アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  救出ポッド  

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 管理者の宇宙船が爆発すると、2光年に渡って影響が出るという。キロメートルに換算して約19兆キロメートル。
 まだハイパートランスポーターの充電ができていない状態では、秒速45キロメートルが最高速度のイオンエンジンで移動するしか方法は無い。残り5分間、フル速度で飛んでも1万3千キロちょっとが精いっぱい。

「まじかよ……」
「残念だったわね。あたしのほうが読みが深いのよ。あはははははははは」

 もとの姿に戻した楓の高笑いは、優衣のひと言で戸惑いの声と変わった。
「ギンリュウは避難のため離れて行くのではありません」

「バカなっ!」

「目的の場所へ向かっただけです」
「自爆まで5分を切ったのよ。なにのんびりしてるの?」

「自爆シーケンスを検知したら、ある場所へ行ってもらうように、あらかじめアカネに伝えてあります」
 優衣はじっと楓を見据えて、悠然と構えていた。

「どうやってアカネに伝えることができたのよ? アカネからユイには記憶を伝って渡るかもしれないけど、アナタからは無理でしょう」
 疑念があふれた質問だった。俺もそれが気になる。

「ワタシはアーキビストとしての資格を得たアンドロイドです。この意味がお解りでしょうか?」
「またそれか。知るわけないでしょ。ふんっ、知識が豊富だからと言って優位に立とうなんて思わないで」

 楓は瞬時に鬼面に戻すと、
「アカネとのパスを断ち切れば、オマエは存在すらできなくなる。解からぬのか! オマエの過去が破壊されるのだぞ!」

 優衣は悲しげにカエデを見ていた。
「アーキビストとは時間の流れを操作する許可を得ているということです。つまり未来を変えないのなら何をしても咎められないの。犯罪捜査官とはワケが違うと言うのはこのことです」

 再び楓は白い顔に戻し、
「だから何? エラそばるのはヤメテよね。そんなもの貰って尻尾を振ってればいいわ。未来の管理者のイヌとしてね」
「ワタシはあなたの何手も先を見て動いています。無限の時間が与えらていますからね」

「あっはーっ! 残り5分なのよ。無限て言ったって、結局時間を細かく切り刻んで何かしようって魂胆でしょ。タイムシェアリングよね。トータルすれば実時間は何も変わらない。つまりいくら細かく時間を割り振ったところで自爆すると言う歴史は覆せない。管理者の自爆装置がどのようなものだか、あなた忘れたの? 何も残さず木っ端微塵になるのよ」

「こちらもカウントダウンが始まったのですよ、カエデさん」
「しつこいわね。いまさらじたばたしても遅いわ。あなたたちも、それから銀龍のクルーもここで爆死する歴史に変えてやるわ」

 またもや楓は、くっくっくっと嫌な笑いを浮かべて白い歯を見せた。
「歴史が変えられるというのに、ユイは涼しい顔をしてるわね。ユースケを見捨てるつもりでしょ」

「あなたは自分の手で歴史を変えようとしているみたいですけど……そのように誘導しているのはワタシなのよ」

「えっ!」
「はへ?」
 虚を衝いた優衣の言葉は、楓だけでなく俺までも揺さ振られることに。

「どういうこと。あなたの言うことは矛盾だらけじゃない。悔し紛れにデタラメ言ってんじゃないの? もしそれが真実だとしたら、あんたの行動こそが自殺行為じゃない。バカじゃない?」

 優衣は溜め息混じりで答える。
「あなたには時間項の概念がまだ学習されていませんね。よく見て……。ここにワタシがまだ存在していますので、アカネは無事にこの難局を乗り越えるの。自爆は無意味なのです」

「ふんっ。なにさちょっと未来のテクノロジーを勉強したからって。偉そうにしてさ」
「時間項が決定した歴史はラッチされると言って簡単には変えることができないの。無理すると時空震が起きます。そうなれば未来で検知され、あなたは破壊されます。いまだに破壊されずにここにいるということは……」

 楓は焦燥感を露わにして優衣の言葉を遮る。
「うるさいわね! それはあたしが生き残る歴史に入れ換わる証拠なのよ」
 ぐいっと白い指で優衣を突き示し、
「消えるのはあなたたち。残念だったわね」
「いいえ。ユウスケさんはちゃんと銀龍へ戻ります」

「それも似非預言者(えせよげんしゃ)のお告げ?」
「いいえ。史実です」

「バカバカしい。ユースケ、こんな奴の言葉を信じるのやめてあたしのドローンになるほうがマシよ」

「俺はユイの言葉を信じるぜ」
「あは。信者様の誕生ね」
「あぁな。少なくともお前の信者にはならねえ」
「ドローンになれば、ならざるを得ないわ」

「さっきからドローンってなんだよ?」

 楓は素っ気無い態度で説明する。
「自我を司る脳の一部を取り去るのよ。そうすれば人間など、ただの人形になるわ」
「おいおい。シロタマの脳外科手術じゃあるまいし。そんな痛そうなことはお断りだぜ」

「痛みも瞬時に消えるわよ。だって人間じゃなくなるわけ。よかったね」
「よかねーよ!」
 不気味な会話を続ける楓の背後にしゅらりと優衣が廻り込み、がっしりと羽交い絞めにした。

「無駄なことはやめたほうがいいよ」
 楓は別に慌てる様子もなく首を後ろへネジり、優衣は悲しげに語る。

「楓さん。承認が下りました」

「何の承認よ?」
「あなたの破壊命令です」

「ばかな! 誰が出したの? 未来の管理者?」
「ワタシ自身よ。これはアーキビストしての勇断なの」
「は──っ! さぞかしエライのね。そのアーキビストって。でもあたしは認めないわ!」
 体を引き剥がそうと楓は抵抗するが、やはり優衣のほうがパワーがあるらしく逃れられない。だけど途中から抗う気が失せたのか、楓は半笑いのまま優衣へ言い返した。
「あなた狂ったの? あたしを束縛したって爆破は停まらないよ?」

「停める気は無いわ、カエデさん。ワタシはこのままあなたと一緒に自爆します」

「あはは! ユースケ、ついにこいつ狂ったわ。未来製のアンドロイドは華奢にできてるわね」
 楓は俺に顎を突き出し、楽しげに言いのけたが、俺も戸惑いを隠せない。

「ユイ。どういう腹積もりがあるんだよ。俺にも意味が解るように説明してくれ」
「狂ったのよ……」
 楓は平然と鼻で笑い、優衣は俺ではなく、その隣で膝を折ってしゃがんでいたロボットに命じた。

「ミカンちゃん。救出モードを始動してちょうだい」

 丸い目をキョトキョトさせて優衣と楓の様子を見ていたミカンが、優衣の命令に従ってそのまま前のめりになると床の上に突っ伏し、スルスルと手足を広げた。

 小気味良い音と共にトランスフォーム開始。俺の目の前でミカンは変形していく。
 派手な機械音と機敏な動作で手足と頭部がボディに引っ込み、代わりに翼が生えてきた。

「なんだ、どうした?」
 びっくりして目を見開いたのは俺と楓だった。

「ミカン! あんたにそんな機能があったの!」
 驚愕に目を剥く楓へ優衣が告げる。

「あなたは知能の低いアンドロイドだと思っていたみたいですけど。この子はルシャール星の種族が作った、一人用救出ポッドとして有名なのよ。知らなかったでしょ」

「ルシャール星? 聞いたことも無い」
「でしょうね。星間協議会に加入するのは、この後、160年も先の話ですものね」
 そして優衣は視線を俺に合わせると、
「ユウスケさん。ミカンちゃんに乗ってギンリュウへ戻ってください」

 ミカンの腹部から小さなハッチが開いて内部が見えた。確かに丸まれば俺一人が乗り込めるだけのスペースがある。
「お前はどうすんだよ」
「このままカエデさんと爆破に付き合います」
「ば、バカ。本気か……」
 楓が言ったように、マジでユイのブレーン(CPU)が壊れたのかと思った。

「あははははは。オマエらのやることは笑えるわ。じゃまなんかしないからユイ、手を解いてよ」
「ユウスケさん。早くミカンちゃんに乗ってください」
 たぶん何らかの得策があるのだと思うが、楓の訴えにも耳を貸さず、優衣は俺に向かって同じ言葉を繰り返した。

 これって棺桶(かんおけ)ってことはねえよな?
 変な想像をして躊躇(ちゅうちょ)しつつも、開け放たれたミカンのハッチの縁をつかみ足先から乗り込んでみた。

「ああぁ。柔らかくて暖かい」
 ようやく弛緩した言葉が漏れた。内部は優しく俺を包み込むとても気持ちのいい素材が使われており、棺桶に入るような雰囲気はまるで無い。

 すぐに、きゅっとひと鳴きするとミカンは透明のハッチを閉め、室内に照明を点らせる。
 つんっと鼓膜を刺激する密閉感が広がったが、息苦しさも無く、澄み切った空気が循環して居心地がいい。

 透明ハッチを通して俺が収まったことを確認すると、優衣は羽交い絞めを続ける力を解いた。
「こんな物に詰め込んだって爆破の威力に耐えることはできないのよ。あたしもあなたも含めてね」
 外の声が生々しく聞こえてくる。

「もちろんそれも理解していますよ。カエデさん」

 優衣は何も変わらず、涼しい顔をしてカエデの相手をしているし、ミカンも俺を包み込んだまま飛び立とうともしない。
 妙な気分だ。自分の鼓動の高鳴りが聞こえる真の静寂と一緒に時間だけが過ぎて行く。だけど、俺の心境には焦りも恐怖も何も無かった。優衣は必ず先を読んでいる。こんな手詰まり感満載の状況から脱出させてくれる俺の希望の先は彼女しかいない。


 長い長い数分が経ち、管理者の船のシステムが最終段階に入ったことを警告するアナウンスが流れた。
『自爆まで残り20秒です。音声による警告はこれが最後です』

 優衣は切なさそうな視線でゆっくりと楓に近づくと、手を差し出した。
「カエデさん。まだ間に合います。ダウングレードしましょう、タイプ3でもじゅうぶんやっていけますよ」

「まだ、そんなくだらないことを言うの? あたしには欲しい物があるのよ。誰にもジャマされたくないの。だから……ユイ。あなたとはこれでさよならよ。銀龍と共に消えてちょうだい!」

「Gシリーズは究極の機能を搭載した最新型ですよ。これ以上何を求めるの?」
「オマエら未完成な者には理解不能のものよ!」

「誰にでも一つや二つ足りなものがあるんですよ。それを目標に……」

「黙れ──っ! オマエにはこの悔しさが分らぬのだ! あたしが追い求めるモノが手に入らない悔しさが!」
「そこまで完璧なのに何が欲しいの?」

 楓は大声で答える。
「ヒトのココロよっ!」

 猛烈な光が瞬間に広がった。フラッシュの数千倍の光を数億分の一秒ほど浴びて暗闇に沈んだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 




 意識はあったが何も思い浮かばない。空虚な思考の中で俺は揺りかごに乗った赤ん坊の姿を思い浮かべていた。子供を乗せた揺りかごが暗い波間に漂っている。

 何でこの子はここで浮かんでいるのだろう。それにしても心地よかった。あれ? この赤ん坊は俺なのか?
 混沌とした霧にも似た思考を目覚めさせる甲高い音。何かが鳴いていた。

 キュッキュッ。

 この音なんだろ?
 リズミカルな音だ。

 キュッキュッ。
 あ?

 きゅぃ、きゅー?
「あっ!」
 ミカンの鳴き声だ。やっと意識が覚めた。ついでに唖然とする。俺は宇宙空間に浮かんでいたからだ。

「なんで俺……こんなところで浮遊してんだ?」
 最後の記憶をむさぼるように手繰(たぐ)り寄せる。

 優衣に言われてミカンの腹の中に潜り込んだんだ。こいつが救命ポッドを兼ねたロボットだったとは知らなかった。
「優衣はどこ行った。管理者の宇宙船はどうなった?」
 次々と疑問が湧き出してくる。

 宇宙空間とこちら側を隔てた透明なハッチに、青白い文字が点滅していた。
『気分はいかがですか?』と読めた。

「あ? ああ。爽快だぜ。こんな狭っ苦しいのに不思議だな」
 と答えるとすぐに、
『それがワタシの役目です』
「よく解らんけど……お前、俺たちの言葉が理解できるんだな」

 すらすらと文字が流れる。
『スピリチュアルインターフェースは言語を問わない仕組みです』
「なんか小難しいことを言うヤツだな。お前ならシロタマと仲良くなれそうだ」

『シロタマ?』
「はは。なんでもない。変な野郎さ」

 ミカンはほんの少し考えるような間を空けたが、それを繕うように異なる文字列に切り替えた。
『まもなく目的地周辺です』
「目的地?」

『未知の船体が接近中です』
「未知ってなんだよ?」

『ナビゲーターに登録のない船です』
「敵か?」
 相手が誰であろうと、こんな揺りかごみたいな救命ボート、武器も無ければ身を守る術も無い。こうして宇宙空間で無事に存在するだけでも奇跡に近い。しかし不思議なもので、こんな狭い空間に閉じ込められて漆黒の世界を漂っているのに、孤独感を感じず、まして未知の宇宙船が接近しつつあるのに、恐怖も湧いてこないのはどういう訳だ。


 再び眠気が襲って来た。
 重くなる瞼の隙間から、キラキラと光を全反射させる船体が近づく光景をぼんやり見つめているうちに瞼が落ちた。
 どこかで見たことのある船だ、と思考が揺れ動くのを感じながら……………………。
  
  
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