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第九話『世間は、意外と狭い』
しおりを挟む史奈さんと一緒に行った小江戸川越の余韻冷めやらぬ月曜日。
今日も今日とて昼には史奈さんと食事。放課後になったら一緒に帰るという日常。
思考を整理してみれば、俺の高校生活がいつの間にか史奈さんに塗り替えられていることに気付く。むしろ、今までが何もなさ過ぎたのだ。史奈さんが少し関わるだけで、簡単に変わってしまう。
このままでいいのだろうか。史奈さんは楽しそうで、俺はそれなりという感じだが。
「御子柴くん、話があるから職員室に来なさい」
「え……うっす」
SHRが終わりさあ帰るぞと心を躍らせていると、廊下で担任の先生に呼び止められた。先生はそれだけ伝えると、すたすたと歩いて行ってしまった。一足先に職員室に向かったのだろう。
名前は……なんだったか。思い出せない。眼鏡が似合っているイケメンで女子からの人気も高い先生だ。あだ名をつけるとしたら鬼畜眼鏡だろうか。
とにかく、職員室に行くのなら史奈さんに遅れると伝えておこう。チャットを打ちながら自分が最近何か問題を起こしていないか考える。うーん、思いつかない。
俺は基本的に怒られることはしないのだ。褒められることもしないけどな。
職員室に入ると、先生が手招きしながら椅子に座って待っていた。顔がいいとこんな些細な挙動までかっこよく見える。
何はともあれ、先生の名前を聞かれなくてよかった。『何先生に用があるの?』と聞かれて名前を憶えていないことがバレたら赤っ恥だ。
「まあ掛けたまえ」
「失礼します」
座るように促される。お言葉に甘えて座らせてもらおう。
自分は何も悪いことはしていないと思っていても、職員室に入ると不安になってしまう。大人だらけの空気も嫌いだ。
「ふう……それで、話って何ですか」
小さく息を吐き、緊張を鎮める。
「最近、史奈と仲がいいみたいだね」
「うぇ? ……何のことですか」
思わず変な声が出てしまったが、必死に平静を装う。流石に、毎日一緒に帰っていたら教師の間でも噂になるか。
なら、隠しても意味ないのでは? そう思ったら隠すのが馬鹿らしくなってきた。開き直ろう。
…………ん? 史奈? 呼び捨てか。狙ってるとか?
「御子柴くん……もしかして先生の名前知らないのかい?」
「ええ、まあ。人の名前を覚えるのは苦手なんです」
バレてしまったら仕方がない。なんて悪役の言うセリフを脳内で思い浮かべた。こんなダサいバレ方があるか。
そうなると、不純異性交遊の注意だろうか。誓ってそんなことはしていないと伝えなくては。
「ははっ、史奈の言っていた通りだ。じゃあ、自己紹介から。先生の名前は天道一真。史奈の兄だよ」
「……兄? なるほど、だから知ってたんすね」
一瞬、思考が止まったが何とか理解できた。
この人は史奈さんの兄貴で、家で俺の話を聞いたのだろう。逆に、教室での俺の情報が史奈さんに伝わっている可能性もあるのか。最悪だな。
納得すると、緊張が解ける。心配するだけ損した。あの人の兄ならば、性格も特殊なのだろう。史奈さんと会話をする時と同じ感覚で会話をしよう。
「そう。最近になって史奈がキミの話ばかりするんだ。今までは退屈そうにしていたから、感謝しているよ」
「はあ、それはよかったです。と言っても、俺からは何もしてないんですけどね」
俺から何かをしてあげたことはない。あるとすれば家デートの提案だろうか。
あれは、史奈さんの望んでいたような提案ではなかったので何かをしてあげたとは言いにくい。
「僕から見ても、キミが魅力的なのは分かるよ。面白い人間だって、史奈から聞く前から思っていたんだ」
「……なんですか。そっちの気でもあるんすか」
「さあ、どうだろうね。でも分かっているよね、キミなら。史奈と同じように、僕のこともなんとなく理解してきているんだろう?」
本当に兄妹なんだな。そんなことを思ってしまうくらいには先生の表情、雰囲気が史奈さんとそっくりだった。
失礼かもしれないが、この人とはこれ以上関わってはいけない気がしてきた。ただでさえ史奈さんの相手は大変なのに、その兄まで加わるなんて。平和な日常が魔界での日々に変わってしまう。
さて、どうやってここから抜けだろうか。普通にじゃあそろそろこの辺で、とか言って終わらせるか?
なんて思っていると、近くの扉からノックが聞こえてくる。扉はガラッとスライドしながら開いた。
「お兄ちゃん。何してるの」
扉を開けたのは史奈さんだった。職員室に呼び出された、と伝えたからもしやと思ったのだろう。
そして意外なのは呼び方がお兄ちゃんというところ。兄とか、兄貴とかだと思っていた。
「史奈の彼氏と話をしていたんだ。本当に面白い子だね、御子柴くんは」
「束紗くん、帰るよ」
腕を引かれ、外に連れ出そうとする史奈さん。いいぞ、もっとやれ。
この空間から解放されるなら、いつもの『もしこういう状況になったらキミはどうするゲーム(地獄)』も甘んじて受け入れよう。
「ああっ、最後に伝えたいことがあるから二人にしてくれないかい」
「…………少しだけね」
しかし回り込まれてしまった。
先生の言葉を聞くと、史奈さんは不満気に扉を閉めた。くそう、あと少しだったのに。
最後に伝えたいことがあるとはなんだろうか。
「で、伝えたいこととは?」
そう言うと、先生の表情が変わった。
「もし史奈が迷ってしまった時は、救ってやってほしい」
先生は真剣な顔でそう言った。
俺には、その意味がすぐには分からなかった。確かに、史奈さんに迷うという表現は似合わないだろう。あの人はいつも真っ直ぐで、間違えない。
だけど、史奈さんが迷ってしまったら、俺は何ができるのだろうか。
何もできない。俺には何もないし、何もしてやれない。別に、してやりたいと思うわけではないが、やろうとしても、俺じゃ何もできない。
「……俺にそんな力はないです」
俯きながらそう伝える。俺はまだ史奈さんと出会ったばかりで、彼女のことをあまり知らない。俺なんかが深く関わる筋合いなんてないのだ。
「きっとあるさ。史奈が選んだんだ。キミに、何かを求めている」
「何か、ですか」
顔を上げる。何か、とは何だろうか。
自信満々、といった表情の先生を見て沈んだ気持ちが切り替わる。自身に満ち溢れた顔に元気づけられる日が来るなんてな。
いや、もしかしたら史奈さんと話すとき、いつもこんな感じに元気づけられていたのだろうか。
「残念だけど。それは僕にも分からない。キミが見つけるんだ」
「……その時はやるだけやってみるかもしれません。向こうにばかり知られているのも悔しいですから」
史奈さんには既に何度も俺の中に入り込んできている。が、俺は史奈さんの中に入り込めていない。
それが悔しい。分かった気になられるのが一番嫌いなのに、俺がそうなりつつある。だから、もう少し史奈さんを知りたい。そう思った。
「ははは、やっぱり優しいねキミは。さ、話はここまでだ。史奈が待っているよ」
それを聞き、職員室を後にする。スマートフォンを開くと、チャットアプリに史奈さんからいつもの場所で待ち合わせというメッセージが送られていた。
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