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07.村のお別れ~合格発表!
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七月のある日、ミミーの店の扉を開けた一人の淑女のことも、書いておくべきだろう。
それは、この村では見たこともないような、しっとりと艶めいた美しい女性だった。薄い緑色のサテンのドレスに身を包み、髪は綺麗に結い上げられて、レースの刺しゅうのされたヴェールをかぶっている。
「こんにちは」
しとやかにあいさつをしてきたその女性が、いったい誰だったかとミミーは懸命に思い出そうとした。
「あ、あの、いらっしゃいまし」
丁寧に応対しようとしてつい声がうわずった。
「ああ、ミミーさん。ありがとう」
「えっ?」
いきなり礼を言われミミーは驚いた。
「あ、あのう……」
「あら、ごめんなさい」
戸惑うミミーの様子に、女性は日除けのヴェールをとった。現れたその顔を見て、ミミーは目を白黒させた。
「あ、ああ、はい。いえ、その……」
「この前は占ってくれてありがとう」
頬をバラ色に紅潮させた女性は、ふわりと優雅に貴婦人の礼をした。
「あのね、彼からの手紙で、明後日に帰ってくるというの。ああ、そうよ。手紙が来たの。先週よ。彼からの……ああ」
きらきらと目を輝かせ、声を震わせるその女性が、かつて店に怒鳴り込んできた、あの女性だとは誰が分かるだろう。女は変われば変わるもの。それはまことに真実であった。
「ああ、彼が帰ってくるのよ!あたしのために」
唖然としているミミーの前で、女性は歓喜の叫びのごとく、誇らしげに言った。
「あ、あの……よかったですね」
ようやく事情を飲み込んだミミーは、嬉しいというよりはむしろ、ほっとした思いだった。では、自分の占いは当たったのだ。もし外れていたら、えらいことになっていたろう。
「本当に良かったです」
「ええ。そうなの」
女性はにっこりとしてうなずいた。
「それでわたし、いてもたってもいられず、一番いい服を買って、さっそく髪を結ったのよ。どう?似合うかしら?」
「え、ええ。とっても」
「あさってまでは絶対にくずさないわ。誰にも触れさせない。この服はためしに着てみたの。帰ったら大切にたたんでしまうわ。だって、あさっては私の一生で一番大切な日になるんですもの。私、彼と結婚するのよ!」
高らかに宣言すると、女性はうっとりと頬を染めた。。
「とても綺麗です。本当によかったですね」
「ありがとう。こんなに幸せな気持ちになれるなんて。あなたの占いのおかげよ。あなたはまだ小さいけど、きっと素晴らしい魔女になるわね」
幸せというのは人をここまで変えるものなのだ。ミミーはつくづくそう実感しながら、太陽のような女性の笑顔を見つめていた。
自分の占いで人が喜んでくれたり、その人が実際に幸せになったりするのは、なんてすごいことなのだろう。うきうきとした足取りで女性が店を出ていってからも、ミミーはそれについて考えていた。
(なんだか、はじめて魔女らしい仕事をなし遂げたような、そんな気がするわ)
ハーブや軟膏を調合したりするのも楽しいが、それよりももっと、こうして人との関わりの中で、直接相手の運命に触れられる。それが魔女の占いというものなのかもしれない。
(これは、素晴らしい仕事だわ)
この村での修行は少しずつ終わりに近づいている。ミミーは確かにそれを感じていた。
翌々日、女性が恋人との再会を果たし、村人たちに熱い抱擁を見せつけている同じ頃、ミミーにとっては別の涙を誘う別れのときが迫っていた。
西からやって来た商隊は村に活気をもたらし、人々は運ばれてきた珍しい食料や上質な絹や亜麻布、それに流行の衣服などをこぞって買い求め、また物々交換をしたりした。村の大通りには商隊の馬車が何台も並び、年に何度もないほどのにぎわいを見せている。
その中で、ミミーは親友と固く手を握り合い、別れの涙にくれていた。
「ミミー、元気でね。手紙書くわ」
「うん。リミーもね。でも魔女の国には普通の手紙は届かないのよ」
「なら、この村宛てに書くわ。住むところが決まったらきっと書くから」
両親やおばあさんとひと通り抱き合っても、リミーはまだ泣き足りないようだった。あれほど村を出て町へ行きたいと言っていた彼女であるが、いざ旅立つとなると、やはり生まれてからずっと過ごしたこの村での、さまざまな思い出が頭によぎるのだろう。リミーは泣きながら何度もミミーと抱き合い、時間が来るまで同じような別れの言葉を繰り返しながら、気丈に笑顔を作って、また泣くのだった。
初めての友達であるリミーとの別れは、ミミーにもつらいものだった。ただ自分自身もいずれはこの村を出て、おそらくはまた別の村か町へと修行に出掛けてゆくことになるので、はじめからこうした別れを心の中で知っていたぶん、ミミーの涙はすぐにとまった。
「うん。いつか……また会えるわ。きっと」
親友の手を握りしめる小さな魔女は、寂しさと少しの悲しさと、そして、ほんの少しのうらやましさを心にもって、かすかな笑顔を作った。
一日で品物を売り尽くした隊商は店をたたみ、出発の準備が始まった。慌ただしい気配に包まれた村の通りで、馬車に乗り込んだリミーが窓から手を振る。
「ミミー、ありがとう。元気で!」
「リミーも、元気でね」
動きだした馬車に向かって、ミミーも手を振った。
少女たちの別れは、悲しくもどこか甘やかで、摘み取られた花のような切なさを一瞬の時間の中で洗い流すと、また新たに生まれ出る希望へと向かってゆく。
走り出した馬車を追いかけてゆく村の子どもたち。リミーのおばあさんの寂しげな横顔。それを見ながら、ミミーは口ずさんだ。
「さようなら、友よ。また会う日まで。時間の過ぎゆく中にあり、我ら共に志もち、晴れて再び会いまみえん」
オーガスト・イヴとも言われる「ルーの祭典」、すなわちルーナサーは、七月最後の日を飾る祭りである。
魔女にとっては火と光の神バールを祭る、大切な四大サバトのひとつだが、そうではない村の人たちにとっては、せいぜいが夏の森に出掛けていってコケモモ摘みを楽しむというくらいの日である。
ミミーは店を閉めて、一人ひっそりとサバトの儀式をしていたが、夕方になると子どもたちがやってきて、森で取ってきたコケモモを分けてくれた。
「まあ、ありがとう。それじゃあわたしもコケモモのジャムを作ろうかしら」
ミミーは軟膏を届けるついでに、ナミルの家にコケモモを持っていって、一緒にジャム作りをすることにした。
「さあ、これでよし」
ナミルがたくましい腕で、手際よく鍋をかき混ぜると、台所には甘酸っぱい匂いがたちこめた。
「あとは煮詰まるまで蓋をして。火から下ろして冷やせば出来上がりだよ」
仕込みを終え、向かい合ってハーブのお茶を飲んでいると、ナミルが尋ねてきた。
「ところでさ、あんた。この村をもうすぐ出ていくんだって?」
「ええ。出てゆくっていうか、この村での修行期間が終わるんです」
「そうなのかい」
「ええ」
ミミーは少し寂しそうにうなずいた。
「どうせなら、もっといてくれればいいのに。せっかくこうして仲良くなったんだしさ」
「ええ。わたしも、この村にだいぶ慣れて、ナミルさんのようなお友達もできたし、離れるのはさびしいんですけど」
「だめなのかい?」
「はい。もう決まっていることなんです。それに、いずれは王国に戻らないと、正式に見習い魔女を卒業できないので」
「そうか。じゃあ、もうすぐいっちまうんだね」
ナミルは残念そうに言った。
「あたしはさ、他の誰が何といおうと、魔女ってやつがそう嫌いでないし、とくにあんたみたいに一生懸命で、可愛い魔女さんなら大歓迎だよ。もし、またこの村に戻ってくることがあったら、まっさきにうちに来ておくれよ」
「ありがとう。ええ、きっと」
ミミーは涙ぐんでうなずいた。
「わたし、忘れません。きっと……」
「おいおい、まだ泣くのは早いよ。今日、明日の別れってんじゃないんだからさ」
「そうですね」
顔を見合わせて二人は笑った。
それからは、流れるようにして数週間のときは過ぎた。
ミミーは王国へ帰るための準備を始め、ここに置いてゆくものと持って帰るものを分けたり、店に残っていた軟膏やハーブを村の人々に配って回ったりした。村人たちは、ミミーが帰ることを知っていたものもいれば知らないものもいて、それぞれに驚いたり残念がったりした。とくに、リミーのおばあさんはとても寂しそうに、「孫の次はあんたまで行ってしまうのかい」と言って、「寂しくなるねえ」と繰り返しつぶやいていた。ミミーは優しくしてくれた事への感謝を述べ、いつかきっとまた戻ってきますと約束した。村長をはじめ、顔見知りとなった村の人たちに挨拶をすませ、家の片付けもあらかた終えると、もう翌日が出発の日だった。
「なんだか、あっと言う間だったなあ」
がらんとなった家の中を見回し、ミミーはこの村に来てからのことを思い返した。
「はじめはつらいことばっかりだったけど、いい人もいたし、友だちもできたわ。それに、ハーブを育てたり、軟膏を調合して、みんなに喜んでもらえた」
たった一年にも満たない期間だったが、ミミーにとっては、ここでの日々はとても大きな意味を持つ時間であった。一人だけで生活するのも初めてであったし、見知らぬ人々とどう接してゆけばいいのかとか、自分が魔女であるということは、そうでない普通の人々からするとどういう意味を持つのかとか、なにしろ考えることはたくさんあった。そんな中で、自分は自分なりに頑張ってきたし、色々な物事にもなんとか対処してきた。それは大変な経験だし、自分が成長するために必要な時間であったのだ。ミミーはそう思った。
(わたしは、魔女として少しは成長できたのかしら……)
自分に問いかけてみる。
(そうね。まだまだ足りないけど、きっと……)
今では少しだけ身長も伸びて、いちばん上の棚にも手が届くようになった。そこにあったビンの一つに手を伸ばす。
「マンドラゴラ」
初めてこの家に来たときに見つけた、人の形をした根をもつ少し不気味な植物。前にいた魔女が掘り起こしたものだろうか。それとも、もっと前からあったのだろうか。土から掘り起こす時には悲鳴のような声がして、引き抜いた者は苦しみののちに死に至るという。魔女キルケの植物とも言われ、強い効力を持つ毒薬にも薬草にも、そして媚薬にもなる。
不思議な形をした、まるで生きているように淡い燐光を発する、このマンドラゴラを見ていると、なんとなく、これを置いて行きたくないような気がしてくる。
「せっかくだから、持ってゆきましょう」
ミミーはマンドラゴラの入ったビンを、他の荷物と一緒に革袋に入れた。部屋の奥でぴくりと身をもたげたパステットが小さく鳴いた。
「さあ、パステット。これで支度は済んだわ。あなたはどう?……といっても、ネコには荷物なんかはいらないのね。どこへゆくにも体ひとつ。それってとてもうらやましいわ」
「みゃあ」
王国へ戻れるのがよほど嬉しいのか、パステットは落ちつかない様子で部屋を歩き回っていた。
翌朝、まだ日が昇らないうちにミミーは家を出た。
荷物をつめた革袋を背負い、愛用のほうきを手に、魔女のローブに帽子をかぶった、来る時と同じ姿で。大釜はきれいに洗ってそのまま置いてきた。つぎにこの村にきた魔女が使えるようにと。
最後に、ミミーは家の前の柳の木に別れの挨拶をした。
「柳さん、いままでありがとう。あなたがそこにいたおかげで、とてもなぐさめられたわ。いつも涼しげにその枝葉をゆらゆらさせて、わたしを見守っていてくれた。またこの村に来たら、まっさきに挨拶に来るからね」
風に吹かれた枝葉を揺らめかせて、柳の木もミミーに別れを言っているようだ。
「さようなら。柳さん」
ミミーは村の通りを歩きだした。
来たときにはただの見知らぬ村でしかなかったけれど、今では通りの家々の、その一軒一軒に、誰々が住んでいると知っている。それはとても不思議な感覚だった。
(わたしは確かにこの村で暮らし、この村の人々と知り合って過ごしたんだ)
寂しさと同時に、色々な人たちに出会えたことの喜びもまた、一緒に込み上げてくる。
(ありがとう。ナミルさん、リミーのおばあさん、村長さん、それに村のみなさん)
まだ人けのない夜明け前の通りを歩きながら、ミミーはときどき家々を振り仰いでは、心の中で人々に挨拶をした。
村を出て小川の橋を渡りきると、最後にもう一度振り返る。
(わたしはきっと、これからどこへ行っても、この村のことを思い出すんだわ)
「さあ、パステット。次の修行が待っているわ」
ミミーはほうきにまたがった。これで飛ぶのはしばらくぶりだったが、精神の集中は容易だった。しがみつくパステットを乗せ、ふわりとほうきが浮かび上がる。
高く舞い上がったミミーのほうきは、村の上空を旋回するようにくるりと飛んだ。
「ありがとう。きっとまた来るわ」
ミミーは思い出の村に別れを告げた。
「おかえり、ミミー」
「おかえりなさい」
王国の塔をくぐって地面に降り立つと、待っていたカブンの家族たちがミミーを出迎えた。
「イバネス、それにナタリーにケイト」
ミミーはほうきから下りるとイバネスに抱きついた。
「おかえり、ミミー。よく頑張ったわね」
「ああイバネス。わたし、わたし……帰ってきたのね」
こみ上げてくるものを抑えきれず涙を流すミミーを、カブンでも母親のような存在のイバネスはしっかりと抱きしめてくれた。
「そうさ。帰ってきたんだよ。みんなのところへね」
「ああ……でも、迎えに来てくれるなんて思わなかったわ」
顔を上げたミミーは、そこにいる姉や妹たちを見回した。
「この子たちがどうしても行くっていうんでね」
「まあ、トルカにカンパス。ありがとう」
「ミミーねえちゃん、おかえり」
「おかえりー」
小さなカンパスの頭を撫でてやり、次にトルカを撫でようとしてミミーは驚いた。
「まあ、トルカ。あんたすっかり背が伸びて」
「そうよ。わたしもう十歳になったのよ」
「ああそうか、先月だったわね。おめでとう」
赤味がかった髪を後ろでたばねたトルカは、子どもというよりはもう立派な女の子である。この一年たらずの間に、成長したのは自分だけではないのだとミミーは知った。
「でも、あなたもなんだか、少し大人っぽくなったみたいよ」
「ケイト。春の女王になれたのね。おめでとう」
「あれ、なんで知っているの?」
驚くケイトに、ミミーは「ええ、ちょっとね」とくすりと笑った。アストラル体になって帰ってきたことは、シーン以外は知らないのだ。
「ナタリー。久しぶりね」
「そうね。一年半ぶりくらいかな」
ミミーは二十五歳になるその姉をまじまじと見た。紫色のローブにすらりとした体を包み、ウェーブがかった金髪を背中にたらした姿は、妖艶な美しさに満ちていた。彼女はどこぞの大きな町の魔女として暮らしており、王国に戻ってくるのは年に一度くらいだ。
「この前見たときよりも、ずっと魔女らしくなったよ。ミミー」
「本当?ありがとう」
昔からの憧れだった姉に褒められて、ミミーは顔を輝かせた。
「みゃあ」
「おや、この子がパステットね。どれ……ほう、これは素敵な女王さまだ」
黒猫のパステットを覗き込むように見て、ナタリーはそう言った。
「女王?パステットが?」
「ふむ。きまぐれで気位が高そうだもの」
「ああ……そういえば、そうかも」
「そのうちきっと、最高の使い魔になるだろうね」
ナタリーに撫でられると、パステットは嬉しそうにごろごろと喉を鳴らした。
「さあ、さあ、ともかく家に帰ろう。話はまたあとでゆっくり聞かせておくれ。今頃きっと、ヘレン婆が、ごちそうを作って待っているだろうから」
イバネスが言うと、トルカとカンパスがはしゃぎながら走り出した。ミミーたちも歩き出す。心の底から暖かな気持ちが広がってゆく。ミミーは自分の家に帰ってきたのだ。
その日は、ヘレン婆の料理をおなかいっぱい食べ、夜遅くまでカブンの家族たちと語り合った。村での出来事や、つらかったこと、面白かったことなど、これまでため込んでいた言葉をあふれ出させるように、ミミーはしゃべった。
十一人いるシルヴァーのカブンのうち、家にはミミーを入れた七人が集まっていた。今年のソーウィンにはきっと全員が揃うだろうとイバネスは言った。家族たちとたくさん話をして、たくさん笑って、ミミーはすっかりくつろいだ気分で部屋に戻った。久しぶりの自分の部屋……やわらかな寝台と亜麻布の感触が心地よい。
「おやすみ、パステット」
足元にもぐり込んでくる確かなぬくもりを感じながら、ミミーは眠りについた。
翌朝、目が覚めると、ミミーは王国の森へと出掛けていった。
小鳥たちが遊び、鹿や兎が住むこの森は、女王シビラの塔を囲むように緑を繁らせ、儀式や祭りが行われたりもする場所だ。ミミーは、木立の間から朝もやにかすむような塔を見上げ、今ではすっかり種類を見分けることのできるようになったハーブのガーデンをうきうきと歩いていった。
「おはよう、ミミー」
少しもいかないうちに、会いたいと念じていたその姿が見えた。白いローブ姿の美しい魔女……シーン・ゴールドだ。
「おかえりなさい、と言った方がいいかしらね」
「ただいま。シーン」
こみ上げる感動を抑えながら、ミミーは自らの教師でもある白い魔女に歩み寄った。
「アストラル体で会って以来ね。ミミー」
「ええ。あのときは、ありがとう」
シーンにもらった軟膏のおかげで、意識体となって王国に戻って来られた。そして、女王シビラと話をしたことは、ミミーにとっては人生最大の体験といってもよかった。
「元気そうね。それに、なんだか大人っぽくなったわ」
「本当?シーン」
「ええ。一回り大きくなったというか、女性らしくなって。それに外見もそうだけど、魔女としての内面も、ちゃんと成長したようね」
シーンからそう言われて、ミミーは嬉しさに頬を紅潮させた。
「嬉しい。ありがとう。わたし、はじめは心細かったり、いろいろ失敗したりして泣いたり、王国に帰りたいって思ったこともあったけど、でもシーンにもらったこのペンタグラムを眺めたり、ここで習ったことを思い出して、一生懸命ハーブを育ててそれを調合したり、軟膏を作って村のおばあさんにあげたりして、そうして、少しずつやってゆける自信がついてきたの」
自分の教師であるシーンへ、自分の経験したことを語りつくそうと、ミミーの目はきらきらと輝いた。
「それにやっぱり、あの夜アストラル体になって帰ってこられたことは、わたしに勇気をくれたわ。シビラ女王とも少しだったけどお話できたし。次の日からなんだかすごく頑張ろうって思えたわ。それは不思議なくらいに。自分が魔女だってこと、村の普通の人達とは違うんだってことが、自分の中で整理できたっていうのかしら。もう一人でいても寂しくないし、誰かに何を言われてもすぐに泣いたりしなくなった。わたし、そのとき思ったの。わたしは魔女になったんだって。もちろんまだ見習いなんだけど、なんだかそんな気がしたの。村の人たち、村の子供たちとわたしは違うけど、だけどそれでいいんだって」
シーンはミミーの言葉にじっと耳を傾けていた。その顔に優しい微笑を浮かべながら。
「ミミー、よかったわね」
ミミーの両肩に手を置き、そっと抱き寄せるようにしてシーンは言った。
「私もそうして、あなたと同じようなことを感じたり、思ったりして、少しずつ大人になっていったわ。あなたがそうやって正しく感じることができたのなら、あなたの修行は上手くいったのよ」
「じゃあ、わたし魔女になれたのかしら……合格はできたのかな?」
「そうね。それはまた、改めてレポートを提出しなさい。十三人の魔女審議会で認められたら、晴れて合格通知が届くでしょう」
にっこりと笑ってシーンは言ったが、レポートという言葉を聞いてミミーはげんなりとなった。文章を書いて論理的にまとめてゆくというのは、とても苦手であった。
「大丈夫よ。今話してくれたようなことを、もう少し整理して書けばいいの。難しく考えないで。あなたが村でしたこと、誰かに出会って何を思ったかとか、一人で考えたこととか、それを思い出して」
「う、うん」
「きっとあなたは合格するわ。そうしたら、晴れて魔女として、また別の町へとゆくことになるでしょう」
「別の町へ……」
それは自分にとって新たな旅立ちを意味する言葉だった。そのことを考えると、わくわくするような気持ちと、不安が入り交じった、なんともいえない気分になる。
(わたしは……また旅立つのだわ)
森の向こうに高くそびえる女王シビラの塔……ミミーは、前よりもほんの少しだけそこに近づいたような気持ちで、それを見上げていた。
その日から、さっそくミミーはレポート作りに取りかかった。カラスの羽根ペンを片手に、机の紙の束を前にして、いったい何から書けばいいのか分からず、ミミーは書きはじめては首を振り、何度も紙を丸めた。
「村での出来事を思い出しながら……」
シーンの言葉を思い浮かべる。あまり難しく考えずに、ともかく村であったことを素直に書いてゆこうとミミーは思った。
おなかがすくと、台所からヘレン婆の目を盗んでパンをくすねてそれをかじりつつ、また部屋にこもってミミーは書きつづけた。ときおりパステットが遊びたそうに近づいてきては、ミミーの背中をかりかりとやったが、やがて無駄だと分かったのかおとなしくなった。ふと気づくと、いつの間にかパステットはいなくなっていた。外に遊びにいったのだろう。姉たちもミミーの様子を覗きに扉の外までは来たが、邪魔をしないようにと部屋に入ってくるものはなかった。今はミミーが魔女になれるかどうかという大切な時期であることは、カブンの誰もが分かっていたのだ。
そうして、秋分を迎えるころになり、ついにミミーのレポートが完成した。
「おめでとう、ミミー」
出来上がった紙の束を手に階段を下りてゆくと、カブンの家族たちが待ち構えていた。
「あら、いったいどうしたの?レポートは出来たけど、まだ受かったわけじゃないのよ」
「なに言ってるの、ミミー」
料理の最中だったらしいイバネスが、さじを片手に笑って言った。
「今日はあんたの誕生日だよ」
「あっ、そうか」
すっかり忘れていた。今日でミミーは十四才になったのだ。
「おめでとう、ミミー」
「ミミー姉、おめでとう」
ナタリーに、ケイト、トルカ、小さなカンパスまでが口々に祝いを述べる。
「あ、ありがとうみんな」
驚きと喜びと、レポート疲れとで、ミミーは頭がぐるぐる回るような気分だった。
「今日はごちそうだからね。ミミー。十四才の特別な誕生日だ」
特別な誕生日……十四才というのは、魔女にとっては独り立ちを迎える年齢なのだ。
「それにレポート合格の前祝いもかねてね。盛大にやろう」
「でもお酒はだめだよ」
「あらま」
イバネスに言われてしゅんとするナタリー。横にいるケイトがくすくすと笑う。十八歳になったケイトは、今ではすっかり女性らしく綺麗になった。これも春の女王になったからだろうか。
(いつか……いつかわたしも春の女王になれるかしら)
花の冠をかぶり、優雅に微笑む自分を想像する。一人の美しき魔女への、その架け橋となるかもしれない大切な紙の束を胸に抱き、ミミーはうっとりと考えた。
「じゃあ、わたしこのレポートを出してくるわ」
「はいはい。いってらっしゃい。塔の受け付けに渡せばいいのよ。ちゃんと、魔女見習い試験のレポートですって言って」
「分かっているわ、イバネス」
「そうそう、それからついでに森でクルミをとってきておくれ」
「はあい」
ミミーはうきうきとした気分で外へ飛び出した。
十四才。今日から十四才なのだ。
青から紫へと変化してゆく、黄昏色の空を見上げて走り出す。これから自分が一人前の魔女として、世界中に羽ばたいてゆくような、そんな気分がした。
ミミーのもとにレポートの結果を知らせる通知が届いたのは、ソーウィンまでもうすぐという十月の半ばであった。
「どうなの?ミミー」
封を開けようとするミミーの回りに、姉や妹たちが集まってきた。
「早く開けなさいよ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
ミミーは息を整えながら、金色の紐で物々しく綴じられた封書をおそるおそる開いた。
「どう?ねえ、どうなのよ」
覗き込んでくる姉たちをよけつつ、書簡に書かれた文面を読み上げる。
「右のもの、定められし第一の国外修行を終え、正しい期間にて役割を果たしたその活動を認める」
次の一文に、ミミーは思わずその声を震わせた。
「ミミー・シルヴァー。王国の第6721番目の魔女としてこれよりその活動を認める」
「やった!」
姉たちから歓声が上がる。
「良かったわねミミー」
「おめでとう!」
「わたし……魔女になったのね」
ミミーは両手を組み合わせ、姉たち、妹たちを見回した。その目を、宝石のようにきらきらと輝かせて、
「わたし、魔女になれたのね!」
ミミー・シルヴァー……十四才の魔女は高らかにそう叫んだ。
それは、この村では見たこともないような、しっとりと艶めいた美しい女性だった。薄い緑色のサテンのドレスに身を包み、髪は綺麗に結い上げられて、レースの刺しゅうのされたヴェールをかぶっている。
「こんにちは」
しとやかにあいさつをしてきたその女性が、いったい誰だったかとミミーは懸命に思い出そうとした。
「あ、あの、いらっしゃいまし」
丁寧に応対しようとしてつい声がうわずった。
「ああ、ミミーさん。ありがとう」
「えっ?」
いきなり礼を言われミミーは驚いた。
「あ、あのう……」
「あら、ごめんなさい」
戸惑うミミーの様子に、女性は日除けのヴェールをとった。現れたその顔を見て、ミミーは目を白黒させた。
「あ、ああ、はい。いえ、その……」
「この前は占ってくれてありがとう」
頬をバラ色に紅潮させた女性は、ふわりと優雅に貴婦人の礼をした。
「あのね、彼からの手紙で、明後日に帰ってくるというの。ああ、そうよ。手紙が来たの。先週よ。彼からの……ああ」
きらきらと目を輝かせ、声を震わせるその女性が、かつて店に怒鳴り込んできた、あの女性だとは誰が分かるだろう。女は変われば変わるもの。それはまことに真実であった。
「ああ、彼が帰ってくるのよ!あたしのために」
唖然としているミミーの前で、女性は歓喜の叫びのごとく、誇らしげに言った。
「あ、あの……よかったですね」
ようやく事情を飲み込んだミミーは、嬉しいというよりはむしろ、ほっとした思いだった。では、自分の占いは当たったのだ。もし外れていたら、えらいことになっていたろう。
「本当に良かったです」
「ええ。そうなの」
女性はにっこりとしてうなずいた。
「それでわたし、いてもたってもいられず、一番いい服を買って、さっそく髪を結ったのよ。どう?似合うかしら?」
「え、ええ。とっても」
「あさってまでは絶対にくずさないわ。誰にも触れさせない。この服はためしに着てみたの。帰ったら大切にたたんでしまうわ。だって、あさっては私の一生で一番大切な日になるんですもの。私、彼と結婚するのよ!」
高らかに宣言すると、女性はうっとりと頬を染めた。。
「とても綺麗です。本当によかったですね」
「ありがとう。こんなに幸せな気持ちになれるなんて。あなたの占いのおかげよ。あなたはまだ小さいけど、きっと素晴らしい魔女になるわね」
幸せというのは人をここまで変えるものなのだ。ミミーはつくづくそう実感しながら、太陽のような女性の笑顔を見つめていた。
自分の占いで人が喜んでくれたり、その人が実際に幸せになったりするのは、なんてすごいことなのだろう。うきうきとした足取りで女性が店を出ていってからも、ミミーはそれについて考えていた。
(なんだか、はじめて魔女らしい仕事をなし遂げたような、そんな気がするわ)
ハーブや軟膏を調合したりするのも楽しいが、それよりももっと、こうして人との関わりの中で、直接相手の運命に触れられる。それが魔女の占いというものなのかもしれない。
(これは、素晴らしい仕事だわ)
この村での修行は少しずつ終わりに近づいている。ミミーは確かにそれを感じていた。
翌々日、女性が恋人との再会を果たし、村人たちに熱い抱擁を見せつけている同じ頃、ミミーにとっては別の涙を誘う別れのときが迫っていた。
西からやって来た商隊は村に活気をもたらし、人々は運ばれてきた珍しい食料や上質な絹や亜麻布、それに流行の衣服などをこぞって買い求め、また物々交換をしたりした。村の大通りには商隊の馬車が何台も並び、年に何度もないほどのにぎわいを見せている。
その中で、ミミーは親友と固く手を握り合い、別れの涙にくれていた。
「ミミー、元気でね。手紙書くわ」
「うん。リミーもね。でも魔女の国には普通の手紙は届かないのよ」
「なら、この村宛てに書くわ。住むところが決まったらきっと書くから」
両親やおばあさんとひと通り抱き合っても、リミーはまだ泣き足りないようだった。あれほど村を出て町へ行きたいと言っていた彼女であるが、いざ旅立つとなると、やはり生まれてからずっと過ごしたこの村での、さまざまな思い出が頭によぎるのだろう。リミーは泣きながら何度もミミーと抱き合い、時間が来るまで同じような別れの言葉を繰り返しながら、気丈に笑顔を作って、また泣くのだった。
初めての友達であるリミーとの別れは、ミミーにもつらいものだった。ただ自分自身もいずれはこの村を出て、おそらくはまた別の村か町へと修行に出掛けてゆくことになるので、はじめからこうした別れを心の中で知っていたぶん、ミミーの涙はすぐにとまった。
「うん。いつか……また会えるわ。きっと」
親友の手を握りしめる小さな魔女は、寂しさと少しの悲しさと、そして、ほんの少しのうらやましさを心にもって、かすかな笑顔を作った。
一日で品物を売り尽くした隊商は店をたたみ、出発の準備が始まった。慌ただしい気配に包まれた村の通りで、馬車に乗り込んだリミーが窓から手を振る。
「ミミー、ありがとう。元気で!」
「リミーも、元気でね」
動きだした馬車に向かって、ミミーも手を振った。
少女たちの別れは、悲しくもどこか甘やかで、摘み取られた花のような切なさを一瞬の時間の中で洗い流すと、また新たに生まれ出る希望へと向かってゆく。
走り出した馬車を追いかけてゆく村の子どもたち。リミーのおばあさんの寂しげな横顔。それを見ながら、ミミーは口ずさんだ。
「さようなら、友よ。また会う日まで。時間の過ぎゆく中にあり、我ら共に志もち、晴れて再び会いまみえん」
オーガスト・イヴとも言われる「ルーの祭典」、すなわちルーナサーは、七月最後の日を飾る祭りである。
魔女にとっては火と光の神バールを祭る、大切な四大サバトのひとつだが、そうではない村の人たちにとっては、せいぜいが夏の森に出掛けていってコケモモ摘みを楽しむというくらいの日である。
ミミーは店を閉めて、一人ひっそりとサバトの儀式をしていたが、夕方になると子どもたちがやってきて、森で取ってきたコケモモを分けてくれた。
「まあ、ありがとう。それじゃあわたしもコケモモのジャムを作ろうかしら」
ミミーは軟膏を届けるついでに、ナミルの家にコケモモを持っていって、一緒にジャム作りをすることにした。
「さあ、これでよし」
ナミルがたくましい腕で、手際よく鍋をかき混ぜると、台所には甘酸っぱい匂いがたちこめた。
「あとは煮詰まるまで蓋をして。火から下ろして冷やせば出来上がりだよ」
仕込みを終え、向かい合ってハーブのお茶を飲んでいると、ナミルが尋ねてきた。
「ところでさ、あんた。この村をもうすぐ出ていくんだって?」
「ええ。出てゆくっていうか、この村での修行期間が終わるんです」
「そうなのかい」
「ええ」
ミミーは少し寂しそうにうなずいた。
「どうせなら、もっといてくれればいいのに。せっかくこうして仲良くなったんだしさ」
「ええ。わたしも、この村にだいぶ慣れて、ナミルさんのようなお友達もできたし、離れるのはさびしいんですけど」
「だめなのかい?」
「はい。もう決まっていることなんです。それに、いずれは王国に戻らないと、正式に見習い魔女を卒業できないので」
「そうか。じゃあ、もうすぐいっちまうんだね」
ナミルは残念そうに言った。
「あたしはさ、他の誰が何といおうと、魔女ってやつがそう嫌いでないし、とくにあんたみたいに一生懸命で、可愛い魔女さんなら大歓迎だよ。もし、またこの村に戻ってくることがあったら、まっさきにうちに来ておくれよ」
「ありがとう。ええ、きっと」
ミミーは涙ぐんでうなずいた。
「わたし、忘れません。きっと……」
「おいおい、まだ泣くのは早いよ。今日、明日の別れってんじゃないんだからさ」
「そうですね」
顔を見合わせて二人は笑った。
それからは、流れるようにして数週間のときは過ぎた。
ミミーは王国へ帰るための準備を始め、ここに置いてゆくものと持って帰るものを分けたり、店に残っていた軟膏やハーブを村の人々に配って回ったりした。村人たちは、ミミーが帰ることを知っていたものもいれば知らないものもいて、それぞれに驚いたり残念がったりした。とくに、リミーのおばあさんはとても寂しそうに、「孫の次はあんたまで行ってしまうのかい」と言って、「寂しくなるねえ」と繰り返しつぶやいていた。ミミーは優しくしてくれた事への感謝を述べ、いつかきっとまた戻ってきますと約束した。村長をはじめ、顔見知りとなった村の人たちに挨拶をすませ、家の片付けもあらかた終えると、もう翌日が出発の日だった。
「なんだか、あっと言う間だったなあ」
がらんとなった家の中を見回し、ミミーはこの村に来てからのことを思い返した。
「はじめはつらいことばっかりだったけど、いい人もいたし、友だちもできたわ。それに、ハーブを育てたり、軟膏を調合して、みんなに喜んでもらえた」
たった一年にも満たない期間だったが、ミミーにとっては、ここでの日々はとても大きな意味を持つ時間であった。一人だけで生活するのも初めてであったし、見知らぬ人々とどう接してゆけばいいのかとか、自分が魔女であるということは、そうでない普通の人々からするとどういう意味を持つのかとか、なにしろ考えることはたくさんあった。そんな中で、自分は自分なりに頑張ってきたし、色々な物事にもなんとか対処してきた。それは大変な経験だし、自分が成長するために必要な時間であったのだ。ミミーはそう思った。
(わたしは、魔女として少しは成長できたのかしら……)
自分に問いかけてみる。
(そうね。まだまだ足りないけど、きっと……)
今では少しだけ身長も伸びて、いちばん上の棚にも手が届くようになった。そこにあったビンの一つに手を伸ばす。
「マンドラゴラ」
初めてこの家に来たときに見つけた、人の形をした根をもつ少し不気味な植物。前にいた魔女が掘り起こしたものだろうか。それとも、もっと前からあったのだろうか。土から掘り起こす時には悲鳴のような声がして、引き抜いた者は苦しみののちに死に至るという。魔女キルケの植物とも言われ、強い効力を持つ毒薬にも薬草にも、そして媚薬にもなる。
不思議な形をした、まるで生きているように淡い燐光を発する、このマンドラゴラを見ていると、なんとなく、これを置いて行きたくないような気がしてくる。
「せっかくだから、持ってゆきましょう」
ミミーはマンドラゴラの入ったビンを、他の荷物と一緒に革袋に入れた。部屋の奥でぴくりと身をもたげたパステットが小さく鳴いた。
「さあ、パステット。これで支度は済んだわ。あなたはどう?……といっても、ネコには荷物なんかはいらないのね。どこへゆくにも体ひとつ。それってとてもうらやましいわ」
「みゃあ」
王国へ戻れるのがよほど嬉しいのか、パステットは落ちつかない様子で部屋を歩き回っていた。
翌朝、まだ日が昇らないうちにミミーは家を出た。
荷物をつめた革袋を背負い、愛用のほうきを手に、魔女のローブに帽子をかぶった、来る時と同じ姿で。大釜はきれいに洗ってそのまま置いてきた。つぎにこの村にきた魔女が使えるようにと。
最後に、ミミーは家の前の柳の木に別れの挨拶をした。
「柳さん、いままでありがとう。あなたがそこにいたおかげで、とてもなぐさめられたわ。いつも涼しげにその枝葉をゆらゆらさせて、わたしを見守っていてくれた。またこの村に来たら、まっさきに挨拶に来るからね」
風に吹かれた枝葉を揺らめかせて、柳の木もミミーに別れを言っているようだ。
「さようなら。柳さん」
ミミーは村の通りを歩きだした。
来たときにはただの見知らぬ村でしかなかったけれど、今では通りの家々の、その一軒一軒に、誰々が住んでいると知っている。それはとても不思議な感覚だった。
(わたしは確かにこの村で暮らし、この村の人々と知り合って過ごしたんだ)
寂しさと同時に、色々な人たちに出会えたことの喜びもまた、一緒に込み上げてくる。
(ありがとう。ナミルさん、リミーのおばあさん、村長さん、それに村のみなさん)
まだ人けのない夜明け前の通りを歩きながら、ミミーはときどき家々を振り仰いでは、心の中で人々に挨拶をした。
村を出て小川の橋を渡りきると、最後にもう一度振り返る。
(わたしはきっと、これからどこへ行っても、この村のことを思い出すんだわ)
「さあ、パステット。次の修行が待っているわ」
ミミーはほうきにまたがった。これで飛ぶのはしばらくぶりだったが、精神の集中は容易だった。しがみつくパステットを乗せ、ふわりとほうきが浮かび上がる。
高く舞い上がったミミーのほうきは、村の上空を旋回するようにくるりと飛んだ。
「ありがとう。きっとまた来るわ」
ミミーは思い出の村に別れを告げた。
「おかえり、ミミー」
「おかえりなさい」
王国の塔をくぐって地面に降り立つと、待っていたカブンの家族たちがミミーを出迎えた。
「イバネス、それにナタリーにケイト」
ミミーはほうきから下りるとイバネスに抱きついた。
「おかえり、ミミー。よく頑張ったわね」
「ああイバネス。わたし、わたし……帰ってきたのね」
こみ上げてくるものを抑えきれず涙を流すミミーを、カブンでも母親のような存在のイバネスはしっかりと抱きしめてくれた。
「そうさ。帰ってきたんだよ。みんなのところへね」
「ああ……でも、迎えに来てくれるなんて思わなかったわ」
顔を上げたミミーは、そこにいる姉や妹たちを見回した。
「この子たちがどうしても行くっていうんでね」
「まあ、トルカにカンパス。ありがとう」
「ミミーねえちゃん、おかえり」
「おかえりー」
小さなカンパスの頭を撫でてやり、次にトルカを撫でようとしてミミーは驚いた。
「まあ、トルカ。あんたすっかり背が伸びて」
「そうよ。わたしもう十歳になったのよ」
「ああそうか、先月だったわね。おめでとう」
赤味がかった髪を後ろでたばねたトルカは、子どもというよりはもう立派な女の子である。この一年たらずの間に、成長したのは自分だけではないのだとミミーは知った。
「でも、あなたもなんだか、少し大人っぽくなったみたいよ」
「ケイト。春の女王になれたのね。おめでとう」
「あれ、なんで知っているの?」
驚くケイトに、ミミーは「ええ、ちょっとね」とくすりと笑った。アストラル体になって帰ってきたことは、シーン以外は知らないのだ。
「ナタリー。久しぶりね」
「そうね。一年半ぶりくらいかな」
ミミーは二十五歳になるその姉をまじまじと見た。紫色のローブにすらりとした体を包み、ウェーブがかった金髪を背中にたらした姿は、妖艶な美しさに満ちていた。彼女はどこぞの大きな町の魔女として暮らしており、王国に戻ってくるのは年に一度くらいだ。
「この前見たときよりも、ずっと魔女らしくなったよ。ミミー」
「本当?ありがとう」
昔からの憧れだった姉に褒められて、ミミーは顔を輝かせた。
「みゃあ」
「おや、この子がパステットね。どれ……ほう、これは素敵な女王さまだ」
黒猫のパステットを覗き込むように見て、ナタリーはそう言った。
「女王?パステットが?」
「ふむ。きまぐれで気位が高そうだもの」
「ああ……そういえば、そうかも」
「そのうちきっと、最高の使い魔になるだろうね」
ナタリーに撫でられると、パステットは嬉しそうにごろごろと喉を鳴らした。
「さあ、さあ、ともかく家に帰ろう。話はまたあとでゆっくり聞かせておくれ。今頃きっと、ヘレン婆が、ごちそうを作って待っているだろうから」
イバネスが言うと、トルカとカンパスがはしゃぎながら走り出した。ミミーたちも歩き出す。心の底から暖かな気持ちが広がってゆく。ミミーは自分の家に帰ってきたのだ。
その日は、ヘレン婆の料理をおなかいっぱい食べ、夜遅くまでカブンの家族たちと語り合った。村での出来事や、つらかったこと、面白かったことなど、これまでため込んでいた言葉をあふれ出させるように、ミミーはしゃべった。
十一人いるシルヴァーのカブンのうち、家にはミミーを入れた七人が集まっていた。今年のソーウィンにはきっと全員が揃うだろうとイバネスは言った。家族たちとたくさん話をして、たくさん笑って、ミミーはすっかりくつろいだ気分で部屋に戻った。久しぶりの自分の部屋……やわらかな寝台と亜麻布の感触が心地よい。
「おやすみ、パステット」
足元にもぐり込んでくる確かなぬくもりを感じながら、ミミーは眠りについた。
翌朝、目が覚めると、ミミーは王国の森へと出掛けていった。
小鳥たちが遊び、鹿や兎が住むこの森は、女王シビラの塔を囲むように緑を繁らせ、儀式や祭りが行われたりもする場所だ。ミミーは、木立の間から朝もやにかすむような塔を見上げ、今ではすっかり種類を見分けることのできるようになったハーブのガーデンをうきうきと歩いていった。
「おはよう、ミミー」
少しもいかないうちに、会いたいと念じていたその姿が見えた。白いローブ姿の美しい魔女……シーン・ゴールドだ。
「おかえりなさい、と言った方がいいかしらね」
「ただいま。シーン」
こみ上げる感動を抑えながら、ミミーは自らの教師でもある白い魔女に歩み寄った。
「アストラル体で会って以来ね。ミミー」
「ええ。あのときは、ありがとう」
シーンにもらった軟膏のおかげで、意識体となって王国に戻って来られた。そして、女王シビラと話をしたことは、ミミーにとっては人生最大の体験といってもよかった。
「元気そうね。それに、なんだか大人っぽくなったわ」
「本当?シーン」
「ええ。一回り大きくなったというか、女性らしくなって。それに外見もそうだけど、魔女としての内面も、ちゃんと成長したようね」
シーンからそう言われて、ミミーは嬉しさに頬を紅潮させた。
「嬉しい。ありがとう。わたし、はじめは心細かったり、いろいろ失敗したりして泣いたり、王国に帰りたいって思ったこともあったけど、でもシーンにもらったこのペンタグラムを眺めたり、ここで習ったことを思い出して、一生懸命ハーブを育ててそれを調合したり、軟膏を作って村のおばあさんにあげたりして、そうして、少しずつやってゆける自信がついてきたの」
自分の教師であるシーンへ、自分の経験したことを語りつくそうと、ミミーの目はきらきらと輝いた。
「それにやっぱり、あの夜アストラル体になって帰ってこられたことは、わたしに勇気をくれたわ。シビラ女王とも少しだったけどお話できたし。次の日からなんだかすごく頑張ろうって思えたわ。それは不思議なくらいに。自分が魔女だってこと、村の普通の人達とは違うんだってことが、自分の中で整理できたっていうのかしら。もう一人でいても寂しくないし、誰かに何を言われてもすぐに泣いたりしなくなった。わたし、そのとき思ったの。わたしは魔女になったんだって。もちろんまだ見習いなんだけど、なんだかそんな気がしたの。村の人たち、村の子供たちとわたしは違うけど、だけどそれでいいんだって」
シーンはミミーの言葉にじっと耳を傾けていた。その顔に優しい微笑を浮かべながら。
「ミミー、よかったわね」
ミミーの両肩に手を置き、そっと抱き寄せるようにしてシーンは言った。
「私もそうして、あなたと同じようなことを感じたり、思ったりして、少しずつ大人になっていったわ。あなたがそうやって正しく感じることができたのなら、あなたの修行は上手くいったのよ」
「じゃあ、わたし魔女になれたのかしら……合格はできたのかな?」
「そうね。それはまた、改めてレポートを提出しなさい。十三人の魔女審議会で認められたら、晴れて合格通知が届くでしょう」
にっこりと笑ってシーンは言ったが、レポートという言葉を聞いてミミーはげんなりとなった。文章を書いて論理的にまとめてゆくというのは、とても苦手であった。
「大丈夫よ。今話してくれたようなことを、もう少し整理して書けばいいの。難しく考えないで。あなたが村でしたこと、誰かに出会って何を思ったかとか、一人で考えたこととか、それを思い出して」
「う、うん」
「きっとあなたは合格するわ。そうしたら、晴れて魔女として、また別の町へとゆくことになるでしょう」
「別の町へ……」
それは自分にとって新たな旅立ちを意味する言葉だった。そのことを考えると、わくわくするような気持ちと、不安が入り交じった、なんともいえない気分になる。
(わたしは……また旅立つのだわ)
森の向こうに高くそびえる女王シビラの塔……ミミーは、前よりもほんの少しだけそこに近づいたような気持ちで、それを見上げていた。
その日から、さっそくミミーはレポート作りに取りかかった。カラスの羽根ペンを片手に、机の紙の束を前にして、いったい何から書けばいいのか分からず、ミミーは書きはじめては首を振り、何度も紙を丸めた。
「村での出来事を思い出しながら……」
シーンの言葉を思い浮かべる。あまり難しく考えずに、ともかく村であったことを素直に書いてゆこうとミミーは思った。
おなかがすくと、台所からヘレン婆の目を盗んでパンをくすねてそれをかじりつつ、また部屋にこもってミミーは書きつづけた。ときおりパステットが遊びたそうに近づいてきては、ミミーの背中をかりかりとやったが、やがて無駄だと分かったのかおとなしくなった。ふと気づくと、いつの間にかパステットはいなくなっていた。外に遊びにいったのだろう。姉たちもミミーの様子を覗きに扉の外までは来たが、邪魔をしないようにと部屋に入ってくるものはなかった。今はミミーが魔女になれるかどうかという大切な時期であることは、カブンの誰もが分かっていたのだ。
そうして、秋分を迎えるころになり、ついにミミーのレポートが完成した。
「おめでとう、ミミー」
出来上がった紙の束を手に階段を下りてゆくと、カブンの家族たちが待ち構えていた。
「あら、いったいどうしたの?レポートは出来たけど、まだ受かったわけじゃないのよ」
「なに言ってるの、ミミー」
料理の最中だったらしいイバネスが、さじを片手に笑って言った。
「今日はあんたの誕生日だよ」
「あっ、そうか」
すっかり忘れていた。今日でミミーは十四才になったのだ。
「おめでとう、ミミー」
「ミミー姉、おめでとう」
ナタリーに、ケイト、トルカ、小さなカンパスまでが口々に祝いを述べる。
「あ、ありがとうみんな」
驚きと喜びと、レポート疲れとで、ミミーは頭がぐるぐる回るような気分だった。
「今日はごちそうだからね。ミミー。十四才の特別な誕生日だ」
特別な誕生日……十四才というのは、魔女にとっては独り立ちを迎える年齢なのだ。
「それにレポート合格の前祝いもかねてね。盛大にやろう」
「でもお酒はだめだよ」
「あらま」
イバネスに言われてしゅんとするナタリー。横にいるケイトがくすくすと笑う。十八歳になったケイトは、今ではすっかり女性らしく綺麗になった。これも春の女王になったからだろうか。
(いつか……いつかわたしも春の女王になれるかしら)
花の冠をかぶり、優雅に微笑む自分を想像する。一人の美しき魔女への、その架け橋となるかもしれない大切な紙の束を胸に抱き、ミミーはうっとりと考えた。
「じゃあ、わたしこのレポートを出してくるわ」
「はいはい。いってらっしゃい。塔の受け付けに渡せばいいのよ。ちゃんと、魔女見習い試験のレポートですって言って」
「分かっているわ、イバネス」
「そうそう、それからついでに森でクルミをとってきておくれ」
「はあい」
ミミーはうきうきとした気分で外へ飛び出した。
十四才。今日から十四才なのだ。
青から紫へと変化してゆく、黄昏色の空を見上げて走り出す。これから自分が一人前の魔女として、世界中に羽ばたいてゆくような、そんな気分がした。
ミミーのもとにレポートの結果を知らせる通知が届いたのは、ソーウィンまでもうすぐという十月の半ばであった。
「どうなの?ミミー」
封を開けようとするミミーの回りに、姉や妹たちが集まってきた。
「早く開けなさいよ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
ミミーは息を整えながら、金色の紐で物々しく綴じられた封書をおそるおそる開いた。
「どう?ねえ、どうなのよ」
覗き込んでくる姉たちをよけつつ、書簡に書かれた文面を読み上げる。
「右のもの、定められし第一の国外修行を終え、正しい期間にて役割を果たしたその活動を認める」
次の一文に、ミミーは思わずその声を震わせた。
「ミミー・シルヴァー。王国の第6721番目の魔女としてこれよりその活動を認める」
「やった!」
姉たちから歓声が上がる。
「良かったわねミミー」
「おめでとう!」
「わたし……魔女になったのね」
ミミーは両手を組み合わせ、姉たち、妹たちを見回した。その目を、宝石のようにきらきらと輝かせて、
「わたし、魔女になれたのね!」
ミミー・シルヴァー……十四才の魔女は高らかにそう叫んだ。
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