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【第四章】悲しみの旋律
時間剥離症候群
しおりを挟むエルを保護してから4時間――。
司令室に入ってきた茜が小鳥のように首を傾けて尋ねてきた。
「コマンダー。晩ご飯はハンバーグとカレーライスとどっちがいいですかぁ?」
「おいおい。ガキが喜びそうなメニューだな」
「だってエルちゃんもいるし……」
「ぶっ!」
なんちゅうもんを……。
「あのな。エルは生まれてすぐなんだぞ。カレーなんか食うか。しかもお前が作るカレーは特別辛いんだ」
「でも。カレーは辛くないと……」
「そりゃ否定はしないけど、辛党のアンドロイドって、何なんだよ。いったい」
茜は納得したのかうなずいて、
「そっか。赤ちゃんはカレーを食べないのか……じゃあ、辛味餡かけチキンにしましょう」
「ば、ばっかやろー。エルを殺す気か! 赤ちゃんはミルクって石器時代から決まってんだよ」
……だよな?
「ミルクって、コーヒーに入れるヤツれすか?」
「違う。母乳だ。母乳」
しばし沈黙。頭上の上で電球を灯らした茜は膝を打った。
「自室にいる玲子さんへ頼みに行ってきます」
「……おいおい」
授乳は無理だろうけど、その光景を見てみたい気がするのでそのまま茜を放つことに。
その後、船首のほうから玲子の何とも言い伝えにくい悲鳴みたいな声が轟き、ほどなくして、茜がすごすご帰ってきた。
「どうだった?」
「ユースケさんのご協力がないと無理だと言われました。お願いできますか?」
自室から猛然と玲子が飛び出した。
「バカー。アカネ! そんな言い方してないでしょ! 誤解されるじゃない」
だんだんと収拾がつかなくなってきたので、天井の隅に張り付いて、まじろぎもしないシロタマへ視線をもたげる。
「おーい、タマよ。そんなところで見物してないで。エルの食事でも考えろよ」
つーっと降りてくると、
「なら、エマージェンシーキットで生成すればいい。材料はギャレーにあるもので可能でっちゅ」
さっさと教えてくれていたら、こんな大騒ぎにはならなかったのに。こいつはワザと黙っていて俺たちの様子を窺っていたんだ。
「そらそーでしゅ。対ヒューマノイドインターフェースはヒューマノイドの監視がお仕事(ちごと)でち」
むかっ腹立つ野郎だぜ、実際。
それから少しして。
「ねえ、コマンダー?」
またまた医務室から茜が舞い戻り、
「――って。さっきから出たり入ったり忙しないな。なんだよ?」
「アルトオーネの赤ちゃんの成長率っていかほどですか?」
「いかほどって? 保健体育は玲子の担当だろ。成長率って何だよ? まさか経済学の話ししてんの? なら俺に聞いてもムリ。タマに聞けよ、タマに」
「経済学じゃありません。あのね。何だかあの子、大きくなっています」
「そんなことあるかよ。銀龍に保護されてまだ半日ほどだろ?」
そこへ戻って来た社長も口を挟んだ。
「そうとも言い切れまへんで。宇宙は広い。成長率の異なる種族もおるかも知れん。それとも細胞分裂異常症やったらコトやで」
「そんなのがあるんすか?」
こういう特殊な話になると優衣も混ざりだす。
「惑星上でこの子のバイオスキャンを3回行いましたが特に問題は見つかっていません。細胞の異常分裂が起きていたら最初に気付くと思うんですが……」
「となると銀龍の空気に問題があるのかも」とは俺。
「ケチって変な空気になってるんじゃないダすか?」
やめとけばいいのに田吾も追従する。
「アホか! なんぼシブチンでも、空気にまで手は出さんワ!」
ブタヲタがいらないことを言うから機嫌が悪くなった。
「3時間前に行ったわたしのバイオスキャンデータと比較したら、身長が4センチも伸びてるんれす」
茜の報告を聞いて、瞬間湯沸かし器が瞬時に冷却。目を見開いた。
「もしそれがマジやったら、ゆゆしき問題やで。この子をあの惑星から引き離したらあかんかったんとちゃうか?」
「でも、もう破壊され尽くしたし……」
「せやったな」
社長は対ヒューマノイドインターフェースと出歯亀(でばがめ)の意味をはき違えている天井の主に訊く。
「タマ。そう言う事例が宇宙ではありまんのか? 星間協議会のライブラリの閲覧許可貰ってまんのやろ、すぐに検索してみなはれ。ほんでユイは同じ環境の惑星を探すか、受け入れ先を知ってる人を急いで探すんや」
にわかに話が緊迫してきた。異常成長などと言う現象があり得るのかどうかも定かではないが、これがもし本当なら大変なことになる。
エルを保護してから10時間――。
見るからにはっきりと成長の跡がうかがえる身体になっただけではなく。信じられないが、よたよたではあるが歩き出した時には、そりゃあ全員がぶったまげられた。
「ちょう待ちぃや。何ぼなんでも野生動物ちゃうねんで。早すぎひんか?」
「髪の毛もはっきりグリーン色が出てきて……これって赤ちゃんの毛髪じゃないわ」
「ほんまやな。赤ん坊の頃はもっと産毛みたいな、ちょうどワシぐらいの毛のはずやろ?」
ウソ吐け! ツンツルテンじゃねえか。
「ユイ。エルフ族ってこんなに成長が早いの?」
さすがに異常を感じた玲子の気持ちはよく解る。これほどまでに著しい変化を目の当たりにすると驚きのひと言に尽きる。
しかも脳の発育がすこぶる早く。茜では少々力不足ではあるが、付きっ切りで話しかけていた結果だとしても、エルは俺たちの言語にわずかながらでも理解を示し、言葉を発し始めたのだ。
たったの10時間でだ。
「わたしとシロタマさんの努力の成果れすよー」
この船で最も言葉遣いのおかしい二人だ。なんとも頼り無い指導者ではあるが。
「ほんとなの? ほら~エル。あたしが誰だか解る?」
もちろん懐疑的さ。でも玲子が微笑みながら手を振ると、
「れい、こ……」
モミジのような手のひらを広げて確かに言葉を発した。
「きゃー。可愛いー」
満面の笑みで玲子がはしゃぎ、エルは顔を覗かせた茜に向かってはっきりと言葉に出した。
「あかね……」
「おほぉ~ほんまや。おーい、エル。ワシは?」
「はげ~」
「…………」
「あはは。間違ってない。じゃ俺は?」
「さるー」
俺と社長がシロタマを探して天井を見渡したのは当然だ。
エルを保護してから24時間――。
見違えるように成長していくエルを観察して、俺たちの気分は驚愕をはるかに越えていた。
端正な面立ちに切れ長の耳が知的な感じを醸し出し、白い肌はまるで剥(む)きたてのゆで卵みたいに滑々で瑞々しい。伝い歩きも卒業し、俺たちを誰だかをはっきりと認識し、もちろん拙い感じはまだ払拭できないが会話もこなしだすと、いよいよこちらが焦り始める始末。
「すみません。資料が少なくて、本当にエルフに関してはよく解らないのが現状なんです。ですがこの種族が成長率が高いとか短命だとかは聞いたことがありません」
何度も優衣に尋ねてしまうのは、俺たちには異星人に対する知識が希薄なのでしかたがない。つい彼女を頼ってしまうが答えは常に同じだった。
「成長率と短命って関係あるの?」と訊くのはやはり玲子。
するとそれに答えるのは決まってコイツ。
『ヒューマノイドの成長はゲノム編集を行わない限り、さほど差がありません。短命の種族や長寿の種族も確かに存在しますが。珪素系の種族と比べると大同小異です。しかしエルの成長率は著しくそこから逸しています』
「お前の説明は相変わらず回りくどくて解りにくい。つまりなんだと言いたいんだ?」
堪らず口を出した。
シロタマは俺の真正面に回り込んで言う。
『詳しいDNA分析をしてみないと解りませんが、エルの細胞分裂の速度は異常です』
「病気ということか?」
「うっしぇー! サル! くわちいDNA分析をしないと解らないって言っちぇるだろ!」
「ほんまシロタマを怒らすのにかけては天才やな、裕輔」
あんたと肩並べてんぜ。
「とにかく。DNA分析をしてみなはれ」
珍しく穏和に事を進める社長に、子煩悩の一面を見た気がする。
茜を孫扱いするだけのことはあるな。
それから2時間後──。
シロタマの詳しいDNA分析が済んだらしく、全員に司令室徴集が掛かった。
『DNA解析の結果。エルのテロメアはユースケらとそれほど変わるものではなく……』
「ちょーっと。テロメアって何だよ。誰でも知ってる体(てい)で話すなよ」
『テロメアとはDNAの末端にあるタンパク質複合体が結合した部分です。寿命を司っており、短い者ほど残りの寿命が短いと言われます』
「じゃあ、エルはそれが短いのか……」
「もう。このエロザルはちと(人)の話を聞いていない。テロメアの長さはみんなと変わらないって言っちゃだろ、バカ!」
「俺は猿じゃねえぞ」
「じゃあ、エロは黙ってなさい」
「…………」
『エルの異常成長は細胞分裂の驚異的な早さによるものです』
「ほんでどれぐらい異常やゆうねん?」
『1時間に45日分の成長率です』
「ほな。1日に、1080日、約3歳になるやないかい」
計算早っ!
「ちょっと待ってくれ。そんなことあり得ないだろ。そしたら10日で俺の年を越えちまうぞ。タマの言うとおり俺たちと同じ細胞だとするとものすごい短命になるぞ」
「これは早急に手を打たないと、あっという間に老化してしまいます」とはパーサー。
妙な間が空いた司令室の中をシロタマはぐるっと周回しつつ、
『先ほども言いましたが、エルフ族の寿命は他のヒューマノイドとそんなに大差ありません。それから鑑みると、エルだけの問題だと思われます』
「病気でっか?」
「いいえ。エルは健康体です。すこぶる良好の様子です」黒髪を振る優衣。
「先天性の何かとか?」
積極的に参加するパーサーも意外とエルがお気に入りの様子。
『ありえます』
とタマの報告モードに続いて優衣が続けて補足する。
「寿命を短くする病気ならいくらでもあるのですが……健康体では考えられません。ですが、テロメアの長さがそう変わらないとシロタマさんがおっしゃってますので……。この分裂速度から行くと、寿命は25日あればいいほう……」
「ヤバイぜ。タマ。細胞分裂を抑える薬は作れないのか?」
『テルタニウムという薬剤がそれになりますが、後遺症がエルフ族にどう出るか未定です』
「この近くにエルフ族のいた惑星と同じ環境の星はないの?」
『まだ原因がはっきりしていません。もし惑星環境だとしたら、今となっては分析のしようもありません。ですが……』
何かの言葉を濁して報告モードが口を閉ざした。
「タマ。お前何か解かってるような口調だな」
『…………はい』
溜めたなぁ。何だその間は?
『ライブラリを検索した時に、一つだけ似た事例を見つけています』
「なんや?」
『とても珍しい病気で……』逡巡しまくるシロタマ。
「なんやタマ。なんでそんなに迷うことがおますんや」
『時間剥離症候群と呼ばれる疾病です』
「はくりしょうこう……?」
そこにいた全員の目玉が丸く見開かれたのは言うまでもない。
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