舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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episode.36(2007/5/9)

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2007年5月9日


 夕方に新宿駅に到着した。さくらに連れられて何度かライブのために来たことはあったけれど、相変わらず僕はこの街が苦手だと思った。人の多さだけ見れば横浜駅とそこまで大差ないのかも知れない。駅に集う人々も年齢層・男女比、そんなに差はない。目的地に合った出口に辿り着きにくいのも同じだ。利便性の問題で嫌っているのではない。どうにもこの街を取り巻く空気が好きになれないのだ。新宿駅には僕が高校時代に好きじゃなかった私立文系の教室や廊下と同じような空気がしていた。自分達と同じものを温かく受け入れ、自分達とは違うものは排除する。表立って排除するのではない。無関心を装いながら僕たちには到底入り込めないような壁を眼前に突き出しているような感じ。そしてまるでテレパシーのようにお互いの心の中で僕たちを嘲笑っているようなあの嫌な空気が蔓延しているのだ。これならまだ歌舞伎町の方がマシだった。あそこは異質なものに対して無関心どころか手を差し伸べてくる。その手は決して優しさから出されたものではなく、自分達と同じところまで堕ちていくことを誘っている手では合ったけれど、僕にはそちらの方がよほど人間のやることのように思った。
 待ち合わせは中央東口の改札前だった。聞くと中央西口と西口があり、遠くはないものの、別の場所だと思うくらいの違いがあるらしい。東口は待ち合わせ場所の定番になっており、夕方は特に人でも多いだろう、ということで、少しだけ見つけやすい中央東口が選ばれた。僕はグレーのパーカーを着ているという目印を相手に教えておいたけれど、よく考えたらそんな簡単な目印では相手が迷ってしまうのではないかと思った。幸いにして僕の周りには同じ格好の男はいなかった。そこまで待ち合わせしている人も多くはない。これを見越しての待ち合わせ場所だったのだろうか。東口にはグレーのパーカーを着た男がいるのかもしれない。
「こんにちは、中村さんですか」
不意に後ろから声を掛けられて驚いてしまった。てっきり改札からやって来ると思っていたので、これは予想外であった。
「すいません、驚かせて。佐藤です」
驚いて声を出してしまった僕に申し訳なさそうに謝る男性がさくらの紹介してくれた店長だった。佐藤と名乗ったその男性は黒のパンツにブラウンの皮のジャケットをすらりと着こなしている中年の男性だった。いや、中年という表現は間違いかもしれない。中肉中背で軽い長髪に整えた顎髭を蓄えた姿は何歳だと言われても信じてしまう。さくらからは40代前半と聞いていたのでそれ相応に見えるけれど、やはり歌舞伎町で生きていくとなるとこのような姿になるのか、と一人で感心してしまう。
「どうも、今回はありがとうございます、中村です」
相手に失礼がないように丁寧に返すと、いえ、事情は聞いています、力になれれば、と爽やかに返された。
「では、早速ですが、色々とお話を伺っても良いでしょうか」
僕が促すと、佐藤さんは、もうちょっと待ちましょうか、と答えた。何を待つのだろうか、と思っていると、改札からさくらがやって来た。これで揃いましたね、と佐藤さんが言い終わる前に、僕は、
「どうしてさくらが来るんだよ」
と声を出していた。駅でそんな大声出さないでよ、と煙たがるような表情でさくらは
「だって歌舞伎町といえば私でしょう」
と訳のわからない論理でさぞ当然のように言った。
「それに、佐藤さんと話すのに、私がいた方がやりやすいでしょう」
「そうかもしれないけど、今日何処に行くのかわかっているのか」
「当然。だって相談してくれたじゃないですか」
さくらはまるで分かっていない。これから僕は歌舞伎町で危ないと噂されているクラブハウスに乗り込むのだ。何があってもおかしくはない。僕だって朝美のことでなければ二の足を踏むような場所なのだ。
「そんな危険な目に遭わせられる訳ないだろう」
「大丈夫ですよ、佐藤さんもいるし」
言い争いをしていると、僕らを宥めるように佐藤さんが割って入ってきた。
「中村さんと話がしやすい、と了承したのは私ですし、クラブハウスの中に彼女は入れません。外の安全な場所から何か動きはないか見張ってもらいます。これも重大な役割です。私に免じて、ここは話を進めませんか」
安全な場所、という言葉を聞いて、僕は溜飲を下げた。僕が相談を持ちかけた以上、さくらを危険な目に巻き込むわけには行かなかった。それにここでこれ以上言い争っても時間の浪費にしかならない、と冷静になって思った。僕が了承したような顔をしたので、佐藤さんはホッとしたのか、肩で一度呼吸をして
「それでは行きましょうか」
と僕たちを連れ、歌舞伎町に向けて歩き出した。

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