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第二巻・ワテがギアでんがな

 海岸の療養所

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「残念……。プールじゃなかったね」
 川沿いの道が海岸に沿って伸びる堤防にぶち当たり、そこを右に折れたところで全貌が明らかになった。

 アキラが言う建造物は、そびえ立つ松林に囲まれた洋館風の設えで、民家と言うには大きすぎる。ここら辺りはお金持ちの家がたくさんある閑静な住宅地ではあるが、それにしても大きすぎた。かといってホテルでもなさそうだ。落ち着いた庭の作りと、上品でいてかつ威風を感じさせられる建物だった。

「ここは何であるかな?」
「あ、あそこ。女の子だ……きみぃ、そこで何しているの?」
 我輩の漏らした疑問を吹っ飛ばして、対空ミサイルの速度でアキラが駆け出した。
 何をするにも人まかせなクセに、この方面に関しては誰よりも自立しておるな。

「髪の毛が銀色だ! あの子、外国人だよ」
 しかも、めざとい。

 少女は腰まで届いた銀の雨みたいな細い髪の先を潮風に遊ばせていた。
「ほんまや、べっぴんさんや!」
 アスファルト上なので相当な速度が出るバギー。あっという間にアキラを追い越して、一目散に銀髪の少女の前へすっ飛んで行った。


 しかし──。

 二人、いや一人と一台は少女の手前5メートルほどで急制動。極端に速度を落とした。

 清楚で可憐だが、両目を患っている少女であった。額から鼻梁(びりょう)に少し掛かる辺りまで分厚い包帯が巻かれた姿を見て、我輩たちは近づくのを躊躇して立ち止まった。

 その雰囲気に気付いたのか、きゅっと結んでいた柔らかげな唇が緩やかにほどけ、
「あ、あの……どちらさまでしょう?」
「あぅ……」
「い、いや。こりゃすんまへん。オドかしましたな」

 アキラもギアも言葉を探してオロオロする一方だ。なにしろ淡い水色の清楚なワンピースに身を包んだ小柄な少女である。その包帯姿があまりにも痛々しいのだ。

 言葉を失ってしばらく沈黙が続いた。だがあまり無言を続けると相手に不安感を与える。
「あの……包帯で両目を巻いてはるのに、こんなトコ一人で歩いてて大丈夫なんでっか?」

「すみません驚かせて……。でもどうしても、もう一度海が見たくて……」
「そやけど。一人で危(あぶ)のおますで」
「あの。ここは堤防の近くですよね。潮風をたよりに病院を抜け出して来たんです」
「あかんがな。そんな危ないことしたら。ま、クルマがほとんど通らへんからええけど。ちょっと待ってや。すぐアシストしますさかいに」
 ギアはぽかんとするアキラの踵にバギーのバンパーを当てた。

「なに?」

「気のきかん子ぉや。手を持って堤防の側壁まで誘導したりーな」
 アキラは「あ」と声を漏らし、
「だいじょうぶ? さ、僕の手を持ってくださいね」

「あ。お友達がまだおられたんですね。すみません何も見えないモノで」
「言い出しにくいが、我輩もいるんだが……」
「あら、お三人さまで……。ご迷惑をおかけします」
「かまへん、かまへん。ワテらもヒマしててな。散歩中や」
「どうもすみません。ありがとうございます。あ、ここ、この壁のところまでで結構です」

 少女は腰を曲げ、堤防のザラザラしたセメントの表面を両手でまさぐるようにして存在を確認すると、手の平をこすりながら壁に沿って移動しようとした。

「ちょ、ちょい待ち。無茶や。堤防の切れ目から砂浜まで階段が続いてまっせ。手すりも無いし、周りには消波ブロックが積み重なってまんねん。転げ落ちたら大ケガしまっせ」

「でも、最後に海を触りたくて……」

「なんや縁起でもないこと言うてまんな。その目はどないしたんでっか。あ、気に障ったら謝りますワ」
「いえ、ご心配なく。この目は……生まれた時からなの。長いこと船に乗っていて……。それでお姉さまのお知り合いの紹介でここの保養所へ」
「外国船の船長はんの娘さんでっか。ほんでその銀髪でっか……綺麗でんな」

 少女は堤防の壁と反対の方向を指差したが、そこは松林だ。たぶんその奥に広がる洋館を示したのであろう。これで合点がいった。民家でもなくホテルでもない。つまりここは保養所なのだ。

「とにかく、そこでじっとしときなはれ。いま人を呼んできまっさかに」
 ギアが走り出そうとすると、
「あ、あの。大丈夫です。それよりもう少しこのまま……このまま潮の香りを楽しませてください、これで最後かもしれない……」

「そんな心臓に悪い事言うもんちゃうで……えっと」
「あ、ご親切にしていただいているのに、名前も告げなくて……わたしのことはスミレと呼んでください」

 少女は目が見えないにも関わらず丁寧にお辞儀をする。堤防の壁にな。
「あ、あの……ま、まあええか。スミレはんでっか。可憐な名前や……あ。ほんで、ワテはギアちゅうまんねん」

「僕は北野アキラです」
「え? ならば、我輩はゴ、ゴアである」
 つい釣られて名乗ってしまったが、まずくないかな?
 いくら盲目の少女だからといって、アキラはともかく、我々は実体を持たないのであるぞ。

「アキラさんに、ゴアさん。そしてギアさんですね」
 ちょっと小首をかしげて、
「外国の方ですか? とても大阪弁が達者なんですね、ギア……さん」

「そうでんなぁ。もう長いこと暮らしてまっからなぁ」
「どちらから来られたのですか?」
「あーあぁ。遠くや。だいぶ遠い」
 何だか我輩とアキラが蚊帳の外に押し出されておる気がするのだが……ま、別にいいけど。

「ギアさんのフルネームを教えていただけます? それでだいたいのお国が分かります」
「へ? へぇ……」
 いきなりギアは、音量を極端に下げて我輩に尋ねた。

(お、おい。ワテの下の名前って何や?)
(我輩に訊くな。知らぬわ。パスポート作る時に決めたであろう)
(アホぉー。正規のルートでワテはここに来てへんの知っとるやろ、ぼけっ!)
 何で我輩が叱られておるのだ?

「あのぉ……失礼なことを訊いたのでしたら謝罪いたしますが……」
 あまり長いあいだゴソゴソしているので、少女が首を傾けていた。
「あ、あ。いや失礼なことおまっかいな。わ、ワテはリチャードや。リチャードゆいまんねん」

 何だそりゃ!!

「あ……リチャード・ギアさんですか」

(おい。リチャードと名乗る人物は、あまり『ワテ』とか言わないと思うぞ)
(しゃ、しゃーないやないけ。成り行きでそうなったんや)

 だが少女はあまりこだわる気は無いようで、
「アメリカから来られたんですね。すぐ分かりますよ」
「おー。当たりや。そうやアメリカから北野博士の部屋に電送されてきたんや。うん、間違いないで」

「デンソウ?」

「単身赴任のことや。コンピュータ用語でっせ。難しい話な」
 そんなこと言わぬワ。

(お嬢さまぁ……)
 少女は遠くで呼ぶ声に小首を捻って、
「わたしはそこの保養所の305号室なの。もしよろしければお茶でもご馳走させてください」

「い……いやしかし……」

 まさか、あなたが相手をしているのはオモチャのバギーに乗ったポケラジですよ、とは口が裂けても言えない。アキラは行きたそうにソワソワと落ち着きが無いが、
「すんまへんけど。ワテらの連れが向こうの海水浴場で待ってまんねん。あんまり帰りが遅いと心配しまんので、茶ぁシバクんはまた日を改めて……」

「シバク?」少女の銀髪がゆるく傾く。

 そんなガラの悪い言葉は、このお嬢様には通じないのである。
「あ、お茶を頂くちゅう。テキサス訛りでんがな。ワテはテキサスの出身なんや」
 何度も言うが、テキサツ生まれは決して『ワテ』とは言わないし、お茶を頂くことを『シバク』とも言わない。

「そう……なんですか」
 急激に消沈するスミレさん。
「あの……いつでも大歓迎ですから、ぜひ来てくださいね。わたしに残された時間はとても短いの。そのあいだにたくさんお喋りしたいのです」

「あかんで、お嬢はん。もっと前向きに生きなはれや。人間死んだらしまいや。生きていてこそ花でっせ」

 何だかよく解からないことをギアは言い。少女は声のするほうへと手を差し出した。
 電磁生命体に手足は無いのである。もちろんバギーにも腕は無い。ギアはアキラのつま先に前輪を当てて囁く。
(アキラ、代わりに握手しておいてくれ)
 目尻をトロんと下げて、アキラはギアの代わりにスミレさんの白い手を握った。

「ギアさん。温かい」
「あ、いや。なんや……。ほなゴア、アキラいこか……」

 看護師さんらしき白い制服を着た女性がスミレさんに駆け寄り、すれ違いざまにアキラが会釈。相手も戸惑いながらも頭を下げつつ尋ねた。

「どちら様ですか、お嬢様?」
「ギアさんとゴアさん。それからアキラさんです」
 と伝えられ、看護師さんの困惑がさらに色濃くなるのは致し方ないのである。そこにはアキラしか居ないのだ。


 未練たらしく会釈を繰り返すアキラにギアが口添えをする。
「挨拶はもうええから。ここは印象良く別れたほうが得策や。それよりこれ見てみい。ここ保養所やゆうとったけど、こりゃあ、めっちゃめちゃ高級やで」

 堤防沿いの道路は地面から一段高い位置にあるため、松林の隙間から敷地内がよく見えた。緑濃い芝生が広がり、陽当たりを重視した大きなガラスドアの部屋から広いベランダが突き出ている。手の込んだ作りをした手すりもそうだし、3階建という控えめな分、部屋の中と庭を広く取った豪奢な構造は高級感を否応なく浮き立たせた立派な設備であった。

「あの子。ごっつい金持ちなんや……でもなぁ。目ぇ悪そうや。かわいそうに。生まれた時からとか、なんや短命そうなことばっかり口にしとったな。あんな可愛いのに影が薄ぅなってたワ」
「お前も縁起の悪い事を言うのでない」

「スミレちゃんか……」
 おいおいアキラ、遠い目をして。恭子ちゃんはどうするんだ?
「でもさ。あの子の気持ちを察すると胸を打たれるよね」
 アキラは決意に燃える目をして言う。
「ね。また来ない? スミレちゃんもぜひって言ってたじゃない。305号室って部屋も分かってるし……。それでさ、元気づけてあげようよ」
「ワテも賛成や。なんぼ高級な保養所ちゅうても、話し相手無しでは暗くもなる。よっしゃ、あんな可愛い子のためや、ひと肌でもふた肌でも脱ぎまっせ」

 脱ぐ肌など無いくせに。




 海岸に戻ると、キヨコと恭子ちゃんは砂遊びをして時を過ごしていた。
「どこまで行ってたのよ。男子トイレはえらく遠くにあるのね。女子のほうはあそこの海の家にあったわよ」
 とNAOMIさんがプリプリして迎えてくれた。

 その後、アキラはNAOMIさんの命令で組み立て式のソーラーパネルを広げ、我輩とギアに充電と呼ばれる昼食を準備してくれた。

「あー。おおきになNAOMIはん。やっぱり太陽の恵みや美味しおますワ」
「うむ。鮮度がまったく異なる。発電し立てはジューシーであるな」
 互いに舌鼓を打つバギーとスマホを見て、アキラと恭子ちゃんは肩をすくめていた。


 夕刻までキヨ子はノーマルキヨコとして振る舞い。アキラも恭子ちゃんもそれなりに安堵しつつ、かつ楽しい時間を過ごしてパラソルを返却した帰り道。河口から遠くに見える保養所のほうへと視線を滑らせてしまうアキラの行為は仕方が無いことで、でも恭子ちゃんもNAOMIさんもそれには気付くことはなく、ましてやキヨコには全く関係の無い事であった。

 そうそう。帰りのバスの中、恭子ちゃんの背中におぶさり、うつらうつらとしているキヨコの横顔をアキラは羨望の眼差しでいつまでも見ていたことを付け加えておこう。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 何となくしこりを残した感じで数日が過ぎた。

 キヨコの絵日記帳には、砂浜と赤白のビーチパラソルが無事描かれたのだが、たくさんの赤い緊急自動車が背景になっているのが気になる。二学期になって担任の当惑を誘うのは必然であろう。

 もうひとつ気になることがある。ギアの様子がおかしい。
 物想いに耽(ふけ)る時間が多いのだ。

 そしてついに白状しおった。
「あかん……ワテ……恋したかも知れん」


 バカバカしいが、まだまだ続くぞ~~。
  
  
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