水晶剣伝説2~ジャリアの黒竜王子

緑川らあず

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シャネイたち2

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「ドーリ、サビー!」
  二人が木から降てゆくと、隠れていた少年たちとリミーが駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「もう大丈夫なの?」 
「やつらはいなくなった?」
 抱きついてくるリミーの頭を撫でて、ドーリは皆に安心させるようにうなずきかけた。
「大丈夫だよ。あいつらはいっちまった。もう大丈夫さ」
「俺たちは怖くなかったよ。な、フーラ」
「な、ギムシ」
「でもリミーったら、一番怖がりなんだもの」
「そうそう、ナミンだって泣かないでじっとしていたのにな」
 この中で一番小さなナミンが、こくこくと得意気にうなずいてみせる。
「よせよ、お前ら。リミーは女の子なんだからな」
 少年たちのリーダーであるサビーが言った。
「そうさ。それにこの子はね、たくさんつらいことがあったんだから……」
 ぎゅっとしがみつて離れない少女の頭を、ドーリはやさしく撫でつける。
「思い出しちまったのかい?怖い記憶を」
  少女がこくりと小さくうなずく。
「大丈夫。もう大丈夫だよ。あたしがついてる。あいつらはいっちまったんだ。もう来ないから」
「ドーリ、もしかして、リミーは兄さんのことを……」
 言いかけたサビーは、口に指をあて首を振るドーリを見て、黙ってうなずいた。
「ねえ、サビー、兵隊を見たんでしょ?どうだった?」 
「どうだった?怖そうだった?あいつら」
「やっぱりでっけえ武器とか持ってたんだろ?」 
「あ、ああ……」
 少年たちがサビーを取り囲んで質問をあびせる。サビーは、困ったようにただうなずくだけだった。まるで彼は、なにか心にかかる考え事でもあるように、ぼんやりと視線をさまよわせていた。
「さ、もう戻ろうか。もうじき暗くなるよ」
 リミーが落ち着くのを待ってから、ドーリはそうきりだした。
「村へ戻って夕御飯だ。でもお前たち、母さんたちにしかられて飯ぬきになっても泣くんじゃないよ」 
「いいもん。そうしたらドーリの家に食べにいくから」
「そうそう、ドーリのご飯たべるー」
「馬鹿いってんじゃないよ。あたしだって、炊事の途中できちまったんだから、オダーマに怒られてあたしも飯ぬきかもしれないよ」
 危険が去ったことで緊張もなくなり、丘を下る少年たちはドーリと並んで歩きながら、楽しそうに笑い合っていた。 
「嘘だあ。オダーマは怒らないよ。だってオダーマはやさしいもの」
「そうさ。それにオダーマはドーリが大好きだから。きっと怒らないよ」 
「愛しあってるんだもんねえ」
「こら。こどものくせに、なんとまあ生意気なことをいう」
 ドーリは笑いながら少年たちの頭を小突くふりをした。キャアと声を上げる少年たち。ふとリミーが振り返ると、サビーは一人うつむきかげんに少年たちのあとを歩いていた。その手には使うことなく済んだ愛用の弓がぶらさがっている。
「……とにかく、みんなの母さんたちにはあたしから言っといてやるよ。ジャリア兵を見にいったなんていったら大目玉だろうから、ちょっと丘に遊びに行って遅くなったとでもしておこうかね」
 ジャリアの一隊が通りすぎた街道には、軍馬が通った蹄のあとがまだ生々しく残っていた。そこをはしゃぎながら横切る少年たちから、ドーリはふと街道の先に目を移した。もちろんジャリア兵の姿などは、もうその流旗の一片すらも見つけられない。すっかり暗くなった夕闇のなか、街道の先はただ黒々とした森が広がるばかりだった。
「ドーリ」 
 少年たちは街道を渡って村へと続く丘を登っていたが、ドーリがその声に振り向いたとき、サビーは街道の真ん中で足を止め、ぽつんとそこに立っていた。
「おや、なんだい?あんた、まだそんなところにいたのかい」
「ああ……」
「早くお行きよ。ほら、あの子らはもう村へ着いちまうよ」
「う……うん」
 うつむいたまま曖昧な返事をする少年の様子に、ドーリは首をかしげた。
「なんだい、元気ないね。ジャリア王子を弓矢で狙おうかってあんたが。もしかして、さっきのあたしの話をまだ気にしているのかい?だったらもう忘れていいよ。そんなに考え込むことじゃ……」
「違うんだ……」
 少年は首を振り、なにか言いたそうにこちらを見た。
「あの……さ、ドーリ」
「うん?どうしたんだい?」
「ちょっと、話すことがあるから……」
 普段は明るく快活な少年が、今は奇妙ににおずおずとしている。ドーリはふと眉を寄せた。
「ドーリー、早くー」
「あんたたち、先に村に帰っといで。あたしらもすぐ行くから」 
 丘の上から手を振る少年たちにそう言うと、ドーリはサビーに目をやった。少年は意を決したように口を開いた。
「ドーリ……あの、オダーマを呼んでくるように言ってよ」
「なんだって?」
「いや、オダーマでなくてもいい。サダルでも……そうだラビでもいい。とにかく大人の男を来させてよ」
「いいよ……分かった」
 ドーリは少年の様子から、これがただごとではないと悟ると、もう一度丘の上の子供たちに声をかけた。
「お待ち。トルーク、あんたみんなを村まで送っていったら、ちょっとあたしの家に行って、オダーマに伝えとくれ。ちょっと遅くなるからって」
「分かったー」
 丘の上からトルークが手を振った。
「それから……、そうだね、ラビに、すぐにここに来るように言っておくれ」
「ドーリ、ここじゃなくて、赤石の水車小屋のあたりがいい」
 横からサビーが言うのにうなずき、ドーリは言いなおした。
「トルーク。ラビに赤石の水車小屋にすぐ来るように言っておくれ」 
「分かったよー。オダーマには遅くなるって、ラビには来るようにって言うよ」
 少年たちが村の方へ消えてゆくのを見送り、ドーリはサビーに向き直った。
「さて……話してちょうだい。どうやらなにかあるようだけど?」
「ああ……そうなんだ。もしかしたら、だけど……」
 サビーはうなずき、その顔をまっすぐ年長のシャネイに向けた。 
「隣村……南のレンゼー村のリンジたちを知ってるよね」
「ああ、あの悪ガキども。あんたらとよく一緒になって遊んでたね。それがどうかおしかい?」 
「うん。水車小屋まで歩きながら話すよ。すぐにラビが来るだろうから」
「いいよ。そうしよう」
 二人はさきほどジャリア兵の一隊が消えていった方向へ、街道を歩きはじめた。
 人間にすればかなりの早足で歩きながら、サビーは事の次第を語りだした。
「今日のこと、つまり、ジャリア兵と、うまくすれば王子を殺そうという計画は、ただの遊びじゃなくて、けっこう本気だったんだよ」
「ああ……それで?」
「それで、俺たち……俺とトルーク、そしてレンゼー村のリンジたち、どっちがうまくやるかを競争していたんだ……」
「なるほどね。ということは、レンゼー村の悪ガキどもも、あんたたちみたいに無茶なことをするってわけかい?」
「ああ、やると思う。あいつらの方がずっと人数多いし……、俺たちは、俺とトルーク以外は、ただおまけにくっついてきただけだけど、あっちはもっと大がかりみたいなんだ。この前会ったときにちょっと教えてくれたけど、リンジは『俺たちは強力な長弓を作ったんだぜ。こいつなら鎧だって貫通できる。見てろよ。必ず残虐王子の首をとってやる』って言っていた。なんだか向こうは村の大人も何人かそれに協力しているみたい」
「まったく、なんてことだろう……」
 ドーリは苦々しくつぶやいた。
「馬鹿なことを……、もし誰かか止めなかったら……」 
「それにそろそろ、ジャリア軍がレンゼー村の近くを通るころだよ」 
「それでラビを呼びに……」
「うん、オダーマでもいいけど、ラビの方が危険なこととかに慣れてるでしょう?もしレンゼー村がジャリア兵に襲われたりしたら……」
 ドーリは立ち止まり、表情を険しくして少年を見た。
「あんた。ここからすぐお帰り。話してくれたからもう怒りはしないよ。でもここまでだ。レンゼー村へはラビに行ってもらう」
「そんな。いやだよ」
「駄目だ。もし、本当に村が危険な状態だったら、どうするんだい」
「大丈夫だよ。俺もう子供じゃないよ。弓だって使えるし、剣だって少しは……」   「サビー」 
  ドーリは声を強めたが、少年は臆することなく言った。
「ドーリ。俺は行くよ」
「サビー……」 
「俺はもう子どもじゃない。自分の命は自分で守るし、その責任ももう自分でとるよ」 
 そう言った少年の顔を、ドーリはじっと見つめた。 
「それに、俺はいかなくちゃ。リンジたちは友達だよ。あいつらだって、みんな、仲間のためを思ってやろうとしているんだ。俺だってそうだ。でも、さっきドーリの話を聞いて、俺は分かったよ。こんなやり方では何も変わらないって」
「サビー……お前」
 少年はうなずいた。その目の光は強く、まっすぐにドーリに向けられていた。
「だから……俺はリンジたちをとめなくちゃ。今から走っていけば、もしかしたら間に合うかも知れない。リンジたちには俺から言わなくちゃ駄目なんだ。あいつらのやろうとしていることも、俺のやろうとしたことも、それは本当に危険なことで、全部の村に関わる大変なことなんだって。俺から言わなくちゃ……」
「そう……そうだね。そうかもしれない」
 それまでただのいたずら好きの子どもだった少年が、にわかに大人になりつつあったことを、ドーリは初めて知った。ほんの数年前はもっとずっと小さかったのに、今では背丈はドーリとほとんど変わらない。普段はやんちゃで、よく笑うその顔は、今はまるで青年のように引き締まって見える。
「それにさ……」
 落ち着いた笑顔とともに、サビーは言った。 
「もしかしたら、リンジたちも今頃、俺みたいに誰かに止められて、こっぴどく怒られているかもしれないしね」
「ああ、そうだね。そうだったら、ただの取り越し苦労ってもんだ」
 二人は顔を見合わせて笑った。
 街道を南に少しゆくと、川べりの小さな水車小屋がある。近隣のいくつかのシャネイ村が、粉挽きのために使用する共同の小屋だ。二人が小屋の前で待つと、ほどなくしてこちらに駆け寄ってきたのは、同じ村の青年、ラビだった。
「ラビ、早かったね」
  相当なスピードで走ってきたのか、シャネイの若者は何度か息をついてうなずいた。
「夕食中だったが、ほっぽらかして走ってきた。ドーリが大急ぎで呼んでいると、子供らが言うのでな」
 女や年寄りの多い彼らの村では、ラビは一番頼れる若者だった。すらりと背が高く、力持ちで機転もきく。かつては自警団で剣を習っていたこともある。彼にとって、村長オダーマの妻であるドーリは、ほとんど家族にも近い存在であった。
「どうした?ドーリ、何があった」
「すまないねえ、ラビ。急がせちまって。カナリは驚いてなかったかい」
「大丈夫さ。俺の嫁は勇気がある。慌てて飛び出そうとする俺に……ほら、こうして水筒と、もしものための短剣、包帯やら薬草なんかを持たせてくれたよ」
 若者は腰に縛りつけた皮袋を見せた。
「それにしても、子供たちが大騒ぎで村に帰ってきたので、みんな仰天してオダーマの所に駆け込んでいるぞ。しかも、オダーマの家にドーリがいないので、みんな何があったのかと心配している」
「あら、いやだ。あの子たちったら、そんな大げさな。オダーマは何か言っていた?」
「いや、オダーマはまず皆を落ちつかせて、ドーリの言うとおり、俺に様子を見に行かせようと言った。皆が慌てることはまだ何も起こっていないと。それで俺に向かって、ドーリとサビーを頼む、自分は村長の責任があるゆえ、村を離れられない。何かあったときはすぐ対処できるようにしておくから、二人をくれぐれも頼むと」 
「さすがはオダーマ」 
 ドーリは満足そうにうなずいた。
「あたしが見込んだ男だわ。それでこそ。それじゃあ、村の方はまず安心ね」
「ねえ、ドーリ。こんな所に立ち止まっていても仕方ないよ。歩きながら話そう。早くレンゼー村へ行かないと」
「おお、そうだ。そうだね。行こう」
「レンゼー村へ?いったい何があったんだ?」
 ラビが眉をひそめた。その長い耳がピンと立つ。
「まさか、さっき通りすぎたジャリア軍の一隊となにか関係があるのか?」
「そうさ」
 ドーリがうなずく。
「もしかしたら……大変なことが起こるかも知れないんだよ。まだ分からないけど。とにかく、行こう。ラビ、あんたが先頭にたって」
「わかった。レンゼー村だな」
 ラビを先頭に、三人は街道を走り出した。
 夕闇に包まれた街道の周りには、黒々とした森や山々が広がっている。このあたりにはいくつものシャネイ村が隣接しており、リンゼー村は彼らの足なら走ってほんの半刻ほどの距離であった。
「なるほど……そういう、ことか」
  少年とドーリから話を聞いたラビは、顔つきを険しくした。
「それはまずい。俺は知ってる。あの黒竜王子を。一度ラハインの宮廷に小麦を届けに行ったとき、俺は近くであの王子の顔を見た」
 街道の印石がかろうじて見えるくらいの夕闇の中を、三人は軽やかな足どりで走り抜けてゆく。シャネイの視力はとても強く、夜闇の中であっても、地面の石ころも、突き出した木々の枝も、はっきりと見分けられる。
「あの王子の目……なにも映さない、まるで感情のない目。あの目が、俺は心底恐ろしかった。特に俺たちシャネイを見る目つきは、とうてい人間を見る目つきとは思えなかったよ。言葉の通じぬ動物を見るような、蔑みも越した冷たい目つき。まるで道端の石ころでも見るように俺を見た、あの目を見たとき……俺は知ったのだ。残虐王子という名は、決して大げさなものではないのだと。あの王子からすれば、きっと俺たちを殺すことなどには何も意味を持たない。豚や猪を殺すように奴らは我々を狩り、殺してゆくだろうと」
「そういえば、たしか、あんたの妹と両親も……」
「ああ、前の村で殺された。あのときも王子の配下の部隊が通りかかって、ちょっとしたことで奴らの怒りをかい、戦いになり、そして……村は壊滅した。生き残ったのは老人とほんの数人の女子供だけだった」
 前をゆくラビの声がかすかに震えるのを、サビーは聞いた。
「いけない……いくら子どもたちのすることとはいえ。あいつらは決して容赦しない。早く……早く止めないと」
「いやだよ。リンジたちが、みんな兵隊にやられちゃうなんて。そしたら俺……俺……」
「サビー。まだそうと決まったわけじゃないよ。あんたも言っただろう。あの悪ガキどもも、お前みたいに今頃は誰かに止められて、こっぴどく叱られているかもしれないって。あたしたちが村に着いてみたら何も起こっておらず、レンゼーの人たちが笑いながら、よく来たねって、みやげにに白パンでもくれて、あったかい豆のスープをごちそうしてくれるかもしれないよ。そうさ。なにも……なにも起こっていないよ、きっと……ね」 
  ドーリの言葉は、自分自身に言い聞かせるようなつぶやきに変わった。夜の街道を走る三人の足取りは、なにかに急かされるように、しだいに速くなっていった。
「村はもうすぐだ。あの橋を渡れば……」
  遠くに小さな光が見えはじめていた。川の向こうにレンゼー村はある。 
「あっ」
「な、なんだあれは」
 サビーとラビが同時に声を上げた。
「あれは……」
 ドーリも息を呑んだようにつぶやいた。
 村の明かりとおぼしき光が、しだいに大きくなっていた。
 その光は、ひとつ、ふたつ、みっつと、見る間に増えてゆく。
 三人は橋の手前で立ち止まっていた。
「あれは……火だ!」
  ラビが叫んだ。
「まさか。まさか……」
 ドーリが口の中でつぶやく。
 村が燃えている。
 耳を澄ますと、村の方向からはごうごうという炎の音が聞こえ、それに混じって、なにかが起きているらしい喧騒の空気が伝わってくる。
  いったい何が起こっているというのか。三人は言葉を失って立ち尽くした。
 黒い夜空に燃えさかる火柱が上がる。
「あっ、お待ち。サビー!」
 ドーリが止めるまもなく、少年は村に向かって走り出していた。
「ラビ、サビーをとめて!」 
 二人のシャネイは少年の後を追って、赤々とした炎に包まれつつある橋の向こうへ走り出した。

  それより少しまえ……
 街道をゆくフェルス王子と四十五人隊の一行は、一定の速度を保ちながら粛々と行軍していた。
 ときは夕暮れどき。しばらくは両側を丘に挟まれた狭い道が続くことから、隊列は横三列となり、その中ほどに王子を守る長い隊形をとっている。隊列を組む一人一人の騎士は、兜の面頬を下ろし、槍を手に、無機質なほどの不気味な静かさで巧みに馬を操る。その様子はまるで、機械仕掛けの軍隊のようであった。
「異常ありません」
 先行させていた斥候の騎士の報告を受け、馬上の王子はゆったりとうなずいた。王子の後ろには巨漢のザージーンの乗る馬が影のように付き従う。 
「どうやら、今回はシャネイどもはおとなしいようですな」
 馬を寄せてきたのは、副官のジルト・ステイクだった。
「あの低能なサルたちも、少しは利口になったということですかな」
「さあ、どうかな」 
 王子は意味ありげに言うと、街道の彼方へ目を向けた。
 しだいに暗さを増してゆく黄昏の空。丘の向こうに沈みゆく、夕日の最後の残照とともに、王子と騎士たちは馬を歩ませる。 
「フェルス殿下」
 しんがりをつとめていた副隊長、ノーマス・ハインが報告に来た。
「どうした」
「は、すでにお気づきになっているかとも思いますが……」 
 若き副隊長は面頬を上げると、馬上から街道の両脇に目をやった。
「どうも静かすぎます」
「そうだな」
「いつもであれば、シャネイどもが街道わきから隊列を見物しているはず。この辺りは奴らの村が点在していますから」
「確かにな」
  副隊長の言葉をうけ、王子も鋭い視線を道の左右に向けた。
 ジャリアの首都ラハインから南部へ下る街道は他にもあるが、丘陵地帯を迂回せずにすむこのルートが時間的には一番ロスが少ない。周囲に多くのシャネイ村の存在するこの辺りでは、これまでにも街道を下るジャリアの兵隊、商隊などが襲撃を受ける事件が何度かあった。数年前から取り締まりを厳しくしたこともあり、ここ最近では目立った被害は少なくなってきていたが、それでもやはりジャリア兵士がこの街道を通りかかると、両脇の丘の上には居並んだシャネイたちが、とくに何も仕掛けてくるわけではないが、ただじっとこちらを見張っているということが常だったのだ。
「かえって怪しむべき静けさという気もします。行軍速度を少し速めれば、日が暮れる前にはこの地帯を抜けられますが」
「的確な判断だな、ノーマス。お前ももう立派な副隊長か」
「おそれいります」
 若い騎士は嬉しそうに笑顔を見せた。
「よかろう。ではお前に任せる。先頭に立て。しんがりは別のものに任せよう」
「はっ」
「では、行軍速度二から三へ。同時に第二種警戒!」
 ノーマスの発した命令が、隊列全体へと伝わってゆく。
「行軍二から三へ。第二種警戒」 
「了解」
  後尾で伝令確認の流旗が上がると、先頭の列からゆるやかに速度を上げはじめる。面頬を上げていたものは下ろし、隊の外側のものは距離をややせばめて密集する。相当に訓練されなければ出来ない動きである。
「ザージーン、兜をとれ」
 王子が命じると、ザージーンは黙ってヘルムを脱いだ。頭髪を剃りあげ、浅黒い肌をした顔があらわになる。 
「そのまま、できるだけ俺の馬に近づいていろ」 
 男は無表情のまま、言われたとおり、その巨体を乗せた馬を器用に操って、王子の馬のすぐ後に続いた。その剥き出しのいかつい顔は、大きな体躯と相まって、統一された鎧兜姿の隊列でひどく目立った。
「よし」
 王子は満足そうにうすく笑いをうかべた。
 速度を上げた隊列は街道を進んでいった。騎士たちの警戒をよそに、周囲にはまったく異変の予兆はなく、ただ静かで、暮れなずむ空のもとを、馬蹄の音が規則正しく響いてゆく。
  街道はしだいに両側から丘に挟み込まれるようにして狭まり、さらに視界が悪くなった。ここを抜ければ丘陵地帯も終わり、ぐっと道はひらけてくるはずである。
 隊列を組む騎士たちは、引き続き警戒をしつつ進んでゆくが、その緊張がいくらか惰性に変わった頃だったろうか。
 突然、ガッという、石矢が鎧に当たる音とともに、王子のすぐそばの騎士が声を上げた。
「わあっ」
「どうしたっ!」
 ひゅん 
 ひゅん 
 続けざまに、矢が空気を切り裂く音がいくつも鳴った。
「敵か?」
「弓だぞ!」
  何本もの矢が兜や鎧にはね返され、そのうちのいくつかが馬に突き刺さった。つんざくようないななきが、静寂を破って辺りに響き渡る。
「これは長弓だぞ。気をつけろ。鎧にも突き刺さる」 
「落ちつけ!隊列を崩すな。王子殿下をお守りしろ!」
 それぞれに叫びながらも、さすがに訓練されたジャリアの騎士たちは、そう大きな狂乱に陥ることはない。一瞬の狼狽から立ち直ると、すぐに隊列を立て直す。
「丘だ、両側の丘の上からだ」 
「シャネイどもの攻撃だ」
「殿下。危険ですから、どうか馬上にお伏せください」
「うろたえるな。栄えある四十五人隊の勇敢な騎士たちよ。我らはジャリア軍でも精鋭中の精鋭ぞ。いかに夜目がきくシャネイとはいえ、しょせん数にも力にも足りぬ」
 王子は馬上で微動だにせず、騎士たちを叱咤した。そのすぐ後ろにいるザージーンの顔を、ぴゅんと矢がかすめる。
「殿下、ご無事で!」
 馬で走り寄ってきたノーマスが、王子を庇うように前に出た。
「どうやら、狙われているのは隊列の中央のみのようです」
「なるほど。つまり、やつらは俺を狙っているわけだな」 
  王子はにやりと笑った。
  その間にも、ひゅんひゅんと、いくつもの矢が至近距離をかすめてゆく。夕闇の中でも目が利くのだろう、放たれた矢は驚くほど的確に王子を狙っているようだった。
「王子、どうか頭をお低く。ザージーンは後ろをお守りしろ!」
 ザージーンの兜をかぶらぬ剥き出しの顔を見て、ノーマスは眉をひそめた。
「王子、ザージーンの兜を……。敵に御身の場所を教えましたか」
「ノーマス」
 兜の奥で、王子はあやしく目を光らせた。
「我に危害をなさんとする野卑な民どもに、今一度、思い知らせてやるときだな」
「王子……」
 むしろ穏やかですらある王子の声に、ノーマス・ハインは思わず息をのんだ。
「ここに近いシャネイ村はどこか」
「は、はっ。いちばん近いのは、レンゼー村かと。五百人以上の比較的大きな村で……」
「よかろう」
 王子はすっと手をかざした。
「騎士たち、流旗を上げよ」
 鋭い声が隊列に響きわたった。
「戦闘開始!シャネイどもの村へ。焼き払え。みなごろしだ」
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