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"完全教育施設"の裏の顔
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成華学園。乳児期を脱したばかりの幼児から大学生まで、計20学年の幅広い世代が通う完全教育施設。
開校からこの春までの10年、私も通っていた母校であり、私にとって初めての職場でもある。
昨月、大学部の教育学部を卒業した私は、小学校の教員免許を取得し、学園初等部の採用試験に無事合格した。
今月の1日から新任教師として本格的に働き始め、今日の入学式を迎えた。
担当するのは入学してきたばかりの1年生。3組の担任を任されたときは「先生になったんだ」という実感が湧いてきたものだが、入学式と軽いホームルームを終えた今はこの先しっかりやっていけるか不安に駆られている。
もちろん、「最初の担任だから」とか「1年生の担当だから」とかの理由もあるのだが、何よりもこのクラスには明らかな"問題因子"が居るのが私を悩ませる一番の原因だった。
"彼女"は、この入学式においてあまりも異質な存在だった。小学1年生だというのに、教師である私と同じほどの背丈と胸囲。身長100cmを過ぎて間もない児童たちの中で、頭一つ以上抜けたその児童は、あまりにも浮いていた。
名簿を受け取った時、明らかに異常なその年齢に、事情を聞かずにはいられなかった。
塚田心愛、年齢は14歳。1年で1学年を着実に重ねていけば、同い年は中等部3年となっているはずで、今日の入学式に参加した児童の大半より倍以上の年齢である。
学園開校時に幼等部年長として入園。彼女の歯車が狂い始めたのがその2年後、順調に初等部2年へ昇級するも1ヵ月足らずで運悪く交換降級の対象となってしまい、再度初等部1年を勉強し直しとなった。
当時まだ幼かった心愛は、既に履修済であった1年の授業に精を出せず、学力検査を受ける必要が無いとはいえ生活態度を指摘され原級留置、その後も2年次、3年次と連続で交換降級の餌食となり、計5年ほど1年生という地位に縛られたとの記録がある。
5年目の1年生を耐え抜き4年生になった心愛だったが、ここで非情にも学園のシステムが立ちはだかった。
2,3年生の学習内容と経験を1学期中に馴染ませるのは厳しく、1学期末の試験において2年生まで降級。
1ヵ月強で5回目の交換降級に見舞われ、精神崩壊によってその場で失禁。幼等部年少からの再出発を余儀なくされた。
そしてこの春、自身7度目の初等部1年まで戻ってきた……というのが彼女の波乱万丈な経歴らしい。
教師生活1年目にしてとんでもない児童を受け持ったものである。
どうにかしてあげたい気持ちもあるが、幼等部まで一度降級していては、この1年どうすることもできない。
幸い、時を同じくして幼等部から進級した他の児童たちとの関係は良好なようで、初のHRでの精神の乱れは見られなかった。
問題なのは、この春の試験を通過して入学した児童への対応だ。実年齢には2倍以上の差があるし、体格もかけ離れているが、彼らにとって心愛は"同級生"である。お互いにからかわれることがあってはならない。
かと言って児童たちの前で事情を説明してしまえば、心愛の精神崩壊は待ったなしであることは火を見るよりも明らかだ。
授業よりもこちらの不安が大きくて、夜は眠れそうになかった。
教師生活が本格的にスタートして2日目。すぐに授業に入れる訳もなく、今日は1日中HRとなっている。そんな日の1限の内容と言えばもちろん自己紹介だ。いきなり最初の難関となった。
出席番号順に名前と好きな食べ物を言ってもらったのだが、幼少期の子どもたちの好奇心というのは時に残酷である。心愛が自己紹介を終えるなり、一人の男児が「なんでそんなにからだ大きいの?」と無慈悲な質問を投げかけたのである。
「病気です。」我ながらあまりにも厳しい嘘を吐いてしまったものだ。咄嗟に出した答えとはいえ、「病気で10年近く療養していた」なんて信じられるわけがないし、別に辻褄を合わせることもしていないから、心愛に対して私の都合を押し付ける形となってしまった。
しかし、口に出してしまったことは仕方ない。どうやって今後この設定を生かすのかに思考をシフトしようと考え、自己紹介を再開させようとしたその時だった。
「先生ちがうよ?」私の嘘を止めたのは心愛自身だった。私は思いがけない反論に、心拍数が上がっていくのを抑えられなかった。
「ここあね、いちねんせいになるの7かいめなんだ。」
"背筋が凍る"とはこのことだろうかと感じた。教室中がざわつき始めるのがわかる。このざわつきを止められるのは担任である私しか居ないのに、口が動く気がしなかった。
心愛の衝撃発言からどれほど経っただろうか。多分1分も経っていないだろうが、永遠に時が止まっている感覚だった。私は何とか重い口を開けることに成功した。
心愛は別に学業不振というわけではないこと、その原因はそのうち習うということ、そして何よりも「みんなが」仲のいいクラスになってほしいこと。
最後は涙を堪えきれて無かったことはバレていることだろう。しかし、言いたかったことは言い切ったつもりだ。まあ、こんなにも早い段階で全て告げることになるとは思わなかったが。
若干の沈黙の後、1限終了の鐘が鳴った。
波乱の1限から一転、その後の時間はあまりにもスムーズに過ぎていった。
心愛以降の児童の自己紹介に始まり、係活動決め、教科書配布などであっという間に正午となった。
運ばれてきた給食を配膳し、教師生活初となる給食をいただく。高等部以降の学食よりも一層栄養バランスには気を遣っているということで、私は少し物足りなさを感じたのだが、児童は美味しそうに食べていたのが印象的だった。
まだ初等部1年が始まったばかりということで、しばらくはこれで放課だ。SHRを済ませると、皆一斉に寮へと戻っていった。
大波乱とも言える1日目を乗り切った私はかなり安堵していた。ミスもあったが最大の懸案事項を一瞬で解決し、これからは授業に集中することができる。作業を進める手も異様に軽く感じられ、心に僅かな余裕ができた気がした。
私の教師生活最初となる1年は、驚くほどに順調だった。入学式の時に感じていた不安はとうに消え去り、割と楽しく日々を過ごせていたと感じる。
"問題因子"だと決め込んでいた塚田心愛は、度重なる初等部1年としての経験を生かして一瞬でクラスに馴染み、他の児童からは「お姉さん的存在」として慕われるようになっていた。
幾度となく同じ授業を履修している心愛にとって、1年程度の範囲には難問など無く、授業では少し暇を持て余している姿も見受けられたくらいだ。
まあ、体だけは成人並に成長している心愛にとって、小学校1年生程度の「たいいく」というのは意外にも難しかったようで、そこだけは苦戦していた姿が見受けられたのだが。
私は無事、1,2学期末で早くも進級していった児童も含め30人全員を昇級させることに成功した。小学校1年程度であるから浮かれてはいけないのだが、"原級留置"や"降級"という制度がある以上、クラスの全員が"昇級"という結果を得られたということは、私にとっても大きな自信となった。
この学園では、ほとんどの教師が児童たちと共に担当学年を上げていくらしい。
私もその例に漏れず、新年度には2年3組の担任を任された。
児童たちはクラス替えがあるため、全く同じ子どもたちを受け持つわけではないが、何の運命か、私のクラスには心愛が居た。今回はしっかりと心愛と相談し、HRでは私から心愛の事情を説明した。
2年目にして私は若干心に余裕ができ、頼もしい心愛の存在もあって、1年目よりも格段はスムーズにクラスを運営できていた。
そうして順調だと感じていた5月の頭、私は突然学年主任から呼び出された。
何事かと思った。クラスの空気は悪いとも思わないし、授業に不備があったような心当たりも無い。
冷や汗をかいて学年主任の机へ行くと、意識の外にあった一番嫌なことを聞かされた。
「1年部から一人、期間外昇級してくることになった。」
期間外昇級ということは、2年から落第していく子が居るということになる。
そして、1年部の担任の中で私が呼び出されたということは……ということを考えると、足の震えは収まらなかった。
担当クラスの中から1人、何も悪くないのに"降級"を告げられ、居場所を追われることになる。
たった2ヶ月程度ではあるが、一人ひとりに対して愛着を注いできたのだから、誰が選ばれていようと私は受け入れられないだろう。
しかし私がどれだけ受け入れられなくても、決定を曲げることなどできない。
覚悟を決めて主任のパソコンを覗き込むと、にわかに信じ難い名前が表示されていた。
塚田心愛。一人で5度目ともなると「運が悪い」などという言葉ではとても表現できるものでは無い。
私は思わず声を荒げてしまった。
「主任はこの結果がおかしいと思わないんですか!」
感情のままに主任の肩を揺さぶる。慌てて他の先生が私を抑えに来たが、男性の先生2人に無理やり引っ張られて私はようやく主任の机から離された。
「安住くん、君の気持ちはもちろんわかるがこれはコンピュータが弾き出した結果なのだよ。」
初等部校長の言葉は冷酷で、あまりにも非情なものだった。
[幸い、この立場交換には猶予があった。翌日から5連休であったため、校長や学年主任からは「心の整理をしなさい」と言われたのだった。
「何か学校のシステムに不備があるに違いない」と私は奮起し、しらみつぶしに児童管理システムを確認した。
そして費やすこと丸一日。児童評価を管理する関数に、隠されたカテゴリを見つけた。
そのカテゴリには、ほとんどの児童に数おいて値は入力されていなかったものの、心愛の欄には明らかに高い数値が入力されていた。
「どのような手段を使ってこの闇を暴こうか」
そう考えているうちに、寝ずに作業していた頭は限界を迎え、私は倒れるように眠りについた。
目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。
私は慌てて飛び起き、見知らぬ部屋のドアを開けようとしたが、外から鍵が掛かっているようで、どう力を入れても開くことは無かった。
数分してドアが開き、白衣の男が私を軽々と持ち上げた。
抵抗しようにも足を別の男に抱えられ、あまりの恐怖に叫ぶことすらできなかった。
"実験室"と書かれた部屋へ入ると、中にあった透明なカプセルに入れられた。必死にガラスを叩くも、割れる気配は無い。「出して!」と叫んでも、小さなカプセルの中で自分の声が反響するだけ。
諦めていたその時だった。私と同じような状態で、この部屋にもう一人女性が担がれてきた。
顔は見えなかったが、あの体つきからして心愛だろうと思えた。しかし「心愛ちゃん!」と叫んでも応答は無い。心愛らしき女性はやがて隣にもあったもう一つのカプセルに入れられ、そのまま眠っていた。
私は隣のカプセルに入れられたその女性に振り向いてもらおうと頑張ったが、実ることはなく、5分ほどが経っていた。
そして、突然部屋が大きくなった。というのも、壁だと思っていた場所に電気が通ったのか、ガラスが出現したのである。
そんなガラス張りの壁の向こうには、うっすらと見知った姿が見かけられた。見違うはずもない、初等部の校長の姿がそこにはあった。
「驚いているようだね、安住くん。」
カプセルの上部にスピーカーが植え付けられているのか、私の上から校長の声が聞こえた。
「君は学園の重大な機密情報を勝手に持ち出し、解析した。申し訳ないが君の存在を我々は抹消することにしたのだよ。」
恐ろしいという言葉では到底表せない感情。膝から力が抜け、崩れ落ちていくのがわかる。抗議する気力など無かった。
「存在を抹消する前に、全てを教えてあげよう。この学園は、何も完璧な教育を施すためだけにあるわけでは無い。"教育"に関する様々な"研究"も行っている。表向きにはできないものまでね。」
私の中で何かが繋がった気がした。
「ここまで言えばどんなに勘の悪い者でも分かるだろう。君の隣にいる塚田心愛くんだって、研究のための実験台"だった"というわけだ。『ヒトは教えられたことしか学習できないのか』というね。」
「学習を進めさせないため」に様々な理屈をつけて同じ学年に縛っていたという、その事実に憤りを抱いたが、既に感情は複雑で、どうにも声にはならなかった。
「まあ、落ち着いてくれたまえ。安住くんが怒るのは教師として当然のことだ。明らかに倫理に反した実験だからね。心愛くんには悪いと思っているよ。だから今から、年相応の学力を与えてあげようと思っているんだ。まあ、安住くんが『学園の機密情報を持ち出した罰を甘んじて受け入れる』というのであればの話だが。」
僅かな光が見えた。いくら不正を暴くためとはいえ、情報漏洩の可能性もあるファイルを勝手に持ち出したのは私なのだから、心愛を開放できるのなら罰くらいは甘んじて受けよう。そう思って、私は首を縦に振った。
「交渉は成立したようだね。では、実験を始めよう。」
校長のその声がスピーカーから流れると同時、カプセルに電流が流れはじめ、私はたちまち立っていられなくなった。
容赦なく浴びせられる電流に抗議の口が開くはずもなく、私はただ悶絶するばかりだった。
永遠とも思われた電撃もいつしか止んでいた。暴れすぎたのか完全に疲弊しきっていたが、どうにか意識はあるようだった。心なしか、頭は軽い気がする。
「お疲れのようだが、この措置について説明させてもらおう。」
また頭上のスピーカーから校長の声が聞こえ始めた。
「あの電流は、"記憶"に干渉するものだ。この実験が成功していれば、安住くんの脳からは6~15歳時の学習記憶を全て消している。」
驚愕の言葉だった。また恐怖が襲い掛かってくる感覚がする。
「ではなぜ君は私の説明を聞けているのだろうか。答えは、君がそのカプセルに入っているからだ。特殊技術の粋を集めて作られたそのカプセルは、今や君の身体と一心同体。君の脳からは記憶を消したが、そのカプセルに詰め込んであるから、君はまだ私の話を理解できている。」
これほどまでに非情で恐ろしい言葉はあるだろうか。私は生きた心地がしなくなっていた。
「では、実験の本題に入ろう。今回の実験は2つだ。1つ目は、『ヒトは、他人の学習経験でも自分の経験のように扱えるのか。』そして2つ目が、『ヒトは、生きていた時代の記憶からある一定の記憶を欠損した時どうなるのか。』理解できただろうか、安住くん。今から、このカプセルに宿った君の学習記憶を、隣にいる心愛くんのカプセルに移し、そこから君のときとは逆の電流で心愛くんの脳に移植する。ここまでの協力ご苦労だった。君の意志の強さを期待しているよ。安住くん。いや、もう理沙くんと呼んだほうが良いかな。」
その言葉が聞こえるや否や、私の意識は途切れてしまった。
ちくっとした痛みで、わたしは起き上がった。
「心愛くん、聞こえているかい?」
校長先生の声だ。見渡すと、ガラスの中に居ることが分かった。
「いきなりだが、君に嬉しい報告をしよう。」
「君はこの連休が明けたら、高等部1年生になることになった。」
最初は理解出来なかった。でも思えば私も15歳。初等部2年など不釣り合いにも程があるというものだ。
しかしなぜこのタイミングなのだろう。その答えはすぐに知らせてくれた。
「君の担任だった安住先生が頑張ってくれてね。君に年相応の学力をもたらしてくれたのさ。」
安住先生。昨年からわたしの担任として教えてくれていた優しい先生だ。
その安住先生は、わたしと同じようなガラス張りのカプセルで幸せそうに寝ていた。
きっと、何かをしてくれたのだろう。私は眠っている先生を横目に研究員という人に連れられ、この部屋を後にした。
それから3ヵ月、すっかり本当の同級生たちに馴染んだわたしは、ボランティアの一環として初等部の子どもたちの宿題をサポートするため、初等部寮に足を運ぶことになり、繰り上がりのたしざんが苦手な1年生の"あずみ りさ"ちゃんと出会うことになるのだが、それはまた別のお話。
開校からこの春までの10年、私も通っていた母校であり、私にとって初めての職場でもある。
昨月、大学部の教育学部を卒業した私は、小学校の教員免許を取得し、学園初等部の採用試験に無事合格した。
今月の1日から新任教師として本格的に働き始め、今日の入学式を迎えた。
担当するのは入学してきたばかりの1年生。3組の担任を任されたときは「先生になったんだ」という実感が湧いてきたものだが、入学式と軽いホームルームを終えた今はこの先しっかりやっていけるか不安に駆られている。
もちろん、「最初の担任だから」とか「1年生の担当だから」とかの理由もあるのだが、何よりもこのクラスには明らかな"問題因子"が居るのが私を悩ませる一番の原因だった。
"彼女"は、この入学式においてあまりも異質な存在だった。小学1年生だというのに、教師である私と同じほどの背丈と胸囲。身長100cmを過ぎて間もない児童たちの中で、頭一つ以上抜けたその児童は、あまりにも浮いていた。
名簿を受け取った時、明らかに異常なその年齢に、事情を聞かずにはいられなかった。
塚田心愛、年齢は14歳。1年で1学年を着実に重ねていけば、同い年は中等部3年となっているはずで、今日の入学式に参加した児童の大半より倍以上の年齢である。
学園開校時に幼等部年長として入園。彼女の歯車が狂い始めたのがその2年後、順調に初等部2年へ昇級するも1ヵ月足らずで運悪く交換降級の対象となってしまい、再度初等部1年を勉強し直しとなった。
当時まだ幼かった心愛は、既に履修済であった1年の授業に精を出せず、学力検査を受ける必要が無いとはいえ生活態度を指摘され原級留置、その後も2年次、3年次と連続で交換降級の餌食となり、計5年ほど1年生という地位に縛られたとの記録がある。
5年目の1年生を耐え抜き4年生になった心愛だったが、ここで非情にも学園のシステムが立ちはだかった。
2,3年生の学習内容と経験を1学期中に馴染ませるのは厳しく、1学期末の試験において2年生まで降級。
1ヵ月強で5回目の交換降級に見舞われ、精神崩壊によってその場で失禁。幼等部年少からの再出発を余儀なくされた。
そしてこの春、自身7度目の初等部1年まで戻ってきた……というのが彼女の波乱万丈な経歴らしい。
教師生活1年目にしてとんでもない児童を受け持ったものである。
どうにかしてあげたい気持ちもあるが、幼等部まで一度降級していては、この1年どうすることもできない。
幸い、時を同じくして幼等部から進級した他の児童たちとの関係は良好なようで、初のHRでの精神の乱れは見られなかった。
問題なのは、この春の試験を通過して入学した児童への対応だ。実年齢には2倍以上の差があるし、体格もかけ離れているが、彼らにとって心愛は"同級生"である。お互いにからかわれることがあってはならない。
かと言って児童たちの前で事情を説明してしまえば、心愛の精神崩壊は待ったなしであることは火を見るよりも明らかだ。
授業よりもこちらの不安が大きくて、夜は眠れそうになかった。
教師生活が本格的にスタートして2日目。すぐに授業に入れる訳もなく、今日は1日中HRとなっている。そんな日の1限の内容と言えばもちろん自己紹介だ。いきなり最初の難関となった。
出席番号順に名前と好きな食べ物を言ってもらったのだが、幼少期の子どもたちの好奇心というのは時に残酷である。心愛が自己紹介を終えるなり、一人の男児が「なんでそんなにからだ大きいの?」と無慈悲な質問を投げかけたのである。
「病気です。」我ながらあまりにも厳しい嘘を吐いてしまったものだ。咄嗟に出した答えとはいえ、「病気で10年近く療養していた」なんて信じられるわけがないし、別に辻褄を合わせることもしていないから、心愛に対して私の都合を押し付ける形となってしまった。
しかし、口に出してしまったことは仕方ない。どうやって今後この設定を生かすのかに思考をシフトしようと考え、自己紹介を再開させようとしたその時だった。
「先生ちがうよ?」私の嘘を止めたのは心愛自身だった。私は思いがけない反論に、心拍数が上がっていくのを抑えられなかった。
「ここあね、いちねんせいになるの7かいめなんだ。」
"背筋が凍る"とはこのことだろうかと感じた。教室中がざわつき始めるのがわかる。このざわつきを止められるのは担任である私しか居ないのに、口が動く気がしなかった。
心愛の衝撃発言からどれほど経っただろうか。多分1分も経っていないだろうが、永遠に時が止まっている感覚だった。私は何とか重い口を開けることに成功した。
心愛は別に学業不振というわけではないこと、その原因はそのうち習うということ、そして何よりも「みんなが」仲のいいクラスになってほしいこと。
最後は涙を堪えきれて無かったことはバレていることだろう。しかし、言いたかったことは言い切ったつもりだ。まあ、こんなにも早い段階で全て告げることになるとは思わなかったが。
若干の沈黙の後、1限終了の鐘が鳴った。
波乱の1限から一転、その後の時間はあまりにもスムーズに過ぎていった。
心愛以降の児童の自己紹介に始まり、係活動決め、教科書配布などであっという間に正午となった。
運ばれてきた給食を配膳し、教師生活初となる給食をいただく。高等部以降の学食よりも一層栄養バランスには気を遣っているということで、私は少し物足りなさを感じたのだが、児童は美味しそうに食べていたのが印象的だった。
まだ初等部1年が始まったばかりということで、しばらくはこれで放課だ。SHRを済ませると、皆一斉に寮へと戻っていった。
大波乱とも言える1日目を乗り切った私はかなり安堵していた。ミスもあったが最大の懸案事項を一瞬で解決し、これからは授業に集中することができる。作業を進める手も異様に軽く感じられ、心に僅かな余裕ができた気がした。
私の教師生活最初となる1年は、驚くほどに順調だった。入学式の時に感じていた不安はとうに消え去り、割と楽しく日々を過ごせていたと感じる。
"問題因子"だと決め込んでいた塚田心愛は、度重なる初等部1年としての経験を生かして一瞬でクラスに馴染み、他の児童からは「お姉さん的存在」として慕われるようになっていた。
幾度となく同じ授業を履修している心愛にとって、1年程度の範囲には難問など無く、授業では少し暇を持て余している姿も見受けられたくらいだ。
まあ、体だけは成人並に成長している心愛にとって、小学校1年生程度の「たいいく」というのは意外にも難しかったようで、そこだけは苦戦していた姿が見受けられたのだが。
私は無事、1,2学期末で早くも進級していった児童も含め30人全員を昇級させることに成功した。小学校1年程度であるから浮かれてはいけないのだが、"原級留置"や"降級"という制度がある以上、クラスの全員が"昇級"という結果を得られたということは、私にとっても大きな自信となった。
この学園では、ほとんどの教師が児童たちと共に担当学年を上げていくらしい。
私もその例に漏れず、新年度には2年3組の担任を任された。
児童たちはクラス替えがあるため、全く同じ子どもたちを受け持つわけではないが、何の運命か、私のクラスには心愛が居た。今回はしっかりと心愛と相談し、HRでは私から心愛の事情を説明した。
2年目にして私は若干心に余裕ができ、頼もしい心愛の存在もあって、1年目よりも格段はスムーズにクラスを運営できていた。
そうして順調だと感じていた5月の頭、私は突然学年主任から呼び出された。
何事かと思った。クラスの空気は悪いとも思わないし、授業に不備があったような心当たりも無い。
冷や汗をかいて学年主任の机へ行くと、意識の外にあった一番嫌なことを聞かされた。
「1年部から一人、期間外昇級してくることになった。」
期間外昇級ということは、2年から落第していく子が居るということになる。
そして、1年部の担任の中で私が呼び出されたということは……ということを考えると、足の震えは収まらなかった。
担当クラスの中から1人、何も悪くないのに"降級"を告げられ、居場所を追われることになる。
たった2ヶ月程度ではあるが、一人ひとりに対して愛着を注いできたのだから、誰が選ばれていようと私は受け入れられないだろう。
しかし私がどれだけ受け入れられなくても、決定を曲げることなどできない。
覚悟を決めて主任のパソコンを覗き込むと、にわかに信じ難い名前が表示されていた。
塚田心愛。一人で5度目ともなると「運が悪い」などという言葉ではとても表現できるものでは無い。
私は思わず声を荒げてしまった。
「主任はこの結果がおかしいと思わないんですか!」
感情のままに主任の肩を揺さぶる。慌てて他の先生が私を抑えに来たが、男性の先生2人に無理やり引っ張られて私はようやく主任の机から離された。
「安住くん、君の気持ちはもちろんわかるがこれはコンピュータが弾き出した結果なのだよ。」
初等部校長の言葉は冷酷で、あまりにも非情なものだった。
[幸い、この立場交換には猶予があった。翌日から5連休であったため、校長や学年主任からは「心の整理をしなさい」と言われたのだった。
「何か学校のシステムに不備があるに違いない」と私は奮起し、しらみつぶしに児童管理システムを確認した。
そして費やすこと丸一日。児童評価を管理する関数に、隠されたカテゴリを見つけた。
そのカテゴリには、ほとんどの児童に数おいて値は入力されていなかったものの、心愛の欄には明らかに高い数値が入力されていた。
「どのような手段を使ってこの闇を暴こうか」
そう考えているうちに、寝ずに作業していた頭は限界を迎え、私は倒れるように眠りについた。
目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。
私は慌てて飛び起き、見知らぬ部屋のドアを開けようとしたが、外から鍵が掛かっているようで、どう力を入れても開くことは無かった。
数分してドアが開き、白衣の男が私を軽々と持ち上げた。
抵抗しようにも足を別の男に抱えられ、あまりの恐怖に叫ぶことすらできなかった。
"実験室"と書かれた部屋へ入ると、中にあった透明なカプセルに入れられた。必死にガラスを叩くも、割れる気配は無い。「出して!」と叫んでも、小さなカプセルの中で自分の声が反響するだけ。
諦めていたその時だった。私と同じような状態で、この部屋にもう一人女性が担がれてきた。
顔は見えなかったが、あの体つきからして心愛だろうと思えた。しかし「心愛ちゃん!」と叫んでも応答は無い。心愛らしき女性はやがて隣にもあったもう一つのカプセルに入れられ、そのまま眠っていた。
私は隣のカプセルに入れられたその女性に振り向いてもらおうと頑張ったが、実ることはなく、5分ほどが経っていた。
そして、突然部屋が大きくなった。というのも、壁だと思っていた場所に電気が通ったのか、ガラスが出現したのである。
そんなガラス張りの壁の向こうには、うっすらと見知った姿が見かけられた。見違うはずもない、初等部の校長の姿がそこにはあった。
「驚いているようだね、安住くん。」
カプセルの上部にスピーカーが植え付けられているのか、私の上から校長の声が聞こえた。
「君は学園の重大な機密情報を勝手に持ち出し、解析した。申し訳ないが君の存在を我々は抹消することにしたのだよ。」
恐ろしいという言葉では到底表せない感情。膝から力が抜け、崩れ落ちていくのがわかる。抗議する気力など無かった。
「存在を抹消する前に、全てを教えてあげよう。この学園は、何も完璧な教育を施すためだけにあるわけでは無い。"教育"に関する様々な"研究"も行っている。表向きにはできないものまでね。」
私の中で何かが繋がった気がした。
「ここまで言えばどんなに勘の悪い者でも分かるだろう。君の隣にいる塚田心愛くんだって、研究のための実験台"だった"というわけだ。『ヒトは教えられたことしか学習できないのか』というね。」
「学習を進めさせないため」に様々な理屈をつけて同じ学年に縛っていたという、その事実に憤りを抱いたが、既に感情は複雑で、どうにも声にはならなかった。
「まあ、落ち着いてくれたまえ。安住くんが怒るのは教師として当然のことだ。明らかに倫理に反した実験だからね。心愛くんには悪いと思っているよ。だから今から、年相応の学力を与えてあげようと思っているんだ。まあ、安住くんが『学園の機密情報を持ち出した罰を甘んじて受け入れる』というのであればの話だが。」
僅かな光が見えた。いくら不正を暴くためとはいえ、情報漏洩の可能性もあるファイルを勝手に持ち出したのは私なのだから、心愛を開放できるのなら罰くらいは甘んじて受けよう。そう思って、私は首を縦に振った。
「交渉は成立したようだね。では、実験を始めよう。」
校長のその声がスピーカーから流れると同時、カプセルに電流が流れはじめ、私はたちまち立っていられなくなった。
容赦なく浴びせられる電流に抗議の口が開くはずもなく、私はただ悶絶するばかりだった。
永遠とも思われた電撃もいつしか止んでいた。暴れすぎたのか完全に疲弊しきっていたが、どうにか意識はあるようだった。心なしか、頭は軽い気がする。
「お疲れのようだが、この措置について説明させてもらおう。」
また頭上のスピーカーから校長の声が聞こえ始めた。
「あの電流は、"記憶"に干渉するものだ。この実験が成功していれば、安住くんの脳からは6~15歳時の学習記憶を全て消している。」
驚愕の言葉だった。また恐怖が襲い掛かってくる感覚がする。
「ではなぜ君は私の説明を聞けているのだろうか。答えは、君がそのカプセルに入っているからだ。特殊技術の粋を集めて作られたそのカプセルは、今や君の身体と一心同体。君の脳からは記憶を消したが、そのカプセルに詰め込んであるから、君はまだ私の話を理解できている。」
これほどまでに非情で恐ろしい言葉はあるだろうか。私は生きた心地がしなくなっていた。
「では、実験の本題に入ろう。今回の実験は2つだ。1つ目は、『ヒトは、他人の学習経験でも自分の経験のように扱えるのか。』そして2つ目が、『ヒトは、生きていた時代の記憶からある一定の記憶を欠損した時どうなるのか。』理解できただろうか、安住くん。今から、このカプセルに宿った君の学習記憶を、隣にいる心愛くんのカプセルに移し、そこから君のときとは逆の電流で心愛くんの脳に移植する。ここまでの協力ご苦労だった。君の意志の強さを期待しているよ。安住くん。いや、もう理沙くんと呼んだほうが良いかな。」
その言葉が聞こえるや否や、私の意識は途切れてしまった。
ちくっとした痛みで、わたしは起き上がった。
「心愛くん、聞こえているかい?」
校長先生の声だ。見渡すと、ガラスの中に居ることが分かった。
「いきなりだが、君に嬉しい報告をしよう。」
「君はこの連休が明けたら、高等部1年生になることになった。」
最初は理解出来なかった。でも思えば私も15歳。初等部2年など不釣り合いにも程があるというものだ。
しかしなぜこのタイミングなのだろう。その答えはすぐに知らせてくれた。
「君の担任だった安住先生が頑張ってくれてね。君に年相応の学力をもたらしてくれたのさ。」
安住先生。昨年からわたしの担任として教えてくれていた優しい先生だ。
その安住先生は、わたしと同じようなガラス張りのカプセルで幸せそうに寝ていた。
きっと、何かをしてくれたのだろう。私は眠っている先生を横目に研究員という人に連れられ、この部屋を後にした。
それから3ヵ月、すっかり本当の同級生たちに馴染んだわたしは、ボランティアの一環として初等部の子どもたちの宿題をサポートするため、初等部寮に足を運ぶことになり、繰り上がりのたしざんが苦手な1年生の"あずみ りさ"ちゃんと出会うことになるのだが、それはまた別のお話。
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※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
My Doctor
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