そうやって復讐しても、私はあのトラウマから救われはしなかった。その洞穴の周囲には、その後も一歩も近づくことが出来なかったんだ」

 その洞穴の底に、当時気に入っていた安物の腕輪を落してしまい、それを拾いに行きたかったんだがな、とエレノアは笑いながら口にする。

 「……この話は、姉のセシリアにもしたことがない」と、エレノアは言う。
 「そんな話を、なぜ俺に……? 」
 「さあな。なぜかお前にはいろいろと打ち明けてしまう。境遇が近いせいもあるだろう。お前にも多少は思い当たるところがあるのではないか? 」
 「境遇が近いと言えるかはわかりませんが、“この世界そのものに蹴っ飛ばされる気持ち”なら、多少はわかります。俺も何度か、この世界には蹴っ飛ばされているので」

 軽いジョークのつもりでそう言ったのだが、エレノアの受け取り方はそうではなかった。
 それまで森の深部へ向けていた目を真っ直ぐ俺の瞳へと向け、しばらくその姿勢のまま俺を凝視する。
 それから、エレノアは熱い声でこんなことを口にした。

 「こっちの世界に来てから自分は失ってばかりだ、と言ったな」
 「ええ、言いましたが……」
 「私のことはどう思う? 仲間だとは思わないか? 」
 「それはもちろん、尊敬する師匠であり、大事なパーティーの仲間だとも思っています……」
 「お前は失うものも多かったが、得るものもあったのではないか? 」
 「それは……」と、俺がその言葉にハッとすると、

 「涼。彼方人であるお前はこの世界で激しい孤独感を感じているかもしれない。……だが、いいか、私は決してお前を独りきりに置き去りにしたりはしない。この世界のすべての人間がお前を敵に回しても、私だけはお前の傍にいてお前の味方をすると約束しよう。それが、一度引き受けたお前の師匠としての役目だ。……私はそう思う」

 だからそんなに寂しそうな顔をしないで、黙って私について来い、と微笑みとともにエレノアはそう付け足した。

 「エレノアさん……。そう言っていただけると、俺、嬉しいです」
 「さあ、もう行くぞ。コボルトたちの警戒も解けた頃だ。洞穴内の様子を覗きに行こうじゃないか」

 フードを目深に被り、そう言いながら俺の背中にそっと手を添えるエレノアの手に、俺はこれまでよりも一層深くなった、彼女の強い信頼を感じるのだった。


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