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chapter 3
8話 ダンジョンでは避けられないもの
しおりを挟む「あいつらの気が変わる前に行くか」
歩き出す。――――そんな俺の袖を、ミサは引いた。
喰屍鬼が居た時と同じ反応に、反射的に毛が逆立つ。短く息を吐き、ミサを見ると…………何かを警戒するのでは無く、俯いていた。
「あ、あの、安心したら……その、尿意が…………」
…………。
俺は無言で銃を構え、通路の先を警戒した。
離れるわけにはいかない。何せ用を足すのだ。人間が無防備になる瞬間で、何かあった時に離れていてはどうしようも無いし、叫んで危険を報せるわけにもいかない。
ミサは俺の袖を強く握り締めたままごそごそと下着を脱ぐと、その場でしゃがみ込んだ。脚がガクガクと震えているが、しかしそれ以上の変化は無い。……まぁ、いくら尿意がやって来ても、男の隣ではそう出せるものでは無いだろう。
俺は変わらず前を向いているが、その意識をミサの方に向いている。美少女が隣で…………いや、考えるのは止めよう。特殊な性癖に目覚めそうだ。
「ぅ……ぁ、出ます」
何故か報告してくるミサ。そして宣言通り、僅かな水音が聞こえる。
初めは川のせせらぎだったが、途中からはダムが決壊したかのような勢いで飛び出す。僅かに漂うアンモニア臭が、これが現実であると俺に教えてくれた。
「…………先を急ぐぞ」
なるべく先程の事には触れないようにして、俺たちは先へと進んだ。
三十九層では喰屍鬼に出会う事も、尿意に襲われる事も無かった。一度も地図上の一本道から外れる事無く、目出度くフロアボス直前まで辿り着いた。
俺たちが地図を買った時四十層は最高到達階層であったが、四十層をクリアしたわけじゃない。マッピングしていた二十人の大パーティーのうち先行した十二名が戻らなかったため、残った八名は引き返したのだ。…………俺の記憶が正しければ、この地図を売っていたパーティーは三名しかいなかったが。
取り敢えず言えるのは、この先が未知の世界であるという事だ。三十九層までをマッピングしたパーティーですら倒せなかったフロアボスが、この先に居る。
――――勝てるのか?
そう思うが、勝つしか無い。ここで引き返せば全てが無駄になる。もう一度やり直すとして、あの緊張を味わうなんてごめんだ。仮に過去に戻れるとしたら俺はここには来ない。
「…………」
ミサを伴い、フロア内へと腕を突き入れる。――――途端に訪れる既視感。
俺はその感じた事のある初めての感覚に戸惑いを覚える。明らかな矛盾。だがそれについて考えを巡らせる前に、俺の身体は四十層へと躍り出ていた。
目を凝らす。フロアボスが居る階層はどこも同じで、淡い炎が辺りを仄暗く照らしている。その闇を見通そうと正面を睨めつけ…………フロアボスの姿に、思わず一歩下がる。
頭には一対の触角と口器。幾重にも連なる体節には触角同様一対の肢が生えている。肢は……目測で百対を越えているだろう。喰屍鬼と出会った時とは別種の怖気が走る。
「――――私、虫は苦手です」
隣でミサが呟いた。大丈夫、俺も得意じゃない。
だが、ここは俺の出番だ。遠距離から狙撃すれば精神的ダメージが少ない。少なくともやつ――百足――を輪切りにするよりかは楽だ。
種子島を抜き、狙いを付けずに引き金を絞る。直視はしたくなかった。山で遊んだりしていたわけだから虫は苦手ではないが、それはその見かけた虫が小さいからだ。あんなでかくて醜悪な存在を俺は肯定出来ない。
しかし、放たれた弾丸はキンッ、と甲高い音を立てるとそのまま地に転がった。
「――――またこのパターンかよッ!」
フロアボスは総じて硬い。唯一十層の『ケンタウロス』は柔らかかったが、斧に阻まれてどうしようもなかった。
俺は諦めて詠唱に入る。俺の創造魔法が特別なものと知ってから、あまり他人の前で使った事は無い。特にマスケット銃ならまだしも、現代の銃を創造する気なんてなかった。
だが俺に選択肢は無い。流石に何の活躍もせず、虫の相手すら女に任せるのは無い。断言する。マジで格好悪い。だから俺のエゴのため、百足には死んで貰う。
「喰らいやがれ……ッ!!」
左手でボルトを操作し、内部に弾丸を入れる。そして、引き金を引く!
――――だが、生憎な事にそれは巨大な音と光を生み出しただけだった。
命中はした。完全に弾丸は胴体に吸い込まれ、先程種子島の弾丸を弾いた硬い体節をいとも簡単に貫いた。…………が、それだけ。百足は元気良く胴体をくねらせ暴れている。
そりゃそうだ。俺は仮にも虫である百足の生命力を舐めていた。体長は下手すると二十メートル近くあるため、弾丸のダメージなんて些細なものだろう。
俺は再び狙撃銃《スナイパーライフル》を構えると次弾を装填し、百足の頭に狙いを定めた。流石の百足も頭を吹き飛ばされれば動けなくなるだろう。そのまま引き金を引く。
「うぉ!?」
直撃した弾により百足の頭は爆ぜるが、即死ではなかったのか派手に暴れだす。身体を振り回しながら近付く百足に、前世でトラックに轢かれた光景が蘇った。
意識した事はなかったが死の体験は俺のトラウマであるらしく、あの時のように足がすくむ。逃げられない……が、俺が百足に轢かれる事は無かった。
「ていっ!」
可愛らしい叫び声と共に巨大な剣が黄金の軌跡を残す。ミサの放った縦斬りは容易に百足の頭を両断し、謎の液体を撒き散らす。それを諸に被った美少女はカタカタと身体を震わせながらこちらを見ると、正に絶望といった表情を浮かべながらリバースした。
頭を失いながらびちびちと跳ね回る百足、全身を液体に汚されながら吐瀉物を撒き散らすシスター。この世の終わりがそこにあった。
まずはミサを助けてやるべきなのだろうが俺としては近寄りたくない。助けて貰った恩はある。だがそれとこれは別だ。
俺はなるべく離れた場所から水袋を投げる。全身の汚れを落とせるような量では無いが、無いよりかはましだろう。
ミサは水袋を掴むと頭から被った。ある程度正気さえ戻れば、あとは自分でどうにかするだろう。生憎俺の魔力量では焼け石に雫だ。
それよりも俺にはする事がある。百足の息の根を止める事だ。確か父親が、百足は腹部にも何かがあると言っていた。家に巨大百足(三十センチ)が出た時に言った事であまり詳しくは覚えていないが、恐らくそこに急所があるのだろう。のたうち回る百足に狙いを付けて撃つ。一発じゃ死ななかったため、再度撃つ。装填。撃つ。
魔力が無くなればマジック・ポーションで回復し、撃つ。ひたすらにそれを繰り返す。
そして結局、百足の急所はいまいち分からなかった。だが撃たれまくって木っ端になった百足は死亡しており、次の階層の入口となる半透明の壁が生まれていた。ただし百足の肢は未だにぴくぴくと動いており、俺の人生の選択肢から農民という言葉は消えた。……なるべく虫には近付きたくない、というのが九十割を占めている。念のためいうが、もちろん間違いでは無い。
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