ひたむきな獣と飛べない鳥と

本穣藍菜

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異世界

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 別の世界に行きたい。

 龍司はよくそう思っていた。子どものときならまだしも、大人になってからも繰り返しそう願っていた。別の世界であれば律とずっと一緒にいられると思ったからだ。

 馬鹿みたいだと龍司自身わかっていたが、そう思ってしまうのは何度も繰り返し見る夢のせいでもある。その世界は中世の西洋やオスマントルコのような世界だった。

 夢の中で龍司は不思議な力を持っており、その世界では何でも自由にできた。男同士で一緒にいることだって可能だ。この世界のような文明はなかったがそれでも律と一緒なら構わなかった。

 もっともその世界は妄想に過ぎないとはわかっている。ずっと律といられるだなんて贅沢過ぎる願いだ。現実の世界ではいつか律とは袂を分かつ必要があると覚悟していたが、それでも龍司は、一分でも一秒でも長く律と一緒にいたかった。そのために出来る限りのことはするつもりだった。

 いつから律と一緒にいたいと思うようになったかは、はっきりとはしていない。律の家と龍司の家は小学校の学区の端と端に位置していたためにお互い面識はなく、四年生になって同じクラスになったときに初めてお互いを知ったくらいだ。

 律の第一印象は「頭のおかしい奴」だった。いや、第一印象は「大人しくて陰気臭い変わった奴」だったが、律を知っていくうちに変わっているというよりも、おかしい奴なのだと思ったのだ。

 いつも一人で本を読んでいる。誰かに話しかけられてもどもって禄に話せない。龍司も話しかけたことがあったが、目を全く見ずにオドオドした様子で答えるだけだった。こいつは知恵遅れなのかと思ったほどだった。

 そうかと思えば、突然べらべらと話し始める。授業中にあてられると、ときには聞かれていないことまで無心に話し始めて教師にたしなまれることもあった。小学校の低学年ならまだしも、もう誰とでも仲良くしましょうなど通じる年齢ではなく、律は周りから距離を置かれていた。

 龍司は律をまったく気にもかけていなかったが、そんな律と交流を持ったのは理科の実験のときだ。

 龍司は沸騰する水を見ながら「水って密閉すると爆発するらしい」なんて呟いた。なにそれ、なんて言いながら皆笑って流していたが、律だけは食いついてきたのだ。

 なんでなの? どうやって? それってどれくらいの威力なの? などとずっと質問攻めにされた。面倒臭いと思ったが、真剣に龍司の話を聞いてくる律に悪い気はしなかった。いつもは目を逸らすのに、そのときはまっすぐキラキラとした見てきているのもなんだか面白かったのもある。

 それからしばらくは特に接点はなかったが、再度話をしたのはやはり理科の実験のときで、金属を温める実験のときに律が龍司に向けて鉄の話を始めたときだった。

 龍司なら聞いてくれると思ったのかもしれない。鉄の生成方法を嬉しそうに語り始めた律は、FeだのCだの言い出した。初めて聞くその言葉に龍司が異常な興味を示すと、律は家に来いと誘ってくれたのだ。

 大胆に誘っておきながら、我に返った律は目を逸らしてオドオドとした様子で謝ってきた。

「友達が家に来るのは初めてなんだ。俺の家なんか嫌じゃない? ごめん。嫌だよね、やっぱり……」

 そんなことを何度も何度も呟く律が、なんだかとても可愛くて思わず肩を叩いた。

「全然。そんなことよりさっきの元素? その話してよ」

 龍司の言葉に律は嬉しそうに笑う。あぁこいつはこんなに綺麗な目をしているんだなと思い、同時に、この目を知っているのは自分だけなのだという優越感が湧いた。

 律の家は温かな雰囲気に包まれていた。母親は働いているため家にはいなかったが、机の上にはおやつが用意されており家の中は清潔に掃除されている。龍司の家には常に母親がおり家も広くて綺麗だったが、この家とはまるで違った。家人もいないのに何故そんなことを思ったのか龍司自身もわからなかったが、この家には幸せの匂いがあったのだ。

 律の部屋に入り、それは確信に変わった。大きな本棚にずらりと並んだ本。律の望むまま両親は本を買い与えたのだろう。両親の愛情の欠片がそこにはあった。

「お母さんがいなくて寂しくないの? うちはいつも家に誰かいるけど……」

 ちょっと意地悪な気持ちになってそんなことを聞くと、律は笑って首を振る。

「ううん。全然。多分俺は普通の学校じゃ無理だから私立の中学に行ったほうがいいんだって。それに本も沢山買ってくれるんだ。でも、俺のせいでお金が必要だからパパもママもいっぱい働いてくれてる。俺、そんなパパもママも大好きだ」

 幸せそうに笑う律は恥ずかしげもなくそんなことを言う。そんな律に嫉妬などなくなった。律は頭がおかしいのではない。ただ純粋で頭が良くて、だからこそ周りに溶け込めないだけなのだ。きっと律は天才というやつなのだろう。

 律は本棚から子ども向けの科学の本を出すと渡してくる。龍司は受け取ると夢中でそれを読んだ。律の存在など忘れるくらいに集中していたが、ふと顔を上げると、律はニコニコと笑って龍司の様子を見ていた。やっぱり変な奴だ。

 だが、もっと変なのは自分だろう。龍司は物心ついたころから物質をじっと見るとなにかモヤモヤとした物が見えるようになっていた。いや、実際に見える訳ではないので、どう表現していいかはわからない。絶対音感を持っていると音が音階で聞こえると知ったときはそれに近いと思ったが、音階のようにはっきりとしたものではない。それに聡明な龍司は、それは普通のことではなくて自分の頭がおかしいだけだとも気が付いていた。異世界の夢を見るなどよりも余程異常なことなのだ。

 そんな龍司が初めて得た元素という知識は龍司の世界を一転させた。言葉とは不思議だ。物に言葉を与えたときに初めて形になり価値ができる。龍司は物質を元素記号として捕らえることができるようになった。

 もっともその物質を見るためには構成する元素についてある程度知っていなければならず、モヤモヤした世界が完全に晴れたわけではなかったが、それも知識を得るにつれ段々とましになってきた。

 しかし同時に、新しく見えてきた世界はうるさくてかなわないため、大抵はそれが見えないように目を閉じるしかなかった。それでも新しい世界は悪くはなかった。

 ただ龍司はそんなものが見えるのは自分の頭がイカれているからだとはわかっており、人に言ってはいけないことだとは理解している。言えば病院に連れて行かれるだろう。だから自分だけの秘密だった。
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