魔女占いのミミー

緑川らあず

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06.初めての占い

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 翌日から、ミミーには少しだけ世界が変わったような感じがしていた。
 店に来るお客たちに、お勧めのハーブ茶や軟膏などの説明をしたりしながら、ミミーは「自分が魔女である」ということへの意識をしっかりと持つようになった。もちろん、これまでもそうだったのだが、なんというか、ミミーはもう村人とともにいながら、自分だけが異質であるという事実を、自然に受け入れられるような気持になっていた。
 村の人たちになんとか理解を求め、打ち解けようと心を砕いていたこれまでの自分からすれば、それはまるで正反対の態度のようにも思えるが、それはそうではない。人々と心から仲良くしながらも、どこかで一歩引いた自分がいる。完全に理解し合うことが重要なのではなく、理解し合う努力をしながらも、どこかでそれを冷静に諦める部分もまた必要であること。それが魔女として生きることではないのかしらと、なんとなくミミーは考えはじめていた。
 もちろん、少女であるミミーが、そのようにちゃんと頭の中で分析をしていたわけではないが、店に来た客たちと接しながら、彼女はもう自然に、自分を一歩引いた場所から見つめるようになっていた。それは、友達になったリミーに対しても同じだった。
 またときおり店に来るようになったリミーを、本当の笑顔と言葉で迎えながらも、ミミーは必要以上に友情を求めることはしなかった。もちろん、サバトの儀式で思わずしてしまった五重の口づけなども、もう決してしなかったし、魔女としての内的な儀式や秘密を話すこともなかった。リミーの方はなんとなくもの足りなさそうな顔をして帰ってゆくこともあったが、何も変わらない愉快なミミーとのおしゃべりは、同年令の女の子同士でしかできない楽しい時間であったから、それ以上のことは疑問に思わないようだった。
 そうして、春の盛りを迎えて新緑に包まれた村では、五月の祭りの楽しさがやってきた。
 魔女の王国ではビョールティナといい、一部の地方ではワルプルギスの夜として祝う、火と豊穣の祭りである。
 四月の最後の夜、満ちゆく年の神をあらわす樫の木と、白い女神をあらわすサンザシで作られたメイポールの回りで、人々は夜通し踊りあかす。翌日になると、森にゆき五月の最初の木の実を探し、「緑の森の結婚」の儀式をしたり、月の動物である野うさぎ狩りをしたりして、樫の王の死とその復活に祈りを捧げるのだ。ビョールティナは一年という時間の継ぎ目であり、二つの時の狭間となる時期なのである。
 この村では、純粋に緑と豊穣の祭りとして、人々は森に出掛けて木の実をとったり、簡単なメイポールを作って、その回りで踊ったりするくらいだったが、それでもミミーは心踊らせながら、リミーたちと一緒に森に出掛けていって、新緑の香りを吸い込みながら楽しく追いかけっこをしたり、サンザシの若枝を編んで冠を作ったりして過ごした。
「魔女の国ではね、ビョールティナには丘の上でベルの炎を燃やしてね、それをひょいって飛び越えるのよ」
 ミミーの話に、隣にいたリミーと他の何人かの子どもが、興味深そうに目を輝かせた。
「どうして飛び越えるの?」
「光の神様であるベルにね、健康や旅の安全や、安産なんかをお祈りするのよ。ビョールティナはベルの炎という意味なの」
「ふーん」
 若枝の冠をかぶったリミーが、感心したようにうなずく。
「魔女の国って、いろいろとお祭りがあって楽しそうだわ。この村では五月祭とソーウィンくらいだもの」
「本当ねえ。あたしもほうきに乗って、ワルプルギスの集会に行ってみたいわ」
 リミーよりもいくつか小さな少女が、うっとりとして言った。
「ねえ、ミミー、あたしもいつかほうきに乗せてよ。いいでしょ?」
「え、ええ。でも、慣れないととっても危ないのよ」
「平気よ。あたし運動は得意なんだから」
「馬鹿だな。ほうきに乗るには魔力が必要なんだぞ。お前なんかじゃ振り落とされて、空から落ちて死んじゃうからな」
 男の子から馬鹿にされたように言われて、少女はむっとした顔をした。
「いいもん。そしたらミミーに助けてもらうから。ね、ミミー」
「そうね」
 ミミーは曖昧に笑った。
 自分がほうきに乗るために大変な訓練と長い時間がかかったことなど、ここで口にしても仕方がない。ミミーは魔女として、人々やこうした子どもたちにどうふるまい、言葉を交わすべきか、少しずつ分かり始めていた。
「でも、リミーは」
「えっ、なに?ミミー」
 考え事をしていたのだろうか、リミーがはっとして顔を上げた。
「ううん、なんだか、その私の作った冠をかぶっている姿を見ていたら、今ふと心に思ったんだけど……今年は大きな望みが叶うんじゃないかと思うわ」
「本当?」
 リミーは顔を輝かせた。
「うん。なんだかそんな気がしたの」
「嬉しいわ。魔女のミミーにそう言ってもらえると」
「わたし、ちゃんとした占いってあまりしたことないから、もしかしたら外れるかもしれないけど」
「ううん、いいの。私もなんだか、これからなにか素敵なことが起こるような、とってもそんな気がしてきたわ」
 彼女はうきうきとミミーの手を取り、嬉しそうに言った。この後もしばらく、ミミーにはその笑顔が忘れられないくらいに、リミーはとても嬉しそうだった。

 それから数日がたった頃、
 ミミーの店を一人のお客が訪れた。
「いらっしゃ……い」
 ミミーはその相手を見るや眉をひそめた。
 それは忘れもしない、この村に来て最初に店にやってきて、魔女に対する恨みつらみを徹底的に述べていった、あのときの女性だったからだ。
「こんにちは、あの……ハーブかお茶でもお探しですか?」
「そんなんじゃないわ。そんなもの……」
 女性はきっとこちらを睨み、そう言いかけて口をつぐんだ。それから気を取り直すように咳払いをすると、テーブルの前まで歩いてきた。
「あなた、占いはできて?」
「は?はあ、一応……できますが」
「一応ではダメなのよ。はっきりと知りたいの。もし外れたら、私はあなたを憎むから」
「そ、そんな……」
 女性の言いぐさに面食らったが、ここでたじろぐのも芽生えかけてきた魔女としてのプライドが許さないとばかりに、ミミーはぐっと口許を引き締めた。
「分かりました。とにかく、やってみます」
 実際のところ、占いの方面にはまだあまり自信がなかったのだが、こうなったらもう引き下がるわけにもいかない。ミミーはさっそく準備に取りかかった。
 外の看板に「本日は終了しました」の札を張り、扉を閉める。ちょうどパステットは外に出ていたが、たいていはいつの間にか家の中に戻ってきているのだ。
(ここのとこよく外出するのよね)
 近頃はずいぶん体も大きくなってきたし、きっと外を探検したい年頃なのだろう。
「さてと……」
 占いをするには、精神を集中しやすい環境にするために、光の具合や香りなども重要だ。ろうそくをいくつか吹き消して部屋を薄暗くすると、ミミーは気に入りのブレンドのハーブのお茶を入れた。その間にテーブルの上には占いの道具を揃えておく。水晶玉にタローカード、ダウンジング用のペンデュラムとボードなどだ。それから大釜には水をたっぷり張っておく。
「どうぞ、こちらに座ってくださいな」
 少々厳かな口調で女性を座らせ、テーブルごしに向かい合う。
「さあ、早いところ始めてちょうだい。もしいいかげんなことを言ったら、やっぱりこの店はインチキだって村中に言いふらしてやるから」
 いらいらとして急かす女性に、ミミーは穏やかに微笑みかけた。
「まずはハーブのお茶をどうぞ」
 レモンバームにミント、セージを合わせた香りのよいお茶は、心を落ちつかせる効果もある。ミミーは女性がお茶を飲み干すのをじっと待った。
「では、これからどのようなことを知りたいかを伺います。なるべく気持を楽にしてありのままの言葉で答えてくださいね」
 水晶玉を前に、魔女の帽子をかぶったミミーの姿が、ろうそくの火に照らされて暗がりに浮かび上がる。さっきまでまくしたてていた女性は、息を飲んだように静かになった。
「知りたいのは探し物でしょうか?それとも未来の運命でしょうか?」
「運命……そうよ」
 女性の頬がさっと紅潮した。
「それは、どんな?」
「それは……」
「どうぞ、なんでもお話しください。ここで話されたことは、決して多言いたしません。魔女としての責務として、大切な秘密を守ることを、偉大なる女神アラディアに誓って申し上げます」
 ミミーがそう静かに告げると、女性は意を決したように話しはじめた。
「言うわ。そして教えてちょうだい。私のあの人……一緒になろうって、固く約束したあの人が、この村に帰ってくるのはいつなのか、私はそれが知りたいの」
「それは、あなたの恋人ですか?」
「そうよ。とっても……愛していたの。いいえ、今でも愛している」
 よほどそれまでしまいこんでいたことが苦しかったのだろう、いったん話しだすと、女性はその心のうちを語りだした。
「本当は、いつまでもずっと待つつもりだった。でも、もう耐えられないのよ。もし、あの人が、おお……私ではなく、もし別の町で違う誰かを愛していたりしたら。そして私はそんなことを知らずに、また何年も待ちつづけるのだとしたら……そう、結婚を誓ったのはもう二年も前よ。あの人は村を離れて遠い町に働きに出ているのよ。去年までは頻繁に手紙が来ていたわ。もうあと何ヵ月かしたら、帰ってこられるって、そう手紙には書いてあったのに。でも、なのに今年になってからはすっかり音沙汰がなくなってしまったの。私は何通も手紙を書いたのに。明日こそ、来月こそあの人が帰ってくるに違いないって、そう信じながら、ずっと待っていたのに」
 女性の声が苦しみに震えた。
「春までには帰ってくるって思っていた。でも、あの人からの手紙はない。このまま、私はいつまで待ちつづけなくてはならないのだろう、そう思ったら気が狂いそうになって……だって、あの人がもし、とっくにもう私の事は忘れてしまって、別の人と恋に落ちていたりしたら。私はそれを知らずに歳をとってゆき、独り身のままで老婆になってしまうのかしらって。あの人のために縁談もみな断ってきたわ。でも、それはあの人が帰ってくると信じていたから。今も、今だって信じていたい……でも、もう分からないのよ」
 女性は両手で顔を覆った。
「分からない。どうすればいいのか。このままいつまで待ちつづければいいのか。もう分からないのよ!」
 かすかなすすり泣きが、その手の間からもれた。
「……分かりました」
 話を聞いて、ミミーは女性のことが心から気の毒に思えていた。なんとかしてあげたい。
自分の占いで。
「では、その相手の方が帰ってくるのかを知りたいのですね」
「ええ、そう。分かるの?」
「やってみます」
 ミミーはまず、女性の飲み干したお茶のカップを覗き込んだ。ベテランの魔女であれば、底に残った茶カスの付き具合でも何かを読み取れるのだ。
(……さっぱり分からないわ)
 カップを置き、ミミーは次に水晶玉を見つめてみた。玉の向こう側に女性の顔が歪んで見える。それだけだ。女性が真剣な目つきでじっとこちらを見ているのが、緊張を誘う。
「……」
 ろうそくの炎の揺らめきで、水晶にはなにか影のようなものが映ったりもしたが、それに何の意味があるのか、ミミーにはまったく分からない。
(うう……これもダメね。もっと修行を積まないと)
 次にミミーはタローカードを手に取った。それぞれに意味のある七十八枚のカードを使って予言を行うものだが、実習で何度か習っただけで、その成績はすこぶる悪かった。
(こんなことなら、もっとちゃんと教わっておくんだったわ)
 カードを諦めて置き、ミミーは立ち上がった。水を張った大釜の中に銀貨を放り入れる。その水面に現れた波紋の中に、なんらかの映像や象徴を読み取るという占いであるが、これもミミーにはなにも見えなかった。
(うーん、でも十回に一度くらいは何かが見えるんだけどなあ)
 がっくりとして、ミミーはまたテーブルの席に座り直した。
「どう?なにか分かって?」
「ええと……あのう」
 女性の真剣なまなざしが、ぐさりと突き刺さるようだ。しかし、ここで適当なことを言うわけにもいかない。ミミーはすっかり困り果てた。
「どうなの?占いはもう終わったの?それとも、やっぱりあなたには何一つ分からないというの?もしそうなら……とんだインチキ魔女だわ」
(まだ見習いなんですけど……)
 そんな言い訳を言うわけにもいかない。
(ああもう、占いじゃなくて探し物なら、もう少し得意なんだけど)
 ミミーは、先端が水晶になっているペンデュラムを手に取った。地図や文字盤の上でこの振り子を使い、それが指し示すもので答えを探すのである。
(ともかく、やってみるしかないわ)
 これがだめなら、もう自分はこの村で魔女失格の烙印を押されるだろう。そんな覚悟でミミーは精神を集中させた。
「では、これから最後の占いをします。その人のことを心で強く願ってください」
「あ、ええ……分かったわ」
 女性は両手を組み目を閉じた。
 ミミーはひとつ息を吸い込むと、水晶のペンデュラムをゆっくりと持ち上げ、数字や方角、文字などが書かれたボードの上にかざした。自分の指先がペンデュラムの先端と同化するような感覚で、そこに訪れるかすかな力と震えを感じ取るのだ。
「みゃあ」
 いったいいつのまに戻っていたのだろう、部屋の奥からパステットの声がした。しかし、ミミーはもうそれにも気づかない。全ての神経をペンデュラムの水晶に集中させる。
「……」
 やがて、指先にゆるやかな震えが来た。
(あ……)
 ミミーは不思議な力で、自分の指が動かされるような感覚を覚えた。
(来たわ……)
 こうしたことはこれまでにも何度かあった。失くしもの探しは小さなころから得意だった。地図とペンデュラムがあれば、たいていのものは探し出せた。姉たちもミミーのその力には一目置いていたくらいだ。
 だが、今のこれは、それよりも少し高度な……というかもっと細やかな感覚だった。
(なんだろう。まるで私の体を通じて、運命の神様がなにかを教えてくれるような……そんな感じ)
 ミミーは体の力を抜きながら、動かされるままに指先を震わせた。
 ペンデュラムの先端の水晶が、すっと文字盤の上に下りる。
「7……」
 ペンデュラムが指し示した数字はそれだった。そこにどんな意味があるのか。
「その方は、きっと七月に帰られると思います」
 直観的にミミーはそう口にした。
「なんですって?」
 目を開いた女性が声を上げる。
「それは本当なの?」
「ええ、あの……たぶん」
「たぶんですって?一度言っておいて、そんないい加減なことはないわね」
「すみません。あの、いえ……じゃあ、きっと」
「じゃあってなによ!」
 じろりと睨み付けられ、あやうく大切なペンデュラムを落としそうになった。
「ええと、では他に知りたいことはありますか?」
 女性の怒りをそらすように、ミミーは訊いた。
「そうね。じゃあ、あの人に別の……恋人がいるかどうか」
「はい」
 ミミーは再び神経を集中させ、YES、NOと書かれたボードの上でペンデュラムをゆっくりと揺らせた。今度はすぐに先端の水晶が引き寄せられる感覚があった。
(ああ、なんだか楽しいわ。この感じ……)
「NO……」
 ペンデュラムが下りた文字を読むと、女性の顔がぱっと輝いた。そうすると、いつも機嫌が悪そうなしかめ面をしている印象の彼女にも、女性としての相応の美しさがあるのだということが分かった。
「本当ね。本当にいないのね?」
「と、思います」
「よかった。ああよかった!」
 喜ぶ女性の顔を見て、ミミーもなんだか嬉しくなった。
「あの……よかったですね」
 そう声をかけると、女性は照れたように笑顔をひっこめた。
「でも、まだ当たるとは限らないわ。もし当たらなかったら、ただじゃすまないから」
 だが、そう言う彼女の顔つきは、店に入ってきたときよりも明らかにやわらいでいた。
「さて、じゃあ行くわ。占いのお代はいくらかしら?」
「あ、いいえ。私はまだ見習いですから、お金はけっこうです」
 だが、女性は銀貨を一枚取り出すとテーブルに置いた。
「ただだから外れたなんて、言い訳されたくないからね」
「あの、よかったら、願いを強くするハーブのまじない袋はいかがですか?これを枕に入れていると、思い人に夢で会えたり、願いがかなったりします」
「……」
 女性は一瞬、「そんなもの」という目つきをしたが、
「いただくわ」
 やや頬を染めながら、まじない袋を受け取った。
「七月……七月にあの人が帰ってくる」
 そうつぶやきながら女性は店から出て行った。
 ミミーはしばらく放心したようにそこに座っていた。なんともいえない感動のようなものが、自分の体を包み込んでいた。
「わたし……確かに感じたわ。ダウンジングの占いなんて初めてやったのに」
「みゃあ」
 パステットが土間に下りてきて、ミミーの膝に乗った。
「パステット。わたし、占いできるかも……」
 頬を紅潮させたミミーを、くりくりした緑色の瞳がじっと見上げていた。

 それからまたしばらくは、何事もなく過ぎた。
 相変わらず、ミミーの軟膏やオリジナルブレンドのハーブのお茶は好評で、店にお客が絶える日はあまりなかった。顔見知りとなった村の人たちと、笑顔で会話しながら店に立つのは楽しく、もうかつてのような孤独感はなくなった。
 ただ、それでもミミーには何かが物足りないような気がしていた。
 自分は魔女である。今は見習いだけれど、きっと独り立ちして立派な魔女になる。その気持ちはまったく揺るがない。だからこそ、よけいに「これでいいのだろうか」という思いもまた強くなってゆくのだ。
 店は繁盛して村人たちとも仲良くなった。でも、ただそれだけなら自分はただのハーブや軟膏売りの店番に過ぎないではないか。魔女であるということは、もっと違う……そう、もっと何かが違うものなのではないか。お客が途切れた静かな店内を見渡すとき、ミミーはふとそんな風に思うのだった。
 そして思い出すのは、ペンデュラムを手にし、精神を集中させて占いをしたときの、あのなんともいえない高ぶり、そして充実感だった。あれ以来、あの女性はなにも言ってこないが、どうしているのだろうか。自分の占いは正しかったのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら、また日が暮れてゆく。
 パステットは日に日に大きくなるようだった。ここのところ、日中の半分くらいは外へ出掛けてゆく。どこでどうしているのかはしらないが、外へ出ることがとても楽しいようだ。そして気づくと、いつのまにか部屋の奥に座っていて、「にゃあ」と鳴き声を上げる。まるで「ただいま」と言っているように。ミミーが水晶玉やペンデュラムをテーブルに出すと、さっとそばに来ていつまでもじっと見ている。だが占いをするでもなく、ただ水晶を拭いているだけだと分かると、また向こうへ行ってしまう。不思議なネコだ。
 そうして、また穏やかにひと月が過ぎたころである。
 ミミーは衝撃的なニュースを耳にすることになった。
 衝撃的、というのは少々大げさかもしれない。ただ、本人にとってはそれは大変な事件だったのは確かなのだ。
 暖かさを増した六月のある日。店に飛び込んできたのは、ミミーの親友、リミーだった。彼女は顔を真っ青にして、荒い息をつきながら扉の前に立っていた。
「あら、リミー。どうしたの?」
 大釜の前でハーブのブレンドの最中だったミミーは、木べらを持つ手を止めた。
「ミミー、わたし……」
 しかし彼女は、そう言ったきり黙ってしまった。その顔つきが、なにやらただ事ではないことを物語っている。
「なんだかすごい顔をしているわ。リミー、ともかくそこにお座りなさいな。今ミントのお茶を入れるから」
「ミミー、わたし、わたしね」
 彼女はいったんは椅子に座ったが、興奮した様子でまた立ち上がると、
「わたし、町へゆけるのよ。町にゆけることになったのよ!」
 まるで、すべてから自由になったというように、晴々とした顔で言った。
「町の学校へ行くの。ああ!ずっと願っていたことが、本当になったんだわ」
「まあ、それはおめでとう、リミー!」
 ミミーは乾燥ハーブの入ったびんを手にしたまま、親友に駆け寄った。
「よかったね。前からずっと町に行きたいって言っていたものねリミーは」
「うん。ありがとうミミー」
 二人は手を取り合った。
「それで、いつゆくの?」
「うん、来月」
「まあ、それは急なのね」
「ええ。毎年夏になるとね、この村にも行商人の隊商がやってくるんだけど、その中に町の学校の先生がいるんだって。今年は地方の村をまわって、学校で勉強したいという子供たちを探して、連れていってくれるそうよ。もし医者や教師になりたいというのなら、学費もただで、住むところなんかも面倒みてくれるんだって!」
「そうなんだ」
 嬉しそうに語るリミーを前に、ミミーは少しだけ寂しいような気もしていた。
「よかったね、リミー」
「うん。でもさ、来月には村を離れると思ったら……やっぱり少し寂しいわね。それに、ミミーとも離れ離れになるし」
 嬉しさと寂しさがけんかしていながら、結局は嬉しさが勝ったというような顔である。彼女にとっては、これはまさに自分の新しい人生が始まるにも等しいことなのだ。
 ミミーにもそれは分かっていた。それに、いずれは自分も、この村での修行期間を終えて、また別の村か町へゆくことになるのだから。
「またきっと会えるよね」
「うん」
 別れが近いことを想像し、二人の少女は互いに涙ぐみながら、しばらくじっと向かい合っていた。

 ときの流れるのは早く、樫の王が死に柊の王が復活する、六月のオルバン・ヘフン(盛夏)を過ぎると、「パンタ・レイ、ウーデン・メネイ」の言葉どおり、時は加速するように動きだし、とどまるものはないように思われた。
 ミミーにとっては、村での滞在期間も残すところあと二月となり、ルーナサーが過ぎれば、じきに王国へ戻る準備を始めなくてはならない。
「なんて早いのかしら。季節の変わるのは。そして時が移るのは」
 裏庭のハーブに水をやりながら、ミミーはそうため息をついた。
 王国にいたころは、あまりそうした時の速さというものは考えたこともなかった。毎日を姉たちのいるカブンで過ごし、勉強や実習をしたりしながら、季節の変わるのをゆったりと待っていた。ビョールティナが過ぎれば夏が始まり、ルーナサーが過ぎれば秋になり、ソーウィンを迎えて冬支度をし、翌年のキャンドルマスまでのんびりと過ごすのだ。それはゆるやかな時間の流れで、なにも不安もなく、王国を囲む山々に守られながら、姉たちに可愛がられていた生活だった。
(でも、今は違うわ)
 自分は外界の村にいて一人で暮らし、村の人々と接しながら、なんとかここで頑張ってゆこうと、日々を生きている。悲しいことやつらいこともあった。苦しかったり疲れたり、もう嫌だと思ったこともあった。反対に、思いがけない出会いや嬉しかったこと、新しい発見などもたくさんあった。
 毎日を過ごすことが、こんなにも「生きている」ということだとは思いもしなかった。ただ守られているだけでは分からなかった、この世界との関わりを、自分はようやく知りはじめている。ミミーはそう思った。それは見知らぬ人々との関わりでもあり、世界に平等に流れる時間との確かな関わりでもあった。
(そうだわ。きっと、私は今、時間とともにある。季節とともに、私は生きているんだ)
 そう考えることは、あらゆる小さな悩みを吹き飛ばすような、なんとも言えない気分にさせてくれる。大いなる時のもとで、自分は一人ここにいて、流れゆく日々を止まることなく過ごしている。それは、ときになにか叫びだしたくなるような畏れと、震えにも似た感動をともなって押し寄せてきて、ミミーは思わず空を見上げるのだった。
 ラベンダーの花も満開を過ぎ、香水用に摘み取った花びらがビンの中で芳香を熟成させる間に、七月の太陽は畑をさんさんと照らし、野菜や果物をすくすくと育ててゆく。ナミルの家では、二月前に生まれた子ヤギが立派に大きくなり、元気に草むらを歩き回っているし、リミーのおばあさんは暖かな日差しに腰の具合も良いようで、毎朝の水汲みではミミーをつかまえて延々とおしゃべりをするのが楽しそうだ。このあいだミミーの店には村長が訪れて、ミミーの滞在期間を確認すると、少し残念そうな顔をしてくれた。村長も、今ではすっかり毎朝のハーブのお茶をかかさないらしい。
 時間は止まらない。いずれ来る別れや、また新たな出会いのために。停まらず流れつづけるのだ。
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