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皇太后さまぁ、あんまりじゃありませんか。

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「あら、清少納言さまがお好きなの。小馬命婦は清少納言さまのお嬢さまじゃないの」 
 父君を早くに亡くした小馬命婦さまは、まだ裳着の前から中宮だった頃の皇太后さまにお仕えになる。出仕するにあたって、清少納言さまは「枕草子」をこれはもう書かないと、美しく装丁したものを娘に持たせて、当時の中宮さまに献上したという話でもある。
 私が「栄華物語」を持っていたら、母は「じゃあ、枇杷殿びわどのにする?」と言う。
 皇太后さまの妹君の中で最もお美しいという噂の枇杷殿の中宮さまのところに赤染衛門さまの娘、匡子ちゃんは出仕なさるという話なのだ。
 匡子ちゃんの住む、大江の屋敷に賢子ちゃんと一緒に三人で集まると、匡子ちゃんはこう言った。
「この中宮さまは、派手好みのお方だと母が言ってたけれど、新帝の母代でもないお方よ。いずれ皇太后さまに進まれても、ひっそりと静かになる。今の皇太后さまが、新帝のご生母さまだから、太皇太后さまにおなりになれば、きっと忙しくなる。私はのんびりと生きていきたいもの」
 人間、どこに力点を置くかは人それぞれだ。
 賢子ちゃんは匡子ちゃんと正反対だった。
「私は皇太后さまのところは、忙しいからこそ、やりがいもあるし、新しい人生があると思う」
 そして私にこう言った。
「そうよ、綾子ちゃん、きっと皇太后さまの元には若い公達も出入りになると思うのよ。光るの君を探してみたら?」
 ご姉妹の宮さまの、どっちに行ったって、お友達はいるのだ。
 光るの君と聞いて、私は今の皇太后さまのほうに揺れた。
 だが!
 皇太后さまのところには母が出入りする!
 母を取り替えたい!
 その母も、最近ではずっとは皇太后さまのお側にはいないようだし。
 最終的に決めたのは、皇太后さまのほうだ。きっと中宮さまの方なら匡子ちゃん経由で「栄華物語」の新作が読めるかもしれない。「源氏物語」の新作は皇太后さまのところに一番初めに来る。どっちを取るかしばらく考えたけど、皇太后さまのところなら「栄華物語」も割とすぐに読めるだろうと踏んだ。
 書き写す役割をいただければと思う。
 だって継母は継子の私に厳しい人ではないけれど、美しい字を書くことだけはうるさくしつけた。
 美貌は母には劣る人だけれど、字の美しさは母より勝るのだ。
 父は、初めは顔で選んで失敗し、次は字で選んで成功したと噂される。
 そして、実際に、私が写した「伊勢物語」が回り回って高階たかしな家に行ったらしいのだが、そこのまだ幼いお嬢さんから「綾子さまの字をお手本に練習しています」と文がきたほどだもの。
 高階というと、お亡くなりになった儀同三司さまや清少納言さまの仕えた皇后さまの母君の、高内侍の一族で、母や匡子ちゃんの江氏ごうしと並ぶ学識の高さで通る。このお嬢さんは高内侍さまとは少し遠いお方らしいけれど、高氏こうしのお嬢さんなのだから、字の上手い人はそばにいくらでもおられるでしょうに、私が上手いと言うのだ。
 私の字は、きっと自慢できる。
 というわけで私は賢子ちゃんと二人で皇太后さまに出仕することにした。もちろん、曹司ぞうしは賢子ちゃんと一緒だ。
 いろいろと私たちに教えてくれたのは、なんと、小馬命婦さまご本人だ。
 小馬命婦さまの女房名は、「こまやかさん」の「こま」だという話があるほど、うちの母と違って人を放り出したりしない、よく気のつく方だ。
 小馬命婦さまは、清少納言さまのお嬢さまだ。
 とはいえ、皇太后さまは藤壺の中宮さまだった方なので、ここのやり方は登華殿におられた皇后さまにお仕えした清少納言さま式ではないんだろうけど、ちょっとは楽しくやろうかと思えるようになった。
 しかし、そこにも問題があった。
 これまで私たちは、自分の家女房たちにかしづかれた「お嬢さま」だったのだ。
 それが今度は、皇太后さまに仕える身分になる。
 確かに身の回りの世話をしてくれる、お下を連れていないわけではない。
 しかし、客人の取次をするのも、皇太后さまを楽しませるのも、私たちの仕事だ。
 緊張してしまう。
 お嬢さまなら、小袿でだらだらとしていればいいのに、何枚も何枚も衣を重ねて着せさせられる。
 匡子ちゃんなんて、派手好みの中宮さまに三十枚近く着せられて、暑いは重たいわで倒れそうだったんですってよ。
 さらにこれ。
「ごらんなさい、あれは」
 小馬命婦さまが、どれもこれも同じに見える公達を指して、誰だ彼だと教えてくれる。
 公達!
 私たち三人の父親はみな、公達ではない。
 私たちは、なんという身分の方々の中に立ち混じっているのだろう!
 確かに、受領階級の男たちよりも、若い公達は綺羅綺羅しく美しいように思える。
 だが、その身分が珍しくなくなってくると、どれもこれも、どんぐりの背比べにすぎない。
 お目当の光るの君はいない。頭の中将だっていない。
 出仕するというのは、案外大変なことなのだとつくづく思った。
 最大の問題は、女房名だ。
 皇太后さまは、出仕してすぐには私たちに女房名をくださらなかった。
 私たちは、御目通りが叶うまでは、橘氏きつし藤氏とうしとだけ呼ばれていた。もちろん橘も藤原もありふれているけれど、ただただ、御目通りが叶わず、それだけで呼ばれるのは私たち二人だけだ。
 自慢するけど、小馬命婦さまを始め女房がたには、美女の誉高い母上と私は生き写しだって言われた。それは機嫌よくしていたのだが、皇太后さまに初めてお目にかかったときには、ご姉妹の枇杷殿のお妃さまのところに出仕したほうがよかったと心から悔やんだ。
 女房名には特に規則はない。
 母の「和泉式部」は、私の父の任地だった「和泉」に、母の父が式部丞だったことに由来する。つまり自分の父親と初めの夫に由来する。
 小馬命婦さまは、幼い頃から皇太后さまに仕えておられたから「こまやかさん」の「こま」を冗談めいてつけたらしい。ちっとも母君の清少納言さまにも由来しない女房名をいただいておられる。
 賢子ちゃんも藤式部さまではなくて、藤式部さまのお父さまに由来する「越後弁えちごのべん」という女房名をいただいた。
 匡子ちゃんも「江侍従ごうのじじゅう」というお父さま由来の女房名をいただき、赤染衛門さまには由来しない。
 それなのに私ときたら!
「まあ、この人は噂通り和泉式部そっくりねえ」
 これは母に由来して、「橘式部たちばなのしきぶ」かと思うと、これだ。
「そなたは小式部こしきぶと名乗りなさい」
 ちっちゃい和泉式部ですってよ!
 皇太后さまぁ!あんまりじゃございませんか。
 さらにいろんな公達が私の顔を見ようとするわ、文をよこして来るわする。ほんっと、嫌になる!
 鏡を見ろよ、鏡を。
 お前は光の君かよ。
 光るの君の腰巾着の惟光これみつがいいところじゃないか。
 女房たちの中では、これまた私がいただく文が多いので、少し年上の方がたに微妙に白い目で見られてるのもやりにくい。でも同じく言ってやる。
 鏡を見ろよ、鏡を。
 お前は若紫かよ。花散里でもない。末摘花じゃないか。
 中身を見ることもなく文の山を曹司にほったらかしにしていたら、同じ曹司の賢子ちゃんに取られて母のところに持って行かれた。
「あら。この人は昔ね、」
 って、どいつもこいつも母のお古なの!
 私の光の君はどこにおられるの?
 頭中将でもいいよ!
 もちろん、母のお古じゃない人も一人二人文をくださった。
 しかし、左大臣さまの息子の一人、権中納言の教通の君はちょっと良いなって思うと言ったら、母がふざけて返歌を返したから、さあ大変。
 それ以来、私がどれだけ一生懸命和歌を作ろうが、「母君が作ったのだろう」と言われるんだから頭にくる。
 それこそ終末、この世の終わりじゃないの。
 もう女房なんてやめようかと思ったのだけど、母が都から離れることで良いことが起きた。
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