13 / 15
真相・その2
しおりを挟む
アレンにならうように、人々がそちらに視線を向ける。向こうから橋を渡ってくる四頭立ての馬車が見えた。騎士の乗る馬に先導された馬車は、まっすぐにこちらに向かってきて、貴族席の近くでゆるやかに止まった。馬車に近づいたローリングは、護衛の騎士たちに何事かを確認すると、こちらに向けて手を上げた。
「皆さん、ガヌロン伯として断定した人物……つまり他国の間者を引き入れ、国家の情報を売るという行為を行った人物が到着いたしました」
アレンが告げた。
「おお。いったい、中には誰が……」
オライア公をはじめ、客席の人々、貴族たちが、息を飲むようにして注目するなか、ゆっくりと馬車の扉が開かれた。そこから、一人の男が降りてきた。
馬車から降り立ったのは、ずんぐりとした貴族であった。でっぷりとした腹が目立つ赤い胴着の上に黒のローブを着込み、宝石の入ったブローチをお洒落に光らせる。その姿はまるで、貴族の姿をしたヒキガエルのようでもあった。
「モランディエル伯!」
「おお……モランディエル伯が」
そこに現れた人物を見るや、人々は驚きの声を上げた。
「モランディエル伯……」
「おお。これはオライア公爵閣下」
当のモランディエル伯は、きょろきょろと周りを見回していたが、騎士に誘導されてこちらにやってくると、のんきそうに挨拶をした。
「お日柄もよろしゅう。また、つつがなく剣技会の儀を終えられたようで、なによりでありますな。しかし……それにしては、これはなんというか、物々しい雰囲気ですな。わしを連れてきた騎士たちも、変に緊張している様子だったし、なにかあったのですかな?」
「我々は現在、国王陛下の御前にて、罪人の告発を行っているところ」
オライア公がそう告げると、
「おお、そうか。これは失礼した……陛下、陛下がいらっしゃるとは」
モランディエル伯は慌てたように、そこにひざまずいた。
「国王陛下にはご機嫌うるわしゅう。この良き日に、このようにして陛下に近く拝謁を許されることは、この上なき喜びと存じま……」
「モランディエル伯。そちは何をしている?」
国王から声をかけられると、伯爵はきょとんと首をかしげた。
「は、はっ?いえ……わたしは何もしては」
「そなたは、そこにおる浪剣士、アレイエンから、罪人として告発を受けておるのだぞ」
「はあ?罪人……ですと?この私めが……でありますか?」
伯爵は頓狂な声を出すと、怪訝そうに眉を寄せた。何を言われているのかまったく理解していない様子で、横に立っている見慣れぬ若者に目をやる。
「浪剣士ですと?その金髪の若者はいったい。どうして、このわしが、何を……」
「叔父さん……」
「おお、ビルトールか。なんだ、そこにおったのか」
オライア公爵、宮廷騎士長クリミナと並んで立っているビルトールを見つけると、モランディエル伯はその顔に笑いを浮かべた。
「試合はどうした?そうか決勝で敗れたか。それは残念……」
「あいつだ。間違いねえ。あいつが、オレに密書を渡した野郎だ」
レークはたまらず声を上げた。
「あいつがガヌロンだ!」
「ん……な、なんだ?」
騎士たちの中にいる浪剣士に気がつくと、伯爵はその顔を引きつらせた。
「わしは知らんぞ。そやつは何だ?」
あくまで素知らぬていで言う。
「それに、こっちの金髪の男も、さっきから人の顔をじろじろと見おって……無礼な!」
「モランディエル伯爵ですね。初めてお目にかかります。私はアレイエン・ディナースと申します。そこにいる浪剣士、レーク・ドップは私の相棒であり、親友であります」
「……だから、なんだというのだ」
「伯爵は、レークをすでにご存じでありますな?」
「な、何を申しているのやら、とんと分からぬ」
伯爵はぷいと横を向いた。
「わしは知らんぞ。そのような輩は。そのような浪剣士などは知らん。まったく、なにをいっとるのか……」
「ともかく、私の話を続けさせていただきましょう」
アレンは人々に向き直った。モランディエル伯は、落ち着かなげにあたりを見回して、なにやらぶつぶつと文句を言い続けている。
「さきほどの話の続きになりますが、我々はガヌロン伯の屋敷に入りました。しかし、すでに屋敷に人の姿はなく、まったくもぬけの殻でした。どの部屋を探索しても、そこが罪人の屋敷たる確たる証拠は見当たりません。我々が当てがはずれたような気分になっていたときでした。とある一室の壁掛けの裏に、秘密の入り口を見つけたのです。ベアリスの店で発見した例の鍵をそこに差し入れると、カチリと音をたて扉が開きました。それは、地下室への入り口でした。我々は、そこで密書の残りの半分を発見したのです」
「なっ……」
伯爵は声を上げかけて、口に手をやった。その顔色が、みるみる青ざめてゆく。
「さて、ここで重大なのは、ガヌロンなる者が、はたしてどこの誰であるのかということについてです。ガヌロンというその名は、ご存じの方もおられましょうが、古い叙事詩に出てくる人物で、伝説の騎士ロラーンを裏切り、彼を陥れた悪の大臣の名でもあります。もう一つ、面白い事実として、我々が密書を発見したその屋敷には、大きな屋根窓がありました。その窓枠の装飾は月の女神ソキアをあしらったもので、そこには『アヴァリスはソキアに滅す』という文面が彫られていました。この文もロラーンの叙事詩に出てくる一文であります。つまり、ガヌロンなる人物は、叙事詩を解する詩的なセンスの持ち主であり、それと同時に、自ら裏切り者の大臣を名乗る、いわば悪趣味な洒落を好む人物であるといえます」
アレンは過分にやわらかな物腰で、モランディエル伯に向き直った。
「つかぬことをお聞きしますが、伯爵」
「な、なんだ?」
「伯爵は、こちらにおられるビルトールどのとは、ご親戚……つまり、甥と叔父のご関係であられますな」
「それが……なんだというのだ?」
「私がレークより聞いた話では、その屋敷の地下室から漏れ聞こえた会話に『叔父さん』という声を確かに聞いたらしいのですが」
「ふん、くだらんな。そのような当てにもならぬ世迷い言を。わしとビルトールとは確かに叔父と甥だが、それが、そなたの言うガヌロンとやらと、関係があるとでも言うつもりか?」
「それでは、また別のことをお話ししましょう」
穏やかな口調で、またアレンは続けた。
「密書を手に入れて屋敷を後にした我々は、次に市庁舎へとおもむきました。今回の剣技会の賭け金が配当される場所です。我々はすぐに、馬上槍試合に出場している十六名の掛け率を調べました。最も人気だったのが騎士ブロテどの、次がビルトールどの。ここまではまあ当然でしょう。もしローリングどのやクリミナどのが、その顔を隠して出場していることを知っていれば、おのずと賭け率も変わっていたことでしょうが。さて、三番目に高い賭け率だったのが、ここにいるレーク・ドップです。無名の浪剣士とはいえ、試合での戦いぶりから、ずいぶんと評価が上がったのだと思いますが。しかし、そのレークに入れられた賭け札の中で、莫大な……そう、莫大と申してよいでしょう、大変な額の賭け札があったのです」
この金髪の若者が、次にいったいなにを言い出すのかと、モランディエル伯は不安そうに、その目をきょろきょろとさせていた。
「実際の額は、一見しただけでは計算不能ですので、はっきりは申し上げられませんが、とにかく市民たちの一人当たりの掛け金の数千倍という額です。たかだか一介の、たとえ相当の腕の立つ剣士であったとしても、所詮は名もない浪剣士ごときに、これだけの金額を思い切って賭けることができるものでしょうか。しかもその賭け札は、槍試合の決勝戦の組み合わせが決まった直後に……つまり、ビルトールどのとレークとの対戦が決まってからさらに増えていました。これはいくらなんでも不自然ですよ。これでは、絶対にビルトールがレークに勝つことはないと、まるで確信しているかのような賭け方です」
「……」
「さて、我々は市庁舎で待ちました。広場での決勝戦が行われ、試合が終わりさえすれば、配当のある者はただちに金を受け取ることが出来ます。そして、試合が終わった頃です。市庁舎の前に一台の馬車が止まりました。従者らしき男が市庁舎に入ってきて、控えの賭け札を大量に差し出したのです。賞金を受け取りたいと。我々はすぐに馬車に近づき、確認しましたよ。座席に乗っていたのは、モランディエル伯……あなたでしたね」
「……たしかに」
モランディエル伯が、ようやくその口を開いた。
「掛け金をもらいに行ったのは、確かにこのわしだが……それが、それがなんだというのだ?」
「私がお訊きしたいのはですね、伯爵。あなたと血縁関係にあり、しかも宮廷では五本の指に数えられるほどの腕を持つ、ビルトールどのにはただの一リグたりとも金を掛けず、その対戦相手である一介の浪剣士に、およそ数百万リグもの大金を積まれたのは何故なのか、ということです」
「数百万……」
貴族席の人々が一様にどよめく。いかに伯爵といえども、それは大変な額の金である。
「わしの……勝手だ」
吐き捨てるように言うと、伯爵はいまいましそうにアレンを睨みつけた。
「いくら金を掛けようが。わしの勝手だ。そうではないか?」
「それはそうです」
アレンはうなずいた。
「ところで、聞くところによると、伯爵は、昔の叙事詩や物語を集めたり、吟遊詩人を屋敷に呼んで伝説を語らせるのが、ことのほかお好きということですが」
「だからなんだ。何が言いたい?この浪剣士めが」
「調べたところ、ガヌロン伯の屋敷の地下室には、大きな書斎がありました。巨大な本棚には何百という数の物語の書物があり、そこには本と一緒に、精巧な金細工の飾り剣が、何本も飾られておりましたよ」
「……ガヌロンなど知らん」
「つまり、あのベアリスという金細工師は、他国の間者から宝石入りの指輪を受け取り、その代わりに金細工の剣を作って、それを目印という形にしてガヌロン伯に献上するという、いわば間者との仲介役をつとめていたのですね。同時に、飾り剣の代金を伯爵から得ることで、私財を肥やしていたわけです。私があの屋敷で見た剣は、どれもが素晴らしい精巧な細工のものでした」
アレンは腰の革袋から、細長い布の包みをとりだした。
「これは、レークが金細工師のベアリスから渡され、ガヌロン伯に持っていった、その飾り剣です。美しい金細工と、そして……ルビーの埋められたじつに見事なものです」
「うそをつけ!」
伯爵は大声で叫んでいた。
「そいつの言っていることはでたらめだ!その剣にルビーなど入っているものか。それに……地下室にそれがあるわけがない。なぜなら……う」
伯爵は慌てて口をつぐんだ。だが、もうすでに遅かった。
「なぜなら……本物の短剣は、あなたが持っておられるから……でしょうか?」
「う……」
返答に窮し、伯爵は黙り込んだ。だが、すぐに開き直ったように声高にわめきだした。
「短剣だと?そんなものは知らんぞ。それに地下室もだ」
「おやおや」
「……おお、そうとも。そんな屋敷などは知らんし、ロラーンもガヌロンも、エギンハルドも……そんなものは知らん!なあ、ビルトール、ビルトールや。そうであろう?」
「……」
「さあ、ビルトール。何か言ってくれ。わしのためになにか……」
ビルトールは、無言で叔父である伯爵を見やった。その顔は、まるで苦痛に耐えるように歪んでいた。
「いま伯爵がおっしゃった通り、」
包みから取り出した剣を見せながら、アレンは言った。
「これはレークがガヌロン伯に渡した剣ではありません。もちろんルビーもついておりません。これは、屋敷の地下室ではなく、ベアリスの店にあったものです。伯爵はそれを知っておられた。おそらく、受け取った短剣は、伯爵ご自身がお持ちなのではないかと思います。これは調べればすぐ分かることですよ」
「わ……わしは、わしは……」
「では、もう一度、簡単に事のあらましをなぞってみましょう」
狼狽する伯爵にはもういっさいかまわず、アレンは先を続けた。
「剣技会予選が行われた夜、レークは騎士たちによる間者の闇討ちを目撃し、瀕死の男から指輪を預かりました。翌日からの試合で、我々は順調に勝ち上がり、馬上槍試合への出場権を得ます。三日目の休日に、レークはイルゼという娘と一緒に街を歩いていました。その娘は、実はオードレイという女官で、ここにおられるローリングどのとクリミナどのに、レークのことを探るよう命じられていました。二人は職人通りで偶然にも金細工師ベアリスの店に入ります。店の主人、ベアリスに指輪を見せたことで、レークは間者と勘違いされ、金細工の剣を渡されてガヌロンのもとに行くようにと指示を受けます。それに従い、レークは屋敷に赴いて、ガヌロンとの面会を果たすわけですが、もはや生き残っている間者はいないと思っていたガヌロンは、やってきたレークに驚きます。ガヌロンにとっては、間者とはすなわち金づるのことです。自分の情報を高額で売りつけて己の懐を潤し、さらに金細工師から飾り剣を受け取り、それをコレクションにしていたのですから。地下室に飾られていた剣の数を見ても、そのようにして情報を売っていたのが一度や二度ではないことがわかります。ただし、今回彼のもとにやって来たのは本物の間者ではありませんでした。レークの方は、当然ながら密書と引き換えるための謝礼金などは持ってはいない。おそらく密書が半分にされていたのは、謝礼金を持って来させた時点で残る半分を渡すことを、ガヌロンが提案したからでしょう。これが後になってガヌロン自身の首をしめることになるのですが……とにかく、その時点では、ガヌロンにとって大事なのは金であったわけです」
オライア公爵も、女騎士も、ローリングも……淡々と語られる金髪の剣士の話に、ただじっと聞き入っていた。当のモランディエル伯は、半ば放心したようにしてぽかんと口を開け、そこに立っていた。
「さて、ガヌロンは、目の前にいるレークが、馬上槍試合に出場する十六名のうちの一人であることに気づきます。ここで彼の頭にはある計画が浮かびます。うまくすれば、密書の謝礼以上に儲かり、しかもより確実な計画が。ガヌロンは自分の甥である一人の騎士が、馬上槍試合への出場を決めていたことを知っていました。そこでガヌロンが考えたのは、自分の甥とレークとが対戦する試合で、わざと甥に負けさせることでした。無論、レークには多額の掛け金を入れておいてです。この新たな金儲けの種を、ガヌロンはさっそく実行に移します。ちょうど都合よく、屋敷に滞在していた甥を地下室に呼ぶと、ガヌロンは計画についての話をします。レークが偶然に聞いたのは、そのときの二人の会話でした。そのガヌロンの甥である人物についてですが、もはや言ってしまってもいいでしょうね……ビルトールどの」
「……」
これまでほとんど声を発せず、うなだれていた痩せた騎士が、のろのろと顔を上げた。その目は不安げに見開かれ、唇は青ざめていた。肩をぶるぶると震わせる彼は、まるで病人のように見えた。
「僣越ながら……私がこの事件のあらましを調べはじめてから、ローリングどのを含め、数人の宮廷の貴族の方々から、貴重なお話を聞かせていただくことができました。それをあわせた上で、私はこの結論に至りました。これからそれをお話しします。言葉の端々のご無礼などはどうぞお許しください」
そう前おきを述べると、アレンはまた話しだした。
「もう、言ってしまっていいでしょう……ガヌロン伯ことモランディエル伯は、ビルトールどのの父君……つまり伯の弟ですね、が亡くなってからは、なにかと甥である彼の面倒を見て、財産面でも彼と、その母君とを支援していました。また、モランディエル伯は宮廷騎士団の後見人でもあったので、父を失くし、貴族としても貧しく、立場のないビルトールどのが騎士団に入れたのも、伯の口添えがあったからだとお聞きします。このような理由から、ビルトールどのは、恩人である伯爵から思いがけない計画……つまり槍試合での八百長を打ち明けられたときにも、困惑はしたものの、それを無下に断ることはできなかった。また、彼にはどうしても大金を手に入れる必要もあった。ビルトールどのの母君は、父君の死後からずっと病にふせり、医者や看護人、侍女などを雇う金がどうしてもかかり、最近はそれらの給金の工面にとても苦慮していたと聞きます。もし、モランディエル伯との計画が成功すれば、大変な額の金が手に入るとあって、これまでずっと叔父である伯爵からの援助を頼みにしていたという弱みもこれで払拭できると、罪とは知りながら、あえてそれに加担することを決意します。そして、問題の馬上槍試合が開幕したのでした。ビルトールどのもレークも、伯爵の思惑通りに順調に勝ち上がり、そして決勝戦が行われます。おそらく伯爵と立てた計画では、レークとの試合で敗れた後、しばらくの時間をおいてから……少なくとも、伯爵が掛け金を手にしてから、あるいはその翌日にでもレークを告発し、間者の罪を着せるという段取りだったのではないですか?ビルトールどの」
「……」
「しかし……いざ試合が始まり、観衆の大声援を前にすると、その気持ちは大きく揺らいだ。あなたは一人の騎士として、この大観衆の前で自分があっさりと負けなくてはならないということに、やはり納得がいかなかったのでしょう。それまでの戦いから、観客はしだいにあなたに拍手を贈りはじめ、あなたもまた、それに応えるように見事に勝ち上がってきた。これまでは、貴族でありながらも己の貧しさを後ろめたく思い、一方では騎士としてもあまり期待されたことがなかったあなたが、その実力だけでついに観客の歓声と拍手を勝ち取るまでになった。伯爵との計画は実行するにしろ、少なくとも試合では良いところを見せ、できればそう……運悪く敗れたということにしたいと、あなたはそう考えた。しかし実際は、一度目の突撃であっさりと敗れてしまう。つい頭に血を上らせ、我を忘れたたあなたは叫んでしまう。これは八百長だ……と」
アレンの言葉は、しだいにその鋭さを増していった。
「本来であれば、レークへの告発は後日にでもする予定だった。しかし、大観衆の前で敗北し、プライドを傷つけられたあなたはそれを我慢できず、その場でレークを告発する。少し早すぎたが、いったん言いだしてしまったからには仕方がないと、徹底的にレークを間者に仕立てあげ、自分の身に疑いがかからぬうちに口をふさいでしまおうと。浪剣士を処刑してしまえば敗北の屈辱も忘れられる。そうとも思ったのでしょうか。ですが……ただひとつ、大きな誤りだったのは、こんなに早くレークを告発し、捕らえてしまったことで、重要な証拠であるところの密書の半分がただちに明るみにでてしまったことです。残りの半分は、当然ながらガヌロン伯が持っている。本来であれば、金を受け取り、レークの口をふさいでしまえば、密書などはもう用済みと、ガヌロン伯はそれを処分していたことでしょう。しかし、伯爵の方は当然のことながら、広場で起こっていた早すぎた告発劇のことなどは知らず、決勝戦が終わる時間を見計らって、金を受け取りに市庁舎へ出かけてしまった。そのおかげで、我々は、重大な証拠であるこの密書の片方を、無人の屋敷から発見できたのですよ。つまり、これらすべてはビルトールどの……あなたの騎士としてのプライド、本来であればこの大剣技会において優勝を飾り、人々の喝采を一身に受けていたのは自分であるという、その強すぎる自尊心による失敗だったわけです」
これで自分の話は終わったというように、アレンは観覧席に向かって一礼すると、オライア公爵にうなずきかけた。
しばらくは、誰も、何も言わなかった。
客席は静まり返り、そこにいた人々、騎士たちは……驚きか、あるいは困惑に包まれ、身じろぎもしなかった。
「モランディエル伯は……」
口をひらいたのは、オライア公だった。
「宮廷騎士団の資金を提供していた、いうなれば、騎士団の責任者だったな……」
「はい……」
うなずいたのは、宮廷騎士長である女騎士、クリミナだった。
「そして伯爵は、機密事項を決める、宮廷の軍事会議にも出席できる権限をお持ちです」
「なんと馬鹿なことを……」
オライア公は、手にした密書に目をやり首を振った。
「嘘だ。でたらめだ。わしは……ガヌロンなどではない」
周りを見回しながら、伯爵は力のない声で言った。
「……そうだ、その浪剣士に多額の金をかけたのは、その者の強さを試合で見て知っていたからだし……確かに、わしは叙事詩が好きで、本や物語を集めてはいるが、あの屋敷の地下室にはロラーンの詩編は置いていなかった。そうとも……それに地下室の鍵をベアリスなどが持っているはずがない。奴はただの……ただの、」
言葉の途中で、その顔を引きつらせる。
「……ああ、まさか!もしや、たびたび地下室から宝石が無くなっていたのは……まさか奴が、ベアリスの奴が、まさか。ああ……金細工師め、勝手に地下室の合鍵を作っていたのか?」
モランディエル伯……いやガヌロン伯は、血走った目をあてもなく四方にさまよわせた。その口からは罵りの声が上がる。
「ああ……、あああ……裏切りもの。泥棒だ。奴は泥棒だ!」
「ビルトール、ビルトール。わしではない。悪いのはわしではない。そうとも、わしはだまされていただけだ。わしではないのだ……わしでは」
「もう……よしましょう。叔父さん」
「ビルトールや。何をいっておる?さあ、お前からも言ってくれ、悪いのはわしではない、すべては間違いで、ガヌロンなどはこの世に存在しないと……」
「叔父さん……」
青白い顔の騎士は、足元にすがりつく叔父を見下ろした。
「僕は、僕はもういやだ。こんなのは……」
彼は顔を歪め、大きくかぶりを振った。
「ビルトール……」
「僕は、僕は……いつだって、かっこよく、勇敢な騎士になりたかったのに。この剣技会で、実力で優勝したかったのに……」
しわがれた声をもらして地面に突っ伏すと、ビルトールは嗚咽した。
「ああ、母上に……なんて言えばいいんだ。もう、いやだ。僕は……もう」
その場にいる人々は無言のまま、かつては希望に燃える騎士であった青年と、その横で呆然とする売国の伯爵を、ただじっと見つめていた。
「国王陛下に申し上げます」
すいと進み出たのは金髪の美剣士、アレンだった。ふわりと優雅にひざまずき、彼は国王に向かって静かに告げた。
「私は身分なきただ一介の剣士の身でありますが、かけがえのない友人にきせられたいわれなき罪を晴らすため、僣越ながら、方々の前で事の真実を告げさせていただきました」
その凛然たる声の響きは、誰よりも強い意思をもって、人々の耳に届いた。
「私、アレイエン・ディナースは、モランディエル伯、ならびに宮廷騎士ビルトールどのを、他国間者との共謀と、王国への裏切りの事実をもって、ここに告発いたします」
「皆さん、ガヌロン伯として断定した人物……つまり他国の間者を引き入れ、国家の情報を売るという行為を行った人物が到着いたしました」
アレンが告げた。
「おお。いったい、中には誰が……」
オライア公をはじめ、客席の人々、貴族たちが、息を飲むようにして注目するなか、ゆっくりと馬車の扉が開かれた。そこから、一人の男が降りてきた。
馬車から降り立ったのは、ずんぐりとした貴族であった。でっぷりとした腹が目立つ赤い胴着の上に黒のローブを着込み、宝石の入ったブローチをお洒落に光らせる。その姿はまるで、貴族の姿をしたヒキガエルのようでもあった。
「モランディエル伯!」
「おお……モランディエル伯が」
そこに現れた人物を見るや、人々は驚きの声を上げた。
「モランディエル伯……」
「おお。これはオライア公爵閣下」
当のモランディエル伯は、きょろきょろと周りを見回していたが、騎士に誘導されてこちらにやってくると、のんきそうに挨拶をした。
「お日柄もよろしゅう。また、つつがなく剣技会の儀を終えられたようで、なによりでありますな。しかし……それにしては、これはなんというか、物々しい雰囲気ですな。わしを連れてきた騎士たちも、変に緊張している様子だったし、なにかあったのですかな?」
「我々は現在、国王陛下の御前にて、罪人の告発を行っているところ」
オライア公がそう告げると、
「おお、そうか。これは失礼した……陛下、陛下がいらっしゃるとは」
モランディエル伯は慌てたように、そこにひざまずいた。
「国王陛下にはご機嫌うるわしゅう。この良き日に、このようにして陛下に近く拝謁を許されることは、この上なき喜びと存じま……」
「モランディエル伯。そちは何をしている?」
国王から声をかけられると、伯爵はきょとんと首をかしげた。
「は、はっ?いえ……わたしは何もしては」
「そなたは、そこにおる浪剣士、アレイエンから、罪人として告発を受けておるのだぞ」
「はあ?罪人……ですと?この私めが……でありますか?」
伯爵は頓狂な声を出すと、怪訝そうに眉を寄せた。何を言われているのかまったく理解していない様子で、横に立っている見慣れぬ若者に目をやる。
「浪剣士ですと?その金髪の若者はいったい。どうして、このわしが、何を……」
「叔父さん……」
「おお、ビルトールか。なんだ、そこにおったのか」
オライア公爵、宮廷騎士長クリミナと並んで立っているビルトールを見つけると、モランディエル伯はその顔に笑いを浮かべた。
「試合はどうした?そうか決勝で敗れたか。それは残念……」
「あいつだ。間違いねえ。あいつが、オレに密書を渡した野郎だ」
レークはたまらず声を上げた。
「あいつがガヌロンだ!」
「ん……な、なんだ?」
騎士たちの中にいる浪剣士に気がつくと、伯爵はその顔を引きつらせた。
「わしは知らんぞ。そやつは何だ?」
あくまで素知らぬていで言う。
「それに、こっちの金髪の男も、さっきから人の顔をじろじろと見おって……無礼な!」
「モランディエル伯爵ですね。初めてお目にかかります。私はアレイエン・ディナースと申します。そこにいる浪剣士、レーク・ドップは私の相棒であり、親友であります」
「……だから、なんだというのだ」
「伯爵は、レークをすでにご存じでありますな?」
「な、何を申しているのやら、とんと分からぬ」
伯爵はぷいと横を向いた。
「わしは知らんぞ。そのような輩は。そのような浪剣士などは知らん。まったく、なにをいっとるのか……」
「ともかく、私の話を続けさせていただきましょう」
アレンは人々に向き直った。モランディエル伯は、落ち着かなげにあたりを見回して、なにやらぶつぶつと文句を言い続けている。
「さきほどの話の続きになりますが、我々はガヌロン伯の屋敷に入りました。しかし、すでに屋敷に人の姿はなく、まったくもぬけの殻でした。どの部屋を探索しても、そこが罪人の屋敷たる確たる証拠は見当たりません。我々が当てがはずれたような気分になっていたときでした。とある一室の壁掛けの裏に、秘密の入り口を見つけたのです。ベアリスの店で発見した例の鍵をそこに差し入れると、カチリと音をたて扉が開きました。それは、地下室への入り口でした。我々は、そこで密書の残りの半分を発見したのです」
「なっ……」
伯爵は声を上げかけて、口に手をやった。その顔色が、みるみる青ざめてゆく。
「さて、ここで重大なのは、ガヌロンなる者が、はたしてどこの誰であるのかということについてです。ガヌロンというその名は、ご存じの方もおられましょうが、古い叙事詩に出てくる人物で、伝説の騎士ロラーンを裏切り、彼を陥れた悪の大臣の名でもあります。もう一つ、面白い事実として、我々が密書を発見したその屋敷には、大きな屋根窓がありました。その窓枠の装飾は月の女神ソキアをあしらったもので、そこには『アヴァリスはソキアに滅す』という文面が彫られていました。この文もロラーンの叙事詩に出てくる一文であります。つまり、ガヌロンなる人物は、叙事詩を解する詩的なセンスの持ち主であり、それと同時に、自ら裏切り者の大臣を名乗る、いわば悪趣味な洒落を好む人物であるといえます」
アレンは過分にやわらかな物腰で、モランディエル伯に向き直った。
「つかぬことをお聞きしますが、伯爵」
「な、なんだ?」
「伯爵は、こちらにおられるビルトールどのとは、ご親戚……つまり、甥と叔父のご関係であられますな」
「それが……なんだというのだ?」
「私がレークより聞いた話では、その屋敷の地下室から漏れ聞こえた会話に『叔父さん』という声を確かに聞いたらしいのですが」
「ふん、くだらんな。そのような当てにもならぬ世迷い言を。わしとビルトールとは確かに叔父と甥だが、それが、そなたの言うガヌロンとやらと、関係があるとでも言うつもりか?」
「それでは、また別のことをお話ししましょう」
穏やかな口調で、またアレンは続けた。
「密書を手に入れて屋敷を後にした我々は、次に市庁舎へとおもむきました。今回の剣技会の賭け金が配当される場所です。我々はすぐに、馬上槍試合に出場している十六名の掛け率を調べました。最も人気だったのが騎士ブロテどの、次がビルトールどの。ここまではまあ当然でしょう。もしローリングどのやクリミナどのが、その顔を隠して出場していることを知っていれば、おのずと賭け率も変わっていたことでしょうが。さて、三番目に高い賭け率だったのが、ここにいるレーク・ドップです。無名の浪剣士とはいえ、試合での戦いぶりから、ずいぶんと評価が上がったのだと思いますが。しかし、そのレークに入れられた賭け札の中で、莫大な……そう、莫大と申してよいでしょう、大変な額の賭け札があったのです」
この金髪の若者が、次にいったいなにを言い出すのかと、モランディエル伯は不安そうに、その目をきょろきょろとさせていた。
「実際の額は、一見しただけでは計算不能ですので、はっきりは申し上げられませんが、とにかく市民たちの一人当たりの掛け金の数千倍という額です。たかだか一介の、たとえ相当の腕の立つ剣士であったとしても、所詮は名もない浪剣士ごときに、これだけの金額を思い切って賭けることができるものでしょうか。しかもその賭け札は、槍試合の決勝戦の組み合わせが決まった直後に……つまり、ビルトールどのとレークとの対戦が決まってからさらに増えていました。これはいくらなんでも不自然ですよ。これでは、絶対にビルトールがレークに勝つことはないと、まるで確信しているかのような賭け方です」
「……」
「さて、我々は市庁舎で待ちました。広場での決勝戦が行われ、試合が終わりさえすれば、配当のある者はただちに金を受け取ることが出来ます。そして、試合が終わった頃です。市庁舎の前に一台の馬車が止まりました。従者らしき男が市庁舎に入ってきて、控えの賭け札を大量に差し出したのです。賞金を受け取りたいと。我々はすぐに馬車に近づき、確認しましたよ。座席に乗っていたのは、モランディエル伯……あなたでしたね」
「……たしかに」
モランディエル伯が、ようやくその口を開いた。
「掛け金をもらいに行ったのは、確かにこのわしだが……それが、それがなんだというのだ?」
「私がお訊きしたいのはですね、伯爵。あなたと血縁関係にあり、しかも宮廷では五本の指に数えられるほどの腕を持つ、ビルトールどのにはただの一リグたりとも金を掛けず、その対戦相手である一介の浪剣士に、およそ数百万リグもの大金を積まれたのは何故なのか、ということです」
「数百万……」
貴族席の人々が一様にどよめく。いかに伯爵といえども、それは大変な額の金である。
「わしの……勝手だ」
吐き捨てるように言うと、伯爵はいまいましそうにアレンを睨みつけた。
「いくら金を掛けようが。わしの勝手だ。そうではないか?」
「それはそうです」
アレンはうなずいた。
「ところで、聞くところによると、伯爵は、昔の叙事詩や物語を集めたり、吟遊詩人を屋敷に呼んで伝説を語らせるのが、ことのほかお好きということですが」
「だからなんだ。何が言いたい?この浪剣士めが」
「調べたところ、ガヌロン伯の屋敷の地下室には、大きな書斎がありました。巨大な本棚には何百という数の物語の書物があり、そこには本と一緒に、精巧な金細工の飾り剣が、何本も飾られておりましたよ」
「……ガヌロンなど知らん」
「つまり、あのベアリスという金細工師は、他国の間者から宝石入りの指輪を受け取り、その代わりに金細工の剣を作って、それを目印という形にしてガヌロン伯に献上するという、いわば間者との仲介役をつとめていたのですね。同時に、飾り剣の代金を伯爵から得ることで、私財を肥やしていたわけです。私があの屋敷で見た剣は、どれもが素晴らしい精巧な細工のものでした」
アレンは腰の革袋から、細長い布の包みをとりだした。
「これは、レークが金細工師のベアリスから渡され、ガヌロン伯に持っていった、その飾り剣です。美しい金細工と、そして……ルビーの埋められたじつに見事なものです」
「うそをつけ!」
伯爵は大声で叫んでいた。
「そいつの言っていることはでたらめだ!その剣にルビーなど入っているものか。それに……地下室にそれがあるわけがない。なぜなら……う」
伯爵は慌てて口をつぐんだ。だが、もうすでに遅かった。
「なぜなら……本物の短剣は、あなたが持っておられるから……でしょうか?」
「う……」
返答に窮し、伯爵は黙り込んだ。だが、すぐに開き直ったように声高にわめきだした。
「短剣だと?そんなものは知らんぞ。それに地下室もだ」
「おやおや」
「……おお、そうとも。そんな屋敷などは知らんし、ロラーンもガヌロンも、エギンハルドも……そんなものは知らん!なあ、ビルトール、ビルトールや。そうであろう?」
「……」
「さあ、ビルトール。何か言ってくれ。わしのためになにか……」
ビルトールは、無言で叔父である伯爵を見やった。その顔は、まるで苦痛に耐えるように歪んでいた。
「いま伯爵がおっしゃった通り、」
包みから取り出した剣を見せながら、アレンは言った。
「これはレークがガヌロン伯に渡した剣ではありません。もちろんルビーもついておりません。これは、屋敷の地下室ではなく、ベアリスの店にあったものです。伯爵はそれを知っておられた。おそらく、受け取った短剣は、伯爵ご自身がお持ちなのではないかと思います。これは調べればすぐ分かることですよ」
「わ……わしは、わしは……」
「では、もう一度、簡単に事のあらましをなぞってみましょう」
狼狽する伯爵にはもういっさいかまわず、アレンは先を続けた。
「剣技会予選が行われた夜、レークは騎士たちによる間者の闇討ちを目撃し、瀕死の男から指輪を預かりました。翌日からの試合で、我々は順調に勝ち上がり、馬上槍試合への出場権を得ます。三日目の休日に、レークはイルゼという娘と一緒に街を歩いていました。その娘は、実はオードレイという女官で、ここにおられるローリングどのとクリミナどのに、レークのことを探るよう命じられていました。二人は職人通りで偶然にも金細工師ベアリスの店に入ります。店の主人、ベアリスに指輪を見せたことで、レークは間者と勘違いされ、金細工の剣を渡されてガヌロンのもとに行くようにと指示を受けます。それに従い、レークは屋敷に赴いて、ガヌロンとの面会を果たすわけですが、もはや生き残っている間者はいないと思っていたガヌロンは、やってきたレークに驚きます。ガヌロンにとっては、間者とはすなわち金づるのことです。自分の情報を高額で売りつけて己の懐を潤し、さらに金細工師から飾り剣を受け取り、それをコレクションにしていたのですから。地下室に飾られていた剣の数を見ても、そのようにして情報を売っていたのが一度や二度ではないことがわかります。ただし、今回彼のもとにやって来たのは本物の間者ではありませんでした。レークの方は、当然ながら密書と引き換えるための謝礼金などは持ってはいない。おそらく密書が半分にされていたのは、謝礼金を持って来させた時点で残る半分を渡すことを、ガヌロンが提案したからでしょう。これが後になってガヌロン自身の首をしめることになるのですが……とにかく、その時点では、ガヌロンにとって大事なのは金であったわけです」
オライア公爵も、女騎士も、ローリングも……淡々と語られる金髪の剣士の話に、ただじっと聞き入っていた。当のモランディエル伯は、半ば放心したようにしてぽかんと口を開け、そこに立っていた。
「さて、ガヌロンは、目の前にいるレークが、馬上槍試合に出場する十六名のうちの一人であることに気づきます。ここで彼の頭にはある計画が浮かびます。うまくすれば、密書の謝礼以上に儲かり、しかもより確実な計画が。ガヌロンは自分の甥である一人の騎士が、馬上槍試合への出場を決めていたことを知っていました。そこでガヌロンが考えたのは、自分の甥とレークとが対戦する試合で、わざと甥に負けさせることでした。無論、レークには多額の掛け金を入れておいてです。この新たな金儲けの種を、ガヌロンはさっそく実行に移します。ちょうど都合よく、屋敷に滞在していた甥を地下室に呼ぶと、ガヌロンは計画についての話をします。レークが偶然に聞いたのは、そのときの二人の会話でした。そのガヌロンの甥である人物についてですが、もはや言ってしまってもいいでしょうね……ビルトールどの」
「……」
これまでほとんど声を発せず、うなだれていた痩せた騎士が、のろのろと顔を上げた。その目は不安げに見開かれ、唇は青ざめていた。肩をぶるぶると震わせる彼は、まるで病人のように見えた。
「僣越ながら……私がこの事件のあらましを調べはじめてから、ローリングどのを含め、数人の宮廷の貴族の方々から、貴重なお話を聞かせていただくことができました。それをあわせた上で、私はこの結論に至りました。これからそれをお話しします。言葉の端々のご無礼などはどうぞお許しください」
そう前おきを述べると、アレンはまた話しだした。
「もう、言ってしまっていいでしょう……ガヌロン伯ことモランディエル伯は、ビルトールどのの父君……つまり伯の弟ですね、が亡くなってからは、なにかと甥である彼の面倒を見て、財産面でも彼と、その母君とを支援していました。また、モランディエル伯は宮廷騎士団の後見人でもあったので、父を失くし、貴族としても貧しく、立場のないビルトールどのが騎士団に入れたのも、伯の口添えがあったからだとお聞きします。このような理由から、ビルトールどのは、恩人である伯爵から思いがけない計画……つまり槍試合での八百長を打ち明けられたときにも、困惑はしたものの、それを無下に断ることはできなかった。また、彼にはどうしても大金を手に入れる必要もあった。ビルトールどのの母君は、父君の死後からずっと病にふせり、医者や看護人、侍女などを雇う金がどうしてもかかり、最近はそれらの給金の工面にとても苦慮していたと聞きます。もし、モランディエル伯との計画が成功すれば、大変な額の金が手に入るとあって、これまでずっと叔父である伯爵からの援助を頼みにしていたという弱みもこれで払拭できると、罪とは知りながら、あえてそれに加担することを決意します。そして、問題の馬上槍試合が開幕したのでした。ビルトールどのもレークも、伯爵の思惑通りに順調に勝ち上がり、そして決勝戦が行われます。おそらく伯爵と立てた計画では、レークとの試合で敗れた後、しばらくの時間をおいてから……少なくとも、伯爵が掛け金を手にしてから、あるいはその翌日にでもレークを告発し、間者の罪を着せるという段取りだったのではないですか?ビルトールどの」
「……」
「しかし……いざ試合が始まり、観衆の大声援を前にすると、その気持ちは大きく揺らいだ。あなたは一人の騎士として、この大観衆の前で自分があっさりと負けなくてはならないということに、やはり納得がいかなかったのでしょう。それまでの戦いから、観客はしだいにあなたに拍手を贈りはじめ、あなたもまた、それに応えるように見事に勝ち上がってきた。これまでは、貴族でありながらも己の貧しさを後ろめたく思い、一方では騎士としてもあまり期待されたことがなかったあなたが、その実力だけでついに観客の歓声と拍手を勝ち取るまでになった。伯爵との計画は実行するにしろ、少なくとも試合では良いところを見せ、できればそう……運悪く敗れたということにしたいと、あなたはそう考えた。しかし実際は、一度目の突撃であっさりと敗れてしまう。つい頭に血を上らせ、我を忘れたたあなたは叫んでしまう。これは八百長だ……と」
アレンの言葉は、しだいにその鋭さを増していった。
「本来であれば、レークへの告発は後日にでもする予定だった。しかし、大観衆の前で敗北し、プライドを傷つけられたあなたはそれを我慢できず、その場でレークを告発する。少し早すぎたが、いったん言いだしてしまったからには仕方がないと、徹底的にレークを間者に仕立てあげ、自分の身に疑いがかからぬうちに口をふさいでしまおうと。浪剣士を処刑してしまえば敗北の屈辱も忘れられる。そうとも思ったのでしょうか。ですが……ただひとつ、大きな誤りだったのは、こんなに早くレークを告発し、捕らえてしまったことで、重要な証拠であるところの密書の半分がただちに明るみにでてしまったことです。残りの半分は、当然ながらガヌロン伯が持っている。本来であれば、金を受け取り、レークの口をふさいでしまえば、密書などはもう用済みと、ガヌロン伯はそれを処分していたことでしょう。しかし、伯爵の方は当然のことながら、広場で起こっていた早すぎた告発劇のことなどは知らず、決勝戦が終わる時間を見計らって、金を受け取りに市庁舎へ出かけてしまった。そのおかげで、我々は、重大な証拠であるこの密書の片方を、無人の屋敷から発見できたのですよ。つまり、これらすべてはビルトールどの……あなたの騎士としてのプライド、本来であればこの大剣技会において優勝を飾り、人々の喝采を一身に受けていたのは自分であるという、その強すぎる自尊心による失敗だったわけです」
これで自分の話は終わったというように、アレンは観覧席に向かって一礼すると、オライア公爵にうなずきかけた。
しばらくは、誰も、何も言わなかった。
客席は静まり返り、そこにいた人々、騎士たちは……驚きか、あるいは困惑に包まれ、身じろぎもしなかった。
「モランディエル伯は……」
口をひらいたのは、オライア公だった。
「宮廷騎士団の資金を提供していた、いうなれば、騎士団の責任者だったな……」
「はい……」
うなずいたのは、宮廷騎士長である女騎士、クリミナだった。
「そして伯爵は、機密事項を決める、宮廷の軍事会議にも出席できる権限をお持ちです」
「なんと馬鹿なことを……」
オライア公は、手にした密書に目をやり首を振った。
「嘘だ。でたらめだ。わしは……ガヌロンなどではない」
周りを見回しながら、伯爵は力のない声で言った。
「……そうだ、その浪剣士に多額の金をかけたのは、その者の強さを試合で見て知っていたからだし……確かに、わしは叙事詩が好きで、本や物語を集めてはいるが、あの屋敷の地下室にはロラーンの詩編は置いていなかった。そうとも……それに地下室の鍵をベアリスなどが持っているはずがない。奴はただの……ただの、」
言葉の途中で、その顔を引きつらせる。
「……ああ、まさか!もしや、たびたび地下室から宝石が無くなっていたのは……まさか奴が、ベアリスの奴が、まさか。ああ……金細工師め、勝手に地下室の合鍵を作っていたのか?」
モランディエル伯……いやガヌロン伯は、血走った目をあてもなく四方にさまよわせた。その口からは罵りの声が上がる。
「ああ……、あああ……裏切りもの。泥棒だ。奴は泥棒だ!」
「ビルトール、ビルトール。わしではない。悪いのはわしではない。そうとも、わしはだまされていただけだ。わしではないのだ……わしでは」
「もう……よしましょう。叔父さん」
「ビルトールや。何をいっておる?さあ、お前からも言ってくれ、悪いのはわしではない、すべては間違いで、ガヌロンなどはこの世に存在しないと……」
「叔父さん……」
青白い顔の騎士は、足元にすがりつく叔父を見下ろした。
「僕は、僕はもういやだ。こんなのは……」
彼は顔を歪め、大きくかぶりを振った。
「ビルトール……」
「僕は、僕は……いつだって、かっこよく、勇敢な騎士になりたかったのに。この剣技会で、実力で優勝したかったのに……」
しわがれた声をもらして地面に突っ伏すと、ビルトールは嗚咽した。
「ああ、母上に……なんて言えばいいんだ。もう、いやだ。僕は……もう」
その場にいる人々は無言のまま、かつては希望に燃える騎士であった青年と、その横で呆然とする売国の伯爵を、ただじっと見つめていた。
「国王陛下に申し上げます」
すいと進み出たのは金髪の美剣士、アレンだった。ふわりと優雅にひざまずき、彼は国王に向かって静かに告げた。
「私は身分なきただ一介の剣士の身でありますが、かけがえのない友人にきせられたいわれなき罪を晴らすため、僣越ながら、方々の前で事の真実を告げさせていただきました」
その凛然たる声の響きは、誰よりも強い意思をもって、人々の耳に届いた。
「私、アレイエン・ディナースは、モランディエル伯、ならびに宮廷騎士ビルトールどのを、他国間者との共謀と、王国への裏切りの事実をもって、ここに告発いたします」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

日は沈まず
ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。
また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる