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9,友情と呼ぶにはいささか熱が籠り過ぎている。
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その日はオーヴェルニュの街全体が小春日和に包まれていた。
アニーの母親の生家があるフィヨル広原も春にしか咲かないミッヒュの花が咲き乱れている。
広原にはサンドウィッチや軽食を持った街の住民が腰を下ろし、この暖かな陽気を楽しんでいる。
そんな平和に満ちた広原の景色に、似つかわしくないどたどたとした足取りでひとりの貴族が走り抜けて行ったのが、まだ午後も早い一時半のことだった。
「突然の訪問、失礼致します。あなたが聖女であるアニー様でございますでしょうか」
庭先で花の手入れをしていたアニーにその貴族が口にしたのは、そんな一言だった。
「ええ……、私がアニーですが、……なにか? 」
すると、その貴族は広原の草むらに膝を付き、またしても意外なことに、こう叫んだのだった。
「申し訳ありませんが、この快復薬のレシピを教えては頂けませんでしょうか! 」
と、そう跪いた貴族の手には、涼がアニーの生家で開けたあの見覚えのある自家製ジュースの瓶が握られていたのだった。
「これは……私が涼さんから頂いた、あのジュースではありませんか。いったい、なにが起こっているんです……? 」
……遡ること二週間前、その日、涼はアニーの母親の生家にジュースを二本持って行きディナーを楽しんでいた。
自家製のジュースが入ったその瓶の一本を夕食のときに開け、余ったもう一本は、プレゼントとして机の上に置いて来た。
その後、封の開けていないその瓶を、アニーは自分の所属する教会へと持ち帰った。
味が美味しいからと、アニーはそのジュースを仲間に薦め、とある同僚の女性に飲ませた。
女性は初めて飲むそのジュースの味に驚き、「美味しい、美味しすぎる……! 」と言って慎重にジュースを口に運んだ。
問題は、その女性がある貴族の集団と繋がりを持っていたことだった。
その集団とは、通称“至高の美食会”と呼ばれる一団で、彼らはこの国の美味いものを隅々まで収集、味わい尽くしていた。
アニーの同僚であるその女性はめっぽう美味いそのジュースを片手に、半分は興味本位で、半分は親切心故に、“至高の美食会”へとこの小瓶を持って行った。
女性はジュースが美味いとは思ってはいたが、あらゆるグルメを食いつくして来た“至高の美食会”の彼らが、このジュースを高く評価するとは思ってはいなかった。
せいぜいが「そこそこ」という評価に落ち着くだろう、ぐらいに考えていたのだ。
ところが……、
「……美味い。文句なしだ。甘みと、微かな酸味と、そしてまろやかさが素晴らしいバランスで調和している。これほど美味いジュースはそう滅多に飲めるものではない……! 」
と、“至高の美食会”のメンバー全員がそう口を揃えて高評価したのだ。
ジュースは瞬く間に取り合いとなり、そして、あらゆる瓶の宿命である「空っぽ」をこの瓶も迎えた。
その宿命のあとに続いたのは、「もっとないのか! 」という怒りにも似た請求であった。
かくして、彼らの飽くなきグルメへの渇望を背負って、美食会の最年少メンバーであるグレイセル・ムング侯爵がアニーの母親の生家であるこの小さな家を訪ねたのであった。
「わ、私に聞かれましても、これは私が作ったものではないので……」
と、アニーは突然のことにしどろもどろになりながら、そう返答する。
「では、作ったのはいったい誰なのですか!? 」
「それは……」
と、アニーはそれを言って良いものか、逡巡する。涼はこのジュースを例の”チートスキル“を駆使して作ったのだろうし、自分が話してしまうことで彼らにも涼の秘密が露見してしまうかもしれない。
やはり、誰が作ったかは言わない方が良いだろう。アニーは心の中でそう結論付けた。
「すいませんが、誰が作ったは言えません。ただ、私の友人の一人が作ったものです」
「どうしても、製作者の名前は言えませんか」
と、貴族も食い下がって、言う。
「言えません。……少なくとも、本人に許可を取るまでは、言えません。申し訳ありませんが」
「わかりました」
と、ムングは少し間を置いてから、言った。
「では、これと同じ味のものをもう一度作れるかどうかだけ、本人に尋ねてはくれませんか。この味を熱烈に求めている貴族が、私のほかに何人もいるのです」
「わ、わかりました……」
と、アニーはムングの熱意に圧倒され、ただそれだけのことをやっと言った。
「ちなみに……」
と、アニーは興味本位でこう聞いた。
「なぜみなさんはこのジュースをそれほど熱望しているのですか? 」
すると、ムングは凄まじい勢いでアニーに身を寄せ、彼女の手を掴み、
「よくぞ聞いてくれました! 」
と、ほとんど大声になって言った。
「は、はあ……」
「まず第一に、このジュースは大変に味の調和が優れている! キツくない甘み、微かに香る酸味、そしてジュース全体のまろやかみ……。それらすべてが、極限まで感性の研ぎ澄まされた職人の繊細さによって整えられている。……これほどの絶妙なバランスの味は、滅多にみられるものではありません」
ムングはアニーの手を固く握り締めて続けた。
「第二に! ……これは単なるジュースではありません。これほど味が優れているのに、このジュースには身体的な快復を行う力が備わっている。私たちも飲んでみて驚いたのですが、これはジュースではなく、実は快復薬なのです。味の美味しさだけでも超一級の品なのに、このジュースの本来の目的は味ではなく治癒にあるのです。それは快復薬の常識から言って信じられない事実です! 」
彼はさらにアニーの手を胸の位置に掲げて言った。
「第三に! ……快復の効能があるのは身体に対してだけではないのです。なんと、魔力量の快復すらも行ってくれるのです。アニーさんもご存じでしょうが、ひとつの飲料のなかにふたつの快復の効能が備わっているのは、快復薬としては最高級である証です」
つまり、と前置きをしてムングはこの話を締めくくった。
「この飲料は快復薬としての品質と最上級の味を兼ね備えた超一流の配合物なのです」
「は、はあ……」
ムングのあまりの熱量の高さに、アニーはそう返答するほかなかった。
だが、確かにこの飲料が異常なほど美味しいことはアニーも認めていた。初めてこのジュースを口に含んだとき、これまで感じたことのない上質な味わいが口に広がったのを覚えている。
確か、「なぜこれほど美味しいものが作れるのですか? 」という問いに、涼は「多分、自分の故郷の飲料がとても美味かったからだ」と答えたのだったと思う。美味しいジュースに囲まれているのが当たり前の生活だったから、自然、自分の作るジュースも美味しくなるのだろう、と。
アニーは目の前で興奮する一人の貴族を眺めながら、喜ばしい感情が自分の中に溢れるのを感じた。
これまで第四階級の人間として誰にも認められなかった彼が、こうして、名前を伏せているとは言え、名の知れた貴族たちに認められている。
「ありがとうございます」
という言葉が思わず漏れたのも、自分でも驚くほど自然な感情からだった。
「それを作った私の友人も、きっと喜ぶだろうと思います。彼に、今日のことは伝えておきます。友人である私も、これほど嬉しいことはありません」
アニーのその態度に、ムングはいささか面食らったのだろう。
「い、いえ、こちらこそ……」
と口籠り、
「それでは、返答をお待ちしています……」
と続けるのがやっとだった。ムングはアニーのなかに、ただ友人が評価されて喜んでいる以上の深い喜びを、感じ取っていた。それがどういった喜びなのかはわからない。ただ、その二人のあいだには並々ならぬ固い結束があるのだろう、――そう感じたのだった。
結局、
「それでは、製作者である友人にはもう一度あれと同じジュースが作られるのか、私のほうから確認しておきます。判明次第、手紙を送るので」
と言って、アニーはこの男を送りだした。
貴族の背中を見送りするアニーの顔つきには、当分は消えそうもない朗らかな喜びが、しっかりと浮かび上がっていた。
そしてそれはどうやら、“友情”と呼ぶにはいささか熱がこもり過ぎていた……。
アニーの母親の生家があるフィヨル広原も春にしか咲かないミッヒュの花が咲き乱れている。
広原にはサンドウィッチや軽食を持った街の住民が腰を下ろし、この暖かな陽気を楽しんでいる。
そんな平和に満ちた広原の景色に、似つかわしくないどたどたとした足取りでひとりの貴族が走り抜けて行ったのが、まだ午後も早い一時半のことだった。
「突然の訪問、失礼致します。あなたが聖女であるアニー様でございますでしょうか」
庭先で花の手入れをしていたアニーにその貴族が口にしたのは、そんな一言だった。
「ええ……、私がアニーですが、……なにか? 」
すると、その貴族は広原の草むらに膝を付き、またしても意外なことに、こう叫んだのだった。
「申し訳ありませんが、この快復薬のレシピを教えては頂けませんでしょうか! 」
と、そう跪いた貴族の手には、涼がアニーの生家で開けたあの見覚えのある自家製ジュースの瓶が握られていたのだった。
「これは……私が涼さんから頂いた、あのジュースではありませんか。いったい、なにが起こっているんです……? 」
……遡ること二週間前、その日、涼はアニーの母親の生家にジュースを二本持って行きディナーを楽しんでいた。
自家製のジュースが入ったその瓶の一本を夕食のときに開け、余ったもう一本は、プレゼントとして机の上に置いて来た。
その後、封の開けていないその瓶を、アニーは自分の所属する教会へと持ち帰った。
味が美味しいからと、アニーはそのジュースを仲間に薦め、とある同僚の女性に飲ませた。
女性は初めて飲むそのジュースの味に驚き、「美味しい、美味しすぎる……! 」と言って慎重にジュースを口に運んだ。
問題は、その女性がある貴族の集団と繋がりを持っていたことだった。
その集団とは、通称“至高の美食会”と呼ばれる一団で、彼らはこの国の美味いものを隅々まで収集、味わい尽くしていた。
アニーの同僚であるその女性はめっぽう美味いそのジュースを片手に、半分は興味本位で、半分は親切心故に、“至高の美食会”へとこの小瓶を持って行った。
女性はジュースが美味いとは思ってはいたが、あらゆるグルメを食いつくして来た“至高の美食会”の彼らが、このジュースを高く評価するとは思ってはいなかった。
せいぜいが「そこそこ」という評価に落ち着くだろう、ぐらいに考えていたのだ。
ところが……、
「……美味い。文句なしだ。甘みと、微かな酸味と、そしてまろやかさが素晴らしいバランスで調和している。これほど美味いジュースはそう滅多に飲めるものではない……! 」
と、“至高の美食会”のメンバー全員がそう口を揃えて高評価したのだ。
ジュースは瞬く間に取り合いとなり、そして、あらゆる瓶の宿命である「空っぽ」をこの瓶も迎えた。
その宿命のあとに続いたのは、「もっとないのか! 」という怒りにも似た請求であった。
かくして、彼らの飽くなきグルメへの渇望を背負って、美食会の最年少メンバーであるグレイセル・ムング侯爵がアニーの母親の生家であるこの小さな家を訪ねたのであった。
「わ、私に聞かれましても、これは私が作ったものではないので……」
と、アニーは突然のことにしどろもどろになりながら、そう返答する。
「では、作ったのはいったい誰なのですか!? 」
「それは……」
と、アニーはそれを言って良いものか、逡巡する。涼はこのジュースを例の”チートスキル“を駆使して作ったのだろうし、自分が話してしまうことで彼らにも涼の秘密が露見してしまうかもしれない。
やはり、誰が作ったかは言わない方が良いだろう。アニーは心の中でそう結論付けた。
「すいませんが、誰が作ったは言えません。ただ、私の友人の一人が作ったものです」
「どうしても、製作者の名前は言えませんか」
と、貴族も食い下がって、言う。
「言えません。……少なくとも、本人に許可を取るまでは、言えません。申し訳ありませんが」
「わかりました」
と、ムングは少し間を置いてから、言った。
「では、これと同じ味のものをもう一度作れるかどうかだけ、本人に尋ねてはくれませんか。この味を熱烈に求めている貴族が、私のほかに何人もいるのです」
「わ、わかりました……」
と、アニーはムングの熱意に圧倒され、ただそれだけのことをやっと言った。
「ちなみに……」
と、アニーは興味本位でこう聞いた。
「なぜみなさんはこのジュースをそれほど熱望しているのですか? 」
すると、ムングは凄まじい勢いでアニーに身を寄せ、彼女の手を掴み、
「よくぞ聞いてくれました! 」
と、ほとんど大声になって言った。
「は、はあ……」
「まず第一に、このジュースは大変に味の調和が優れている! キツくない甘み、微かに香る酸味、そしてジュース全体のまろやかみ……。それらすべてが、極限まで感性の研ぎ澄まされた職人の繊細さによって整えられている。……これほどの絶妙なバランスの味は、滅多にみられるものではありません」
ムングはアニーの手を固く握り締めて続けた。
「第二に! ……これは単なるジュースではありません。これほど味が優れているのに、このジュースには身体的な快復を行う力が備わっている。私たちも飲んでみて驚いたのですが、これはジュースではなく、実は快復薬なのです。味の美味しさだけでも超一級の品なのに、このジュースの本来の目的は味ではなく治癒にあるのです。それは快復薬の常識から言って信じられない事実です! 」
彼はさらにアニーの手を胸の位置に掲げて言った。
「第三に! ……快復の効能があるのは身体に対してだけではないのです。なんと、魔力量の快復すらも行ってくれるのです。アニーさんもご存じでしょうが、ひとつの飲料のなかにふたつの快復の効能が備わっているのは、快復薬としては最高級である証です」
つまり、と前置きをしてムングはこの話を締めくくった。
「この飲料は快復薬としての品質と最上級の味を兼ね備えた超一流の配合物なのです」
「は、はあ……」
ムングのあまりの熱量の高さに、アニーはそう返答するほかなかった。
だが、確かにこの飲料が異常なほど美味しいことはアニーも認めていた。初めてこのジュースを口に含んだとき、これまで感じたことのない上質な味わいが口に広がったのを覚えている。
確か、「なぜこれほど美味しいものが作れるのですか? 」という問いに、涼は「多分、自分の故郷の飲料がとても美味かったからだ」と答えたのだったと思う。美味しいジュースに囲まれているのが当たり前の生活だったから、自然、自分の作るジュースも美味しくなるのだろう、と。
アニーは目の前で興奮する一人の貴族を眺めながら、喜ばしい感情が自分の中に溢れるのを感じた。
これまで第四階級の人間として誰にも認められなかった彼が、こうして、名前を伏せているとは言え、名の知れた貴族たちに認められている。
「ありがとうございます」
という言葉が思わず漏れたのも、自分でも驚くほど自然な感情からだった。
「それを作った私の友人も、きっと喜ぶだろうと思います。彼に、今日のことは伝えておきます。友人である私も、これほど嬉しいことはありません」
アニーのその態度に、ムングはいささか面食らったのだろう。
「い、いえ、こちらこそ……」
と口籠り、
「それでは、返答をお待ちしています……」
と続けるのがやっとだった。ムングはアニーのなかに、ただ友人が評価されて喜んでいる以上の深い喜びを、感じ取っていた。それがどういった喜びなのかはわからない。ただ、その二人のあいだには並々ならぬ固い結束があるのだろう、――そう感じたのだった。
結局、
「それでは、製作者である友人にはもう一度あれと同じジュースが作られるのか、私のほうから確認しておきます。判明次第、手紙を送るので」
と言って、アニーはこの男を送りだした。
貴族の背中を見送りするアニーの顔つきには、当分は消えそうもない朗らかな喜びが、しっかりと浮かび上がっていた。
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