田村涼は異世界で物乞いを始めた。

イペンシ・ノキマ

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18,その事故にさえ感謝してしまいそうなのです。

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 「“至高の美食会”との顔合わせは、無事に終わりましたね」

 ホテルを出た後、俺はアニーとパルサーの三人で街の居酒屋に来ていた。テーブルの上には庶民的なつまみがいくつかと、それぞれの頼んだエールが置かれている。

 「貴族のなかでもトップにおられる方々ですから、なにか差別の目を向けられるかと思いましたが、杞憂で終わりましたね」
 と、アニーがほっと胸を撫で下ろして言う。
 「俺もホッとしました。正直に言って、差別とは無縁の方々という印象を持ちました」
 「彼らは多分、君を“職人”として見ているんだろう」とパルサーが言った。
 「職人、ですか? 」
 こくりと頷き、パルサーが続ける。
 「美味しいジュースを造ってくれる職人だよ。彼らは美味しいものを造れる者に最大限の敬意を持っている。だから、君の階級のことも、気に掛けなかったんだろう」
 「じゃあ、別の会い方をしていたら、まったく違う態度を取られた可能性もあるのですか? 」
 「あるだろうね」と、パルサーがあっさりと、断言する。「それが貴族社会というものだ。この国では階級からは誰も逃れらないよ」
 「それにしても、“至高の美食会”の方々、改めて涼さんの造ったジュースに感動していましたね」
 と、アニーが自分のことのように嬉しそうに笑って言う。
 「まったくだ」と、パルサーが頷く。「僕も一口飲ませてもらったが、あれほど美味しいジュースは飲んだことがない。おまけに、体力と魔術の快復効果まであるのだろう? ほとんどA級の品物と言えるアイテムだよ」
 「私は飲むのは二度目ですけど、やっぱり、とっても美味しくって、感動してしまいました。……ところで、涼さんはコーラルハーバーの出身だったのですね。初耳でした。どういった経緯でこのオーヴェルニュの国にやってきたのですか? 」
 「それについてですが……」
 と、俺は言葉に詰まり、半ばしどろもどろになりながら言った。
 「コーラルハーバーの出身だというのは、嘘なのです」
 「嘘、ですか……? 」と、アニーが不思議そうに目を丸くさせ、俺を見据える。
 「そうです、仕方なく、嘘をついてしまいました……」
 俺がそう答えると、アニーはますます当惑し、その大きな瞳のうえで、柔らかな眉が困った形になった。

 「涼くん、君は“彼方人”なのではないか……? 」
 
 声を静めてパルサーがそう言ったのが、そのときのことだった。

 「彼方人……? 」
 と、初めて聞いた言葉に、思わず俺が、そう聞き返す。
 するとパルサーはゆっくりと頷き、
 「この世界にはごく稀に、別世界から人がやってくることがある。彼らは一様にして、なにか特殊な才能に恵まれている。この世界の三千年の歴史のなかでも、彼方人だと言われているのはごく僅かにしかいないが、彼らは決まって大きな業績を残している。“彼方人”。異世界からやって来た人間を総称してそう呼ぶんだ。……君はもしかしたら、その“彼方人”なのではないか? 」

 驚きだった。
 パルサーはなにかと気の利く人間だとは思っていたが、こうも勘が鋭いとは思わなかった。
 しかし、この二人に自分が異世界から来た人間であることを打ち明けて良いものだろうか。
 そんな逡巡が一瞬浮かんだが、

 「実は、そうなのです」
 
 と、俺は思い切って打ち明けた。

 するとアニーの顔に驚きの色が広がり、パルサーはやはりと言った様子で頷いた。

 「この世界にやってきたのはある事故がきっかけで、その事故の衝撃で、こちらの世界に飛ばされてきたのです」
 「彼方人に直接会うのは初めてだが」と、パルサーがまじまじと俺を見ながら言った。「道理で君はいろいろと規格外なはずだ。……彼方人に会えて光栄だよ。改めて、君に会えてよかった」
 「俺もパルサーさんと会えて光栄です。それに、先程はセシリアさんに俺のバックフラッシュ癖について話してくれてありがとうございます。パルサーさんは、その為に着いて来てくれたのですね。いつもいろいろと気を回してくれて、感謝しています」

 と、パルサーとふたりで親睦が深まるのを感じていたのだが、

 「事故、とおっしゃいましたか」

 と、俺たちのやり取りに冷たい氷を置くかのように、アニーがぽつりとそう言った。

 「ええ。そう言いましたが……」
 「その事故は、大きいものだったのですか……? 」
 「……そうですね。大きいと言えば、大きいものでした」
 「身体に大きな傷を負ってしまうほどの、大きな事故だったのですか? 」
 アニーは今やはっきりと悲しげな顔を浮かべて、俺を真っ直ぐ見据えていた。
 それからこう続けた。
 「彼方人は死によってこの世界にやってくる。そういった伝承を聞いたことがあります。涼さんがこの世界にやってきたときも、もとの世界では死に至るほどの大きな事故に合ったのではありませんか……? 」

 実はその通りだった。
 前の世界で事故に合ったとき、俺はその事故によって命を落としているのだ。

 「……その通りです」 
 と俺が言ったそのとき、アニーの真っ青な瞳から真珠のような大粒の涙が溢れ、それが頬を伝った。
 
 しかし、本人に泣いている自覚はなかったのか、彼女は急にハッとした表情を浮かべ、

 「あれ……? 私……? 」

 と言って涙を流す自分に驚いている。そして驚いたあとも、溢れ出した涙は留まることを知らず、次々と彼女の頬を流れてゆく。

 「アニーさん」
 と、俺は自分の為に泣いてくれる彼女に心打たれ、こう言った。
 「この世界に来るとき、もとの世界で事故に会って死んでしまったのは確かです。確かに始めはショックでした。でも今は、それほど悲しくはありません。パルサーさんやヒュデル、ツルゲーネやほかに多くの友人たちが、今では俺のことを仲間と認めてくれている。……それになにより、俺はあなたに会えたことがとても嬉しい」
 アニーは溢れる涙を子供のように手で拭い、こくこくと、頷いている。
 「ですから、あの事故はもう俺にとって哀しいものではないのです」
 と、俺は言った。
 「そう思わせてくれたのは、アニーさん。あなたのおかげなのです」


 アニーはそのあともしばらくは涙を流し続けていた。その涙が悲しみの為だったのか、俺の言葉が上手く彼女の胸に届いたからかは、わからない。
 ただ彼女は、まるで童話に出てくる美しい王女のようなその顔を真っ赤にし、とめどなく涙を零しながらこう言ってくれたのだった。

 「私こそ、涼さんに会えて嬉しい。……でも、私は聖女としては失格かもしれません。涼さんが事故に合われたことは悲しいことなのに、その事故のおかげで涼さんに会えたのですから、私はその事故にさえ感謝してしまいそうなのです……」


 そう零しながら涙を流すアニーの姿は、あまりにも美しかった。これほどの絶世の美女が、俺の身体のことを心配してくれて頬を涙で濡らしてくれている――そのことが、今更ながら、俺にとってはまるで夢のような出来事なのだった。




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