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7章 狐の好物
2話 シャリアピンステーキ
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上段より迫り来る、身の丈以上の斧。それはごう、と唸りを上げながら風を切りカムイのもとに迫った。
「ふっ」
その斧をカムイは息を吐きながら余裕を持って避ける。理想を言えば紙一重で避けてカウンターを入れたいところだが、巨大な斧が地面を抉る衝撃に耐えるためしっかりと地に足を付けておく必要があった。
「っと」
地面が陥没するほどの衝撃にバランスを崩しながらも、その瞳はミノタウロスの首筋に浮かぶ太い動脈を捉えていた。
ミノタウロスとは魔物であるが、頭が牛であるだけで身体は鍛えられた人間と殆ど変わらない。それ故に殺す際に必要な力は、ほんの僅かなもので十分だ。
「ーーーー!!」
倒れこみながら振るった刀の切っ先は的確にミノタウロスの動脈を切り裂き、血の雨を降らせる。
ミノタウロスは形容しがたい叫び声を上げながら懸命に自分の首筋を押さえるが、力めば力むほど吹き出る血の量は増していき、やがてふっと糸が切れた人形のように倒れこんだ。
そして粒子となってダンジョンの地面に吸い込まれると、トレイに乗った良質な牛肉がその姿を現わす。綺麗にラッピングされたそれはグラム500円のもの。
「……くっ」
思わず強く壁を殴る。
(こんなんじゃ、ハルには出せない)
そう、カムイはハルに上質な肉を食べさせるためだけに山籠りならぬ、ダンジョン籠りをしているのだ。しかも既に七日目。
(極秘ルートから入手した情報じゃ、ここでA5級の肉が出るはずなんだが……)
基本的にダンジョンの特性上、通常個体よりも強力な個体がアイテムをドロップする。だが今回は俗に言うレアアイテムのドロップ待ちであり、その確率は百分の一を下回る。
ダンジョン籠り当初はA5級ランクの牛肉を手に入れる気であったが、今はA3級の高級肉であればもういいや、くらいにやる気は低下していた。
「ーーーー!!」
ダンジョンの先からミノタウロス同士が争う音が聞こえてきた。生き残った方は経験値を入手し、その余分な経験値がアイテムとなる。それを得るためにカムイは萎える気持ちに喝を入れ、獲物に向かって走り出した。
「むむ……」
盤面を睨みながらクロは唸った。中央のせめぎ合いは僅かに黒が有利。しかし角四方を白に占領され、このパワーバランスが崩れるのも時間の問題である事が見て取れた。
「目先の利益に飛びついちゃダメって、お兄ちゃんがよく言ってるでしょ?」
ハルは優しく諭しながらも、豪快に黒色の陣地を蹂躙していく。
「ああ!」
一見五分五分、いや黒が有利に見えた前半戦。しかし後半になるに連れて白の陣地は増えていき、やがて盤面から黒色が消えた。
「ま、まだ全部埋まっていないのに……」
リバーシ、とカムイに教わったこのボードゲームは暇つぶしゲームでありながら、どこか戦術・戦略に通ずるものがある。
下地になったゲームが囲碁であるため当たり前の話だが、そうとは知らないハルはさらにカムイを尊敬するのだった。
「りばーしもそろそろ飽きてきたです」
「そうだね……お兄ちゃん、いつ帰ってくるのかなぁ」
未知の食材を求めて旅に出るのはよくある事だが、二人ともお留守番というのは今回が初めての事だった。それも数日ではなく、もう一週間になる。
「私、買い出しの時に常連さんに捕まりました」
「クロちゃんも? やっぱりそろそろお店開けないとまずいかな」
ここ『異世界奴隷食堂』の常連は一種の中毒状態になっており、不定休でも客足が離れる事はない。その代わりこうして休みが続くと、常連からのアピールが凄いのだ。酷くなると出かけてから帰宅するまでに常に誰かが「店はいつ開くのか」と聞いてくるため、満足に休みを満喫する事が出来ない。
しかも新メニューを真っ先に食べるためか、開くかどうか分からないというにもかかわらず、朝から並ぶ人間もいたりする。今日の朝も数人並んでおり、ハルはわざわざ今日は開かないという旨を伝えるために早起きをする必要があった。
「お茶漬けなら任せて下さい」
「……私も簡単な料理は作れるけど、流石にお客さんには出せないし……お茶漬け定食のみもね……」
クロならそれでいいかも知れないが、ここのメニューは結構豊富だ。数が多い分、客の好みもばらける。お茶漬けを好む常連はもちろん存在するが、全体から見れば少数と言わざるを得ない。
「「うーん……」」
声をハモらせて悩む。
するとそれを待っていたかのように、階下で物音がした。
「あっ、お兄ちゃん帰ってきたみたい」
「ですです」
二人は顔を合わせて笑みを浮かべると、一階に降りて店の裏口へと向かった。そこにはやはり、多少疲れた表情のカムイがいた。
「「おかえりなさい!」」
「うぉ!? あ、ああ。ただいま」
カムイはいきなり、しかもハモっていたため驚いたのだろうが、それとは別にどこかばつの悪そうな顔をしている。
それを察したハルは不思議に思い、カムイに聞いてみた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「んー、いや……なんつーか…………これが今回の戦利品だ」
そうしてカムイが取り出した牛肉はいたって普通のものであった。状態が悪いというわけではないが、どうみても入手に一週間もかけるようなものではない。というか、いつも買ってきている肉だった。
「『ハルが驚くような牛肉を食べさせてやる』……でしたっけ? 確かに、普通過ぎて逆にびっくりですよご主人」
「ぐは!」
どう声をかけようか迷っているハルだったが、クロはそんな事などお構いなしに傷口を抉っていく。
ハルはそれを酷いとは思わない。むしろどうやら正しい対応だったようで、クロとカムイは楽しそうにじゃれている。
(……なんだかあの二人、最近凄く仲がいいなぁ)
なんとなく蚊帳の外にいるような疎外感を覚えていると、カムイが思い出したかのように口を開いた。
「あー、そういえば二人は昼飯食ったか?」
二人はまるで示し合わせたかのように、同じタイミングで首を横に振った。
「じゃあ飯作るから、てきとーに時間潰してて」
「でも帰ってきたばかりで疲れてるでしょ? 手伝うよ」
「私はお言葉に甘えて」
「あっ、クロちゃん!」
ハルは二階に上がるクロをばたばたと追いかける。その背に、カムイが声をかけた。
「留守番のご褒美と思って、部屋でゆっくりしてていいからー!」
ハルは手すりからぴょこりと顔だけを出すと、同じように声を張って返す。
「わかったー! ありがとー!」
そしてクロを捕まえるために再び走り出した。その後ろで、カムイがにやりと唇を歪めているとも知らずに……。
「……行ったか」
くっくっく、とカムイが悪人のような笑みを浮かべているのには理由があった。
(これでハードルを下げる事に成功したな)
そう、ハルをびっくりさせるための作戦は失敗するどころか、成功の第一歩を踏み出していたのだ。
もちろん、牛肉が普段と同じものである事に変わりはない。A5ランクの牛肉を入手するという作戦は失敗しているのだが、カムイはすぐに戦略を練り直していたのだ。
カムイは背負っていたリュックから、あらかじめ処理済みのフィレ肉を取り出す。フィレは最も赤身の中で柔らかく、『肉』を豪快に味わえるステーキに適した部位である。
ちなみにその処理とは、よく叩き筋切りをし、その上にみじん切りにした玉ねぎを置くーーーーすなわち、シャリアピンステーキを作るための処理の事だ。
その名からは想像出来ないかも知れないが日本で生まれた調理法であり、立派な和食。
カムイはこれをもって、ハルを驚かせるつもりであった。無論お肉を柔らかくする調理法といえども限界があり、A5ランクの適切に調理された肉と比べれば味は劣る。それ故のハードル下げなのである。
(多少質が劣るとはいえ、既存のメニューでステーキは『冒険者の満腹ステーキ』しかない……十分に度肝を抜けるはずだ)
冒険者の満腹ステーキは食べ応えを大事にしているため、固すぎないレベルではあるがシャリアピンステーキに比べると雲泥の差と言える。
「……よし」
頰を張って気合を入れると、カムイはフライパンに火をかけた。
「おーい、二人ともー! 出来たぞー!」
あまり手伝いを率先的に行わないクロを説教するため、ハルが腕ひしぎ十字固めをかけていると、厨房からその技を教えた本人の声が聞こえてきた。
「クロちゃん、ご飯出来たって」
「……ひ、ひと思いに…………楽にして下さい」
クロはぐったりとしていて、珍しくご飯という言葉に反応しない。
そんな気分の時もあるよね、とハルはクロを放置してカムイの元へと向かった。
「あれ、クロは?」
「なんかお腹空いていないんだって」
「病気じゃないよな? 後で様子見とくか」
滅多にない出来事に驚くが、ハルの様子が普段と変わらないため大した事ではないのだろうと思い、カムイはそのまま『シャリアピンステーキ』を差し出した。
「ありがとー。これって『冒険者の満腹ステーキ』?」
「それが一味違うんだよな」
「んー、違いと言えば上に乗ってる玉ねぎくらいだけど……」
ハルは玉ねぎの乗った肉をじぃ、と見つめるが食べようとはしない。
(そういえばハルって、ステーキは殆ど頼まなかったな)
あまり好みではないのかも知れない。だが、だからこそこの肉の食感に驚く事だろう。
「ハルはあまりステーキは好きじゃないのか?」
「……固いのはちょっと苦手かな。あ、でもこれは食べやすく一口サイズに切ってくれてるから大丈夫!」
ハルはフォローのためか慌てたようにそう言うと、そのままの勢いでステーキを口にした。
「あむーーーーえ?」
目が見開かれる。
ハルは肉が刺さっていたフォークを見て、皿に鎮座したままの肉を見やる。それを数度行った後、目を見開いたままカムイの方を見て口を開いた。
「これ……マグロ?」
そんな事はないが、あまりにも普段食べる肉との差にそう思ってしまったのだろう。カムイは笑いながらそれを否する。
「いやいや、いつもの牛肉だって。ほら、もう一口食べてみて」
「え、だって…………はむ」
納得が出来ないのかハルは言われた通りに肉を口に運び、立ち上がった。
「溶けた! お兄ちゃん、このお肉溶けるよ!?」
この場合、玉ねぎが持っているタンパク質分解酵素の作用により肉が通常では考えられないほど柔らかくなっており、肉が溶けるという表現は大袈裟ではない。一般家庭でも簡単に真似ができ、かつ誰でも美味しく作る事が出来るためカムイは重宝していた。
「シャリアピンステーキっていう料理だ。誰でも作れるくらい簡単なのに、かなり美味いだろ?」
「うん、うん! これって私でも作れるの?」
「もちろん。雑に言えば、玉ねぎを上に乗せるくらいだしな」
「いいね! お客さんも新メニュー楽しみにしてたし、早速明日から出してあげなきゃ!」
その時は私が作るんだから! と嬉しそうにハルは肉を口に運ぶ。
クロは提供出来るレベルのお茶漬けを作る事が出来るが、ハルは特にそういったものがなかったためかなり嬉しいようだ。しかしそれを知らないカムイにとって、ハルの対応は望んだものでもなかった。
(もっとこう……『お客さんに出すのがもったいないから、メニューにはしないからね!』くらいの感想を持って欲しかったんだけどなぁ)
ハルが喜んでいる様を見るのは嬉しいが、そうじゃない。今回の目的は、ハルの大好物を見つける事である。その点で言えばシャリアピンステーキは失敗だ。
「……また明日から休むかなぁ」
「うぇ!?」
カムイの心中を知らないハルはシャリアピンステーキを口にした瞬間よりも驚き、持っていたフォークを落とすのであった。
「ふっ」
その斧をカムイは息を吐きながら余裕を持って避ける。理想を言えば紙一重で避けてカウンターを入れたいところだが、巨大な斧が地面を抉る衝撃に耐えるためしっかりと地に足を付けておく必要があった。
「っと」
地面が陥没するほどの衝撃にバランスを崩しながらも、その瞳はミノタウロスの首筋に浮かぶ太い動脈を捉えていた。
ミノタウロスとは魔物であるが、頭が牛であるだけで身体は鍛えられた人間と殆ど変わらない。それ故に殺す際に必要な力は、ほんの僅かなもので十分だ。
「ーーーー!!」
倒れこみながら振るった刀の切っ先は的確にミノタウロスの動脈を切り裂き、血の雨を降らせる。
ミノタウロスは形容しがたい叫び声を上げながら懸命に自分の首筋を押さえるが、力めば力むほど吹き出る血の量は増していき、やがてふっと糸が切れた人形のように倒れこんだ。
そして粒子となってダンジョンの地面に吸い込まれると、トレイに乗った良質な牛肉がその姿を現わす。綺麗にラッピングされたそれはグラム500円のもの。
「……くっ」
思わず強く壁を殴る。
(こんなんじゃ、ハルには出せない)
そう、カムイはハルに上質な肉を食べさせるためだけに山籠りならぬ、ダンジョン籠りをしているのだ。しかも既に七日目。
(極秘ルートから入手した情報じゃ、ここでA5級の肉が出るはずなんだが……)
基本的にダンジョンの特性上、通常個体よりも強力な個体がアイテムをドロップする。だが今回は俗に言うレアアイテムのドロップ待ちであり、その確率は百分の一を下回る。
ダンジョン籠り当初はA5級ランクの牛肉を手に入れる気であったが、今はA3級の高級肉であればもういいや、くらいにやる気は低下していた。
「ーーーー!!」
ダンジョンの先からミノタウロス同士が争う音が聞こえてきた。生き残った方は経験値を入手し、その余分な経験値がアイテムとなる。それを得るためにカムイは萎える気持ちに喝を入れ、獲物に向かって走り出した。
「むむ……」
盤面を睨みながらクロは唸った。中央のせめぎ合いは僅かに黒が有利。しかし角四方を白に占領され、このパワーバランスが崩れるのも時間の問題である事が見て取れた。
「目先の利益に飛びついちゃダメって、お兄ちゃんがよく言ってるでしょ?」
ハルは優しく諭しながらも、豪快に黒色の陣地を蹂躙していく。
「ああ!」
一見五分五分、いや黒が有利に見えた前半戦。しかし後半になるに連れて白の陣地は増えていき、やがて盤面から黒色が消えた。
「ま、まだ全部埋まっていないのに……」
リバーシ、とカムイに教わったこのボードゲームは暇つぶしゲームでありながら、どこか戦術・戦略に通ずるものがある。
下地になったゲームが囲碁であるため当たり前の話だが、そうとは知らないハルはさらにカムイを尊敬するのだった。
「りばーしもそろそろ飽きてきたです」
「そうだね……お兄ちゃん、いつ帰ってくるのかなぁ」
未知の食材を求めて旅に出るのはよくある事だが、二人ともお留守番というのは今回が初めての事だった。それも数日ではなく、もう一週間になる。
「私、買い出しの時に常連さんに捕まりました」
「クロちゃんも? やっぱりそろそろお店開けないとまずいかな」
ここ『異世界奴隷食堂』の常連は一種の中毒状態になっており、不定休でも客足が離れる事はない。その代わりこうして休みが続くと、常連からのアピールが凄いのだ。酷くなると出かけてから帰宅するまでに常に誰かが「店はいつ開くのか」と聞いてくるため、満足に休みを満喫する事が出来ない。
しかも新メニューを真っ先に食べるためか、開くかどうか分からないというにもかかわらず、朝から並ぶ人間もいたりする。今日の朝も数人並んでおり、ハルはわざわざ今日は開かないという旨を伝えるために早起きをする必要があった。
「お茶漬けなら任せて下さい」
「……私も簡単な料理は作れるけど、流石にお客さんには出せないし……お茶漬け定食のみもね……」
クロならそれでいいかも知れないが、ここのメニューは結構豊富だ。数が多い分、客の好みもばらける。お茶漬けを好む常連はもちろん存在するが、全体から見れば少数と言わざるを得ない。
「「うーん……」」
声をハモらせて悩む。
するとそれを待っていたかのように、階下で物音がした。
「あっ、お兄ちゃん帰ってきたみたい」
「ですです」
二人は顔を合わせて笑みを浮かべると、一階に降りて店の裏口へと向かった。そこにはやはり、多少疲れた表情のカムイがいた。
「「おかえりなさい!」」
「うぉ!? あ、ああ。ただいま」
カムイはいきなり、しかもハモっていたため驚いたのだろうが、それとは別にどこかばつの悪そうな顔をしている。
それを察したハルは不思議に思い、カムイに聞いてみた。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「んー、いや……なんつーか…………これが今回の戦利品だ」
そうしてカムイが取り出した牛肉はいたって普通のものであった。状態が悪いというわけではないが、どうみても入手に一週間もかけるようなものではない。というか、いつも買ってきている肉だった。
「『ハルが驚くような牛肉を食べさせてやる』……でしたっけ? 確かに、普通過ぎて逆にびっくりですよご主人」
「ぐは!」
どう声をかけようか迷っているハルだったが、クロはそんな事などお構いなしに傷口を抉っていく。
ハルはそれを酷いとは思わない。むしろどうやら正しい対応だったようで、クロとカムイは楽しそうにじゃれている。
(……なんだかあの二人、最近凄く仲がいいなぁ)
なんとなく蚊帳の外にいるような疎外感を覚えていると、カムイが思い出したかのように口を開いた。
「あー、そういえば二人は昼飯食ったか?」
二人はまるで示し合わせたかのように、同じタイミングで首を横に振った。
「じゃあ飯作るから、てきとーに時間潰してて」
「でも帰ってきたばかりで疲れてるでしょ? 手伝うよ」
「私はお言葉に甘えて」
「あっ、クロちゃん!」
ハルは二階に上がるクロをばたばたと追いかける。その背に、カムイが声をかけた。
「留守番のご褒美と思って、部屋でゆっくりしてていいからー!」
ハルは手すりからぴょこりと顔だけを出すと、同じように声を張って返す。
「わかったー! ありがとー!」
そしてクロを捕まえるために再び走り出した。その後ろで、カムイがにやりと唇を歪めているとも知らずに……。
「……行ったか」
くっくっく、とカムイが悪人のような笑みを浮かべているのには理由があった。
(これでハードルを下げる事に成功したな)
そう、ハルをびっくりさせるための作戦は失敗するどころか、成功の第一歩を踏み出していたのだ。
もちろん、牛肉が普段と同じものである事に変わりはない。A5ランクの牛肉を入手するという作戦は失敗しているのだが、カムイはすぐに戦略を練り直していたのだ。
カムイは背負っていたリュックから、あらかじめ処理済みのフィレ肉を取り出す。フィレは最も赤身の中で柔らかく、『肉』を豪快に味わえるステーキに適した部位である。
ちなみにその処理とは、よく叩き筋切りをし、その上にみじん切りにした玉ねぎを置くーーーーすなわち、シャリアピンステーキを作るための処理の事だ。
その名からは想像出来ないかも知れないが日本で生まれた調理法であり、立派な和食。
カムイはこれをもって、ハルを驚かせるつもりであった。無論お肉を柔らかくする調理法といえども限界があり、A5ランクの適切に調理された肉と比べれば味は劣る。それ故のハードル下げなのである。
(多少質が劣るとはいえ、既存のメニューでステーキは『冒険者の満腹ステーキ』しかない……十分に度肝を抜けるはずだ)
冒険者の満腹ステーキは食べ応えを大事にしているため、固すぎないレベルではあるがシャリアピンステーキに比べると雲泥の差と言える。
「……よし」
頰を張って気合を入れると、カムイはフライパンに火をかけた。
「おーい、二人ともー! 出来たぞー!」
あまり手伝いを率先的に行わないクロを説教するため、ハルが腕ひしぎ十字固めをかけていると、厨房からその技を教えた本人の声が聞こえてきた。
「クロちゃん、ご飯出来たって」
「……ひ、ひと思いに…………楽にして下さい」
クロはぐったりとしていて、珍しくご飯という言葉に反応しない。
そんな気分の時もあるよね、とハルはクロを放置してカムイの元へと向かった。
「あれ、クロは?」
「なんかお腹空いていないんだって」
「病気じゃないよな? 後で様子見とくか」
滅多にない出来事に驚くが、ハルの様子が普段と変わらないため大した事ではないのだろうと思い、カムイはそのまま『シャリアピンステーキ』を差し出した。
「ありがとー。これって『冒険者の満腹ステーキ』?」
「それが一味違うんだよな」
「んー、違いと言えば上に乗ってる玉ねぎくらいだけど……」
ハルは玉ねぎの乗った肉をじぃ、と見つめるが食べようとはしない。
(そういえばハルって、ステーキは殆ど頼まなかったな)
あまり好みではないのかも知れない。だが、だからこそこの肉の食感に驚く事だろう。
「ハルはあまりステーキは好きじゃないのか?」
「……固いのはちょっと苦手かな。あ、でもこれは食べやすく一口サイズに切ってくれてるから大丈夫!」
ハルはフォローのためか慌てたようにそう言うと、そのままの勢いでステーキを口にした。
「あむーーーーえ?」
目が見開かれる。
ハルは肉が刺さっていたフォークを見て、皿に鎮座したままの肉を見やる。それを数度行った後、目を見開いたままカムイの方を見て口を開いた。
「これ……マグロ?」
そんな事はないが、あまりにも普段食べる肉との差にそう思ってしまったのだろう。カムイは笑いながらそれを否する。
「いやいや、いつもの牛肉だって。ほら、もう一口食べてみて」
「え、だって…………はむ」
納得が出来ないのかハルは言われた通りに肉を口に運び、立ち上がった。
「溶けた! お兄ちゃん、このお肉溶けるよ!?」
この場合、玉ねぎが持っているタンパク質分解酵素の作用により肉が通常では考えられないほど柔らかくなっており、肉が溶けるという表現は大袈裟ではない。一般家庭でも簡単に真似ができ、かつ誰でも美味しく作る事が出来るためカムイは重宝していた。
「シャリアピンステーキっていう料理だ。誰でも作れるくらい簡単なのに、かなり美味いだろ?」
「うん、うん! これって私でも作れるの?」
「もちろん。雑に言えば、玉ねぎを上に乗せるくらいだしな」
「いいね! お客さんも新メニュー楽しみにしてたし、早速明日から出してあげなきゃ!」
その時は私が作るんだから! と嬉しそうにハルは肉を口に運ぶ。
クロは提供出来るレベルのお茶漬けを作る事が出来るが、ハルは特にそういったものがなかったためかなり嬉しいようだ。しかしそれを知らないカムイにとって、ハルの対応は望んだものでもなかった。
(もっとこう……『お客さんに出すのがもったいないから、メニューにはしないからね!』くらいの感想を持って欲しかったんだけどなぁ)
ハルが喜んでいる様を見るのは嬉しいが、そうじゃない。今回の目的は、ハルの大好物を見つける事である。その点で言えばシャリアピンステーキは失敗だ。
「……また明日から休むかなぁ」
「うぇ!?」
カムイの心中を知らないハルはシャリアピンステーキを口にした瞬間よりも驚き、持っていたフォークを落とすのであった。
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コメント失礼します。
楽しく拝見させていただき一気読みしてしまいました。
構成が面白く今後の展開が楽しみです。
1話完結の様な形になるのか、長期的な構成になるのか、この先が楽しみになりました。
ハルにちょっかいを出した客を撃退するシーンが個人的に好みでした。
カムイが対応していそいそとボトルを用意するハルとクロが眼に浮かぶ(笑)
次回更新を楽しみにしております!
ルビ振りができてないのでは?
完結ってなっているのですが間違いですか?終わったのかと思っていたのですが…