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認知症、ワンオペ、在宅介護編
父との時間
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介護が一段落ついた頃、俺にはやりたいことが二つあった。
それは介護記録を世に出すこと。そして父の願いを叶える事。
まず「母ちゃんに会いたい」という父の願いを叶えた。
母は父と向き合い「私の夫に似とるなぁ」と笑顔になった。父は涙ぐみ「そうやなぁ」と答えた。
「間違っとる。これは間違っとる。俺は若い頃遊んどったから病気で動けんのはええ。でも母ちゃんは俺のことずっと支えてくれた。それがさっさと病気になってしもうた。ええ? お前何ぞ大学まで行って家にこもって過ごしたなぁ。神も仏もないなぁ、神さんがおった所で目が付いとらんのやなぁ」
父は信心深い人ではなかったが、晩年は神仏や運命を恨んだようだ。
「お前はうちの家に苦労しに来たんか? 違うやろ? 何でこうなったんや」
父は悔しかったのだろう。俺も悔しかった。母に対して10年以上つきっきりの介護をしたんだ。父に対して何もしていない。父のリクエストを叶えることにした。
「俺なぁ、地元の観光名所行ったことないな。あとお前と初詣行ったのは何年前な?」
初詣は俺が幼い頃行ったきりだ。その時は家族全員、父がおじさんの車椅子を押しながら参った。首をガクガクさせ鼻水を垂らしていた叔父さんに多くの人の視線が集まるのを感じたことを覚えている 。
父の外出許可を取って初詣に、花見に、観光地に出かけた。
困ったのが「滝とか見たいけどあるか?」であった。
滝は山の中にある。車椅子で行けるところは限られている。ネット情報でいくつか候補を絞って下見に行った。250キロほど走り回ってようやく見つけた。小さい公園が併設されている滝だった。
「おお! これでこそ滝ぞ! 来た値打ちがある!」
父は随分喜んでくれた。大きな音が響く。車椅子で滝壺の見えるところまで案内できた。
「うちの家も古いから色々あってな」
父は家の思い出をよく話してくれた。田舎で鉄筋コンクリート2階建ては当時珍しく、公民館と間違えたと言う。
「米を食われたから許さん」
と我が家の屋上に侵入しスズメを捕まえようと網をふりまわしたじいさんの話もあった。
近所の人が通報したらしく会社で連絡を受けて父が帰ってきたら網を振り回してるじいさんがいるんだからびっくりだったらしい。
「公民館と間違われたからな、そんでも酔っぱらっとったんやろな、昔は酒飲みながら車乗るのもそこらにおったから、畑仕事しながらガブガブいっとったんやろ」
おおらかだった昭和の話がどんどん俺に刻まれていく。これも残さなければ消えていくのだ。
「母ちゃんも小さい頃は可愛らしい話があってな」
父と母は小さい村の幼馴染なのだ。
二人の過ごした時間には幸せな歴史があった。ただ一つ子供が生まれなかった。それだけが母の心を追い詰めた。
父とこれまで過ごせなかった時間を取り戻していく。体調が悪い時は弁当だけ持って病院に行く。
病院から刻み食かどうかチェックが入る。
父は俺の弁当をいつも褒めてくれた。「お前は料理ができる男でよかった」父や母が褒めてくれるのは料理ぐらいだった。
滝の公園、花見の敷地、車椅子で移動できる場所で食事をいただく。
折りたたみテーブルを自作した。車椅子で入れる食堂は限られている。食事内容も俺の持ち込み弁当となるのだ。
そんな父と過ごす時間も少なくなっていく。外出も難しくなった。それでも差し入れの弁当を持って行った。
「おう、次はなぁ、メロンぞ! メロンのぶつ切りな! メロン! わかるか?」
「おとんや、恥ずかしいからでかい声で言わんといてくれ」
これが最後の会話となった。
7月夜11時頃、病院から亡くなったと連絡があった。
突然のことだった。食欲もあり当日もただ眠っているだけだった。看護師さんが病室を覗きに行ったら既に呼吸はしていなかったという。
老衰というやつだろうか。肺の周辺に水が溜まって、数年。
元気に見えた父の体は終わりに近づいていたのだ。少しでも、楽しい思い出とともに送れてよかった。
ひとつの大きな物語が終わったような気がした。
父の体は灰となり物語は消えていく。父のことを覚えている人はもうほとんどいない。父が生きていた痕跡はどこにあるのだろう。
職場でいち早くボヤを見つけて消し止めたことで表彰されたことがある。賞状は父が生きていた記録を今も伝えてくれている。この事実を知っている人間はもう俺しかいない。
父が亡くなるまでに、できる限りのことができた。
後悔があるとしたら、介護記録を世に出せてなかったこと。
メンヘラストーカーくんに邪魔されて時間が削られていたのだ。
それは介護記録を世に出すこと。そして父の願いを叶える事。
まず「母ちゃんに会いたい」という父の願いを叶えた。
母は父と向き合い「私の夫に似とるなぁ」と笑顔になった。父は涙ぐみ「そうやなぁ」と答えた。
「間違っとる。これは間違っとる。俺は若い頃遊んどったから病気で動けんのはええ。でも母ちゃんは俺のことずっと支えてくれた。それがさっさと病気になってしもうた。ええ? お前何ぞ大学まで行って家にこもって過ごしたなぁ。神も仏もないなぁ、神さんがおった所で目が付いとらんのやなぁ」
父は信心深い人ではなかったが、晩年は神仏や運命を恨んだようだ。
「お前はうちの家に苦労しに来たんか? 違うやろ? 何でこうなったんや」
父は悔しかったのだろう。俺も悔しかった。母に対して10年以上つきっきりの介護をしたんだ。父に対して何もしていない。父のリクエストを叶えることにした。
「俺なぁ、地元の観光名所行ったことないな。あとお前と初詣行ったのは何年前な?」
初詣は俺が幼い頃行ったきりだ。その時は家族全員、父がおじさんの車椅子を押しながら参った。首をガクガクさせ鼻水を垂らしていた叔父さんに多くの人の視線が集まるのを感じたことを覚えている 。
父の外出許可を取って初詣に、花見に、観光地に出かけた。
困ったのが「滝とか見たいけどあるか?」であった。
滝は山の中にある。車椅子で行けるところは限られている。ネット情報でいくつか候補を絞って下見に行った。250キロほど走り回ってようやく見つけた。小さい公園が併設されている滝だった。
「おお! これでこそ滝ぞ! 来た値打ちがある!」
父は随分喜んでくれた。大きな音が響く。車椅子で滝壺の見えるところまで案内できた。
「うちの家も古いから色々あってな」
父は家の思い出をよく話してくれた。田舎で鉄筋コンクリート2階建ては当時珍しく、公民館と間違えたと言う。
「米を食われたから許さん」
と我が家の屋上に侵入しスズメを捕まえようと網をふりまわしたじいさんの話もあった。
近所の人が通報したらしく会社で連絡を受けて父が帰ってきたら網を振り回してるじいさんがいるんだからびっくりだったらしい。
「公民館と間違われたからな、そんでも酔っぱらっとったんやろな、昔は酒飲みながら車乗るのもそこらにおったから、畑仕事しながらガブガブいっとったんやろ」
おおらかだった昭和の話がどんどん俺に刻まれていく。これも残さなければ消えていくのだ。
「母ちゃんも小さい頃は可愛らしい話があってな」
父と母は小さい村の幼馴染なのだ。
二人の過ごした時間には幸せな歴史があった。ただ一つ子供が生まれなかった。それだけが母の心を追い詰めた。
父とこれまで過ごせなかった時間を取り戻していく。体調が悪い時は弁当だけ持って病院に行く。
病院から刻み食かどうかチェックが入る。
父は俺の弁当をいつも褒めてくれた。「お前は料理ができる男でよかった」父や母が褒めてくれるのは料理ぐらいだった。
滝の公園、花見の敷地、車椅子で移動できる場所で食事をいただく。
折りたたみテーブルを自作した。車椅子で入れる食堂は限られている。食事内容も俺の持ち込み弁当となるのだ。
そんな父と過ごす時間も少なくなっていく。外出も難しくなった。それでも差し入れの弁当を持って行った。
「おう、次はなぁ、メロンぞ! メロンのぶつ切りな! メロン! わかるか?」
「おとんや、恥ずかしいからでかい声で言わんといてくれ」
これが最後の会話となった。
7月夜11時頃、病院から亡くなったと連絡があった。
突然のことだった。食欲もあり当日もただ眠っているだけだった。看護師さんが病室を覗きに行ったら既に呼吸はしていなかったという。
老衰というやつだろうか。肺の周辺に水が溜まって、数年。
元気に見えた父の体は終わりに近づいていたのだ。少しでも、楽しい思い出とともに送れてよかった。
ひとつの大きな物語が終わったような気がした。
父の体は灰となり物語は消えていく。父のことを覚えている人はもうほとんどいない。父が生きていた痕跡はどこにあるのだろう。
職場でいち早くボヤを見つけて消し止めたことで表彰されたことがある。賞状は父が生きていた記録を今も伝えてくれている。この事実を知っている人間はもう俺しかいない。
父が亡くなるまでに、できる限りのことができた。
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