2 / 2
ハルさんの提案
しおりを挟む
遊郭を退店して1年後、私が19歳になるのを待ち、私たちは籍を入れて、夫婦となった。
ハルさんには、日本の家族がいたため挨拶に行ったが、さすがに遊郭のことは伏せていた。
フランス人の私に色眼鏡を使うことなく、お父さんもお母さんも優しくて暖かくて陽だまりのようだった。2人を見て、ハルさんは、こんな環境で育ったから優しくなったのかと心に染みた。
そして、結婚3年目の4月。
私は、ハルさんにある提案をされた。
「僕は長男で、いずれ両親の面倒を見る必要がある。テッサちゃんもお母さんも、妹たちも日本語がうまくなってきたし、みんなで来日したいと考えている」
私は、その気持ちが痛いほど分かった。それにハルさんは、私の家族も大切にしてくれている。お義父さん、お義母さんも優しいし、2年前は会うことができなかったハルさんのお姉さんとも、たくさんお話をしてみたい。
「お母さんと、話して決めてもいいかな」
私は、妹たちのことが気がかりだった。2人とも日本語を話すのが上手になっていた。
しかしながら、エミルはイスタンブールに来たときは、実年齢の3学年下に所属したが飛び級を繰り返し4月から、年相応の中学1年生になり新生活を始めたばかりだったし、アニーは、成績の遅れが見られ5年生の年だが4年生のクラスにいた。
エミルは、何とかなるにしてもアニーはきっと5年生として新生活をスタートする。日本の学力のレベルは、どれくらいか分からないし、二人は、話すことはできても書くことができないため、新生活に予測がつかなかった。
「ハルさんが、こういっているんだけど、どうかな」
私がそういうと、お母さんは困ったような顔をしてこう言った。
「私は、テッサと同じようにエミルやアニーも大切。二人は、故郷を捨ててイスタンブールで、大きくなった。それにここにはエマのお墓もある。だから、私たちはイスタンブールに残る。でも、家族離れるのはダメ。だから、テッサは、日本に行きなさい」
その言葉を聞いて、私は涙が溢れた。母と離れるなんて嫌だ。でも、ハルさんとも離れたくない。
どうしたらいいのか分からなかった。
だから、その思いをハルさんにぶつけた。
「テッサちゃんの気持ちは分かったよ。これからもイスタンブールで暮らそう」
ハルさんは、優しいからそう言ってくれたが、さみしそうな眼をしていた。
ハルさんは、私たちと同じように日本の家族が大切なのだ。
しかし、私は未熟だったためその時は、気づけなかった。
その話をして1か月後。1本の電報が届いた。ハルさんのお父さんが亡くなり、家業である農業を継いでほしいという電報だった。
「テッサちゃんの気持ちは、この前話をしたから分るよ。この話は断るつもりだ」
家族会議の中で、ハルさんにそう言われ、ありがとうと言おうとしていた時、ある声が聞こえてきた。
「ハルさん、そんなのダメ」
お母さんの声だった。お母さんは、この前私に言ったこと同じことをハルさんに言った。そして、最後に日本語で私にこう言った。
「テッサ。お母さんは、エミルとアニーがいるから大丈夫。日本に行け」
私は、1晩考え抜いた末にある結論に至った。
「ハルさん、私1人で日本に行くよ」
「テッサちゃん、本当にいいの?」
「私たちは家族。日本の家族も私の家族だから」
お母さんの言う通りだ。私はお嫁に行ったのだ。香月テッサになったのだ。
ここには、妹たちがいてくれる。エマのお墓もあるから、たまに帰ってくればいい。
お母さんたちを捨てるわけじゃない。
そう考え、この結論となった。
出発の前日。私は、一人で馬車である場所に向かっていた。
そう、ミラーボールだ。
結婚と同時にマリアさんから紹介された仕事を辞める報告に来たのが最後なので、みんなに会うのは2年ぶりになる。
門番の雑用係に、案内され支配人室のドアをノックする。
「テッサ。来たのね。入って」
マリアさんにそう言われ、中に入るとマリアさんとアメリアさんが待っていた。
マリアさんからの手紙で聞いていた話だが、アメリアさんは、ヘルプにも客引きにもならず、マリアさんの秘書として働いているそうだ。
私たちは、二年の溝を埋めるようにして、思い出話に花を咲かせた。
マリアさんは、最初の方は『エマや私を適齢前に客引きにしてエマが死んでしまったこと』を、謝っていたが、私がそれを言うのは、やめてほしいと伝えると、その話をしなくなった。
「あなたが日本に行ったら寂しくなるわ」
私がそう言うと、アメリアさんはうつむいてしまいながらも、涙をこらえてこう言った。
「テッサさん、エマさんのお墓の管理は任せてください。お母様と妹さんのことも、たまに様子見に行きますから。手紙書きますから」
「アメリアさん……」
「私も、あなたの家族とエマさんのことは、気に留めておくから心配しないで」
「マリアさん……」
遊郭時代は、先輩後輩の関係だった私たち。正直、マリアさんやアメリアさんから、きつい言葉や暴力をされたこともあった。
しかし、私が遊郭を退店した後からこの場所は変わっていった。現在は、暴力も暴言もここで、見ることはできなくなっている。
エマが亡くなったことで改善されたこの事に、私は複雑な思いを持ちながらも感謝している。
翌日の朝の便で、私たちは日本へと旅立った。
ハルさんには、日本の家族がいたため挨拶に行ったが、さすがに遊郭のことは伏せていた。
フランス人の私に色眼鏡を使うことなく、お父さんもお母さんも優しくて暖かくて陽だまりのようだった。2人を見て、ハルさんは、こんな環境で育ったから優しくなったのかと心に染みた。
そして、結婚3年目の4月。
私は、ハルさんにある提案をされた。
「僕は長男で、いずれ両親の面倒を見る必要がある。テッサちゃんもお母さんも、妹たちも日本語がうまくなってきたし、みんなで来日したいと考えている」
私は、その気持ちが痛いほど分かった。それにハルさんは、私の家族も大切にしてくれている。お義父さん、お義母さんも優しいし、2年前は会うことができなかったハルさんのお姉さんとも、たくさんお話をしてみたい。
「お母さんと、話して決めてもいいかな」
私は、妹たちのことが気がかりだった。2人とも日本語を話すのが上手になっていた。
しかしながら、エミルはイスタンブールに来たときは、実年齢の3学年下に所属したが飛び級を繰り返し4月から、年相応の中学1年生になり新生活を始めたばかりだったし、アニーは、成績の遅れが見られ5年生の年だが4年生のクラスにいた。
エミルは、何とかなるにしてもアニーはきっと5年生として新生活をスタートする。日本の学力のレベルは、どれくらいか分からないし、二人は、話すことはできても書くことができないため、新生活に予測がつかなかった。
「ハルさんが、こういっているんだけど、どうかな」
私がそういうと、お母さんは困ったような顔をしてこう言った。
「私は、テッサと同じようにエミルやアニーも大切。二人は、故郷を捨ててイスタンブールで、大きくなった。それにここにはエマのお墓もある。だから、私たちはイスタンブールに残る。でも、家族離れるのはダメ。だから、テッサは、日本に行きなさい」
その言葉を聞いて、私は涙が溢れた。母と離れるなんて嫌だ。でも、ハルさんとも離れたくない。
どうしたらいいのか分からなかった。
だから、その思いをハルさんにぶつけた。
「テッサちゃんの気持ちは分かったよ。これからもイスタンブールで暮らそう」
ハルさんは、優しいからそう言ってくれたが、さみしそうな眼をしていた。
ハルさんは、私たちと同じように日本の家族が大切なのだ。
しかし、私は未熟だったためその時は、気づけなかった。
その話をして1か月後。1本の電報が届いた。ハルさんのお父さんが亡くなり、家業である農業を継いでほしいという電報だった。
「テッサちゃんの気持ちは、この前話をしたから分るよ。この話は断るつもりだ」
家族会議の中で、ハルさんにそう言われ、ありがとうと言おうとしていた時、ある声が聞こえてきた。
「ハルさん、そんなのダメ」
お母さんの声だった。お母さんは、この前私に言ったこと同じことをハルさんに言った。そして、最後に日本語で私にこう言った。
「テッサ。お母さんは、エミルとアニーがいるから大丈夫。日本に行け」
私は、1晩考え抜いた末にある結論に至った。
「ハルさん、私1人で日本に行くよ」
「テッサちゃん、本当にいいの?」
「私たちは家族。日本の家族も私の家族だから」
お母さんの言う通りだ。私はお嫁に行ったのだ。香月テッサになったのだ。
ここには、妹たちがいてくれる。エマのお墓もあるから、たまに帰ってくればいい。
お母さんたちを捨てるわけじゃない。
そう考え、この結論となった。
出発の前日。私は、一人で馬車である場所に向かっていた。
そう、ミラーボールだ。
結婚と同時にマリアさんから紹介された仕事を辞める報告に来たのが最後なので、みんなに会うのは2年ぶりになる。
門番の雑用係に、案内され支配人室のドアをノックする。
「テッサ。来たのね。入って」
マリアさんにそう言われ、中に入るとマリアさんとアメリアさんが待っていた。
マリアさんからの手紙で聞いていた話だが、アメリアさんは、ヘルプにも客引きにもならず、マリアさんの秘書として働いているそうだ。
私たちは、二年の溝を埋めるようにして、思い出話に花を咲かせた。
マリアさんは、最初の方は『エマや私を適齢前に客引きにしてエマが死んでしまったこと』を、謝っていたが、私がそれを言うのは、やめてほしいと伝えると、その話をしなくなった。
「あなたが日本に行ったら寂しくなるわ」
私がそう言うと、アメリアさんはうつむいてしまいながらも、涙をこらえてこう言った。
「テッサさん、エマさんのお墓の管理は任せてください。お母様と妹さんのことも、たまに様子見に行きますから。手紙書きますから」
「アメリアさん……」
「私も、あなたの家族とエマさんのことは、気に留めておくから心配しないで」
「マリアさん……」
遊郭時代は、先輩後輩の関係だった私たち。正直、マリアさんやアメリアさんから、きつい言葉や暴力をされたこともあった。
しかし、私が遊郭を退店した後からこの場所は変わっていった。現在は、暴力も暴言もここで、見ることはできなくなっている。
エマが亡くなったことで改善されたこの事に、私は複雑な思いを持ちながらも感謝している。
翌日の朝の便で、私たちは日本へと旅立った。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
人情居酒屋おやじ part1 常連の山ちゃん
双葉なおき
大衆娯楽
料金を作るのが趣味という親父が、早期退職をして居酒屋を始めた。
その親父の人柄に人が集まるお店を皆が「人情居酒屋」と呼ぶようになった。
そんな、「人情居酒屋おやじ」での人情あふれるお話である。
根無し草
はゆ
大衆娯楽
1939年9月2日。紗良クルスはあと数時間で14歳になる。
書き置きに記されていたのは、祝辞ではなく『明日転居』の4字。荷運びしておけというパパからの命令。
紗良には異能があり、過去に訪れた空間を繋げられる。行使には代償を伴うとはいえ、便利だから引越しに活用すること自体は苦ではない。
ただ、短期間で転校を繰り返すせいで、友達を作ることすらままならない人生は嫌になった。
* * *
ボイスノベルを楽しめるよう、キャラごとに声を分けています。耳で楽しんでいただけると幸いです。
https://novelba.com/indies/works/937915
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
【ショートショート】雨のおはなし
樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
◆こちらは声劇、朗読用台本になりますが普通に読んで頂ける作品になっています。
声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。
⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠
・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します)
・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。
その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。
独り日和 ―春夏秋冬―
八雲翔
大衆娯楽
主人公は櫻野冬という老女。
彼を取り巻く人と犬と猫の日常を書いたストーリーです。
仕事を探す四十代女性。
子供を一人で育てている未亡人。
元ヤクザ。
冬とひょんなことでの出会いから、
繋がる物語です。
春夏秋冬。
数ヶ月の出会いが一生の家族になる。
そんな冬と彼女を取り巻く人たちを見守ってください。
*この物語はフィクションです。
実在の人物や団体、地名などとは一切関係ありません。
八雲翔
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる