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第12話 本能
しおりを挟むあの夜から、僕はオリヴァーに触れていない。
こっちが避けるようにすると、オリヴァーも怒りがおさまらないのか、距離を取って近づいてこない。
ノアの前では普通に振る舞っているつもりだが、勘の良いノアは気づいている。
その証拠に、今まで以上にべったりくっついてくるんだ。
「クリス~、あめ、やまないねー」
「そうだね。外に遊びに行けないけど、絵本を読んであげるよ」
「うん!」
オリヴァーが朝に用意してくれたパスタを食べながら、ノアは窓の外を眺めている。
「ノア、汚れてるよ」
「んー」
口元を拭いてやると、ノアがにっこり笑う。
「オリヴァー、いつかえってくるのかな?」
「夜には帰ってくるよ」
「あめふってるけど、へいきかなぁ?」
「大丈夫。オリヴァーなら心配ないよ」
昼食の準備までして出ていったオリヴァーは、夜遅くに戻ると言っていた。
どこへ出かけているのかは僕も知らない。
今までもずっとそうだった。
僕はいつも、オリヴァーが帰ってくるのを待つだけだ。
出かける前に、気遣わしげに僕を見たのは、一応心配してくれたからだろう。
昨夜から続いた雨の所為で、体調を崩していた。
「クリス、スープのまないの?」
「うん……お腹空いてないんだ」
目の前に置かれているスープは、用意した時のまま一口も飲んでいない。
いつもならノアに付き合って少しは食べるけど、今はそんな気になれない。
わざわざオリヴァーが作ってくれた、僕たちの体に合わせた特別な香辛料を使っているのに。
それすら口にしたくないなんて、かなりまずい状況だ。
……精気が、足りない。
「ノアが飲んでもいいよ」
そう言ったけど、ノアは首を横に振って、心配そうな顔をする。
「クリス、へーき?」
「……少し休めば、大丈夫だから」
安心させるように微笑もうとしたけど、引きつってうまくできない。
いよいよ、まずい。
ノアには悪いけど、ベッドで休ませてもらおう。
そう思って椅子から立ち上がる。
「ッ……!」
しっかり立ったつもりだったのに、足下がふらついてそのまま床に倒れこむ。
「クリスッ!」
「ごめん、目眩がして……」
「クリスぅ!」
ノアが駆けよって、僕の肩を支えるようにつかんだ。
泣きそうな顔をするから、頭を撫でてやる。
「雨のせいで、調子が悪いみたいだ……寝てればなおるから、心配しないで」
立ち上がろうとするのに、力が入らない。
その場から動けなくなった。
「ふぇっ……クリスッ、クリス!」
半べそで僕に抱きつくノア。
その小さな体を抱きしめるのも億劫で、呼吸がどんどん浅くなる。
……僕は、バカだ。
精気が足りないのは分かっていたのに。
あの夜から、ずっとオリヴァーに触れようとしなかった。
いつも、足りない分はオリヴァーから分けてもらっていたのに、意地を張って避けていたから。
雨の降る日は、体調を崩してしまうけど、立てなくなるなんて初めてだった。
「クリス……だいじょうぶ? たてる?」
ノアが、泣きながら、僕に抱きついてくる。
小さな温もりを意識した途端、体の奥で血が騒いだ。
いけない、と思うのに理性が遠のいていく。
「ノア、……離れてっ」
このままだと、ノアに危険が及ぶ。
なんとか腕を動かして、ノアの体を押しやった。
「クリス?」
頭の中で警鐘が鳴る。
右手が勝手に、ノアの首に触れた。
止めろ……止めろッ!
微かな理性が、必死に叫ぶ。
けれど、抵抗は儚く、当然のように本能が勝った。
「クリス……?」
ノアの目が大きく見開かれる。
首筋にあてた右手が、ノアのやわらかな動脈を探して……。
「ッ!?」
バタンッと音を立ててノアが倒れた。
その音で、ハッと我に返る。
「ノア!!」
床に倒れたノアを、急いで抱きしめる。
左胸に手を当てると、心臓はちゃんと動いていた。
気を失っているだけのようだ。
けれど、体の中に感じる精気は、間違いなく……ノアから奪い取ったものだ。
「あ……うああぁっ!!」
ノアに……僕が、ノアに、手を掛けるなんてッ!!
後悔と罪悪感に涙があふれる。
「ノアっ、ノア!」
どんなに叫んでも、ノアは目をさまさない。
もし、このままノアが死んでしまったら?
怖ろしい未来を想像して、体が震える。
「ノア……嫌だ、ノアっ!!」
小さなノアの体を強く抱きしめる。
「オリヴァー! ……助けてッ!」
ここにいないオリヴァーに、助けを求める。
「ッ……オリヴァー、お願いだ……オリヴァー!」
泣き叫びながら、オリヴァーを呼び続けた。
助けを求める相手は、一人しかいなかったから。
「オリヴァーッ!!」
何度も、何度も呼び続けて。
けれどもう、その力も尽きてしまって。
ノアを抱きしめたまま、気を失った。
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