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【第四章】悲しみの旋律
30ミリセックの狭間
しおりを挟む優衣の目の輝きは、俺の記憶に焼き付いたナナのあの時と同じだ。ドロイドに乗りこまれ司令室が制圧されたところへ飛び込んで来て、起動コードを唱えた時のナナが放った凛々しい目だ。
『イマダ、ベータ7953、プライオリティ最大。特権モード335、リエントラントを無効にせよっ!』
それはいつもの甘い声音ではなく、冷然としたシステムボイスだった。それが2年前に発したのと同じ起動コードを唱えたのだ。
ニールとオムニ議長は宙に浮かぶインジケーターを睨み、俺たちは中で暴れ続けるデバッガーをガラス越しに観察した。
優衣の声を聞いて、奴はほんの刹那、体の動きを止めた。
それだけだった。再び赤光のビームを辺り構わずぶっ放し、鉄の塊りみたいな握り拳で、鬱積した憤懣を壁に打ち突けた。
「30mS(ミリセック)ほど割り込みが掛かりましたね。インタラプトモニターが反応しています。ご足労かけますが、もう一度お願いできませんか?」
ニールのリクエストに応えて、
『イマダ、ベータ7953、プライオリティ最大。特権モード335、リエントラントを無効にせよ』
オムニ議長とニールが、互いに顔を見合わせる。
「確かに反応はしています。起動コード放出後、きっかり30mSほどカーネルの通常動作が中断していますねー。これは何かの割り込みが掛かり、リソースをそっちに引っ張られるためでしょうか?」
「うーーむ。プロセススコアにブランク期間が出るとは……。こんな挙動をするデバッガーは初めてじゃが……はて……。それ以外は何も変化が無いのぉ」
「30ミリって?」と玲子。
「100分の3秒。ゼロコンマゼロ3さ」と説明する俺。それぐらいのことは知っている。
「と言うことは?」
会話が専門的過ぎて、さっぱり理解不能の玲子と田吾が互いに首をかしげ、
「失敗と言うことでんな……」
社長は淡々と告げたが、そっとシロタマが近づき耳元で何か囁いた。
辺りに察知されない程度に驚きの表情を浮かべたが、社長はすぐにそれを隠した。
背中で腕を組んだオムニ議長がガラス窓から離れて振り返る。
「まぁ。まだ失敗と決めつけるのは早いじゃろ。微々たる時間じゃが、停止するのは気になる。もう少し研究の価値ありじゃな」
「そんな時間おますんか?」
「どうなんじゃろ? 加速度的にネブラは巨大化しておるのは確かだが……」
やはり連中はのんびり構えている。
「ほんならひとまずワシらはネブラの近くまで行って観察してきますワ。何か新たな策が思いつくかも知れまへん。ほな行きまひょか」
社長がやたらとソワソワするのは、シロタマの囁きが原因だろう。
「もう少しゆっくりして行ったらどうですかな? そうじゃ、これから食事でも一緒にどうじゃ?」
「そうーですよ。史実について語って頂けませんか? ゲイツさん」
「それがいい。クロネロア帝国の話しでもしてくれんか?」
「このミッションが終わりましたら、何ぼでもお付き合いさせてもらいまっせ。せやけど性格的にどうしても先に仕事を片づけんと気が収まりまへんねん」
「勤勉な方たちじゃな。ならば転送でお送りしましょ」
「おおきにおおきに。すでにワシらの作業員が待機してまんのや……。それよりエエ土産話を持参して、あらためてご相談に伺います」
管理者の自らの転送を断って銀龍の転送機を使うなど、このケチらハゲにはあり得ない事態だ。
「パーサー。全員帰艦しまっせ。それとシロタマもおるんで、まとめて頼んます」
《えっ? シロタマも……ですか?》
わざとらしい咳を一つ落として、その場を取り繕う社長。
「……ん? そうやがな。いつもどおりで頼んます」
田吾は無反応だが玲子と俺は敏感に反応した。シロタマは銀龍の転送装置をひどく嫌っていて、オモチャに体を任せるのは嫌だと断るのが常さ。だけど今回だけは状況が異なっていた。玲子の肩で沈黙を維持したまま静観していた。
社長はオムニ議長とニールへ丁寧に腰を折り、
「ほんなら連絡をマメに入れまっさかいに、ほんで帰ったら報告もさせてもらいますワ」
「気をつけて行ってくだされ」
「次元フィールド抑制エミッターをディフレクターから発生させる方法は機長さんに伝えてありますので、あー。例の偽装バッチの宇宙船版ですよー。これで表面から2キロまで近づいても捕捉されることは無いですからねー」
ニールの奴、侮れん。
俺たちは誰ひとり偽装バッチを所持することを漏らしていないし、議会の中でもその話題は出ていない。つまり精神モジュレーションにも探られていないはずだ。なぜこいつはそれを知ってるのだろう?
俺の思考が瞬間途絶え、気づくと見慣れた銀龍の転送室だった。
「あー。我が家に帰って来た気分ねー」
「んダなぁ。あとアカネちゃんの淹れてくれたお茶があれば最高ダすのになー」
「きゅりゃりゃ。りゅらるる」
「ああ、おいミカン転ぶなよ!」
「きゃーりゃ、りゅぁー」
ミカンはパーサーが買い込んでくれていた苗の大箱を大切に両手で持って、さっそく栽培室へと消えた。
「やれやれ。あいつだけは平和だな」
「アホ。何を悠長なこと言うてまんねん」
「あ、そうだった。おい、タマ。何か言いたいことがあったんだろ、言ってみろよ?」
玲子の肩からふわりと浮きあがると、シロタマは赤い口紅の丸印をこちらへ旋回して言う。
『ロジカルワームがデバッガーにも実装されていたのは確実でした』
「でもよ。何も変化なかったぜ。450年のあいだに効果はなくなっちまったんだよ。がっかりしたぜ、実際」
『愚かな発言です』
「なんだと!」
社長はさっそく絡みだす俺とシロタマの会話を中断させ、
「とにかく司令室や。パーサーも転送の後片付けをしたら一緒に来てくれまっか」
「了解しました。なんだか面白そうなことになりそうですね」
作業をしつつ、楽しそうなのはパーサー。俺は肩を落として言う。
「面倒なことが始まるんだぜ」
「面倒? けっこう、けっこう」
変人の集まりめ。
社長は操縦席に通信。
「機長。さっそく出発や。ディフレクターの準備も頼んまっせ」
《次元フィールド抑制エミッターとか言うヤツですね。銀龍が未来のドレスを羽織るなんて、あぁ楽しみだ……》
機長の頭の構造と田吾のと、どこか隅っこで一致する部分があるというのが不気味だ。
司令室。
さっきからパーサーは腕を組んで社長とシロタマの話を交互に聞いている。
「ほんでシロタマ……。順を追ってみんなにも解るように説明してみなはれ」
『管理者はネブラを過小評価しています』
珍しくタマの意見に俺も賛同だ。
「だよな。あんな恐ろしいデバッガーを生け捕りにしてヘラヘラ笑ってんだもんな」
「それはワシも同感や」
「どこでも現場を知らない人間はあんなもんよ」
「お前が言うと重たいね」
「もちよ。あたしは外回り専門だからね」
ある意味、俺もそうだな。無理やりだけどな。
「オムニ議長は人間の感覚で物を言ってまシュ」
「そうですね。ワタシも黙っていましたが、シロタマさんの言うとおりです。30ミリセックの停止はワタシたちアンドロイドにとってあり得ないほどの長時間の停止になります」と優衣が言い出し、
「シロタマの時間と比較すると、あくびが出るでしゅ」
バカがくだらないことを言いやがるので、つい言い返す。
「アクビが出るんなら、出してみろよ。お前の口は落書きなんだぜ」
「ふんっ、ジョークが理解できない劣った生き物……」
「うるせぇ!」
「ごほぉぉん!」
大きな咳払いと一緒にハゲオヤジに睨まれ、首をすくめる。
玲子はあっさりと俺たちを無視して、
「でさ。なぜそれを管理者に教えなかったのよ?」
『物事を軽く考える人々に公表して、万が一ネブラのサテライトに感付かれると、何もかも無駄になるからです』
悔しいがシロタマの主張は間違っちゃいない。あのニールのにやけた顔は信用ならん。
「ほな何らかの手があるんやな?」
優衣は黙ってうなずき、シロタマが後を続ける。
『生け捕られたデバッガーが停止したということはネブラ全体も30ミリセック停止すると予測されます。その間を突くのが有効だと思われます』
「突くってゆうてもどないしまんの。フォトンビームでも撃ちまっか?」
「30ミリセックの短時間では、武器で攻撃するのは不可能です。やはり最初の提案のとおりMSKプロトコルの内部に新たなボンバーワームを仕込んでおき、起動と同時にブロードキャストされるようにしておけば、10ミリセックも掛からずにシステムの混乱を引き起こせると思います」
「ネブラが慌てふためいているあいだにぶっ潰すというワケだな」
「あとはどこをどうやって潰せばエエか……やな」
『あらかじめ敵の弱点を知る必要があります……』
と報告モードが言い、素のシロタマに代わる。
「やっパち、ネブラに接近して調べてみる価値はありまシュね」
「だけどさ、弱点が分かったとしてもやっぱりこっちの武器が貧弱すぎるだろ。相手は本物のネブラだぜ」
「せやで。フォトンビームと粒子加速銃ではあの巨大な施設を破壊するのは無理やろ。議会に頼めば新型の武器でも貸してくれまんのやろか?」
「基本的に反抹消派は争いを放棄していますから、武器はありません」
「せやろな……」
予想はしていたものの、やっぱり気落ちするのは避けられない。
「ワシらも直接攻撃は考えてへんかったからな。いっちゃん大元を叩く計画や。プロトタイプ一体やったら、カナヅチ一丁で可能なんやけどな」
「そう。それを護衛するのがネブラだから誰も手に負えないんだよな」
「ザリオンでも呼んでみる?」
と玲子が言い出し、パーサーの非難めいた目がハンサム面に浮かぶ。
「ジョークでしょ?」
「決まってるわよ。450年よ。ザグルもおじいちゃんだわ」
「それどころか曾孫(ひまご)でさえも天寿を全うしてまっせ」
でも俺たちはここにこうして健在だ。
めまいに近い気分に襲われた。ついこのあいだザグルと宇宙を飛び回っていたのに、今では450年という時間の差がある。とうの前に過ぎ去った長い年月と、身近に感じる自分の記憶とのギャップに押し潰されそうな気分だった。
「むふふふふふ」
タマの野郎が俺の鼻先に降りてきて、自慢げに玲子の口紅マークを見せつけた。
「なに自慢してんだよ。ただの丸印じゃないか。できたらキスマークでも付けてもらって来いよ」
「ばーか」
「くぬやろう」
歯を喰いしばりつつ睨み付ける。
「あにょね……」
「なんだよ?」
なぜかタマは嬉しげにパーサーの肩に止まり、
「シロタマをいじめた慰謝料の代わりに科学局のデータベースからダウンロードしてきた」
やけに元気の無い声でパーサーも続く。
「知らぬまに私も加担させられていまして……まさかパーツになるとは知らず、見知らぬ部品を買いに行かされ格納庫に持ち帰ってしまいました」
おハゲちゃんはにたりと笑った。
「もちろんお代は……?」
「はい。議会持ちです」
ドンとパーサーの肩を叩き、
「エエがな。でかしたでパーサー」
なにが言いたいんだか。
「タダほど気持ちエエもんはない」
「異星文化の何とか違反だぜ? いいのか?」
「異星文化の非干渉規約第32条違反です……」
声に元気が無いよ、パーサーくん。
しょっちゅうタマが口を酸っぱくして言うヤツだ。
『今回はシロタマ内で納めますので例外として処理されます』
「なんか、都合よくねえか?」
「うるちゃーい。ユースケ黙れ!」
「そうよ、エロザルは黙れ!」
「何でここで玲子が口を出すんだよ。ったく。俺は関知しねえからな」
「ほんで、何を拝借してきたんや?」
『粒子加速銃の威力を倍増するパワーブースターとバルク制御ディフェンスフィールドはネブラの反陽子弾頭ミサイルを跳ね返します』
「エエがな。エエがな。めっちゃ景気のエエ話やがな」
「ぢゃろ?」
含み笑いでも浮かべるようなシロタマの堂々とした態度と、ほくそ笑むおハゲちゃん。最悪最強コンビの誕生だ。
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