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ダブルベッドも買ふ(ともかく4話)
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しおりを挟む次の日。俺は小ノ葉の挨拶も兼ねて商店街を練り歩いた。もちろんバイト探しがメインだが、世の中不景気なのか、どの店もアルバイトを雇うことを極力控えていて、なんとか内々で収めようと四苦八苦していた。
自分の家だって電気屋なんだからバイトをさせてくれと頼み込んだのだが、今は無いと、けんもほろろで親父は断りやがった。
商売をしている家に生まれた子供は、嫌でも家業を手伝わされるもので、夏休みにゴロゴロできるなんて、そんな裕福なヤツはいないはずである。
だが、手伝いもせずに、毎日ゴロゴロしているヤツがすぐそばにいた。
「変な言い方よしてよ。ゴロゴロなんかしていないよ。毎日パソコンに向かってるんだからね。だいたい僕は肉体労働向きじゃないんだ」
「酒屋の息子が何を言ってんだ。俺なんか電気屋だし、肉体労働向きの体格なのに仕事がねえんだぞ」
「じゃあさ。代わりにうちでバイトしなよ。そうすりゃ僕は気がね無くパソコンに向かえるし、イッチも収入を得られて一石二鳥だろ?」
「あ。そうだな」
「イッチお仕事するの?」
今日も俺の腕に寄り添っていた小ノ葉が丸い瞳を持ち上げた。『仕事』の意味は教なくても俺の脳から情報を抜き出しただろうから、説明の必要は無い。
「ああ。親父から借金という呪縛を受けちまったからな」
「魔法なの?」
「何度も言うが、ここには魔法は無い。これは言わば……試練だな」
「試練……?」
「ああ、試練さ。試練は苦しいだろ? けどお金が手に入る。そしたらラーメン食わしてやれるんだ」
「ほんと?」
明るい顔をもたげるのは、お金がないと美味い物が食えないことをようやく理解したのだ。
「今、そんなに貧しいの?」
気の毒そうに俺たち二人を交互に見つめるキヨッペへ答える。
「おうよ。この先半年以上小遣い無しだからな。なのに小ノ葉の腹にゃブラックホールがあるだろ。だから俺が稼がなきゃならんのだ」
所帯じみた会話だが、こればかりは現実だから仕方が無い。世の中に存在するオスの大半が背負う重荷なのだ。
家業を手伝う気ゼロのキヨッペに代わり、俺が請け負った仕事の内容は肉体労働だった。頭脳労働を得意としない俺にはぴったりと言えばピッタリだ
午前中、オバさんが注文を請けたところへ、午後からその配達をチャリンコで回り、それが終わったら、『立ち飲み処・アキ』の開店準備やその雑用だ。時給820円。
吉沢酒店で、唯一男手となるキヨッペがバイトを拒否してくれたおかげで、俺にそのお鉢が回ってきた。ついでに俺の手伝いをすると杏が申し出たが、受験生にそれはダメだと丁重にお断りしておいた。あいつが絡んでくると、いろいろと面倒だからな。その代わりに俺が配達中は小ノ葉の監視を頼むことに。気をつけないと兄貴の餌食になるからだ。
「おう。オレに任せておけって。女の子を守るのが男ってぇもんだ。ついでに日本語を教えておいてやるぜ」
と片手のひらに竹刀の先をパシパシ当てて、鼻から息を吹きだす勇ましさにひとまず安堵する。
キヨッペの両親に昼からよろしくと挨拶を済ませて家に舞い戻った俺は、すぐに朝昼兼用の飯を食ってから、もう一度小ノ葉を連れて吉沢酒店へトンボ帰りだ。急に忙しくなってきた。
今日の小ノ葉は、おなじみの紺のオーバーニーと、デニム生地の超ショートパンツ。上はちょと変化して、胸元を大胆に広げた白のコットンシャツだ。
男の視線を弄ぶファッションセンスを教え込んでいるのはきっとうちのお袋だ。そうやって親父をからかうところがあるからな。
目のやり場に困る小ノ葉を連れて、吉沢酒店の前で作業内容をオヤジさんから聞いていたら、うちの親父が店から顔を出した。
「ケンちゃん。オレッちのバカ息子だからって手加減しなくていいからな。世間を見させるいい機会だし、ビシビシこき使ってくれよ」
面白半分に言うだけ言うと、すました顔して自分の店に戻って行った。
「マサやんの息子をいじめるのは気が引けるけど、まぁよろしくな。でもカズちゃんはエライよ。お腹の子のために奮起するなんてな。まったくどこかのパソコンオタクに爪の垢でも飲ませてやりてえな」
もしもし、おじさん?
俺の横でニコニコしている小ノ葉の腹の辺りに視線を振っていますけど、その恐ろしい話はどこで聞いてきたの? と訊きたいっすね。
「それじゃ、まずはこの瓶ビール、2ケースを前川さんちへ配達してもらおうかな」
でん、でんと20本入りの中瓶を並べたケースが、俺の前に積み上げられた。
「前川さんって駅前の? それとも小学校の近くのですか?」
「駅前のほうだ」
「はいはい。出戻りのお姉さんが居るほうね」
「おいカズくん。そんなこと口が裂けても言っちゃあなんねえぜ」
「大丈夫っす。俺も商売人の息子っすから」
「へぇ。頼むぜ、ほんとによう」
おじさんは半分笑い顔で応えていたが、心配無用ですぜ。お客さん相手なのは酒屋も電器店もそんなに変わらない。表と裏の建前を上手く使うのも商売を円滑にやる上での秘訣さ。
仕事の大半は配達業務なので、やることは単純だし、生まれ育った商店街周辺の配達などお客さんの名前を聞いただけで、その場所だけでなく家族構成まで思い浮かべることができる。だからこれぐらいのことは楽勝だ。
ところが、自分はこの仕事に向いていないと言い切っていたキヨッペが、小ノ葉もやって来ることを知った途端、口を出し始めた。
「駅前の前川さんのユウヒビールのドライは缶でなく瓶だからね」とか、
「だめだめイッチ。瓶ビールはケースに入れる前に乾いた布で拭いてから入れてよ」
とか、口うるさくてやってられない。そんなことはオヤジさんに言われてんだ。
続いてキヨッペは配達用の大型の自転車を裏から引っ張り出してきて、小ノ葉の前でスタンドを立てて置いた。
「何で小ノ葉の前なんだ。俺が乗るんだろそれ?」
俺の質問にキヨッペはニヤニヤしながら、
「コレは物理の勉強に持ってこいなのさ。なんで自転車は倒れないか……解かる? 好きな人には堪らない疑問なのさ」
小ノ葉は、すぐにその前にしゃがみ込んでペダルに手を出した。
「この乗り物……そっか慣性力を利用してんのか……。でも止まると倒れるよ? なんでこんなので走れるの? 何か補助するものがあるのかな」
案の定、小ノ葉も自転車の構造に興味を持ったらしく。手でペダルを動かして回転する後輪を見て首を捻っていた。
「あのね小ノ葉ちゃん。自転車が倒れない理由はハンドルと前輪の角度。そしてジャイロ効果なのさ」
後ろからキヨッペが近寄りそう伝えた。
その手の話題に精通した奴は理屈っぽい会話が好きなのだ。
「あたしの観察ではそうじゃない気がするの。遠心力じゃないの?」
向こうの世界で科学者の助手をやっていたというだけのことはあって、小ノ葉の科学的な知識はキヨッペよりも豊かだし、当然俺では太刀打ちできない。
「いろんな説があってね。なかなかむずかしい問題なのさ」
って、キヨッペは諦め口調だけど――どいつもこいつもちょっと頭が良いとこれだ。答えは簡単だぜ。
「お前らだめだねぇ。そんなむずかしい理由で自転車が倒れないんじゃないぜ」
「なら何さ。イッチに説明できるの?」
訊ねるキヨッペに賛同するように、小ノ葉も興味溢れる視線を俺に滑らせてきた。
キヨッペが理科系的に説明するなら、俺は保健体育的に説明してやる。
「――コケたら痛いからさ」
「な~んだよ、それ」
笑い目で唇を尖らせるキヨッペに、
「痛いのが嫌だから必死になるんだ。そうすると自転車は倒れなくなる」
「ほんと? ほんとなの? 生き物みたいね」
小ノ葉が好奇心に満ちた目に力を込めた。
「そうさ。キヨッペだってこれに乗れるだろう。なら乗ったまま倒れてみろよ。ほら」
乗りやすいように、ハンドルをそっちへ少し向けてやる。
キヨッペは、それを受けてしばらく黙っていたが、
「……やだよ。痛いから」
と言うと、ハンドルから手を放した。
小ノ葉目を見張って言う。
「ほんとだ。痛いのが嫌なので自転車は倒れないんだ。物理の法則じゃないよ。やっぱり異世界はすごいね」
「そうさ。これを精神論法っていうんだ」
「すっごぉぉい」
「イッチさ。小ノ葉ちゃんにデタラメ教えないでよ。そんな言葉ないからね」
とキヨッペは偉そうに言うけど、再びしゃがみ込んで後輪を回し始めた小ノ葉に近づいて胸の中を覗こうとしてんのは、先刻お見通しだぜ。
〔そういうオレもだぜ……〕
なはは。キヨッペと目が合った。今日もグリスたっぷり、派手に前髪をおっ立てていた。
「お前いつもよりお洒落さんじゃね? 何でミリタリーぽいパンツ穿いてんだ?」
顎でしゃくってやると、キヨッペはしゃあしゃあと言う。
「カーゴパンツって言うのさ。働く男はこういうのがカッコいいんだ」
「お前はパソコンにへばり付くんじゃないの? なんでそんなカッコしてんのさ」
「僕はパソコンの前でもこういう格好してるんだよ」
「一歩も外に出ないとか宣言していたくせに……。決め込んでるよな」
銀の櫛で髪の整形を繰り返す呆れた姿に視線を巡らせる。
「それなら二人で配達しないか?」
ビールのケースを二段重ねにして、大型自転車の荷台に載せながら訊く。
「いや。僕はパソコンがあるから、これで失礼するよ」
さっさと家に入ると、二階へ上がる足音を響かせて消えた。
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