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三
おのれ定頼!
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長和は六年で終わり、新帝の元で寛仁に改元された。
その寛仁二年のことだ。
出仕して三年にもなる。
私は、投壺の技を褒められるようになった。
橘の屋敷では、矢尻のついた矢を壺に投げ入れていたけれど、ここでは矢尻のつかない矢を壺に投げ入れる。もちろん、重さが違うので初めはあまりうまくいかなかったが、すぐにうまくなった。
そして、私たちの仕える皇太后さまは、太皇太后さまに進まれた。
浮名を流しに流した母も、左大臣のおすすめ物件の、前の大和守と再婚して、前の大和守は今度丹後守になったので丹後に行くことにしたのだ。
「丹後なら都からもそう遠くはないんだし。歌枕でも見てくる」
そう言って、丹後に旅立って行ったのだ。
ああ、せいせいする!
帰ってこなくったって良い!
私が里下がりをする先はもちろん父の家だ。
私は、大江ではなくて、橘なのだもの。
継母との関係も悪くない。私は落窪の君じゃないんだもの。
そんな折に、私に歌合に出ないかという話が来た。
これからは私の時代だ!「小式部」なんて女房名を何かに変えてやるのだと決意した。
でもまあ、「橘式部」くらいにしておくか。母親は母親なのだから。
私は初めて出ることになった歌合にわくわくしながらも、緊張している。
下っ端女房の私はよく御簾の近くに座っている。ここからこの歌合でどこまで上に上がってやろうかしらと思っている。
いくら母が帰ってきたいと行ったって、その場所はないことにしてやろうと、私は古歌を学ぶべく、「古今和歌集」を昼に夜に読んで研究してる。
そりゃ覚えてないわけではない。
しかし、念を入れて「万葉集」と合わせて総復習というところよ。
私が「古今和歌集」を読み直しているところに、御簾の外から声がした。
「丹後のお母さまに文を出しましたか」
私は御簾に突進して、声のしたところに突撃して、その声の主の裾を掴んでやった。
言っておくけれど、私は裳着をするまで腹違いの弟たちとしょっちゅう蹴鞠をして遊んでたのよ。
自慢するけど、私が一番うまかった。
そこにいたのは右中弁の定頼の君だった。
こいつか。
私の怒りはますます募った。
定頼の君なんて言わなくていい。
賢子ちゃんは「綺麗な顔だ、落窪物語の道頼の君のようだ」と言うけど、何が道頼の君だ。こいつは、定頼の野郎だよ、野郎!それで十分だ。
この野郎の父君は、あの「和漢朗詠集」を編まれた和歌の名手の四条大納言。といえば聞こえはいいけど、女房から評判は芳しいものではない。
だって、かつて「藤式部」さまに酔っ払って「若紫はいずこ?」なんて話しかけ、母をはじめとした女房たちに「お前は光るの君かよ」と失笑を買ったという、あの公任の大納言よ!
右中弁は出世街道の一つだし、おそらく今後この野郎も父君同様、左府さまにすり寄って出世していくんでしょう。
しかしね、親子揃って女房を馬鹿にしやがって。
馬鹿にするのもいい加減にしろって話だ。
賢子ちゃんも目を覚ませ。
おのれ公任・定頼親子め。
いきなり私が御簾から出て来たので、びっくりした右中弁は固まっていた。
「大江山」
「生野の道の遠ければ」
「まだ文も見ず天の橋立」
一言言う度にその裾から袖を引いて私はゆっくりと立ってやった。あまり背の高くない右中弁は、恐怖に怯えている。
この橘綾子さまの美貌を光の元で見せてやったというのに、それは何ごと?
ワナワナと震える定頼の野郎は、もう片方の袖で顔を隠しやがった。
終末は近いというけれど、世界が終わるまでにはまだ時間があるっていう話だ。
なのに、定頼の野郎は終末が今来たかというような様子なのだ。
年は五歳くらい上だろうと思うのだけど、なんだかおしっこをチビられそうで嫌になって解放してやることにした。
「坊や、返歌はできた?」
アウアウと何か声はしたけど、言葉はなかったね。
女人に和歌をもらって、返せないだなんて、公達としては恥もいいところ。
歌合のために、私は声を張り上げる練習もしていた。今こそ、この声を使うとき!
「お父さまに!返歌を作ってもらっても!ちっとも構わないわよ!」
裾も袖も離したってば。
馬鹿馬鹿しくなって御簾の中に入ったら、女房たちがどっと笑って、御簾の外では走って逃げていく足音がした。
外が濡れてないと良いんだけど。考えただけで汚らしい。
女房たちの良い語り草になった。
そして、左府さまの五男で太皇太后さまの弟君の一人、教通の君がたまたま角で私と定頼の野郎を見ていたらしく、これまた面白おかしく公達に話して、私を褒めたって話だ。
「小式部の君という人は、実に良い。定頼がからかったら飛び出してきて、あっという間に和泉式部の君の姓の大江も含めて、丹後へ通る生野、天橋立を織り込んで、遠い丹後から文なんか来ない!って、すごくないか。気が強くて頭の回転が早いのは最高だね。我が母上以上かもしれない。その上、光の下で見ると母君の和泉式部の君よりも美しい」
和泉式部よりも美しいですってよ!聞いた?
私は母よりも美しいって!母がふざけて勝手に返歌を送った人だけど、ちゃんと教通の君に返歌を送ろうと思う。
母のお古じゃない、若い公達からの文がどっと増えた。
これで私も、多分きっと「小式部」から解放されると思った。「橘式部」って父と母の名で呼ばれると思ったのに。この和歌から「生野式部」でも良いと思ったんだけど、やっぱり私は「小式部」と呼ばれ続けた。
それでも、私が詠んだ和歌は誰も母が作ったものだとは言われなくなった。さらに教通さまが字も上手い人だと推薦なさったという話だけど、内侍になった。
これまでは、五位の命婦で、太皇太后さまが私的に雇うものだ。お妃がたに仕える女房たちはほとんどが五位の命婦で、清少納言さまも母も命婦でしかない。
しかし私は内侍になり、帝のお側近くに勤めることになる。
小式部内侍!
私は「源氏物語」と「栄花物語」を読みたかっただけだけど、いくらでも帝のために字を書きますとも。
素晴らしいじゃないのと小馬命婦さまはおっしゃったし、珍しく賢子ちゃんが私を羨んだ。匡子ちゃんからもお祝いの文が来た。母も喜んだ。母が喜んだのは余計だけど、ま、いっか。定頼の野郎、じゃなかった定頼の君にちょっとだけ感謝しよう。
その寛仁二年のことだ。
出仕して三年にもなる。
私は、投壺の技を褒められるようになった。
橘の屋敷では、矢尻のついた矢を壺に投げ入れていたけれど、ここでは矢尻のつかない矢を壺に投げ入れる。もちろん、重さが違うので初めはあまりうまくいかなかったが、すぐにうまくなった。
そして、私たちの仕える皇太后さまは、太皇太后さまに進まれた。
浮名を流しに流した母も、左大臣のおすすめ物件の、前の大和守と再婚して、前の大和守は今度丹後守になったので丹後に行くことにしたのだ。
「丹後なら都からもそう遠くはないんだし。歌枕でも見てくる」
そう言って、丹後に旅立って行ったのだ。
ああ、せいせいする!
帰ってこなくったって良い!
私が里下がりをする先はもちろん父の家だ。
私は、大江ではなくて、橘なのだもの。
継母との関係も悪くない。私は落窪の君じゃないんだもの。
そんな折に、私に歌合に出ないかという話が来た。
これからは私の時代だ!「小式部」なんて女房名を何かに変えてやるのだと決意した。
でもまあ、「橘式部」くらいにしておくか。母親は母親なのだから。
私は初めて出ることになった歌合にわくわくしながらも、緊張している。
下っ端女房の私はよく御簾の近くに座っている。ここからこの歌合でどこまで上に上がってやろうかしらと思っている。
いくら母が帰ってきたいと行ったって、その場所はないことにしてやろうと、私は古歌を学ぶべく、「古今和歌集」を昼に夜に読んで研究してる。
そりゃ覚えてないわけではない。
しかし、念を入れて「万葉集」と合わせて総復習というところよ。
私が「古今和歌集」を読み直しているところに、御簾の外から声がした。
「丹後のお母さまに文を出しましたか」
私は御簾に突進して、声のしたところに突撃して、その声の主の裾を掴んでやった。
言っておくけれど、私は裳着をするまで腹違いの弟たちとしょっちゅう蹴鞠をして遊んでたのよ。
自慢するけど、私が一番うまかった。
そこにいたのは右中弁の定頼の君だった。
こいつか。
私の怒りはますます募った。
定頼の君なんて言わなくていい。
賢子ちゃんは「綺麗な顔だ、落窪物語の道頼の君のようだ」と言うけど、何が道頼の君だ。こいつは、定頼の野郎だよ、野郎!それで十分だ。
この野郎の父君は、あの「和漢朗詠集」を編まれた和歌の名手の四条大納言。といえば聞こえはいいけど、女房から評判は芳しいものではない。
だって、かつて「藤式部」さまに酔っ払って「若紫はいずこ?」なんて話しかけ、母をはじめとした女房たちに「お前は光るの君かよ」と失笑を買ったという、あの公任の大納言よ!
右中弁は出世街道の一つだし、おそらく今後この野郎も父君同様、左府さまにすり寄って出世していくんでしょう。
しかしね、親子揃って女房を馬鹿にしやがって。
馬鹿にするのもいい加減にしろって話だ。
賢子ちゃんも目を覚ませ。
おのれ公任・定頼親子め。
いきなり私が御簾から出て来たので、びっくりした右中弁は固まっていた。
「大江山」
「生野の道の遠ければ」
「まだ文も見ず天の橋立」
一言言う度にその裾から袖を引いて私はゆっくりと立ってやった。あまり背の高くない右中弁は、恐怖に怯えている。
この橘綾子さまの美貌を光の元で見せてやったというのに、それは何ごと?
ワナワナと震える定頼の野郎は、もう片方の袖で顔を隠しやがった。
終末は近いというけれど、世界が終わるまでにはまだ時間があるっていう話だ。
なのに、定頼の野郎は終末が今来たかというような様子なのだ。
年は五歳くらい上だろうと思うのだけど、なんだかおしっこをチビられそうで嫌になって解放してやることにした。
「坊や、返歌はできた?」
アウアウと何か声はしたけど、言葉はなかったね。
女人に和歌をもらって、返せないだなんて、公達としては恥もいいところ。
歌合のために、私は声を張り上げる練習もしていた。今こそ、この声を使うとき!
「お父さまに!返歌を作ってもらっても!ちっとも構わないわよ!」
裾も袖も離したってば。
馬鹿馬鹿しくなって御簾の中に入ったら、女房たちがどっと笑って、御簾の外では走って逃げていく足音がした。
外が濡れてないと良いんだけど。考えただけで汚らしい。
女房たちの良い語り草になった。
そして、左府さまの五男で太皇太后さまの弟君の一人、教通の君がたまたま角で私と定頼の野郎を見ていたらしく、これまた面白おかしく公達に話して、私を褒めたって話だ。
「小式部の君という人は、実に良い。定頼がからかったら飛び出してきて、あっという間に和泉式部の君の姓の大江も含めて、丹後へ通る生野、天橋立を織り込んで、遠い丹後から文なんか来ない!って、すごくないか。気が強くて頭の回転が早いのは最高だね。我が母上以上かもしれない。その上、光の下で見ると母君の和泉式部の君よりも美しい」
和泉式部よりも美しいですってよ!聞いた?
私は母よりも美しいって!母がふざけて勝手に返歌を送った人だけど、ちゃんと教通の君に返歌を送ろうと思う。
母のお古じゃない、若い公達からの文がどっと増えた。
これで私も、多分きっと「小式部」から解放されると思った。「橘式部」って父と母の名で呼ばれると思ったのに。この和歌から「生野式部」でも良いと思ったんだけど、やっぱり私は「小式部」と呼ばれ続けた。
それでも、私が詠んだ和歌は誰も母が作ったものだとは言われなくなった。さらに教通さまが字も上手い人だと推薦なさったという話だけど、内侍になった。
これまでは、五位の命婦で、太皇太后さまが私的に雇うものだ。お妃がたに仕える女房たちはほとんどが五位の命婦で、清少納言さまも母も命婦でしかない。
しかし私は内侍になり、帝のお側近くに勤めることになる。
小式部内侍!
私は「源氏物語」と「栄花物語」を読みたかっただけだけど、いくらでも帝のために字を書きますとも。
素晴らしいじゃないのと小馬命婦さまはおっしゃったし、珍しく賢子ちゃんが私を羨んだ。匡子ちゃんからもお祝いの文が来た。母も喜んだ。母が喜んだのは余計だけど、ま、いっか。定頼の野郎、じゃなかった定頼の君にちょっとだけ感謝しよう。
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