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二
皇女の舞
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年が変わった。
冬の寒さも緩む頃に、可留皇子の太子冊封の儀式は、皇太妃・阿閇皇女の采配の元、藤原史と命婦・県犬養道代が実質的に執り行った。
老女帝・鸕野がかわいがったのが藤原史とすれば、皇太妃・阿閇皇女が最も信頼したのがこの命婦である。
この、県犬養道代という命婦は元は美努王の妃だったのだが、藤原史と念ごろになった模様である。
ー不潔
氷高皇女は不快感を隠さない。
まずは可留皇子の加冠から儀式は進む。
その晩、藤原史は可留の添伏に娘の宮子を差し出した。このまま藤原宮子には太子の妃の一人になる。ただし、当代には、太子の正妃になるべき年ごろの、皇女も、母の身分の尊い女王もいない。いずれかの女王の成人を待って、太子妃にされるであろう。
あまり身分の高くない母を持つ女王ならば、いないわけではないのだが。
唐人に血が濃すぎると言われはしたが、阿閇皇女はやはり思う。
「高貴な者には、高貴な者を正妃にしたい」
そもそも可留本人が母方の叔母と甥の組み合わせから生まれた子である。草壁と阿閇は父方の従姉弟だったし、そもそも、草壁が叔父と姪の組み合わせから生まれた子なのだ。
ー血が濃すぎる
そこに県犬養道代がささやいた。
「藤原氏が御子さまを生めば良いではありませんか。大后が御子さまを産まないこともありましたでしょう」
阿閇皇女の嫡母たる、倭大后は確かに子をなさなかった。そして、大友を自分の手元で育てたのである。
ただ、藤原史の出生には一つ噂がある。
道代はこれを知らないのだろうか。
史の生母は側女の車持氏ということになっているが、本当の生母は鏡王の女・額田氏である。
この人こそ、かの十市皇女の生母の、額田女王その人である。
十市女王が大友御子の正妃になった折に、その生母が夫の父の妻妾になっていることが多少問題になった。古来から同母の兄弟姉妹間の組み合わせは禁忌とされてきた。十市と大友は明らかに母も父もが異なるので本来禁忌には触れない。だが、格好がつかぬと十市の嫡母たる鸕野が文句を言った。
思案した倭大后は額田女王を臣下に降嫁させるように葛城大王に進言した。
「聖なる巫女さまを最大の効能者、中臣鎌足の正室になさいませ」
古い血を残す鏡王の娘として、女王と呼ばれた娘は、かつて采女として女大王に仕えた。女大王の末っ子の大海人の正妃になったが、鸕野とその姉の太田によって大海人の正妃の座を追われた。
その額田は、再び鸕野によって葛城の元から追われることになった。それに伴い、臣下に落とされ、女王の称号も失った。
そこまでは誰もが知る話である。
噂はここから始まる。
中臣鎌足の正室に納まった額田は妊娠していた。葛城大王は鎌足に言った。
「子が男ならばそなたのものに。子が女ならば朕の元に戻せ」
そして生まれたのがは男児である。
臣下の子であるにもかかわらず、葛城大王により生まれた男児には、まるで御子であるかのように乳母の田辺史のから史の名が与えられた。鎌足は長子を出家させ、次子の史を嫡男とした。
中臣鎌足は死に際して「藤原」の姓を与えられた。かつての額田女王は、藤原氏の刀自になった。
壬申の大乱では十市皇女が母のいる藤原氏に身を寄せた。場所は、額田が鎌足のために建立した山階寺である。十市皇女没後には葛野王は額田の藤原氏の元で育てられた。
つまり、噂が正しければ、藤原史は老女帝・鸕野、そして皇太妃・阿閇皇女の異母弟である。藤原宮子が誠に史の子であれば、可留太子と藤原宮子は母方の従姉弟の組み合わせである。
その、藤原史と通じているはずの道代が「血は濃くない」と言うのだ。
皇太妃・阿閇皇女は藤原史にまつわる出生の噂は、悪質な噂に過ぎぬと信じたい。
まだ幼い東宮は、宮子の待つ寝所に向かった。
残された者たちにも楽しみはないわけではない。
斎宮・大来皇女の舞踏である。
汚れを知らぬまま中年を迎えた皇女の舞踏は、巧拙よりも爽やかさをもたらす。
皇太妃・阿閇皇女は事前に大来に美しい衣を贈っていた。
火が焚かれ、その周りを大来皇女は唯一の執着を見せる、鈴を持って舞うであろう。
大来皇女は、笛や太鼓の音と共に現れた。
ー元々大柄なお方ではないが、
皇太妃・阿閇皇女の目には、目の前の女人が妙に小さく見えた。
火の周りをトントン、トトントと足が鳴らす。
鈴が、シャンシャン、シャシャンシャと鳴った。
確かにその拍子は正しい。
しかし、なんというか。
皇太妃・阿閇皇女は戸惑った。
ますます痩せ細ったように思う、大来皇女の舞踏にしなやかさというしなやかさがない。
元々巧か拙かで分けねばならないならば、拙いとしか言いようがなかった。
それでも、手の指の先から足の爪先まで、皇女は気を配って舞踏したものなのに。
ー贈った衣が大きすぎただろうか
何人も采女がいるのだ。大きすぎれば自ら整えさせるであろうに。
今日は心がここにない。
ようやく舞い終えた皇女は下を向く。
皇太妃・阿閇皇女が大来皇女に言う。
「どうなさいましたの。お調子が悪いとは伺っておりましたが、ご病気ではありませんの?無理はなさらなくてよかったのに」
「せっかくの祝いですから、と思いましたが、うまく、舞えませんでした」
あんな下手な舞踏を見せるくらいならば、欠席してくれれば良いくらいだったのに。
なんと言っても、大切な可留の東宮冊立だったのに。
氷高がかつて言った言葉が今になって気になり始めた。
ー斎宮さまには、どなたか男の方がおられるのでしょうか
皇太妃・阿閇皇女は、大来皇女の宮に放った子飼の采女に探るように命じた。
次にあるのは即位である。阿閇皇女の夫・草壁皇子の為せなかった即位である。
何がなんでも、即位の礼において粗相されては困る。
大来皇女は、震えながら自分の宮に戻った。
ーなんということを。なんということを
あまり厚みのない唇は真っ青になった。
皇太妃・阿閇皇女の放った采女は皇太妃に報告した。
「斎宮さまは、体が冷えたのではありませんでしょうか。お戻りになったときには唇が真っ青になっておられました。なんということを、と繰り返され、舞に失敗されたことを大変悔やんでおられます」
阿閇皇女はそうかもしれぬと思う。
二月になった。花も咲く春である。
しかしながら、花冷えという言葉もある。内陸部にある都の気温差は激しい。
海辺の伊勢で長年過ごした大来は、都の冬は堪えると言ったことがあったではないか。
冊封の日も、太陽が陰るにつれ冷えていった。
いくら火の周りで舞うとはいえ、気温差に弱いならば、強張った体が溶けていくというよりも、火の周りとの気温差に負けたのだろうか。
ーそういえば、夏が終わる頃にあの人は残暑に負けたようだった
可留を太子にすることについて臣下の異論を一切封じた例の一件の折を思い出せば、年齢の近いあの皇女の人生が終わるのも近いのだろうかと思う。
そういうものだと阿閇皇女は切り捨てた。
父母はすでにおらず、夫もいない。姑がいて、子が三人いる。自分の兄弟姉妹も残り多いわけではない。夫の兄弟姉妹も相次いで亡くなり、最も年長なのが大来なのだ。順番というものがある。
血が近すぎると危惧したが、吉備皇女の元に長屋王が通い始めてすぐに吉備は懐妊した。
誰かが逝けば、誰かが生まれる。そういうものである。
冬の寒さも緩む頃に、可留皇子の太子冊封の儀式は、皇太妃・阿閇皇女の采配の元、藤原史と命婦・県犬養道代が実質的に執り行った。
老女帝・鸕野がかわいがったのが藤原史とすれば、皇太妃・阿閇皇女が最も信頼したのがこの命婦である。
この、県犬養道代という命婦は元は美努王の妃だったのだが、藤原史と念ごろになった模様である。
ー不潔
氷高皇女は不快感を隠さない。
まずは可留皇子の加冠から儀式は進む。
その晩、藤原史は可留の添伏に娘の宮子を差し出した。このまま藤原宮子には太子の妃の一人になる。ただし、当代には、太子の正妃になるべき年ごろの、皇女も、母の身分の尊い女王もいない。いずれかの女王の成人を待って、太子妃にされるであろう。
あまり身分の高くない母を持つ女王ならば、いないわけではないのだが。
唐人に血が濃すぎると言われはしたが、阿閇皇女はやはり思う。
「高貴な者には、高貴な者を正妃にしたい」
そもそも可留本人が母方の叔母と甥の組み合わせから生まれた子である。草壁と阿閇は父方の従姉弟だったし、そもそも、草壁が叔父と姪の組み合わせから生まれた子なのだ。
ー血が濃すぎる
そこに県犬養道代がささやいた。
「藤原氏が御子さまを生めば良いではありませんか。大后が御子さまを産まないこともありましたでしょう」
阿閇皇女の嫡母たる、倭大后は確かに子をなさなかった。そして、大友を自分の手元で育てたのである。
ただ、藤原史の出生には一つ噂がある。
道代はこれを知らないのだろうか。
史の生母は側女の車持氏ということになっているが、本当の生母は鏡王の女・額田氏である。
この人こそ、かの十市皇女の生母の、額田女王その人である。
十市女王が大友御子の正妃になった折に、その生母が夫の父の妻妾になっていることが多少問題になった。古来から同母の兄弟姉妹間の組み合わせは禁忌とされてきた。十市と大友は明らかに母も父もが異なるので本来禁忌には触れない。だが、格好がつかぬと十市の嫡母たる鸕野が文句を言った。
思案した倭大后は額田女王を臣下に降嫁させるように葛城大王に進言した。
「聖なる巫女さまを最大の効能者、中臣鎌足の正室になさいませ」
古い血を残す鏡王の娘として、女王と呼ばれた娘は、かつて采女として女大王に仕えた。女大王の末っ子の大海人の正妃になったが、鸕野とその姉の太田によって大海人の正妃の座を追われた。
その額田は、再び鸕野によって葛城の元から追われることになった。それに伴い、臣下に落とされ、女王の称号も失った。
そこまでは誰もが知る話である。
噂はここから始まる。
中臣鎌足の正室に納まった額田は妊娠していた。葛城大王は鎌足に言った。
「子が男ならばそなたのものに。子が女ならば朕の元に戻せ」
そして生まれたのがは男児である。
臣下の子であるにもかかわらず、葛城大王により生まれた男児には、まるで御子であるかのように乳母の田辺史のから史の名が与えられた。鎌足は長子を出家させ、次子の史を嫡男とした。
中臣鎌足は死に際して「藤原」の姓を与えられた。かつての額田女王は、藤原氏の刀自になった。
壬申の大乱では十市皇女が母のいる藤原氏に身を寄せた。場所は、額田が鎌足のために建立した山階寺である。十市皇女没後には葛野王は額田の藤原氏の元で育てられた。
つまり、噂が正しければ、藤原史は老女帝・鸕野、そして皇太妃・阿閇皇女の異母弟である。藤原宮子が誠に史の子であれば、可留太子と藤原宮子は母方の従姉弟の組み合わせである。
その、藤原史と通じているはずの道代が「血は濃くない」と言うのだ。
皇太妃・阿閇皇女は藤原史にまつわる出生の噂は、悪質な噂に過ぎぬと信じたい。
まだ幼い東宮は、宮子の待つ寝所に向かった。
残された者たちにも楽しみはないわけではない。
斎宮・大来皇女の舞踏である。
汚れを知らぬまま中年を迎えた皇女の舞踏は、巧拙よりも爽やかさをもたらす。
皇太妃・阿閇皇女は事前に大来に美しい衣を贈っていた。
火が焚かれ、その周りを大来皇女は唯一の執着を見せる、鈴を持って舞うであろう。
大来皇女は、笛や太鼓の音と共に現れた。
ー元々大柄なお方ではないが、
皇太妃・阿閇皇女の目には、目の前の女人が妙に小さく見えた。
火の周りをトントン、トトントと足が鳴らす。
鈴が、シャンシャン、シャシャンシャと鳴った。
確かにその拍子は正しい。
しかし、なんというか。
皇太妃・阿閇皇女は戸惑った。
ますます痩せ細ったように思う、大来皇女の舞踏にしなやかさというしなやかさがない。
元々巧か拙かで分けねばならないならば、拙いとしか言いようがなかった。
それでも、手の指の先から足の爪先まで、皇女は気を配って舞踏したものなのに。
ー贈った衣が大きすぎただろうか
何人も采女がいるのだ。大きすぎれば自ら整えさせるであろうに。
今日は心がここにない。
ようやく舞い終えた皇女は下を向く。
皇太妃・阿閇皇女が大来皇女に言う。
「どうなさいましたの。お調子が悪いとは伺っておりましたが、ご病気ではありませんの?無理はなさらなくてよかったのに」
「せっかくの祝いですから、と思いましたが、うまく、舞えませんでした」
あんな下手な舞踏を見せるくらいならば、欠席してくれれば良いくらいだったのに。
なんと言っても、大切な可留の東宮冊立だったのに。
氷高がかつて言った言葉が今になって気になり始めた。
ー斎宮さまには、どなたか男の方がおられるのでしょうか
皇太妃・阿閇皇女は、大来皇女の宮に放った子飼の采女に探るように命じた。
次にあるのは即位である。阿閇皇女の夫・草壁皇子の為せなかった即位である。
何がなんでも、即位の礼において粗相されては困る。
大来皇女は、震えながら自分の宮に戻った。
ーなんということを。なんということを
あまり厚みのない唇は真っ青になった。
皇太妃・阿閇皇女の放った采女は皇太妃に報告した。
「斎宮さまは、体が冷えたのではありませんでしょうか。お戻りになったときには唇が真っ青になっておられました。なんということを、と繰り返され、舞に失敗されたことを大変悔やんでおられます」
阿閇皇女はそうかもしれぬと思う。
二月になった。花も咲く春である。
しかしながら、花冷えという言葉もある。内陸部にある都の気温差は激しい。
海辺の伊勢で長年過ごした大来は、都の冬は堪えると言ったことがあったではないか。
冊封の日も、太陽が陰るにつれ冷えていった。
いくら火の周りで舞うとはいえ、気温差に弱いならば、強張った体が溶けていくというよりも、火の周りとの気温差に負けたのだろうか。
ーそういえば、夏が終わる頃にあの人は残暑に負けたようだった
可留を太子にすることについて臣下の異論を一切封じた例の一件の折を思い出せば、年齢の近いあの皇女の人生が終わるのも近いのだろうかと思う。
そういうものだと阿閇皇女は切り捨てた。
父母はすでにおらず、夫もいない。姑がいて、子が三人いる。自分の兄弟姉妹も残り多いわけではない。夫の兄弟姉妹も相次いで亡くなり、最も年長なのが大来なのだ。順番というものがある。
血が近すぎると危惧したが、吉備皇女の元に長屋王が通い始めてすぐに吉備は懐妊した。
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