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44)そして──
しおりを挟む港、港に女ありってヤツか?
このスケベ忍者め。
「お名前は?」
と尋ねるサクラに、幼女は可愛らしい声を上げる。
「くるみー」
「なっ!」
凝固するイチ。
「嫌な予感がする。すぐここを離れるぞ」
「偶然だろ。クルミなんてどこにでも転がってんぜ」
とは言うものの、俺も背筋に寒いものが走った。肌がビリビリするんだ。この感じ、どこかで受けたことがある。
だけど思い出せない。それがやけに落ち着かず、妙な胸騒ぎが収まらない。
「気をつけろ、テル。それは感情サージかもしれぬ」
イチの顔色がやけに青白く見える。
「なんで、ここでサージを受けるんだよ?」
疑問はもっともだが───。
次の瞬間、それはさらに色濃くなった。
「イチさん。ゆっくりしていってくださいね」
「───っ!」
カツを入れられた修行僧みたいに背筋を跳ね上げたイチ、と俺。
振り返ると、柔らかくウエーブした髪をハーフアップにし、綺麗にまとめて櫛で止めた女性の笑みがあり、
「遠いところからようこそ。お待ちしておりました」
嫣然と、かつ優雅にたたずんでいた。
「「えっ!」」
今度は俺とサクラの二重奏だ。
「ママ~」
と駆け寄ったのは、くるみと名乗った幼女。
「「ママぁ?」」
俺とサクラのユニゾンが続く。
いつの間にかテツは耳をピンと立てて警戒のポーズをとり、イチも驚愕に震える目で見据えている。
すべての時間の流れをレポジトリから垣間見て、何が起きるか把握できる連中にとって、目の前で起きた事象は予定外の出来事なのか、それとも見過ごしていたのか。どちらにしても時間族がこんな緊迫した表情を浮かべたのは初めだった。
謎の幼女と女性は、予定されていたようなセリフを順に綴っていく。
「ニンジャのおじさんがきたらママにしらせるように、っていわれてるのー」と女の子。
「この時代の子供の服には、不審者認識用のユビキタスネットワークが搭載されていますので、どこに居ても場所が特定できて、連絡も取れるんですよ」
この人は、明らかに俺たちが別の時間からやって来ていることを知っている。
時間族でさえ狼狽させる──この女の人は誰なんだろ?
女性はほがらかに幼女と見つめあうと、
「よかったね、くるみ。忍者のおじさん、ちゃんと来てくれたね」
さらなる謎めいた言葉を漏らしてから、上品に口元を押さえた。
「ちゃんと………来た? ま、まさか……」
あの冷静沈着でいて、常に冷々淡々と振る舞うイチが震えていた。
俺はさっきから浮かんでくる疑念を、ここぞとばかりにぶちまけてやった。いつものお返しさ。
「時間規則を犯すようなことを……この人とやっちまったんじゃないのか?」
「どういう意味だ?」
むっとして俺を睨むイチ。
「時間族と人間との関係だよ」
半分は冗談のつもりで言ったのに、イチの顔が見る間に赤く染まり、そしてやけに真剣な声で、
「姫様の前で、なんということを言うんだ!」
「怖ぇぇなぁ。何でそんなに狼狽するんだよ。図星だったんだな、この野郎」
「お お前……失敬なヤツ……」
「失敬は普段のお前じゃねえか!」
「くっ……」
イチは攻撃的な視線で俺を睨んだまま、固まっちまいやがった。
「おいおい。都合が悪くなると黙り込む戦法は俺には通じねえぜ。誰なんだこの人は?」
これまでに無い切羽詰った感を曝け出したイチの青白い顔が、ゆっくりと俺の耳元に近づき、こう囁いた。
「女性の頭を見ろ。ティラニウム合金の櫛を差している……」
「な───っ!」
今度は俺の番だ。息が詰まり喉の奥から魂が飛び出た、と言っても過言じゃない。
「ば、バカな───!」
思わず俺は自分のズボンのポケットに手を突っ込んだ。
ちゃんとある───。サクラがニーナから貰った漆塗りの櫛だ。
俺たちの視線が一点に集中したのに気付いたのだろう。女性は誰かの面影が残る瞳をこちらに向け、
「峰山テルさんですよね?」
「へ?」
出たよ。久しぶりの『は』行だよ。
「なぜ俺の名前を?」
「あたし、この人どこかで見たことある」
俺だけでなくサクラも同じことを感じたらしい。
「そしてあなたがサクラさんでしょ?」
正しくサクラを指差してそう宣言した。
「ほへぇ~」
俺より間の抜けた声を出しやがった。
そんなことよりもだ。
俺のポケットに入られた、この時代にはあり得ない合金製の櫛をなぜこの人が持っているんだ?
決して覆すことのできない宇宙の真理を語るように、その疑問を平坦な口調で話し出す女性。
「この櫛は私の母からに頂いた物です。よほど頑丈な作りなのでしょうね。未だに傷一つ着かず、いつまでも新品みたいに美しいままなんですよ」
「ティラニウムは何万年経っても錆びることは無い」
そんな物がたかだか四十年未来で発明されるはずがない。
「ま、まさか………っ! 異時間同一物質」
どのように窮した場面でも絶対に怯まないテツが、なんとその場で一歩退き、そして女性は死刑の宣告をするのにも匹敵する言葉を俺に投げ掛ける。
「私の名前は峰山サキです」
「ぬがっ!」
喉の奥が激しく引き攣って変な声が出た。
「あなた誰なの?」
お前が氷漬けだった時に出会った少女だと、伝える必要は無い。その歴史は消えたのだ。
だが苗字が『峰山』で『くるみ』『サキ』となって………ティラニウム。
さらに強烈なボディブローが炸裂する。
「ご安心ください。サージの配慮はされています」
「サージ……やはり…………」
女性は薄っぺらなタブレットを取り出すと、丁寧な仕草で慌てふためいているイチに渡し、
「お父さま。待ち人が来られましたよ」
その画面へと向かって話しかけた。
「おとうさまぁぁぁぁ?」
ここにきて受ける衝撃的な言葉。まさか、マジで、本気か、うそだろ……。
イチと一緒にこの場を逃げ去りたい衝動に駆られたが、刹那、俺は地面に縫い付けられ、身動き取れなくなった。タブレットはどこかとつながっているらしく、そこから生声(なまごえ)が響き渡ってきたからだ。
『イチっ! テメエやっと現れたか!!』
俺は石像化し、イチは画面を睨んだまま凝然とした。
『お前! 俺の空間認知能力を舐めんなよっ! 時間跳躍のたびに場所を一歩も動かなかっただろ。それが致命的だったなイチ。俺は今庄ダムから歩いた方向と距離を頭の中で描いてこの町を探し出し、お前らがやってくるのを待っていたんだ』
さっきから襲ってくる、ゆるいめまいと頭痛。この症状はやっぱりあれだ。感情サージと呼ばれるやつだ。と言うことは………電話の相手は、
「お、俺かぁーーー?」
叫ばずにいられなかった。
『そこの俺! どうせアホ面して仰天してんだろうな。そういうわけだ。この日のために俺はこの町に住んでんだ。あ~。頭痛ぇ。久しぶりだぜ感情サージ。でもよ、この方法だと面と向かった時よりショックが薄いんだぜ。お前も知ってるよな』
「あ、あぁ。スピリチュアルモジュレーションと同じ方法だ。そうか……そういうことか……」
霧が晴れるように理解できた。歴史の流れを知っている俺がだからこそできる。それをうまく利用したんだ。
「──どうだ、俺。元気か?」
俺と同じ声の主に尋ねる。
『あぁ。孫もできてのんびりさせてもらってっぞ』
「お、お前、孫に姫様の名前を付けたのか!」
タブレットに喰らいつくイチ。
『悪いかよ、ばぁぁか。個人の自由だろ』
クルミは丸い目を何度も瞬かせてじっと俺を見つめてくるが、それは何の意思表示だ?
責めてんのか?
そりゃ無茶な話だぜ。俺だってよく事情を把握できないんだぞ。
「ねぇ。テルの声とそっくりね」
俺の耳元で囁いてくるサクラを世界の珍獣を見るような目で眺めた。こいつはどこまで鈍いんだ。
『あんまり長い会話は体に悪い。残りは手紙にしてサキに渡してある。じゃあな。気をつけて帰れよ』
会話はここまでだった。画面に通話終了の文字が出た。
女性はそれを合図にしたように、
「この手紙がそうです……」
四つ折りにされ、黄ばんだ紙を取り出してイチへと手渡した。
広げて見入るイチ。しばらくその上で動かしていた視線を持ち上げると、
「はははははははははははははははは」
あり得ないほどの爽やかな声で笑いあげた。
「おいおい。イチ。何が書いてあるんだよ? え? おい」
「ははははははは。お前にしては上出来だ」
俺の背中を楽しそうにバンバン叩きやがった。
「何だよぉ。何て書いてあんだよぉ?」
イチはまだくすくす笑い続け、覗き込もうとクルミが飛びつこうとするが、
「姫様。時間規則に反します。ご遠慮ください」
スリムな体をくねらせ逃れた。
何が書かれていたんだろ。気になるな。というか書いたのは俺かぁ………どういうこった?
「よろしければ、お茶でも飲んで行ってください。私はこの日が必ず来るとお父さまから告げられて、子供のころからずっと待っていたのですよ」
幼女の手を引いて家に誘うが、そういうわけにいくまい。これ以上長居をするとたくさんの時間規則を破りそうな予感がする。
「い、いや。あのですね……我々は急ぎの旅でして……」
何言ってんだろ、俺。
「ねぇ。サキさん」
首をかしげるサクラに、もう一丁爆弾宣言。
「なんですか? おばあちゃま?」
「おばあちゃん?」
女性は幼女の肩を抱き寄せ、
「だって、この子にしたら、おばあちゃまで私にしたら、」
「おぉ~~~~のぅ~~~~~~」
慌てて言葉を遮る俺。
生涯最初で最後であろう、最も気の抜けた雄叫(おたけ)びを上げてしまった。
「い、イチ。早くここを立ち去ろう。長居するとある意味俺の寿命が短くなりそうだ」
逃げ場を失い俺はうろたえる。首をかしげて居座り続けようとするサクラの腕を引っ張り、くるみと名乗った幼女を興味深そうに観察しているクルミを呼び寄せ、俺たちはそこから元の公園へ逃げるようにして戻った。
「どういうことだイチ!」
「それはこっちのセリフだ!」
イチは冷静さを欠いた口調で、早口に言う。
「この町にお前、いや異時間同一体が移り住んでいたとは全くの予想外だった。今庄ダムから無秩序に歩き回り、十六世紀、そして紀元前四〇〇万年、さらに六七〇〇万年の未来を経てこの町へ移動したのだ。その位置をお前は突き止めたというのか!」
「慌てるなイチ。俺だって信じられん」
「ねぇ。さっきの人、何であたしのことをおばあちゃんって言ったの?」
「それはですねぇ、」
説明しかけたクルミの口を急いで塞いだ。
本来、そんなことをしようもんなら、瞬時にテツが襲ってくるのだが、ヤツは目を伏せていた。見逃してくれたんだ。イチも黙って見ているだけだし。
「それはだな。どうやら俺の親戚、いや、親戚の親戚、遠い親戚が住んでいた町だったということに気付かなかっただけだ」
俺はクルミの口から手を放すと、その透き通った瞳に向かって懇願した。
「頼む。一刻も早く元の時代に返してくれ。もうたくさんだ」
その瞳が微笑みを返すと同時に霧が下りてきた。
「あんたの親戚だとしても……なんで、あたしがおばあちゃんなの?」
まだ首をかしげ続けるサクラ。こいつが世界一鈍い女で命拾いしたぜ。
全身をねっとりとした重々しい気体に包まれ、気づくと、朝もやに濡れた広場に突っ立っていた。陽が上がるにはまだ少し早い、薄明るくなった夜明け直前の草原だった。針葉樹の山々。見覚えのある景色が広がった。
「はあぁ。戻ったみたいだな」
全身の力が抜けてその場にしゃがみ込み、ため息を吐いてからゆるゆると木々の茂みを見上げる。
「ほんとうに、二〇一五年だろうな?」
訝しげに見るのは大目に見てくれ。なにしろ精神的大ショックを受けたばかりなんだ。
近未来、こいつが俺と婆さんと呼ばれる仲になっているとは、想像だにしていなかった。
それにしても未来の俺め。サキとクルミの名前をつけやがって……。
最初は腹も立てていたが、次第に奥深い部分が読み取れてきた。
そうか……わざとか。
峰山だけだとごまんといるが、サキとクルミが並ぶということはあり得ない。そして極め付けが、あの漆塗りの櫛だ。
この先どこかのタイミングで俺はこれをサクラにプレゼントするんだ。
ズボンのポケット手を突っ込み、冷たい感触を確認する。
「うはぁぁ。さすが俺だぜ。やることが細けぇぜ」
イチは吐息と共に弱々しく言う。
「何て事をしてくれたんだ………テル」
初めて見せる、脱力して落とされたイチの肩。
忍者野郎はしばらく朝もやに沈む森の奥を眺めていたが、振り返ってキラリと光る歯を見せた。
「今回ばかりはお前に一本取られた」
ようやく静かに鼻で笑い。テツがぐふぉぉぉと大あくびをした。
「さてと───」
未来の俺のことよりも、現実の俺だ。
「元の時間に戻ったようだが。日付的にはどれぐらいの誤差があるんだろう?」
俺たちがキャンプにやって来る前だと、また重複存在になって色々と問題が起きるし、未来へ行き過ぎるのも都合が悪い。
だが、辺りを見渡してみて安堵する。俺たちの野営の跡がまだ新しかった。どう見ても数日過ぎたあたりだろう。
「テル。ほらあの樹!」
サクラが栗色のポニテを跳ね上げながら、広場から坂を下ると大きなブナの木に抱きついた。
「……あぁぁ」
俺も力の抜けた吐息を漏らす。最初にテントを張った林道の脇に生えていた大木だ。
「よしっ! 戻ったな。前のままだ」
肌を撫でて通る風が澄んだ空気に浄化されて少し肌寒く、瑞々しい緑の草原を取り囲む深い森もこのあいだ見たばかりの景色だった。
クルミは満足したように、大きく深呼吸をして、
「わたしたちと出会った日から、正確に三日後の午前五時です」
目の前にそびえるブナの木を見上げて、そう言った。
サクラも興奮気味に顎を上げる。
「芽を出したばかりのあの子が……こんなに大きくなって……」
最初に時間を飛んだ時代で、芽吹いたばかりの緑の葉に触れたのは、いつのことになるのだろう。いくつもの記憶が螺旋を描いて入り混じり混沌としてしまう。
俺の頭の中にはサクラが持っている記憶と同じものと、それとは全く異なる別の記憶もあるのだ。
それはニーナの先導で藤吉たちと歩んだ異次元での記憶。そして百年の眠りから覚め、崩壊する宇宙をサキや館長らと食い止めた記憶。
すべて幻でもなく現実に起きた事なのに、それがたったの三日間に圧縮されてしまった。
反対にこの樹はどうだ。こいつは藤吉の時代で芽吹いていた。それは一五九六年のこと………。
「樹齢四一九年だぞ。すげえな」
俺たちとは刹那の出会いだが、こいつはここに根を張り一歩たりとも動かなかったのだ。
同じ宇宙に宿った、同じ命なのに───。
三日で数千万年を駆け巡った俺もいれば、四一九年間ピクリとも動かない生き物もいた。
「でも生きているかぎり……色々あっただろうな」
移動することができない木々であっても、数々の出来事をくぐり抜けてきたのだろう。嵐の日、降雪の日、日照りの日。
自分の記憶と重ね合わせて感慨にふける俺の意識を読み取ったのか、クルミが言う。
「この世界に存在するあらゆる生命は、テルさまと同じ時間軸にいますが、それぞれに流れる時間の速度が異なっているのです」
小さな手で木肌に触れたクルミは、四〇年後に流行る未来のスカート姿でくるりとこちらに振り返り、あどけない中にも凛然とした態度で、こう言い足した。
「重要なのはその中で何を成し遂げたか……それだけです」
「じゃあこの樹は何をしたんだ?」
「四一九年、いえ四二〇年間も枯れることなく生き抜いたのです……それだけでじゅうぶんでしょう」
クルミは空を覆う緑の天井を見上げた。釣られて俺も仰ぐ。茜色(あかねいろ)の朝焼けに染まる葉むらが、ざわりざわりと、まるで自慢げに胸を張るように動いた。
「では。みんなでこの樹を囲んで手を繋ぎましょう」
頬に巻き付く黒髪を後ろに払って柔和に微笑んでみせた。
今、なぜクルミは四二〇年と言い直したのだろう。
新たな疑問に思考を巡らせていたら、横からサクラに突っつかれた。
「ほらテル。手を繋ぐのよ」
えっ?
「恥ずいからやめようぜ。ガキみたいだ」
「いーじゃん」
サクラが強引に俺の手を握ってきた。とても暖かで柔らかだった。
「ごほんっ」
咳払いで今の気持ちを誤魔化しつつ、四人で樹を囲んで抱きついた。
俺はサクラとクルミと手を繋ぎ、大木を中心にイチはサクラとクルミと繋がった。ちょうど樹を囲んで抱きつく格好になり、樹皮が顔の前に迫る。それは悠久の時の流れと対面する形となった。
俺の隣で銀狼が凛々しい表情を向け地面に尻を落としている。瞳の奥をキラリと輝かせて何やら語ると、ぐいっと巨体を持ち上げ、耳をピンと立てた。
同時に俺の手の先から人の気配が消えた。片手はサクラと握り合っていたが、片方が宙に浮いてぶらんと垂れ下がる。
「クルミちゃん? イチさぁん?」
不安げに辺りを探るサクラの声だけが、明るくなってきた朝もやの中を漂った。
「あ……」
最初に拾った石よりも、さらに濃いオレンジ色の石が足元に転がっていた。
燃え盛る炎と同じ光を放って、俺たちを迎えるようだ。
「石になっちゃったぁ」
泣きそうな声を上げ、サクラが駆け寄り拾い上げる。
それはクルミの心の内がそのまま結晶化したかのような、濁りの無い透き通った輝きだった。
「テツ!」
狼だけはそこに立ち尽くしており、じっと優しい目で俺たちを見つめていた。
「テツ。みんなは?」
《姫様は帰還された。お前たちは初めて人類のスーパークラスとしての役目を果たした。感謝する。そのオレンジストーンを再び持参し、姫様が決められしこの樹の元に集まれば、我(われ)が再会を保証する。また来られよ》
それは唸りみたいな声だった。
「いつでも会えるの?」
《一年に一度だけだ………それからイチのストーンは必要無いので回収しておく。欲しければまたクルミに頼め》
肌に伝わる振動にも似た低い声を残して、テツは山の中にゆっくりと消えて行った。でもその言葉は長くはっきりと脳裏に染み渡ってきた。
「いたぞぉぉぉ。ここだぁ!」
茫然とした表情で山の中を凝視している俺とサクラを、坂の下から駆け上がって来た大勢の人たちが取り囲んだ。
サクラを乗せて来たタクシーの運ちゃんが捜索願を出したらしく、広野ダム方面からパトカーとレスキュー隊の四輪駆動車が次々と上がって来る。ほどなくして報道陣と関係者が集まり、狂乱の騒ぎにもみくちゃにされるものの、無事に自宅へ帰ることができた。
次の日──。
夏休みの真っただ中だというのに、俺たちは校長室に呼び出された。当然と言えば当然だ。この騒ぎの説明を求められたからだ。
停学処分を覚悟で、俺とサクラは校長室の扉の前に立った。
幸い男女交際に穏健な校風なため、俺たちの関係は特に咎められる事は無かったのだが、それより、どえらいことに気づいた。
校長室に入った途端。俺は息を飲んだのだ。
「髪の毛が無い………」
「今さら何言ってんのよ。入学した時から無かったよ」
サクラが小声で反論するが、俺の記憶では黒々とした髪があったのだ。常にポマードで固めて、テカテカにしていた。
だが、俺たちを待っていたのは、ゆで卵みたいにつるりんと剥けたぴっかぴかのスキンヘッドの校長だった。
歴史が歪んだ原因は、俺たちが豊臣秀吉を作ったから、その代償で校長の頭が悲惨なことに──ではない。
サクラには言えないがちゃんとした理由がある。宇宙を爆縮の道に歩まさないために細かな時空修正をニーナが行った結果なのだ。
俺には二つの記憶がある。これはデバッガーとしての宿命だと───。
にしたってよ。
校長の髪の毛が六七〇〇万年もの未来へ通じていたとは………。
刻(とき)の流れとは不思議なもんだ。
説教は一時間にも及んだがまるで耳に入らず。俺はハゲ頭を眺めて遥か未来の世界に思いを馳せるだけで、その後、無罪放免となり帰宅を許された。
もちろんサバイバル部は同好会も認められない、永久設立禁止クラブに決定されたのは言うまでも無い。
「テル。おはよ……」
夏休みが終わり、久しぶりの登校。教室に入って来たサクラは、まだ来ていない前の子の椅子をガタガタと引き出し、スカートを翻して反対にまたぐと、俺の机に突っ伏した。
「ねぇ~。幻覚じゃないよね。山でのこと……」
遭難騒ぎの後、俺たちは両方の親に詳しい話を説明したが、信じてもらえることは無く双方からこっぴどく叱られ、互いに消沈していたのは事実だ。だがそれが逆に俺たちの仲間意識を強めたのも事実だった。
「大丈夫だ。あれは幻でもなんでもない。現実の出来事だぜ。ほら」
学校が始まったら、最初に見せようと思っていたものを俺はポケットから取り出し電源を入れる。
「もしかして……」
物憂いげに沈んでいたサクラが勢いよく顔を上げ、
「撮ったの? ねぇ、テル?」
瞳に明るい光を灯し、俺のスマホを覗き込んだ。
「あぁ。あれだけ時間があったのに撮ったのはこれだけだ……」
俺のスマホには一枚の写真が残っていた。
緑濃いジャングルを背景に藤吉が刀に肉塊を差し、焚き火で照り焼きにしながら、きょとんとした表情をこちらに向けている。その前でイチがつまらなさそうに炎を見つめ、クルミとサクラが満面の笑みで鶏肉を頬張る姿が。
「それと……これだ」
輝く瞳を丸々とさせてスマホを覗き込むサクラの前にコトリと置いた。
「あっ!」
サクラはオレンジ色に輝く物体とスマホを持ち替えると、
「クルミちゃんの石……」
ピンク色の頬に添えて目を閉じた。
「……ねぇ、テル」
やがて潤ませた瞳を俺へと向けて言う。
「来年の夏休みまた行こうよ。あの樹の下へ行けば会えるって、テツが言ってたじゃない」
「おぅ。それじゃ春になったら、まずお前のシュラフを買いに行こうな」
「うん」
瞳の奥で取り戻した煌めきをこぼしながら、もう一度スマホに目を落とすサクラ。こいつは気づかないだろうが、その中にはもう一つ、すげぇもんが残っている。
どういう理由で消えなかったのか解らないが、反物質リアクターエンジンをオーバーロードさせるためのアプリだ。今となっては何の役にも立たないが………またいつか宇宙が崩壊を始めた時に使うかもしれないので、削除するのはやめておこう。
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