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第2章
和歌
しおりを挟む「今日は邸内が浮き足立ってるからね、リリの護衛も強化してもらったよ。彼らの仕事の邪魔はしない様にね、リリ」
こちらの世界にもバレンタインデーがあるのかはわからないけれど、私の部屋に来た臣君は既にチョコレートの箱や袋を両手に持っていた。
「僕の分はリリが食べていいよ。僕、甘い物嫌いだし」
「それは……大丈夫」
「そお?ここにおいておくから気が向いたら食べなよ、あぁほらもう来てるみたいだね」
庭の方を見やる臣君の目線を追うと、シェイド様とクリストフさんが、ほんの十歩ほどの距離で警備をしているのが見えた。
シェイド様の隊服の背中を見つめてしまう。
こっちを向いて欲しい気持ちと、今の私を見ないで欲しい気持ちがないまぜになって私を襲う。
「リリ、僕の髪、結ってくれる?どの組紐がいいかな?」
唇を噛んだ私の頬をさすりながら臣君が優しく問う。
「あ、うん……」
臣君が縁側に腰掛けて庭の方を向いたので、臣君の髪を結う私も強制的に庭を向く形になる。
いつもしんとしているお庭が、今日はやけに人の気配がする。
使用人の女達がシェイドさまとクリストフさんの所へ何人もやって来てはチョコレートを渡して行くのが見える。
————「公爵様、これ、手作りなんです!受け取っていただけますか?」
華やいだ女の子の声。臣君によって、日本の感覚を植え付けられた人にとって、シェイド様は王子様みたいに見えるはずだ。私みたいに。
唇を噛んだまま、庭を見ない様に意識して組紐を結ぶ。
「リリ、水色の組紐が好きなの?僕に似合う?」
「あ……うん」
ぼんやりと答える私にクスッと笑って臣君はそのまま庭に出て行った。
その瞬間にシェイド様がこちらに振り向き、琥珀色の視線がぶつかる。
「——っ……逃げ……」
喉がカラカラで声がうまく出せずにもどかしい。
意外にも穏やかに話しかけている臣君の様子を見て、少しだけ体の力を抜く。
工事の音と、人々の声で途切れ途切れにしか会話は聞こえないが、銃を出す様な雰囲気ではなさそうな事に安心する。
——リリにとっては僕の代わり
不意に聞こえた臣君のセリフに絶望する。
やめて、違う、そんなはずない——
代わりなんかじゃない
シェイド様しか好きじゃない。
そのままどこかへ連れ立って行ってしまい、紺色の隊服の後ろ姿を見つめる。
代理なんかじゃないと伝えたい。
あなたが好きだと分かって欲しい。
涙を我慢して、手習の道具を出す。
墨を薄墨にすって、一番上等な半紙を使う。
伝わらない恋文に何の意味があるのかわからないけれど今の私にはこれしかない。
チョコレートも用意できないし、レターセットも用意できない。
手習に見せかけて和歌を書く。
日本語ならもし見つかっても館の人達には分からない。
君思う イレイの花に 涙落つ
未だ恋し 泡沫の夜
細く折って、さっきまでシェイド様が立っていた木に結びつけた。
◇◆◇
「暗号でしょうか?見た事ない種類の記号ですね」
散々な目にあって、荷物ばかり増えた俺達がリリの部屋前に戻ると、俺がいた場所の木に見慣れない紙が結んであるのに気がついた。
「……………………一度公爵邸に戻る」
館前で警備にあたっていたアランを捕まえて一緒に移転する。
「テオはもう起きてるか?」
「はい。まだ療養中ですが、ベットの上で少しずつ身体を動かしているそうです」
「少しは顔を見せてやれ」
「…………はい。ありがとうございます」
テオの部屋にはアレックスがいて驚いた顔で立ち上がった。
「シェイド!ちょうど良かった。テオの怪我は治されていたからな。あの者が持っていた筒状の物が何なのか分からなかったんだが、リリ様の部屋にコレが落ちていた。テオの怪我の縫合跡から見てもコレで間違いなさそうだ」
手渡されたのは、鉛の塊。
「んだこれ、玩具か」
「殺傷能力はずいぶんと高そうに見えたな。リリ様のお国の兵器だろうか」
「だろうな。変なもん持ち込みやがって」
不安な顔をしたテオが、アランを見て力を抜いたのがわかった。俺を狙えば良かったものを、リリへのダメージが一番デカいテオを一瞬で判断したあいつに怒りが湧く。
「テオ、お前リリの国の文字が分かるだろ」
アレックスが驚いた顔でテオを見る。
「?はい、完璧ではありませんが。姫様はいつも尊師の授業を母国の言語でメモされるので。三種類あって、三千文字以上ある言語の様です。響きが綺麗なんです!」
「なんて書いてあるか分かるか」
リリからであろう手紙をテオに渡す。
「公爵様、これ姫様のお国の古典文学です!多分……恋文です。姫様が万年筆のインク調整に試し書きされるワカとかいうやつですね。歌に思いを乗せるんだとか。とっても綺麗なんで、僕いつも見せてもらってて…………えーっと、
君おもう、イレイの花に なみだおつ
いまだこいし うたかたのよる
って書いてあります!イレイの花を見るとあなたの事を想い出されて涙がとまりません、泡の様に消えてしまったあの夜がとても恋しいです とかそんな感じでしょうか。公爵様、姫様と夜にデートなさってたんですか?」
アレックスが真っ赤になって俯く。
アランが慌ててテオの眼を塞ぐ。
「…………………………おまえ、今見た事ぜんぶわすれろ、いいな」
「えぇ……? 僕、忘れるの苦手です」
「いいから忘れろ、努力しろ」
「ゔぅう…………無理…………」
「シェイド、なぜこんなまわりくどいことをする?いつもは相手の強さがどうであれつっこむだろ」
「リリが何に怯えて臣のところに留まってるのかわからんうちは、奪還してもずっと怯えたままだろ。
リリが自分でケリをつける事ができればいいけどな」
「黙って見てるのか?」
「んなわけねぇだろ、こっちを選ぶ様にガンガンつつく。諦める気はねぇんだよ」
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