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壱章 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ

拾肆話 踏みこみ見れば後は極楽

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 準備らしい準備というものはない。なので大小を置いてすぐに道場へ向かう。

 ああ、憂鬱だ。憂鬱でしかない。俺も多少腕には自信があるし、今回の依頼でさらにそれは上がった。しかし綱吉さんの強さは戦わずしても分かる。

 言ってしまえば、所詮人を斬らない人斬りの技には限界があるのだ。そういう意味では祖父ですら綱吉さんには勝てないだろう。技術面で言えば劣らないどころか祖父に軍配が上がる可能性はあるが、殺し合えば百回やって百回祖父が負けるはずだ。俺は文字通り万に一つも勝ち目がない。

 それだけの、化け物と何ら遜色のない人に俺は今からボコボコにされるのだ。このまま逃げ出したい気すら湧いてくる。

「――――来たか」

 道場で綱吉さんは正座して黙祷していた。そして俺の気配に気付くとそっと目を開ける。

「受け取れ。竹光だ」

 そう言うと綱吉さんは俺に竹光……竹で作った刀を投げ渡した。

「おっと――――!?」

 ずしり、と予想外な重さに危うく取り落としそうになりながらもなんとか受け取る。

 竹で作った刀なのだから当然真剣に比べて軽いはずだ。しかし渡された竹光は真剣と何ら変わりない重さである。

「こ、これ……」

 竹光なんかじゃない。これは間違いなく刃引きされた真剣だ!

 振りやすく鋭利な鉄パイプで殴り合うようなものだから、こんなもので打ち合えば当然骨は折れるし、下手すると命に関わる。

 まさか綱吉さんは、稽古を出汁に俺を殺すつもりなのか……?

 しかし俺の顔で何を考えているのか理解したのだろう。綱吉さんはあっさりと俺の考えを否定した。

「勘違いするな。真剣より軽い物を振り回しても稽古にならないというだけで、殺しはしない」

 わざわざそう言うということは、本当に殺すつもりはないのだろう。俺はほっと胸を撫で下ろした。

 だが。

「――――ただ、打ち身の一つや二つは覚悟しておけよ?」

 にやりと、獰猛な笑みを浮かべる。

「ッ!」

「準備運動は要らないな? それだけ血のにおいを振り撒いているんだ。さぞ気持ち良く斬ったことだろう」

 この世界に来ていきなり俺は殺されかけた。

 あの山賊たちの瞳は今でも覚えている。もうまともな人間には戻れないくらい濁っていた。

 だが綱吉さんの目にそんな濁りはない。ただ、ただただ鋭い。人斬りと人殺しは、全くの別種であることを俺は初めて知った。

「くっ……!」

 本能的な恐怖に襲われる。俺は初めて人を恐ろしいと思った。

 だがこちとら平成の世で学んできた技がある。ただ黙って斬られるわけにはいかない!

「ほう……居合か」

 腰を落とし、敵を視線で射抜く。

 しかし綱吉さんは、俺の剣気なんぞどこ吹く風といった様子で軽く受け流した。

「悪くない気迫だ。思ったよりいいくらいだ。……だが、立ち合いで居合が通じると思うなッ!」

「!?」

 反射的に俺は抜刀した。

――――ギィンッ! と刀と刀がぶつかり火花を散らす。

 膂力が負けている状態で鍔迫り合いなどしたくなかったため、刀身を傾けて一撃を受け流し素早く一歩下がる。それと同時に納刀して次の一撃に備えた。

「よく防いだ。だが私相手に後の先という後ろ向きな戦い方で、いつまで保つか見ものだな」

 後の先とはつまりカウンターだ。相手の動きを見てそれに合わせる。難易度の高い技だが、居合は納刀状態であるため太刀筋が読みまれにくいという利点があるのだ。要するに後出しができるのである。

 だが――――

「疾ッ!」

「ぐ!?」

 足の動きを見て予測し、ギリギリで綱吉さんの一撃を受け止める。

「ちぃ!」

 速い。速すぎる。これじゃあカウンターもクソもない。踏み込む一歩も、繰り出す一撃も次元の違う速さだ。それに威力もあるときた。

 これじゃあ俺にできることと言えば、勝ちを狙うのではなく致命傷を避けることくらいだ。

 勝てない。俺は綱吉さんには絶対勝てない。

 百回戦い、千回戦い、万の勝負を経て俺は全敗する。

「どうした内蔵助! その程度か!?」

 二度連続で繰り出される斬撃。俺は抜刀して一撃目を防ぎ、納刀が間に合わず返す刀で二撃目を防ぐ。

 しかし今まで力に劣る俺が綱吉さんの一撃をなんとか防げていたのは、腰の入った抜刀だったからだ。ほぼ腕だけで振るった刀は綱吉さんの一撃に力負けし、弾かれた刀が自分の肩をしたたかに打つ。

「ぐあ!?」

 幸い打ったのは右肩ではなく左肩で、刀はまだ振れる。まだ戦える。

 だが抗って何になるというのか。勝ち目のない戦いで足掻いて何になるというのか。

 左肩がじんじんと痛む。逃げ出したかった。この場からも、この世界からも。……だけど俺は、武士になると決めたのだ。

 少なくとも武士道とは何か。俺はそれを知りたかった。そして答えは――――まだ見つかっていない!

「……武士道とは、死ぬ事と見つけたり」

 抗うことを決める。戦い抜くことを決意した。

 武士道とは死ぬ事……生きるか死ぬかの岐路で死を選ぶ。それが武士であるらしい。

 だがそれを額面通りに受け取っていいのだろうか。こういう状態になって初めて「死中に活を求める」という言葉が思い浮かんだ。

 死を選ぶのではなく、死を臆することなく一歩踏み出すのではないのだろうか。

 真偽は別として、かの剣豪宮本武蔵が残したというこんな言葉がある。

『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ。踏みこみ見れば後は極楽』

 切っ先三寸という言葉の通り、一番切れ味がいいのは刀の先端だ。そこから根元に行けば行くほど切れ味は落ちる。より正確に言うならば、力を入れることが難しくなるのだ。

 即ち斬り結ぶ太刀の下、そこからさらに一歩踏み込んだ先に勝利があるということになる。

 だが綱吉さんの剛剣に対して一歩踏み込むとは、それこそ一歩間違えれば死んでもおかしくないほど危険な行為だ。

 死を恐れないと言えば格好いいが、稽古で死んでしまったらそれは恥ずべきことじゃないか。

「お前の力量は十分に理解した。この屋敷に住まう武士として相応しくない。……いいか。お前は殿の屋敷で暮らすことの意味を何も理解していない。そんな半端な覚悟でいられても邪魔なだけだ。疾くと去ね」

 次の一撃で終わらせるつもりなのだろう。そう言うと綱吉さんは上段に構えた。

「っ」

 ああ、あの構えは俺でも分かる。一の太刀を疑わず、二の太刀要らずの示現流だ。もちろん綱吉さんが示現流を扱うのではなく、攻撃に特化した結果辿り着いた型だろう。

 まあどっちでもいい。何であれ受け損なったら死ぬだろうから。

 しかしこれはチャンスだ。コンパクトに速く重い一撃を痛ぶるように繰り出されたらなす術なく敗北しただろう。

 だがあの型は胴がガラ空きだ。一の太刀を疑わず、相手よりも速く叩き込むのだからそもそもガードは要らない。既に刀は振り上げられ、後は下ろすだけ。何よりも最速な一撃だ。

 居合だとか抜刀術は速度に優れるなんて言われるが、普通に考えて重力に従い、腕力にものを言わせて上から振り下ろした方が強くて速い。

 そもそも不意の一撃に居座ったまま相手の一撃に合わせる対暗殺用の技だというのに、速度で勝負するなんておかしな話だ。そもそもの用途からして違う。

 だが……密着した状態であれば。

 上段の剣は大幅に威力下がり、腰の動きで斬る俺の勢いは衰えることなく――――結果、綱吉さんに勝つことができる。

 無論机上の空論だ。しかし俺の生きる道はその「死」の先にある。

 だから。

「うぉぉぉぉぉぉ!!」

 恐怖を押し殺し。

 一歩踏み出し。

 二歩目は溜め。

 三歩目で爆発するように綱吉さんに迫った。

「――――!?」

 ここで。今ここで上段からの振り下ろしに刀を合わせれば、まだ最低限の傷で済む。

 だからこそ俺は、さらに一歩踏み出した。

「な!?」

 コマ送りで流れる視界の中、驚愕に染まる綱吉さんの顔が見えた。

『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ。踏みこみ見れば後は極楽』

 過去最速で打ち出された横薙ぎの一撃が、綱吉さんの胴に吸い込まれる。

――――その結果や手応えが帰ってくる前に、俺は意識を失った。
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