アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  次元転移プロセス  

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「スフィア出現まであと15分です」
 優衣の緊迫した声がまだぼんやりと聞こえる。

 それにしても昨日はメッセンジャーにひかっき回されたひどい一日だった。とりあえず一晩ぐっすり寝ることで、体力的には元に戻ったと言えるが、優衣の広範囲時空跳躍は当分、いや中和剤無しではもう使えないレベルまで来ている。

 でもまだワンチャンスある。
 そう、彼女を頼らなくても、元に戻れる出来事が今から15分後に始まるのさ。

 うまくいけばほんの短い時間で3500年過去から脱出できるらしい。どんなテクニックを使うのか、などと俺に訊かないでくれ。到底説明できない難解な理論に基づくものだそうだ。たしか次元転移がどうだとか、時空間が入れ換わるとか、ミラー効果がどうだとかシロタマが言っていたが、常人には理解不能だ。こいうのはあの二人に任せておけばいい。

「なあタマよ。スフィアが現れたらどれぐらいで元の時間に戻れるんだ?」
『計算によりますと、次元転移の最終シーケンスは35マイクロ秒で終えます』
 相も変わらず、意味不明の単位だな。

 玲子も同じ気持ちなんだろ。シロタマに同じ質問をしていた。
「ねぇ。マイクロ秒って何なんの?」
『100万分の1秒を表す単位です』
 世紀末オンナは黙って瞬いた。俺も瞬いた。

「たぶん、今のまぶたの動きよりもずっと速いと思うダよ」
 通信士のブタがそうのたまうので、たぶんそれほど短い時間なのだろう。

「ふぅーん」
 どうでもいいような返事をして玲子が下を向いた。
 俺もサジを投げた奴に同調する。こんなところで物理の補習授業を始められても堪らんので、優衣の行動を眺めることに。


 今日は優衣の隣に座席が設けられ、そこに茜が座らされていた。
 いや、座るというよりも置かれた、と言ったほうが正確かもしれない。茜は動力源を抜き取られていて現在は機能停止中なのだ。

 さっきまで非常時のための予備バッテリーで動きたいと駄々をこねていたが、スフィアに乗った過去の茜、ナナが放出するEM輻射波を検知するときの邪魔になると、優衣は厳しくそれを突っぱねた。

 こうなるとFシリーズの実物大フィギュアだな。長い睫毛(まつげ)を閉じ、心持ちうつむいた茜は可愛いお人形さんだ。田吾の野郎がさっきからワサワサと落ち着きが無いのは、そういう理由だ。

 キングスネールで知り合ったヲタがもしこのことを知ったら、大いにやっかみ、泣いて悔しがるかもしれない、ゲキレアな状況と言えるんだろうが、俺には見慣れた光景だった。



「スフィア出現まであと12分です」
 優衣のカウントダウンは続く。

 玲子にとっては何が始まるのか想像もできないことで、それは何も浮かばないに等しい。宙に浮かぶシロタマをつついて暇つぶしを敢行しているし、俺だって何をやるわけでもない。社長曰く、今から始まる事は人間には手が出せない領域だ、と言って自分もじっと目を閉じていた。



「スフィア出現まであと9分です」

 長げぇなー。まだ9分もあるのか……。

「ユイ、ほんとうにスフィアは現れるんだろうな?」
「それはユースケさんも見たとおりです。あの時、ブラックホールに向かってカタパルトから飛び出して行きましたでしょ」

「確かに見た。でも何か現実感が無かったんだ」
「それダすよ。飛び出したけどすぐに長細く変形して動かなくなったダ。社長はゴーストだって言ってた。事象の地平線に捕まったとか」
「ああ。近づくほどに時間の流れは遅くなり、事象の地平線に達した瞬間、それが無限になるって言うからな、こっちから見たら止まって見えるんだ」

「そしたら今でも止まったままなの?」
 と丸い目をこちらに振ってきたのは、理科系音痴の玲子だ。なんたってカタツムリとナメクジが同じ物だと言っても信じちまうぐらいだからな。

「そうや。何万年もそのままでっせ」
「なのに、これから目の前を横切るんですか?」
 ようやく目を開けた社長が俺たちに声をかけ、玲子が小首を傾ける。

「俺たちから見たら何億年もそのままさ。いつまで経ってもスフィアはあそこに張り付いている。でも本当は瞬く間にブラックホールを突き抜けて、今から俺たちの目の前に飛び出してくるさ。見ておけよ。おそらく生涯に一度しかないビッグショーだぜ」

「ユウスケさん?」
「おう?」
「スフィア出現まであと5分です」
「そうか……」

 ――で?

「お仕事です」
「え? 俺にもできる仕事があるのか?」

「ありますよ。慣性ダンプナーを最大レベルで起動してください」

「何だよ。そんなこと玲子でもできるぜ」
 ブチブチ言いながら、起動。

 玲子も正面のビューワーを起動。黒灰色のスクリーンが完全な黒に塗りつぶされ、色とりどりの星から放たれた光で近くの星雲を虹色に照らす映像へと移り変わった。

 今日も宇宙はカラフルだった。



「スフィア出現まであと2分です」

「さぁ準備できたぜ。どっからでも出てきやがれってんだ」
「裕輔は何も準備して無いダよ」
「ばーか、俺だって忙しかったんだぜ。ミカンの水やりとか……あ!」
「どうしたの?」
 横から艶(なま)やかな玲子の顔が覗き込んでいた。

 慌てて首を振る。
「何でもない。勘違いだ」
 防護スーツの組み立てをミカンに任せたままだったのを思い出した。しかも昨日の話だ。大切なパーツを地面に埋められていたらコトだが、今から行くわけにはいかないので、とりあえず誤魔化す。

 それから数十秒もしないうちのこと。
「な……何だ?」
 不気味な圧迫感を覚えて神経を尖らせた。

 ビューワーには星のせせらぎが見えるだけで、視覚による変化は何も感じないのだが、
「お、おい、おかしいぞ」
 平衡感覚を司る俺の三半規管が何か変だぞと言って騒ぎ出した。何だかよく解らないが、横から引っ張る力が肌に伝わるのだ。

「ちょ、ちょっと、なに? 目が回るわ」
 横で玲子も騒ぎ出したところを見ると、俺だけがおかしいのではない。
「す、スフィアだス!」と田吾が叫び。
「来るデ! 跳躍準備や!」
 社長が後部で立ち上がった。

 次の瞬間、ぐいっと引き寄せられた。どこへと言われても返答に困る。重力に急激な変化が起きた、とだけ言っておこう。慣性ダンプナーが効いているにも関わらずこんなことが起きるということは、何か巨大な物体が空間を突き抜けてくるからだ。それも相当にでかくないと、ここまで重力が波打つはずがない。つまりスフィアが顔を出そうとしているのだ。


 俺はもっと爆発的な変化をするんだろうと考えていたが――ここに来てやっとシロタマ説明していた話が現実味を帯びてきた。
「お、おい。どの辺に現れるんだよ」
「銀龍の前方75メートルの位置です」

「そんなに近くて、もし計算違いがあればどうすんだ?」

「ユースケが計算したんじゃないから問題無い。シロタマの計算では、ごしゃ(誤差)数メートルでシュ」
 宇宙がどうにかなろうとするのに、相変わらずこいつには腹が立つ。

「機長さんは船の安定を保つだけに専念してください。あとはワタシとシロタマさんがコントロールします」
 優衣の船内通信の後、全身が総毛立った。
 体中の皮膚が想定外の方向へ引っ張られる。そしてビューワーの映像が急激に歪んだ。満天に散らばっていた星が球状に集まるようにみるみる膨れ上がってきたのだ。

「スフィア出現まであと15秒です」
 無色透明の何かが空間を強く押して外に出てこようとしている。ビューワーの映像がさらに大きく歪んだ。

「スフィア出現まであと10秒、アカネのEM輻射波検知可能領域まで5秒です」
 優衣はシミュレーションとおりにコンピュータを起動して、パネルのタイムスタンプを読み上げる。

「EM輻射波と同期しました。スフィア出現まであと5秒。4。3。2。1。時間です」

「なんだ?」
 静かだった――。

「…………なにも」
 この間のことを明記しておこう。

 俺は、優衣の言葉に続いて『何も起こらねえじゃないか』と言いたかったんだ。だが実際は起きた。しかしそれは視覚情報が網膜から視神経を通って脳細胞で可視化するまでの刹那な時間での出来事で、まったくもって表現すらできない。強いてすれば、
「なんだ?」から「なにも」のあいだに、瞬間ビューワーがスフィア色に染まった。記憶にあるスフィアの外壁だと思う。たぶん。

 続いて――。

 どっ、ぎゅっ、ぞんっ。
 で、シロタマの冷やっこい声と鈍い唸り音で鼓膜が刺激され、我に返った。

『全シーケンス完了しました』

「はへ?」
 俺が張り上げた声はとっても間が抜けていた。

 でもしかたがない。どいつの顔もそんなもんさ。玲子はでっかい口をぱっかりと空けてシロタマを見上げているし、社長は寝ていたところを叩き起こされたような目をしてスクリーンをみつめ。田吾なんかデスクに腰掛けさせていたフィギュアを逆さに持ったまま固まっていたのだ。

「どうなったんや、シロタマ!」
「どうもなってないよ。3500年未来の時空と入れ替わった後に合わせてハイパートランスポーターで元の座標に戻しただけ」

「いや、そうやなくて、スフィアは?」
「現れましたよ」と言って優衣は微笑み、
「やっぱりシロタマさんはすごいですね」
 シロタマを絶賛するのはこの宇宙で優衣だけだ。

「何が?」
 孤狸(こり)の輩に騙されていた間抜けな人物が気づいたら溜め池の中だった、みたいな心境の社長に、優衣はにっこりと微笑みながら振り返り、
「シロタマさんの計算どおり35マイクロ秒で元の時間域と入れ替わり、瞬間だけブラックホールの強い重力に晒されましたが、その間、たったの80ピコ秒です。それから……」

 宇宙の帝王が適当にでっち上げた一連の処理結果を功績だと言うのか、優衣は再び視線をパネルに戻して数秒ほど凝固。改めて賞賛の声を上げた。
「えー。社長さん、すごいです」
「な、なんやねん?」
「元いた座標から誤差50メートル以内だけでなく、時間的な誤差もプラス7秒の位置に戻っています。こんな精度で完了するなんて奇跡です」

 それはあの憎きメッセンジャーに4000年過去に飛ばされたあと、7秒後に戻って来たのと同じことになる。
 あり得ん。こんなことをさらっとやり遂げやがって、俺はいったいどうしたらいいのだ。

 と言っても何もできんので、ここは褒めておいて間違いないだろう。今後のタマとの関係を保つためにな。
「すごいぞタマ!」
 とりあえず立ち上がって称賛する。俺も大人だ。拍手喝采ということにしておいてやろう。

 ギリギリの線まで譲歩してやった俺に向かって、こんバカは。
「こんなのは朝飯前でシュ。だいたい生命体は目の前の事象をその都度役に立たないデータに変換するからドンくさいんでシュ。脳ミソ腐ってるの?」

「ぬ、野郎ぉ……」

 今の言葉が無ければ、頭でも撫でてやろうと思っていたのに。人の頭の中を賞味期限切れの豆腐みたいに言いやがって。

「うるせえ。こういうのはデリケートっちゅうんだ。お前なんかに真似できないだろ。美しい花や草を見て感動したことがあるのか? ねえだろう、へへ、ざまあみろ」

「じゃぁ、あなたは花を見て感動したことあるのね?」
「うっ!」
 痛いとこを突きやがって。玲子め……。

「あ――そうだな」
 怒り顔をそのまま萎めて、憎たらしい言葉を放った世紀末オンナを見遣る。

「……小学校の頃かな」
「どんな花を見たのよ?」
「えーっと……何だっけ? アサガオかな。チューリップ?」
 さらに萎んで、おとなしく自分の席に着いた。

「さぁ、次の段階に移行しまっせ。腐った脳ミソを起動しなはれ、裕輔!」
 なんで俺だけ責められてるんだよ。

 その時だ。
「あっ!」
 肩を落とす俺の前方5メートル、何も無い空間に見慣れた白いシミが現れ、憤怒と驚愕に震える青い目の短身野郎が、空間の中から飛び出して息巻いた。

「どういうことだオマエらっ! なぜこの時代に戻れたんだ!」

「で、出たぁぁぁぁぁ!」
 別に幽霊が出たのではないことだけは伝えておこう。

 社長の中では想定内の事のようで、すぐさま優衣に抑制装置起動を目の動きだけで命じ、
「別にどうもないがな。こっちにかてDTSDがおますんや。時間は飛べまっせ」
 その態度は慌てふためく俺とは真逆で、信じられないほどに落ち着いていた。

「跳躍障害が出て、そう回数は飛べないはずだ。どうやったんだ」
 メッセンジャーの声はあきらかに震えていた。

「ワシら跳躍に耐性のある種族なんや」
 と言いのけておいてから、
「ウソやがな……。おいおいそんな目で見なはんな。おまはん冗談が通じへんのかいな」

「うるさいっ!!」

 通じないようだ。ヤツは猛然と突っかかってきた。
「ダマレ、黙れっ! 中和剤は一人分しかなかったはずだぞ!」

「ああ、あれな。ホンマおおきにな。おかげで助かりましたがな。シロタマがあの中和剤を分析解析しましてな。同じモンを大量に作ることに成功したんや。ほんでほれこのとおり……」
「ウソ吐け! そんな簡単に生成できるもんではない」

 社長は青い目の男に向かって腕を広げて見せ、
「ついでに何回服用しても効能が薄れへんちゅう完璧なもんまで拵えることができましたで。ホンマこの子はええ子や」
 表面を撫でようと近づけた手からシロタマはさっと身をかわして天井へ逃げた。

「ハゲは朝から一度しか手を洗ってない。汚い」
「だ……誰がハゲや。ハゲてなんか無いでっ!」
「しゃ、社長ぉぉ」
 その眼前に鏡を突き出す勇気の無い俺は、とりあえず飛び上がらんばかりに空中のシロタマに手を伸ばす社長を引っ張り寄せた。

 シロタマはぷいっとどこかへ飛んで行っていまい、そこには自分の記憶を反芻するかのように意識を彷徨わせるメッセンジャーが取り残されていた。

「なぜだ。完璧な中和剤は完成しないんだ。俺は未来へ飛んで確認してきたんだぞ」

「また査問委員会を召集する理由ができましたね。正常な技術進化を阻害する恐れがあるため未来へ飛ぶことは禁止されているはずです」
 優衣は玲子そっくりに片眉を歪めて見せ、
「まさかあなたのDTSDは未来から盗んで来たモノではないでしょうね。あなた程度のランクが持つにはレベルが高すぎる気がするのはワタシだけではないはず。査問委員会でなんて答えるか聞いてみたいわ」

「うるさい。これは正式なルートで取り付けられたDTSDだ。お前らオートマタごときにとやかく言われる筋合いはない」
 あきらかにメッセンジャーは動揺していたが、気を取り直すように深呼吸し、
「中和剤が完成したというのが真実なら、今一度過去に飛ばして確認してやる」
 意図的にゆっくりと喋るメッセンジャー。
「……いつがいい? 1万年か? それとも2万年ほどで手を打つか?」

「そうやな。できたら宇宙創成の瞬間にでも飛ばしてもらえまへんか。いっぺん拝んでみたいやんか」

「くっ! 何だその態度。本気で薬を完成させたのか?」
 余裕のある社長のセリフに、メッセンジャーは焦燥感を露にぶつけ、二歩ほど後退りして指を弾いた。
 そう、奴の得意とする時間跳躍を開始する合図なのだが――。

「なんだ?」
 何も変化が無い。

「どうしたの? 弾切れのようね」
 そう言って一歩前に出たのは玲子。驚くほどに余裕しゃくしゃくの表情だった。

「どうしたんだ? タイムリープしないぞ」

 いつまでたっても何も起きない。
 しばらくジッと様子をうかがっていたメッセンジャーが、急いでもう一度指を鳴らした。

 一瞬の孤立感。
 やはり何も起きない。焦って何度も指を鳴らしたが結果は同じだ。
 メッセンジャーは目を見開き、波打つ心境に耐え切れない様子で狼狽えた。

「どないしたんでっか?」
 余裕をかました態度で近寄る社長。
「な、何をしたんだ!」
 無理やり絞り出した声は裏返り、ひどく頼りない様子。

「何って、言われてもなぁ、裕輔?」
「だよな、別にコレといって……ね、社長」
 スキンヘッドのオヤジと含み笑いを浮かべる俺。その視界の端に宙から何かを受け取ろうと手を上げた玲子を捉え、そっちへ視線を滑らせる。
 シロタマだった。
「はい。持って来たよ」
 奴は布に包まれた細長い物体を宙から玲子へ落とした。

 昼食のランチを開くみたいに、楽しげに布をほどく玲子。中から出てきたものを軽くひと振り。それは鋭い風切り音を奏でるロングソードだった。

 ば、バカだこいつ……。
 嫌な予感がして生唾を飲み込んだ。武器の塊だと豪語するメッセンジャーと知っておきながら、玲子はそんな物で戦おうと言うのか?

 ――戦うんだろうな。
 やっぱり。こういう展開になっちまったか。

 ところがメッセンジャーの目にはそんな物は映っていない。時間跳躍ができなくなったことのほうが最重要案件なのだ。
「な、なぜだ。故障したのか?」
 ワナワナと震わせた腕を何度も振り上げていたが、一向に変化はない。優衣と茜のパーツを使用してシロタマが作った時間跳躍抑制周波発生装置。途中どこかで息継ぎをしないと酸素不足になりそうな名前の機械は、うまく動いてくれているようだ。


「何や知らんけど、顔色が悪おますな。何やったらウチの医療主任を呼びまひょか? シロタマやねんけど、気にせーへんのやったら見てもらいまっせ」

「う、うるさい。いったいどうしたんだ」
「だから、弾が切れたんでしょ」
 タマ、タマと恥じらいもなく連呼しやがって……。お前もまたすげえもんを取り出しやがったな。

 長さ1メートルちょっとはあろうかという、よく磨かれた銀色の剣を俺に見せびらかし、玲子は目を輝かせる。
「竹刀の代わりにしていたタングステンの棒をシロタマに頼んで研磨してもらったのよ」

「余計なことをしやがって」
 これは俺の思いだ。暴走した玲子を取り押さえるのがまた困難になる――それよりタマは刀鍛冶までできるのか?
 玲子の頭上を旋回する銀バエ野郎を睨みつけた。
 ハエにしては、ちと大きいが。

「ふっ、バカなオンナだ」
 ようやく自分の鼻先に突き付けられた剣に気づき、メッセンジャーは青い目を上げた。

「どこまでお前らは遅れた種族だ。そんな棒切れで何ができる!」
 時間制御ができなくなったとしても、自分の有利性を自負するメッセンジャーだ。うぬぼれた態度に一変させると太短い指で玲子が握る剣を示した。
「棒じゃない。タングステンのロングソードよ」
「硬ければいいワケではない」
 悠然と鼻を吹かして睥睨する男から、耳障りな羽音みたいな低い音が放出される。

 俺がぶっ飛ばされたレーザービームの音だ。忘れていた肩の痛みがよみがえり、意思に反して足がすくんでしまう。

 人差し指の先端が青白く光っている。
「レーザーメスの切れ味を見せてやろう」

 ブンっと耳の奥にミツバチが飛び込んだような音がした。
 次の刹那。開けっ放しになっていた指令室の扉が斜めに切り落とされ、大きな音を出して床に倒れた。

「何よそれぐらい」
 言うや否や、玲子の剣が斜め上に振り抜かれる。
 しゅんっという小気味よい風を切る音と共に、残っていた扉の片側が床から天井に向けて切り取られ、野球のホームベースの尖った部分を上にした変な扉の完成だ。
 いやいやぶったまげた。これはすげえ切れ味だ。メッセンジャーのレーザーと遜色無い。

「刃(は)は入ってないよ。それっぽくカタチを剣に見せただけ。木刀と同じ」と説明するシロタマへ恐れに近い視線を振る。
「何であんなに鋭く切れるんだよ!」
 するといつものように報告モードに切り替わり、
『そこはレイコのなせる技です。空気の瞬断現象。鎌風(かまいたち)と呼ばれる現象です』
 ムチャクチャだな。

「アホかー!」

 メッセンジャーと俺は目を剥いて固着したが、社長は別の世界の人だということを忘れてはいけない。

「なんちゅうことしてくれたんや。この扉、高かってんでー」
 半分になっちまった扉の前で、ワナワナと震える手を大げさに広げて喚いた。

「玲子! 給料から天引きしまっせ」
「えー? 社長、最初に切ったのはあの男です。あたしではありません」
「ほな、おまはんが弁償しなはれ」
 メッセンジャーに凄みを見せるが、何なんだこいつら。

 と、呆れつつ―――話は持ち越しだ。すまん。
  
  
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