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押し縮められたばねは、反動で強く跳びあがる。
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5万7千円。これは私が支払えなかった金額だ。
打てる手は全て打ったと思う。借金を借金で返済する生活を始めてしまった時に、行動を改められていたなら、"こんなこと"にはならなかっただろう。
私が"私"を失ってから、もうすぐ1年になる。
「日下部 萌さんですね。あなたにはこの春から、小学校に通って頂きます。」
いきなり押しかけてきたスーツの女性に、意味不明な宣告をされたのが約1年前。
後に私の義母となるその人…深川麻衣が差し出してきた名刺には、[青少年更生課]と書かれていた。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
私は確かに金欠だったが、窃盗などの犯罪に手を染めるほどの度胸は無かったから、更生しなければならないようなことをした覚えは無いし、そもそも小学校に通わされるというのもよく分からない。
そんな私はとりあえず、説明を聞くことにした。
「日下部さん、あなたは先月、クレジットカード会社への振り込みを怠りましたね? そこでカード会社から連絡を受けまして、私たちが調査をしたところ、かなりの借金を抱えられているということが判明いたしましたので、日下部さんが通われている学校側と協議した結果、このような措置を決定させていただきました。」
この説明で、「理解した」というのは簡単だ。
しかし、「納得した」とまでは言えない。
私は大学生で、当たり前だが小学校などとっくの昔に卒業している。いくら私がバカだと言ったって、小学校の内容で新しく学ぶことは無いはずだ。
そんな私が、どうしてまた小学校に通わなければいけないのか。
私は何とか理由を付けて回避しようとしたけども、これくらいの抵抗は予測済みだったらしい。
「"お小遣い帳"をつけ始めるのが、小学校の高学年からというのが世間一般の認識らしいですから、日下部さんにも彼らと一緒に生活してもらうことで、その浪費癖を直してもらう……というのが建前で、借金地獄の学生の末路を紹介することで他の学生の浪費を抑制するというのが本音ですね。」
つまり、私は他の学生のため、犠牲にされたというわけだ。
もちろん納得できるわけは無いのだが、関係各所に話が通っているとまで言われてしまえば逃げ場は無く、足掻くだけの語彙を持っていない私はその運命を受け入れざるを得なかった。
翌日から、私を取り巻く環境は一変した。
大学進学時から借りていた部屋から追い出され、養育者となった麻衣さんのアパートが新しい家となった。
[萌ちゃんの部屋]と書かれたプレートの下げられた部屋には、水色に統一された学習机一式と新品のランドセルが置かれていて、いかにもJSの部屋という感じが羞恥心を増長させられる。
私の私物のほとんどは借金返済のために売り飛ばされるようで、新しい自室に持ち込めたものは昔から大切にしている犬のぬいぐるみだけだった。
友人に見栄を張って買い込んでいたオシャレアイテムも「小学生の萌ちゃんにはまだ早いから」と没収され、クローゼットの中身はまるで10年前に戻ってしまったのかと思うほどに変えられてしまっていた。
これから私が通わされる小学校が大学の附属小学校で、制服通学だからまだ良かったが、最近の小学生女子は皆このクローゼットの中身よりも大人びた服を着ているという印象があるから、私はこの壊滅的なセンスに軽く絶望していた。
「これからは毎月お小遣いを渡すから、欲しいものはその中でやりくりして買ってね。 まあ、小学生だし行けるところも買えるものも限られるでしょうけど。」
突然母親口調に変わった麻衣さんからこう言われて渡されたのは、千円札が3枚と猫が描かれた折り畳み式の財布、そしておこづかい帳と書かれたノート。
大人びた服を買えば一瞬で無くなってしまうようなお小遣いを人前では見せたくないような財布に入れ、自由の身から管理される子どもに逆戻りしたということを示す証を受け取る。
本当は抵抗したい気持ちでいっぱいだったのだが、「自分が悪い」という自覚がある以上、上手く言葉にできず、羞恥心とストレスだけが溜まっていった。
そして迎えた、始業式の日。
数年ぶりに入る体育館という施設の、最前列。
私は、全校生徒の前で挨拶をさせられることとなった。
「日下部 萌、20歳です。春乃大学の大学生でしたが、お金を使いすぎてしまったので、小学校からやり直しをすることになりました。 今日から、5年1組に入ります。本当は5年生の皆よりも10歳年上だけど、同級生として接してください。6年生の皆さんは、私と接することがあっても気を遣わず、他の5年生の子たちと同じように接してください。これからよろしくお願いします。」
異常な自己紹介に館内はざわついていたが、これは悲しいことに全て事実で、内容は全て大人によって考えられたものだ。
明らかな異常が附属とはいえ小学校という地に入るのだから、ざわつくのも当然だろう。
特に私から指名された高学年のざわつきはかなりのものがあったのだが、周囲の先生達がどうにか抑え、私の紹介はそこで終わった。
始業式も終え、職員室に置いていた荷物を持って一足遅く教室に向かう。
当前だが、教室内は私の話題で持ち切りのようで、私語が遠い廊下からも聞こえていた。
先に入って場を鎮めた担任の相澤先生に手招きされ、10歳年下のクラスメートと対面する。
大学の附属小学校で制服姿なことも相まってか、淡い記憶の中の小学生像よりも大人びているように感じた。
「日下部 萌です。さっき始業式で話した通り、20歳だけどお金の使い方を間違ってたくさん借金が溜まっちゃったので、正常な金銭感覚をつけるために小学生からやり直すことになりました。これからよろしくお願いします。」
5年生ということで、少し詳しく説明を加えて自己紹介をする。
深々と頭を下げると、拍手が起こり、質問が飛んできた。
「なんで首に犬みたいな輪っかが付いてるんですか?」
これに対しては、相澤先生が回答を返す。
「日下部さんは、返せないくらい借金をしてしまったお馬鹿さんですが、それでも立派な大学生でした。だから、皆よりは絶対にお勉強ができるし、少し体も大きいからその分力も強いです。 そのままだと皆のお勉強の妨げになったり、皆があぶないことをされるかもしれないので、その首輪を付けることでそこから電気を流して日下部さんの知能や力が皆と同じくらいになるように調節しています。日下部さんのお母さんが持っている専用の鍵が無いとその首輪を取り外せないので、皆さんは安心して授業を受けてくださいね。」
信じられない技術力もあったものだ。
当事者の私も、最初に聞かされた時は驚いたのだから、子どもたちが騒ぐのも無理はない。
この首輪がすごいのは、取り付けられた瞬間に能力が失われることだ。
それまで苦戦しつつも答えていた問題群に出てくる言葉の意味すら理解できなくなった時は不思議な気持ちだったし、
中高時代に部活で鍛えた筋肉が無くなったかのような錯覚に陥った時は、果てしない絶望感に襲われた。
そんなハイテクな機械が今、私の首には付けられている。
定義的に言えばこの中の半分以上の子どもたちは私よりも頭が良いということになるし、
運動能力もまた、私より良い子が半分以上居るということになる。
まだ私の自己紹介しか終えていない段階で彼らの技量を推し量ることはできなかったのだが、
私が大学附属の小学校に通う小学生がいかに優れた知能を持っているかということを知るまで、そう時間は掛からなかった。
初日ということで授業は無く、決め事だけが淡々と決められていく。
私のためにと自己紹介の時間も設けられたのだが、5年生ともなれば自己紹介は簡素なもので、私はクラスメートの情報を入れることに苦戦した。
そんな自己紹介を終えると、役割決めが行われた。
5年生ということで、委員会活動が始まる学年になるため、クラス内の係活動よりも物珍しい委員会活動の方に人が集まっていたのだが、その中で一つだけ空欄の委員会があり、小学校生活2回目の私はそこに回される形となった。
翌朝、私は校門の前に立っていた。
皆に避けられ、私に巡ってきた委員会、それは"生活委員会"。
少し早起きして、朝校門に立ってあいさつをするのが主な仕事だ。
それだけなら、責任の無い5年生にとってはむしろ楽で人気が出そうなものだが、この附属小学校という環境においては、少し他と事情が異なる。
隣接する附属中学校の生徒と一緒に仕事をしなければならないのだ。
別に、中学生からしごかれるとかそういう話ではない。
単純に、最大4学年離れた中学生という存在が遠く感じて得体の知れない存在だから一方的に怖がっているだけであるのだが、食わず嫌いという感覚は強く、その感覚を払拭することは極めて難しい。
そういった理由で避けられていたからというのもあるし、担任の相澤先生によると朝からあいさつをすることで私には小学校の空気にいち早く慣れさせ、他の児童には私という異端な存在が居る環境に慣れさせるため、半ば強制という形で私をこの委員会に入れたということだった。
中学生の集団とは真反対に立つ、小学生にしては大きい体の私。
パッと見ただけだと中学生に見えるため、通り過ぎていく車からは違和感を感じないだろうが、しっかり見ると明らかに制服が小学校のものだと分かる上に、小学生しかつけていないはずの名札までついている。
それでも少し発育の良い小学生としか捉えられないはずなのだが、変に見られたらどうしようという不安と、中学生も含めたこの数人の集団で圧倒的に年上なのにも関わらず一番下の立場として参加しているという羞恥心が複雑に絡み合って私はこれ以上ないほどに顔を紅潮させていた。
予鈴が鳴り、終了の挨拶だけして流れ解散となる。
中学生と別れて小学校の靴箱に向かう最中、一緒に立っていた6年生の"お姉さん"から「頑張ってくだ……頑張ってね」と声を掛けられた。
向こうにそんな気は無かったのだろうが、9歳下の子どもよりも私の立場が下であることを初めて強く理解させられ、私は反射的に「はい!」と勢いよく返し、周囲の数人を驚かせてしまった。
このことをきっかけに、6年生から軽いパワハラのようなものを受けるようになるのだが、私がそこに込められた悪意に気付くのはまだ先のお話である。
肝心の授業は、決して簡単なものでは無かった。
最初は「知能を制限されているから」と自分に言い訳が出来ていたのだが、段々と時間が経ち、授業理解度が露骨に反映されるようになった小テストでも満点を遠くに逃したことで、「授業についていけていない」という事実を認めざるを得なくなっていた。
その中でも特に酷かったのが算数だ。
もともと昔から図形問題や証明問題に苦手意識があったのもあるが、GW前後で始まった「合同の証明」という単元のテストでは人生最低点となる65点を叩き出した。
いくら苦手な単元とは言え、このまま置いていかれていてはマズい。
そう危機感を持てていたのも、僅かな時間だけだった。
「住めば都」ということわざがある。
どんなところでも、そこで暮らしているうちに慣れてしまって住みやすくなるという意味のことわざなのだが、小学生として1ヶ月も生活をしているうちに、徐々に羞恥心も薄れ、梅雨が始まる頃には小学生としての生活が「当たり前だ」と思うようになっていた。
クラス内では「おバカ」というレッテルを受け入れつつあり、委員会では6年生が本当に頼もしく見えはじめ、「"上級生として"しっかりしないと」という感情が芽生えていた。
これに拍車をかけていたのが、養育者である麻衣さんの存在だ。
何もしなくても食事にありつけるし、お小遣いもくれて、あまり私に干渉してこないから、私はいつしか更生担当の職員であることを忘れてしまっていた。
一度堕落してしまえば、あとは崩壊していく以外に道は残されていない。
「終わりの始まり」は、あまりにも突然襲来した。
「そろそろお小遣い帳チェックしようか。」
麻衣さんのこの一言に、私は冷や汗を流した。
私の微かな抵抗をもろともせず、麻衣さんはお小遣い帳と財布を見つけて中身を確認する。
財布には千円札と少しの小銭しか残っていないのに対し、お小遣い帳の最後に記載されていたのは3千円と少し。
それも、最後の日付は5月5日で止まっており、それ以降の消費と6月のお小遣いは全く記載されていない。
約1ヶ月で私がどれだけ堕落したかということを示すには、十分すぎる証拠だった。
「まあこんなところだろうと思ってました。どうやら、また発破をかけ直さなければいけないようですね。」
言うが早いか、麻衣さんは私の首輪を外し始める。
そして、なにやら首輪をいじりながらあっさりと、私への罰を宣告した。
「萌さん、いや萌ちゃんは帳簿を付ける練習をするにもまだ早かったようです。なので明日からは、小学校の2年生として、この"にっきちょう"に毎日日記を書いて、私に見せてください。どんなに短いものでもいいですから、その日にあったことをしっかりと、自分の言葉で書いてくださいね。」
そう言って麻衣さんは、お小遣い帳を引き取り、今流行りの可愛いキャラクターが描かれた新しいノートを渡してくる。
情報の整理に追われていた私は、それを無言で受け取ってしまった。
あまりにもあっさりと言われたから、一瞬通り過ぎてしまいそうになったが、確かに麻衣さんは"小学校の2年生として"と言っていた。
その証拠に、私の学習机に併設された教科書棚からは5年生用の教科書類が消え、一夜にして2年生用の教科書に置き換えられた。
「お世話する側」から、「お世話される側」への転落。
呆然としている間に、私の首には新しく調整し直された首輪が取り付けられた。
私の世界から、多くの言葉と「かけ算」、「わり算」という概念が無くなったが、問題を解くという場面に至るまでその効果を実感することは無かった。
翌朝。校門の前には変わらずあいさつ当番の人たちが立っていたが、誰一人として私に声を掛けてくることは無かった。
どうやら、生活委員会の"おにいさん"や"おねえさん"は私を元々居なかったものとして扱うと決めたらしい。
私もそれを察し、彼らに近づくことなく新しい教室へと向かった。
新しい担任の宮脇先生に呼ばれ、2年2組の教室へ入る。
目の前に居る子どもたちは皆、まだあどけなさの抜けない顔立ちをしていて、5年生との違いをまじまじと感じさせられた。
「日下部 萌です。昨日までは5年生だったけど、言われてたことを守れなかったから、今日から2年生になりました。体は大きいけど、よろしくお願いします。」
伝えなければならないことはたくさんあるが、伝える側である私も受け取る側である他の子たちも皆2年生ということで、これくらいしか伝えられなかった。
5年生の時と同様に首輪のことについては先生から説明してもらい、早速授業が始まった。
最初の授業は、生活。
最後に履修したのは、もちろん1回目の小学2年生を終える時であるから、12年以上前……干支1周り以上前のことである。
周りの子たちが生まれたころ、私は中学生だったと考えると、堕落したにも程があるというものだ。
私はそんな子どもたちと一緒に、私は2年生の目玉でもある「まちたんけん」に赴こうとしていた。
それも引率の先生としてではなく、同じ立場の"児童"として。
私たちの時には無かったタブレットを使って、地域のことを調べていく。
大学生の私は大学の周囲はなにも無い住宅造成地だということを知っていたのだが、その知識にアクセスできない小学2年生の私は、他の子どもたちと同じく純粋に"何か"を探し続ける。
結局、航空写真から見つけられたのは地元の小さな寺だけで、これといった収穫は無かった。
小学生にとって3年という月日は、高校生や大学生の3年とは比べ物にならないほどに大きい。
成長の早い女の子ですら思春期を迎える前の小学2年生というのは、あまりにも純粋で、幼稚で、無邪気だった。
大多数の大人は、これを「子どもの良いところ」と言うけれど、無邪気で純粋な心から生み出された幼稚な言葉は時に鋭利なナイフとなって大人の心に突き刺さる。
まちたんけんを2日後に控えていた日の、さんすうの時間。
「こんなカンタンなたし算で間違えるなんて、もえってホントに大学生のおねえさんなのか?」
隣に座っていた男の子から突然発された、からかいの言葉。
私が黒板で解いた2桁同士の足し算の結果が、皆と違っていたことが原因だった。
発した本人としてはちょっとしたからかいのつもりだったのだろうし、冷静に考えれば私もそう思える。
しかし、春から少しずつストレスを溜め込んでいた当時の私に落ち着く余裕などはなく。
「もえの頭がワルいんじゃないもん!このくびわがワルいんだもん!」
あまりにも幼稚な言葉で、言い返してしまった。
先に感情任せになってしまった時点で、私の"負け"は明白で。
今となっては何を言ったかも憶えていないが、仲裁に入った先生に、振り上げた拳を止められたことで、私はようやく馬鹿な真似をしたという事実を認識した。
「日下部さん、いくら小学校2年生の知能になったからといっても、もともとは大学生なのですし、首輪が付いていても感情くらいはコントロールできる筈ですよね?それなのに怒りに任せて子どもとケンカを始め、そのうえ先に手を出そうとするとは、言語道断です。処遇はまた連絡があると思いますから、今日のところはいったん家に帰って、頭を冷やしておきなさい。」
静まり返った教室の中、宣告された言葉はあまりにも冷ややかなもので、崩れかけていた私の感情を壊すのには十分すぎた。
目から大量の涙を流し、嗚咽を続ける私が周囲のクラスの先生たちに担がれて保健室に連れていかれたのは、それから約1分後のことである。
私が人生2度目のまちたんけんに出向くことは、叶わなかった。
「おねえさん、どうしちゃったの?」
落ちるところまで落ちた私に、そんな疑問を投げかけてくれたのは、陽菜ちゃんという女の子だった。
陽菜ちゃんは、私が2回目の小学生を始めた時から縦割り班で一緒に活動していた子で、世話役の6年生が少しやんちゃなお兄さんだったから5年生のお姉さんだった私を慕ってくれ、2年生に落ちてからも距離が近くなったと喜んでいたほどに純粋な子だった。
そんな陽菜ちゃんは今、私の隣に座って授業を受けている。
1年1組。ここが私の新しい居場所……と言いたいところだが、厳密に言えば私の居場所はここではない。
私がこの教室で陽菜ちゃんと一緒に授業を受けられるのは週に2日、木曜日と金曜日しかないのだ。
では、私の本当の居場所はどこで、週の前半は何をしているのかというと……
「きょうはみんなで、フルーツバスケットをしましょう!」
「フルーツバスケットのルール、おぼえてるひと手をあげて~!」
春乃大学附属幼稚園、ぶどう組。俗に言う、年中クラスというものである。
令和生まれの子どもたちに混ざる平成中期生まれの私は、特注サイズの制服を着て、園児と共に小さい教室を走り回っていた。
小学生になるまでまだ1年以上の猶予がある年中児は、"勉強"というものとの接点が小さい。
遊びやおお遊戯など日々の活動の中で「おともだちとなかよくする」ことが目標のこの年齢は、小学生相手にムキになってしまった私の感性を育て直すのにピッタリということだった。
それだけならずっと年中児として生活すればよかったのだが、堕落癖がついていた私への特別措置として考案されたのが、小学校1年生との二重所属というわけだ。
月曜から水曜までは年中児として幼稚園に通い、木曜と金曜は小1児として小学校に通う。
期間の差が示している通り、私の本当の所属はぶどう組であるから、小学校にも幼稚園の制服を着て登校しなければならないし、クラスメートすらも"おにいさん"、"おねえさん"と呼ばなければならない。
授業を受けるにも、小1レベルの初期とはいえ勉強をするための頭の準備ができていない"年中児"の私は理解できないことが多いのだが、「在籍させてもらっているだけ」の私に進行を遅らせてくれることは無い。
そのため私は、"おねえさん"たちに「おべんきょうをおしえてください」と頼むことで僅かながらも歩みを進めるしかなく、夏休みになる前には既に"クラスの妹"として可愛がられていた。
そしてその"おねえさん"の中心的存在だったのが、件の陽菜ちゃんで。
「もえちゃん、りんごが7こあって、3こ食べちゃったら、のこりは4こになるでしょ?だから、7ひく3は4ってなるんだよ。」
いつしか私の呼び方も「おねえさん」から「もえちゃん」に変わっていた陽菜ちゃんは、簡単な計算から丁寧に教えてくれた。
皆が私に優しく接してくれる、そんな時間がいつまでも続けばいいのに。
そう思っていても、時間は刻一刻と進んでいて。
迎えてしまった、20代初の夏休み。
元同級生たちがバイトやら飲み会やらに時間を費やしている中、私は毎日幼稚園の現同級生たちといろいろな遊びを堪能していた。
夏本番の強い日差しと高気温の中でも構わず園庭で走り回る子どもたちと共に、大学生だったことも忘れて楽しく駆け回っていたのだが、思わぬ来訪者が私の心を現実に連れ戻した。
その来訪者の名前は、佐竹花音。
高校時代、2つ下の後輩としてテニス部に入ってきた彼女は、瞬く間にエースの座に君臨した。
当時3年生として最後の大会を控えていた私は、彼女の台頭によりチーム戦のメンバーから脱落。
3年間ともに切磋琢磨しあった仲間とチームを組んで戦うことに誰よりも強い憧れを抱いていた私はこれに憤り、引退するまで彼女を徹底的にイジメ抜いた。
卒業後は接点が無くなったために、特に気にすることは無かったのだが、対面してしまえば話は別だ。
小学生や幼稚園児と違って、3年経っても以前とそこまで変わらない顔は、当時を思い出すのに十分すぎる材料だった。
担任のはるか先生に集められ、花音の前に座らされる。
はるか先生に促された花音は、自己紹介を始めた。
「ぶどう組の皆さん、こんにちは!
今日からこの幼稚園で幼稚園の先生になるためのお勉強をしに来た、佐竹花音です。
私は運動をしたり、お歌を歌うことが大好きなので、皆と一緒にたくさん遊べることを楽しみにしています!
これからよろしくお願いします!」
そう挨拶されてしまえば、こちらとしても頭を下げるしかない。
「よろしくお願いします」という言葉は同じでも、立場は圧倒的に違う。
向こうは保育学科の教育実習生で、こちらは教育される側の幼稚園児。
2歳の差など簡単にひっくり返るほどの立場の差が、そこには存在していた。
新しい"せんせい"に、沸き立つ園児たち。
花音は園児の目線に合わせるように、しゃがんで囲み取材を受けていた。
年下にこの状況を見られたという事実だけでもツラいのに、それが良くない思い出を持っている相手となると尚更である。
小さな記者に並んで輪の中に入ることの出来ない私の存在に気付いたはるか先生は、「一足先に教室に帰っとこうか?」と、副担任のななこ先生を呼び、私と共に教室に帰る指示を出した。
数分後、一通りの囲み取材を終えた園児と花音がはるか先生に連れられて教室へと戻ってきた。
園児たちは教室に併設された水道で手を洗いに行き、はるか先生とななこ先生は手洗いの指導をするためにそちらに気を向けたため、奇しくも花音と私だけの空間が生まれた。
私は気まずくて逃げようとしたが、それを許すほど"大人の女性"は甘くない。
「センパイ、お久しぶりですね。もう会えないと思っていたのに、こんなところで会えるなんて、私の運も捨てたもんじゃないみたいです。あんなにキツくしごいてきたセンパイが、幼稚園児やってるなんて、最初聞いた時は信じられませんでしたけど、実際来てみたら園庭で子どもに混じって園児と同じ服着た大人が走り回ってるんですもん。笑いをこらえるのに必死でしたよ。
私の実習は2週間しかありませんけど、もっともーっと可愛いコドモにしてあげますから、覚悟しておいてくださいね。も・え・ちゃん♡」
あまりの恐怖に、背筋が凍り付く。
顔からも血の気が引き、全身から力が抜ける感覚もあった。
ほぼ同時に股部が温かくなっていたのだが、それが私の"おもらし"であるということを認識したのは、手洗いを終えた園児が
「もえちゃんがおもらししてる~!」と叫んだ時だった。
結論から言うと、私が花音に可愛がられることは無かった。
あの後すぐに保健室へ連行された私は、必死に「花音から脅された」と訴えたのだが、当の本人は当たり前のように否定したし、私の説明も少ない語彙から繰り出される泣き声混じりで途切れ途切れの拙い説明だったこともあって一蹴されたのだ。
その結果、私は"トイレットトレーニングが必要"として、幼稚園の最年少クラスである"いちご組"に転落することが決められた。
どれだけ泣いて抗議しても、「本当は20歳の大人だから」という言葉を使われては、歯が立たない。
私が成人後2度目のおもらしをおむつに吸収してもらうまで、1日も要らなかった。
「いぬさんわんわん、ねこさんにゃんにゃん、うさぎさんぴょんぴょん、くまさんがおー!」
「はいみんなよくできました~!ぱちぱち~!」
年少組よりも幼く、0歳~2歳の子どもたちが集められたいちご組の教室では、ほとんどレスポンスが起こらない。
これは、語彙が無いというのもあるし、何が行われているかを理解する知能が無いというのもある。
その中に混じる私も、当然周囲と同じ状態になるように知能を制限されているわけで。
「せんせいたちがわらっているからいっしょにわらうとたのしい」というレベルのものしか感じることは無かった。
いちご組になって、排泄に限らずどんなことも一人ではまともにできなくなり、伝えたいことが上手く言葉にできず、もどかしい思いをすることも多い。
それまではどれだけ馬鹿になってもコミュニケーションが取れるほどではあったから、語彙の無いこの状況にストレスを溜めてしまい、まるで本物の幼児のように癇癪を起こすこともあった。
そんな手の掛かる私のことも、先生たちや麻衣ママは優しく受け入れ、他の子と同じように接してくれた。
まあ、流石に抱っこだけは険しい表情をされたから欲する回数を減らしたのだけれど。
今の私は、当たり前だが自分でお金を使うことは無い。
稼ぐこともできないから溜まっている借金が減っていくことも無いのだが、"いちご組"という競争心が芽生える前の社会で生活している中で、過酷な競争社会で作り上げられた闘争心はかなり和らいできたように思う。
あとは、首輪を付けられ、行動を制限されることで周りの子たちに負けることが常態化していたのも、「負けても何も変わらないんだ」という考えが生まれることに繋がり、それも闘争心を減らす一因になった。
私がいつ元の生活に戻れるかは私ですら分からないが、少なくともこのまま成長していけば、以前のような浪費癖からなる借金地獄に陥ることはないだろうと言える。
もちろん、40歳になって高校生をやっているわけにはいかないと思っているからどこかでごぼう抜きをしなければならないとは考えているのだが、今はまだこの甘い監獄に囚われていたいという気持ちもある。
4月には、人生2度目のにゅうえんしきも控えているし、麻衣ママによるといちご組に落ちて以降2学期から行っていなかった小学校にも、入学し直す予定だという。
幼稚園の年少組と、小学校の1年生。
どちらも、私が再出発するには相応しい舞台だろう。
今は"おともだち"との関係も良好であるから、今も着けているおむつさえ外れれば、今年のうちに陽菜おねえちゃんたちの居る小学2年生まで戻ることも可能らしい。
私の今年一番の課題は、「再発したおもらしを直すこと」になりそうだ。
打てる手は全て打ったと思う。借金を借金で返済する生活を始めてしまった時に、行動を改められていたなら、"こんなこと"にはならなかっただろう。
私が"私"を失ってから、もうすぐ1年になる。
「日下部 萌さんですね。あなたにはこの春から、小学校に通って頂きます。」
いきなり押しかけてきたスーツの女性に、意味不明な宣告をされたのが約1年前。
後に私の義母となるその人…深川麻衣が差し出してきた名刺には、[青少年更生課]と書かれていた。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
私は確かに金欠だったが、窃盗などの犯罪に手を染めるほどの度胸は無かったから、更生しなければならないようなことをした覚えは無いし、そもそも小学校に通わされるというのもよく分からない。
そんな私はとりあえず、説明を聞くことにした。
「日下部さん、あなたは先月、クレジットカード会社への振り込みを怠りましたね? そこでカード会社から連絡を受けまして、私たちが調査をしたところ、かなりの借金を抱えられているということが判明いたしましたので、日下部さんが通われている学校側と協議した結果、このような措置を決定させていただきました。」
この説明で、「理解した」というのは簡単だ。
しかし、「納得した」とまでは言えない。
私は大学生で、当たり前だが小学校などとっくの昔に卒業している。いくら私がバカだと言ったって、小学校の内容で新しく学ぶことは無いはずだ。
そんな私が、どうしてまた小学校に通わなければいけないのか。
私は何とか理由を付けて回避しようとしたけども、これくらいの抵抗は予測済みだったらしい。
「"お小遣い帳"をつけ始めるのが、小学校の高学年からというのが世間一般の認識らしいですから、日下部さんにも彼らと一緒に生活してもらうことで、その浪費癖を直してもらう……というのが建前で、借金地獄の学生の末路を紹介することで他の学生の浪費を抑制するというのが本音ですね。」
つまり、私は他の学生のため、犠牲にされたというわけだ。
もちろん納得できるわけは無いのだが、関係各所に話が通っているとまで言われてしまえば逃げ場は無く、足掻くだけの語彙を持っていない私はその運命を受け入れざるを得なかった。
翌日から、私を取り巻く環境は一変した。
大学進学時から借りていた部屋から追い出され、養育者となった麻衣さんのアパートが新しい家となった。
[萌ちゃんの部屋]と書かれたプレートの下げられた部屋には、水色に統一された学習机一式と新品のランドセルが置かれていて、いかにもJSの部屋という感じが羞恥心を増長させられる。
私の私物のほとんどは借金返済のために売り飛ばされるようで、新しい自室に持ち込めたものは昔から大切にしている犬のぬいぐるみだけだった。
友人に見栄を張って買い込んでいたオシャレアイテムも「小学生の萌ちゃんにはまだ早いから」と没収され、クローゼットの中身はまるで10年前に戻ってしまったのかと思うほどに変えられてしまっていた。
これから私が通わされる小学校が大学の附属小学校で、制服通学だからまだ良かったが、最近の小学生女子は皆このクローゼットの中身よりも大人びた服を着ているという印象があるから、私はこの壊滅的なセンスに軽く絶望していた。
「これからは毎月お小遣いを渡すから、欲しいものはその中でやりくりして買ってね。 まあ、小学生だし行けるところも買えるものも限られるでしょうけど。」
突然母親口調に変わった麻衣さんからこう言われて渡されたのは、千円札が3枚と猫が描かれた折り畳み式の財布、そしておこづかい帳と書かれたノート。
大人びた服を買えば一瞬で無くなってしまうようなお小遣いを人前では見せたくないような財布に入れ、自由の身から管理される子どもに逆戻りしたということを示す証を受け取る。
本当は抵抗したい気持ちでいっぱいだったのだが、「自分が悪い」という自覚がある以上、上手く言葉にできず、羞恥心とストレスだけが溜まっていった。
そして迎えた、始業式の日。
数年ぶりに入る体育館という施設の、最前列。
私は、全校生徒の前で挨拶をさせられることとなった。
「日下部 萌、20歳です。春乃大学の大学生でしたが、お金を使いすぎてしまったので、小学校からやり直しをすることになりました。 今日から、5年1組に入ります。本当は5年生の皆よりも10歳年上だけど、同級生として接してください。6年生の皆さんは、私と接することがあっても気を遣わず、他の5年生の子たちと同じように接してください。これからよろしくお願いします。」
異常な自己紹介に館内はざわついていたが、これは悲しいことに全て事実で、内容は全て大人によって考えられたものだ。
明らかな異常が附属とはいえ小学校という地に入るのだから、ざわつくのも当然だろう。
特に私から指名された高学年のざわつきはかなりのものがあったのだが、周囲の先生達がどうにか抑え、私の紹介はそこで終わった。
始業式も終え、職員室に置いていた荷物を持って一足遅く教室に向かう。
当前だが、教室内は私の話題で持ち切りのようで、私語が遠い廊下からも聞こえていた。
先に入って場を鎮めた担任の相澤先生に手招きされ、10歳年下のクラスメートと対面する。
大学の附属小学校で制服姿なことも相まってか、淡い記憶の中の小学生像よりも大人びているように感じた。
「日下部 萌です。さっき始業式で話した通り、20歳だけどお金の使い方を間違ってたくさん借金が溜まっちゃったので、正常な金銭感覚をつけるために小学生からやり直すことになりました。これからよろしくお願いします。」
5年生ということで、少し詳しく説明を加えて自己紹介をする。
深々と頭を下げると、拍手が起こり、質問が飛んできた。
「なんで首に犬みたいな輪っかが付いてるんですか?」
これに対しては、相澤先生が回答を返す。
「日下部さんは、返せないくらい借金をしてしまったお馬鹿さんですが、それでも立派な大学生でした。だから、皆よりは絶対にお勉強ができるし、少し体も大きいからその分力も強いです。 そのままだと皆のお勉強の妨げになったり、皆があぶないことをされるかもしれないので、その首輪を付けることでそこから電気を流して日下部さんの知能や力が皆と同じくらいになるように調節しています。日下部さんのお母さんが持っている専用の鍵が無いとその首輪を取り外せないので、皆さんは安心して授業を受けてくださいね。」
信じられない技術力もあったものだ。
当事者の私も、最初に聞かされた時は驚いたのだから、子どもたちが騒ぐのも無理はない。
この首輪がすごいのは、取り付けられた瞬間に能力が失われることだ。
それまで苦戦しつつも答えていた問題群に出てくる言葉の意味すら理解できなくなった時は不思議な気持ちだったし、
中高時代に部活で鍛えた筋肉が無くなったかのような錯覚に陥った時は、果てしない絶望感に襲われた。
そんなハイテクな機械が今、私の首には付けられている。
定義的に言えばこの中の半分以上の子どもたちは私よりも頭が良いということになるし、
運動能力もまた、私より良い子が半分以上居るということになる。
まだ私の自己紹介しか終えていない段階で彼らの技量を推し量ることはできなかったのだが、
私が大学附属の小学校に通う小学生がいかに優れた知能を持っているかということを知るまで、そう時間は掛からなかった。
初日ということで授業は無く、決め事だけが淡々と決められていく。
私のためにと自己紹介の時間も設けられたのだが、5年生ともなれば自己紹介は簡素なもので、私はクラスメートの情報を入れることに苦戦した。
そんな自己紹介を終えると、役割決めが行われた。
5年生ということで、委員会活動が始まる学年になるため、クラス内の係活動よりも物珍しい委員会活動の方に人が集まっていたのだが、その中で一つだけ空欄の委員会があり、小学校生活2回目の私はそこに回される形となった。
翌朝、私は校門の前に立っていた。
皆に避けられ、私に巡ってきた委員会、それは"生活委員会"。
少し早起きして、朝校門に立ってあいさつをするのが主な仕事だ。
それだけなら、責任の無い5年生にとってはむしろ楽で人気が出そうなものだが、この附属小学校という環境においては、少し他と事情が異なる。
隣接する附属中学校の生徒と一緒に仕事をしなければならないのだ。
別に、中学生からしごかれるとかそういう話ではない。
単純に、最大4学年離れた中学生という存在が遠く感じて得体の知れない存在だから一方的に怖がっているだけであるのだが、食わず嫌いという感覚は強く、その感覚を払拭することは極めて難しい。
そういった理由で避けられていたからというのもあるし、担任の相澤先生によると朝からあいさつをすることで私には小学校の空気にいち早く慣れさせ、他の児童には私という異端な存在が居る環境に慣れさせるため、半ば強制という形で私をこの委員会に入れたということだった。
中学生の集団とは真反対に立つ、小学生にしては大きい体の私。
パッと見ただけだと中学生に見えるため、通り過ぎていく車からは違和感を感じないだろうが、しっかり見ると明らかに制服が小学校のものだと分かる上に、小学生しかつけていないはずの名札までついている。
それでも少し発育の良い小学生としか捉えられないはずなのだが、変に見られたらどうしようという不安と、中学生も含めたこの数人の集団で圧倒的に年上なのにも関わらず一番下の立場として参加しているという羞恥心が複雑に絡み合って私はこれ以上ないほどに顔を紅潮させていた。
予鈴が鳴り、終了の挨拶だけして流れ解散となる。
中学生と別れて小学校の靴箱に向かう最中、一緒に立っていた6年生の"お姉さん"から「頑張ってくだ……頑張ってね」と声を掛けられた。
向こうにそんな気は無かったのだろうが、9歳下の子どもよりも私の立場が下であることを初めて強く理解させられ、私は反射的に「はい!」と勢いよく返し、周囲の数人を驚かせてしまった。
このことをきっかけに、6年生から軽いパワハラのようなものを受けるようになるのだが、私がそこに込められた悪意に気付くのはまだ先のお話である。
肝心の授業は、決して簡単なものでは無かった。
最初は「知能を制限されているから」と自分に言い訳が出来ていたのだが、段々と時間が経ち、授業理解度が露骨に反映されるようになった小テストでも満点を遠くに逃したことで、「授業についていけていない」という事実を認めざるを得なくなっていた。
その中でも特に酷かったのが算数だ。
もともと昔から図形問題や証明問題に苦手意識があったのもあるが、GW前後で始まった「合同の証明」という単元のテストでは人生最低点となる65点を叩き出した。
いくら苦手な単元とは言え、このまま置いていかれていてはマズい。
そう危機感を持てていたのも、僅かな時間だけだった。
「住めば都」ということわざがある。
どんなところでも、そこで暮らしているうちに慣れてしまって住みやすくなるという意味のことわざなのだが、小学生として1ヶ月も生活をしているうちに、徐々に羞恥心も薄れ、梅雨が始まる頃には小学生としての生活が「当たり前だ」と思うようになっていた。
クラス内では「おバカ」というレッテルを受け入れつつあり、委員会では6年生が本当に頼もしく見えはじめ、「"上級生として"しっかりしないと」という感情が芽生えていた。
これに拍車をかけていたのが、養育者である麻衣さんの存在だ。
何もしなくても食事にありつけるし、お小遣いもくれて、あまり私に干渉してこないから、私はいつしか更生担当の職員であることを忘れてしまっていた。
一度堕落してしまえば、あとは崩壊していく以外に道は残されていない。
「終わりの始まり」は、あまりにも突然襲来した。
「そろそろお小遣い帳チェックしようか。」
麻衣さんのこの一言に、私は冷や汗を流した。
私の微かな抵抗をもろともせず、麻衣さんはお小遣い帳と財布を見つけて中身を確認する。
財布には千円札と少しの小銭しか残っていないのに対し、お小遣い帳の最後に記載されていたのは3千円と少し。
それも、最後の日付は5月5日で止まっており、それ以降の消費と6月のお小遣いは全く記載されていない。
約1ヶ月で私がどれだけ堕落したかということを示すには、十分すぎる証拠だった。
「まあこんなところだろうと思ってました。どうやら、また発破をかけ直さなければいけないようですね。」
言うが早いか、麻衣さんは私の首輪を外し始める。
そして、なにやら首輪をいじりながらあっさりと、私への罰を宣告した。
「萌さん、いや萌ちゃんは帳簿を付ける練習をするにもまだ早かったようです。なので明日からは、小学校の2年生として、この"にっきちょう"に毎日日記を書いて、私に見せてください。どんなに短いものでもいいですから、その日にあったことをしっかりと、自分の言葉で書いてくださいね。」
そう言って麻衣さんは、お小遣い帳を引き取り、今流行りの可愛いキャラクターが描かれた新しいノートを渡してくる。
情報の整理に追われていた私は、それを無言で受け取ってしまった。
あまりにもあっさりと言われたから、一瞬通り過ぎてしまいそうになったが、確かに麻衣さんは"小学校の2年生として"と言っていた。
その証拠に、私の学習机に併設された教科書棚からは5年生用の教科書類が消え、一夜にして2年生用の教科書に置き換えられた。
「お世話する側」から、「お世話される側」への転落。
呆然としている間に、私の首には新しく調整し直された首輪が取り付けられた。
私の世界から、多くの言葉と「かけ算」、「わり算」という概念が無くなったが、問題を解くという場面に至るまでその効果を実感することは無かった。
翌朝。校門の前には変わらずあいさつ当番の人たちが立っていたが、誰一人として私に声を掛けてくることは無かった。
どうやら、生活委員会の"おにいさん"や"おねえさん"は私を元々居なかったものとして扱うと決めたらしい。
私もそれを察し、彼らに近づくことなく新しい教室へと向かった。
新しい担任の宮脇先生に呼ばれ、2年2組の教室へ入る。
目の前に居る子どもたちは皆、まだあどけなさの抜けない顔立ちをしていて、5年生との違いをまじまじと感じさせられた。
「日下部 萌です。昨日までは5年生だったけど、言われてたことを守れなかったから、今日から2年生になりました。体は大きいけど、よろしくお願いします。」
伝えなければならないことはたくさんあるが、伝える側である私も受け取る側である他の子たちも皆2年生ということで、これくらいしか伝えられなかった。
5年生の時と同様に首輪のことについては先生から説明してもらい、早速授業が始まった。
最初の授業は、生活。
最後に履修したのは、もちろん1回目の小学2年生を終える時であるから、12年以上前……干支1周り以上前のことである。
周りの子たちが生まれたころ、私は中学生だったと考えると、堕落したにも程があるというものだ。
私はそんな子どもたちと一緒に、私は2年生の目玉でもある「まちたんけん」に赴こうとしていた。
それも引率の先生としてではなく、同じ立場の"児童"として。
私たちの時には無かったタブレットを使って、地域のことを調べていく。
大学生の私は大学の周囲はなにも無い住宅造成地だということを知っていたのだが、その知識にアクセスできない小学2年生の私は、他の子どもたちと同じく純粋に"何か"を探し続ける。
結局、航空写真から見つけられたのは地元の小さな寺だけで、これといった収穫は無かった。
小学生にとって3年という月日は、高校生や大学生の3年とは比べ物にならないほどに大きい。
成長の早い女の子ですら思春期を迎える前の小学2年生というのは、あまりにも純粋で、幼稚で、無邪気だった。
大多数の大人は、これを「子どもの良いところ」と言うけれど、無邪気で純粋な心から生み出された幼稚な言葉は時に鋭利なナイフとなって大人の心に突き刺さる。
まちたんけんを2日後に控えていた日の、さんすうの時間。
「こんなカンタンなたし算で間違えるなんて、もえってホントに大学生のおねえさんなのか?」
隣に座っていた男の子から突然発された、からかいの言葉。
私が黒板で解いた2桁同士の足し算の結果が、皆と違っていたことが原因だった。
発した本人としてはちょっとしたからかいのつもりだったのだろうし、冷静に考えれば私もそう思える。
しかし、春から少しずつストレスを溜め込んでいた当時の私に落ち着く余裕などはなく。
「もえの頭がワルいんじゃないもん!このくびわがワルいんだもん!」
あまりにも幼稚な言葉で、言い返してしまった。
先に感情任せになってしまった時点で、私の"負け"は明白で。
今となっては何を言ったかも憶えていないが、仲裁に入った先生に、振り上げた拳を止められたことで、私はようやく馬鹿な真似をしたという事実を認識した。
「日下部さん、いくら小学校2年生の知能になったからといっても、もともとは大学生なのですし、首輪が付いていても感情くらいはコントロールできる筈ですよね?それなのに怒りに任せて子どもとケンカを始め、そのうえ先に手を出そうとするとは、言語道断です。処遇はまた連絡があると思いますから、今日のところはいったん家に帰って、頭を冷やしておきなさい。」
静まり返った教室の中、宣告された言葉はあまりにも冷ややかなもので、崩れかけていた私の感情を壊すのには十分すぎた。
目から大量の涙を流し、嗚咽を続ける私が周囲のクラスの先生たちに担がれて保健室に連れていかれたのは、それから約1分後のことである。
私が人生2度目のまちたんけんに出向くことは、叶わなかった。
「おねえさん、どうしちゃったの?」
落ちるところまで落ちた私に、そんな疑問を投げかけてくれたのは、陽菜ちゃんという女の子だった。
陽菜ちゃんは、私が2回目の小学生を始めた時から縦割り班で一緒に活動していた子で、世話役の6年生が少しやんちゃなお兄さんだったから5年生のお姉さんだった私を慕ってくれ、2年生に落ちてからも距離が近くなったと喜んでいたほどに純粋な子だった。
そんな陽菜ちゃんは今、私の隣に座って授業を受けている。
1年1組。ここが私の新しい居場所……と言いたいところだが、厳密に言えば私の居場所はここではない。
私がこの教室で陽菜ちゃんと一緒に授業を受けられるのは週に2日、木曜日と金曜日しかないのだ。
では、私の本当の居場所はどこで、週の前半は何をしているのかというと……
「きょうはみんなで、フルーツバスケットをしましょう!」
「フルーツバスケットのルール、おぼえてるひと手をあげて~!」
春乃大学附属幼稚園、ぶどう組。俗に言う、年中クラスというものである。
令和生まれの子どもたちに混ざる平成中期生まれの私は、特注サイズの制服を着て、園児と共に小さい教室を走り回っていた。
小学生になるまでまだ1年以上の猶予がある年中児は、"勉強"というものとの接点が小さい。
遊びやおお遊戯など日々の活動の中で「おともだちとなかよくする」ことが目標のこの年齢は、小学生相手にムキになってしまった私の感性を育て直すのにピッタリということだった。
それだけならずっと年中児として生活すればよかったのだが、堕落癖がついていた私への特別措置として考案されたのが、小学校1年生との二重所属というわけだ。
月曜から水曜までは年中児として幼稚園に通い、木曜と金曜は小1児として小学校に通う。
期間の差が示している通り、私の本当の所属はぶどう組であるから、小学校にも幼稚園の制服を着て登校しなければならないし、クラスメートすらも"おにいさん"、"おねえさん"と呼ばなければならない。
授業を受けるにも、小1レベルの初期とはいえ勉強をするための頭の準備ができていない"年中児"の私は理解できないことが多いのだが、「在籍させてもらっているだけ」の私に進行を遅らせてくれることは無い。
そのため私は、"おねえさん"たちに「おべんきょうをおしえてください」と頼むことで僅かながらも歩みを進めるしかなく、夏休みになる前には既に"クラスの妹"として可愛がられていた。
そしてその"おねえさん"の中心的存在だったのが、件の陽菜ちゃんで。
「もえちゃん、りんごが7こあって、3こ食べちゃったら、のこりは4こになるでしょ?だから、7ひく3は4ってなるんだよ。」
いつしか私の呼び方も「おねえさん」から「もえちゃん」に変わっていた陽菜ちゃんは、簡単な計算から丁寧に教えてくれた。
皆が私に優しく接してくれる、そんな時間がいつまでも続けばいいのに。
そう思っていても、時間は刻一刻と進んでいて。
迎えてしまった、20代初の夏休み。
元同級生たちがバイトやら飲み会やらに時間を費やしている中、私は毎日幼稚園の現同級生たちといろいろな遊びを堪能していた。
夏本番の強い日差しと高気温の中でも構わず園庭で走り回る子どもたちと共に、大学生だったことも忘れて楽しく駆け回っていたのだが、思わぬ来訪者が私の心を現実に連れ戻した。
その来訪者の名前は、佐竹花音。
高校時代、2つ下の後輩としてテニス部に入ってきた彼女は、瞬く間にエースの座に君臨した。
当時3年生として最後の大会を控えていた私は、彼女の台頭によりチーム戦のメンバーから脱落。
3年間ともに切磋琢磨しあった仲間とチームを組んで戦うことに誰よりも強い憧れを抱いていた私はこれに憤り、引退するまで彼女を徹底的にイジメ抜いた。
卒業後は接点が無くなったために、特に気にすることは無かったのだが、対面してしまえば話は別だ。
小学生や幼稚園児と違って、3年経っても以前とそこまで変わらない顔は、当時を思い出すのに十分すぎる材料だった。
担任のはるか先生に集められ、花音の前に座らされる。
はるか先生に促された花音は、自己紹介を始めた。
「ぶどう組の皆さん、こんにちは!
今日からこの幼稚園で幼稚園の先生になるためのお勉強をしに来た、佐竹花音です。
私は運動をしたり、お歌を歌うことが大好きなので、皆と一緒にたくさん遊べることを楽しみにしています!
これからよろしくお願いします!」
そう挨拶されてしまえば、こちらとしても頭を下げるしかない。
「よろしくお願いします」という言葉は同じでも、立場は圧倒的に違う。
向こうは保育学科の教育実習生で、こちらは教育される側の幼稚園児。
2歳の差など簡単にひっくり返るほどの立場の差が、そこには存在していた。
新しい"せんせい"に、沸き立つ園児たち。
花音は園児の目線に合わせるように、しゃがんで囲み取材を受けていた。
年下にこの状況を見られたという事実だけでもツラいのに、それが良くない思い出を持っている相手となると尚更である。
小さな記者に並んで輪の中に入ることの出来ない私の存在に気付いたはるか先生は、「一足先に教室に帰っとこうか?」と、副担任のななこ先生を呼び、私と共に教室に帰る指示を出した。
数分後、一通りの囲み取材を終えた園児と花音がはるか先生に連れられて教室へと戻ってきた。
園児たちは教室に併設された水道で手を洗いに行き、はるか先生とななこ先生は手洗いの指導をするためにそちらに気を向けたため、奇しくも花音と私だけの空間が生まれた。
私は気まずくて逃げようとしたが、それを許すほど"大人の女性"は甘くない。
「センパイ、お久しぶりですね。もう会えないと思っていたのに、こんなところで会えるなんて、私の運も捨てたもんじゃないみたいです。あんなにキツくしごいてきたセンパイが、幼稚園児やってるなんて、最初聞いた時は信じられませんでしたけど、実際来てみたら園庭で子どもに混じって園児と同じ服着た大人が走り回ってるんですもん。笑いをこらえるのに必死でしたよ。
私の実習は2週間しかありませんけど、もっともーっと可愛いコドモにしてあげますから、覚悟しておいてくださいね。も・え・ちゃん♡」
あまりの恐怖に、背筋が凍り付く。
顔からも血の気が引き、全身から力が抜ける感覚もあった。
ほぼ同時に股部が温かくなっていたのだが、それが私の"おもらし"であるということを認識したのは、手洗いを終えた園児が
「もえちゃんがおもらししてる~!」と叫んだ時だった。
結論から言うと、私が花音に可愛がられることは無かった。
あの後すぐに保健室へ連行された私は、必死に「花音から脅された」と訴えたのだが、当の本人は当たり前のように否定したし、私の説明も少ない語彙から繰り出される泣き声混じりで途切れ途切れの拙い説明だったこともあって一蹴されたのだ。
その結果、私は"トイレットトレーニングが必要"として、幼稚園の最年少クラスである"いちご組"に転落することが決められた。
どれだけ泣いて抗議しても、「本当は20歳の大人だから」という言葉を使われては、歯が立たない。
私が成人後2度目のおもらしをおむつに吸収してもらうまで、1日も要らなかった。
「いぬさんわんわん、ねこさんにゃんにゃん、うさぎさんぴょんぴょん、くまさんがおー!」
「はいみんなよくできました~!ぱちぱち~!」
年少組よりも幼く、0歳~2歳の子どもたちが集められたいちご組の教室では、ほとんどレスポンスが起こらない。
これは、語彙が無いというのもあるし、何が行われているかを理解する知能が無いというのもある。
その中に混じる私も、当然周囲と同じ状態になるように知能を制限されているわけで。
「せんせいたちがわらっているからいっしょにわらうとたのしい」というレベルのものしか感じることは無かった。
いちご組になって、排泄に限らずどんなことも一人ではまともにできなくなり、伝えたいことが上手く言葉にできず、もどかしい思いをすることも多い。
それまではどれだけ馬鹿になってもコミュニケーションが取れるほどではあったから、語彙の無いこの状況にストレスを溜めてしまい、まるで本物の幼児のように癇癪を起こすこともあった。
そんな手の掛かる私のことも、先生たちや麻衣ママは優しく受け入れ、他の子と同じように接してくれた。
まあ、流石に抱っこだけは険しい表情をされたから欲する回数を減らしたのだけれど。
今の私は、当たり前だが自分でお金を使うことは無い。
稼ぐこともできないから溜まっている借金が減っていくことも無いのだが、"いちご組"という競争心が芽生える前の社会で生活している中で、過酷な競争社会で作り上げられた闘争心はかなり和らいできたように思う。
あとは、首輪を付けられ、行動を制限されることで周りの子たちに負けることが常態化していたのも、「負けても何も変わらないんだ」という考えが生まれることに繋がり、それも闘争心を減らす一因になった。
私がいつ元の生活に戻れるかは私ですら分からないが、少なくともこのまま成長していけば、以前のような浪費癖からなる借金地獄に陥ることはないだろうと言える。
もちろん、40歳になって高校生をやっているわけにはいかないと思っているからどこかでごぼう抜きをしなければならないとは考えているのだが、今はまだこの甘い監獄に囚われていたいという気持ちもある。
4月には、人生2度目のにゅうえんしきも控えているし、麻衣ママによるといちご組に落ちて以降2学期から行っていなかった小学校にも、入学し直す予定だという。
幼稚園の年少組と、小学校の1年生。
どちらも、私が再出発するには相応しい舞台だろう。
今は"おともだち"との関係も良好であるから、今も着けているおむつさえ外れれば、今年のうちに陽菜おねえちゃんたちの居る小学2年生まで戻ることも可能らしい。
私の今年一番の課題は、「再発したおもらしを直すこと」になりそうだ。
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