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80話  クロエの覚悟

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「……失礼しま~す」


部屋の主が眠っているのを知っていながらも、俺はこっそり部屋の中に入る。

リエルの屋敷の寝室。その空間の窓際にはふかふかなベッドがあって、クロエはそこでぐっすりと眠っていた。


「…………」


皇室から立ち去った後。

俺とニアはレジスタンスの人たちに了承を受け、光の速度で教会に駆け付けて無事にアルウィンに会うことができた。

アルウィンはクロエの状態を確認するなりびっくりしていたけど、すぐに神聖魔法を施してクロエの呪いを浄化してくれた。

さすがは教皇候補として選ばれた聖職者なだけあって、浄化の速度は凄まじいほど早かった。


『体の中にある黒魔法の残滓はすべて消しました。だけど、肩の傷もありますのでクロエさんは三日くらい、ゆっくり休養した方がいいと思います』


それからはアルウィンの忠告通り、リエルの屋敷に戻ってとりあえず休むことにしたのだ。俺は唇を濡らしながら、クロエの顔を見下ろす。

ニアを庇う時、ゲーリングというヤツにやられた肩の傷。

眠っているクロエの肩にはちゃんと包帯が巻かれていた。俺は拳をぐっと握りしめながら、ベッドの隣にある椅子に腰かける。


「……ごめん、クロエ」


もっと警戒していたら。

カルツを倒したことでいい気になっていなかったら。ニアの魔法で全部ぶっ飛んだと安易に考えなかったら、こんなことは起きなかった。

仲間が傷を負う姿を見るのは、あれが初めてだった。だからか、俺の頭の中にはクロエがぐったりした時の姿が焼き付いている。


「…………」


クロエの存在を確かめるために、俺はぐっと彼女の手を握りしめる。もう二度とあんな経験はしたくない。

クロエが呪いにかけられた時、俺は文字通り全身の血が冷え込むような感覚に襲われていた。その後にはすぐ、理性が飛んだ。

あの時の俺は、きっと敵にも自分自身にも怒っていたんだと思う。

だから……もう同じミスを繰り返さないよう、頑張らなきゃ。


「おやすみ、クロエ」


とにかく、今は自分の部屋に戻ってゆっくり考えをまとめるか。

そう思って立ち上がったところで、ふと鮮明な声が響く。


「行くの?」
「………………え?」
「行っちゃうんだ?寝ている人の部屋、勝手に入ってきたくせに」


驚いて目を丸くしていると、クロエが徐々に目を開いてくすっと笑ってくる。

俺は口をあんぐり開けるしかなくて、気づけば質問を投げていた。


「えっ、起きてた?」
「そりゃ起きるよ。私、人の気配にはすっごく敏感だし」
「あぁ、だよな……暗殺者だもんな」
「それで?行くの?」


クロエは上半身を起こしてから、ちょっとだけ頬を赤く染めながら言う。


「……このまま、夜這いでもされるのかなって思ってたのに」
「なっ……は、はぁ!?」
「し――っ。声が大きい。ニアやリエルに聞かれちゃってもいいの?」
「き、君が変なこと言うから!!」
「私、別に変なこと言ってないけどな~」


怪我したくせにずいぶん上機嫌に、クロエは声を弾ませながらベッドのふちを手で叩く。早くここに座れ、ってことだろう。

……俺は仕方なく、クロエの隣に腰かけた。


「体調は大丈夫?呪いの影響は?」
「本当心配性なんだから……大丈夫だよ。夕方にアルウィンが何度も見てくれたでしょ?」
「……それはそうだけど」
「ぷふっ、どんだけ私のこと……す、好きなの、本当に」
「……………え?」
「……………」
「ぁ…………………えっ、と」


早くなにか答えるべきだと分かっていながらも、俺は言葉に詰まってしまう。

分かっている。クロエはずいぶんと、冗談半分の軽い口調でその言葉を言ってくれた。途中で声がちょっと震えてたけど、ここは俺もスッと流すところなのだろう。

でも、何故か言葉が出てこない。もどかしいのに、ちょっとだけくすぐったい感じがして調子が狂う。


「………………………ちょっと」


そして、それはクロエも同じなのか。

さっきよりさらに顔を真っ赤にさせながら、クロエはジッと俺を見つめてきた。


「じょ、冗談だからね?さっきのはあくまで冗談、だから………」
「…………あ、うん。分かってる………」
「……………………ちっとも分かってないじゃん、バカ」
「え?今なんて―――」
「ああ~~なにも言ってない。私なにも言ってない~~ほら、用が終わったならさっさと出て行け!このバカ」


ええ……なんで急にぶち切らてるんだ、俺。そもそも、こんな雰囲気を作ったのはクロエなのに……。


「……あのさ、クロエ」


でも、俺はクロエの傍から離れず、再び彼女をまっすぐ見つめる。

さっきより声が少し真剣になったからか、クロエは驚いた顔で俺を見つめ返した。

まあ、これはたぶん、今言うべきことじゃないかもしれないけど。

それでも、俺はあえて口を開く。


「次もまた、戦うつもりなんだよな?」
「うん、当たり前じゃん。それがどうしたの……………って」


そして、賢いクロエは俺の表情と質問だけで意図を察したのか。

すぐに険しい顔になって、俺に顔を近づけながら言い出した。


「まさか、カイ………」
「…………………正直に言うとさ」
「やだ、聞きたくない」
「……正直に言うと、もう戦わないで欲し――――」
「聞きたくないって言ったじゃん!」


クロエはとうとう大声を出しながら、俺の肩をぐっと掴む。

怒りが滲んでいるその顔を目の前にしながらも、俺は思う。

正直に言うと、俺はクロエがずっとここにいて欲しいと思った。

戦場に出ることなく、危険に晒されることなく。ただリエルの屋敷で、ゆっくり休んでいて欲しい。

そんなことを言いたかった。それが、クロエがもっとも望まない言葉だって分かっていながらも。


「なんで、なんで!?私が怪我したから?私が二人ほど強くないから!?だからって勝手に抜けろとか、ありえないじゃん!」
「………………」
「……なんでそんなこと言うの。なんで?」


声には段々と怒りより悲しさが滲んで、俺はその時にハッと顔を上げて、クロエの顔を確かめる。

クロエは、すぐにでも泣きそうな顔で俺を見ていた。


「私だって分かってる。二人ほど強くないってこと、ちゃんと分かってるの!今回は全然二人の役に立たずに、足手まといにしかならなかったって分かってる!!だけど、だけど……それは、違うじゃん」
「……………」
「いきなり抜けろとか、酷いじゃん……」


その時になってようやく、俺は気づいた。

俺がむやみに口にした言葉が、どれだけクロエを傷つけたのか。俺がどれだけ無神経で、押しつけがましかったのか。

今まで、クロエがこんな風に泣く姿を見たことはなかった。

本当に悔しそうに、悲しそうに震えながら泣いているから。恨めしいと言わんばかりに、俺を睨むから。


「………ご、ごめん」
「………もうやだ。カイなんか、嫌い……」
「本当にごめん。魔が差してた。本当に、本当にごめん。だけど、クロエが弱いとか役に立たないとか思ったことは、一度もないから」
「……本当に?」
「うん、これだけは俺のすべてをかけて言えるよ。たった一度も、そんなことを思ったことはなかった。でも……でも」


………これは、かなり気恥ずかしい言葉だけど。

でも、クロエを納得させるためには仕方ないかと思いつつ、俺はうつむきながら言う。


「……大事過ぎるから」
「……………………」
「絶対に、何があっても……失いたく、ないから。もう、もう二度とごめんなんだよ。君が傷ついているところとか、気絶しているところを見るのは、もう二度とごめんなんだ。二度と」
「…………カイ」
「だから、その感情が先走り過ぎてうっかり、変なことを口にしたんだ。それに関しては……本当にごめん、反省してる」


ろくな友達がなかった俺にとって、クロエは言葉では表せないほど大切なパートナーだ。

ニアと同じくらい大切だし、絶対に守りたい友達でもある。

しかし、友達って言うのは対等な関係を意味するから―――今回はクロエの意志を完全に無視しようとした、俺が悪い。


「……カイ、顔上げて」
「………」
「………」


その気持ちを少しは汲んでくれたのか、クロエはゆっくり俺の顔を両手で包んでくる。

目と目が合って、俺たちしばらく無言で見つめ合う。


「………私のこと、そんなに大事?」
「………さっき言ったじゃん」
「足りない。もう一度言ってよ。私のこと、大事?」
「っ………そりゃ、大事だけど」
「私はね―――」


クロエは一度間を置いて、大きく深呼吸をしながら言う。


「あなたが私を思う気持ちより何十倍は、あなたのこと大事に思ってるから」
「………え?」
「だから、絶対に戦う。あなたが仮に私を置いて行っても、絶対に後つけてから戦うからね?もう二度と、そんなバカなこと言わないで」
「あ……ぁ、うん……」
「……………」


また気まずい沈黙が流れて、俺は何を言えばいいか分からなくなる。頬を包んでいるクロエの熱がより鮮明に伝わってくる。

しっかりとお叱りを受けたのはいいものの、クロエが言った言葉があまりにも心に響いていた。

俺がクロエを思う気持ちより何十倍は、俺のことを大事に思ってるって。

そんなの、まるで――――


「……なによ」
「……い、いや、なんでも」


……告白、みたいじゃないか。

俺がどれだけ本人のことを大事に思っているのか、知ってるくせに。


「………」
「………あの、クロエ?そろそろ手を離してもらえないかな」
「………」
「この手を離してもらわないと、部屋に戻れないんだけど……」
「………さっきあんなこと言ったカイに、発言権とかないから。大人しくしてよ」
「………………えっ、と」


クロエが全然、俺の頬から手を離してくれないから。

それに、このままだと雰囲気が益々ヤバくなりそうだから。

俺はとにかく、この場所を脱出するためにクロエの手を包んで、優しく引きはがそうとする。さもないと、本当に変な気持ちになりそうだった。


「一緒に寝ればいいじゃん」
「へ?」


だけど、クロエはさらに俺の頬をぎゅっと包んでから。

自ら俺に顔を寄せて、頬を染めてからもう一度言う。


「部屋に戻れないなら、い……一緒に寝ればいいじゃん」
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