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介護保険拒否編

在宅介護、介護保険拒否編 22話

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 介護中によく使われるテクニックの一つ「ごまかし」
 母に対して「税金の相談があるから市役所に行ってくる」と嘘をついて、福祉課に相談へ行く。
 状況が状況なので包括支援センターから応援を呼び、なんとか認定調査までの段取りを決める。
 そしてこれはうまくいった。

 サービスを受けるために口座が必要だった。
 郵便局の口座を使うのだが、母が電話をしたいと言い出した。
「何か、今詐欺みたいな人がおる」
 もちろんそんなことはない。

 ついに介護保険のサービスを利用することになる。

 良かった。

 ただし、ハッピーエンドとはいえない。ここが本来の在宅介護のスタート地点。

 社会、人生、何事でもそうだが、問題が一つ解決しただけで万事何事も解決するなんて、単純なものではない。
 一部、思想、宗教団体は「これさえできれば万事解決」みたいに喧伝している。
 自己啓発本でも「掃除さえすれば」「食事さえ抜けば」そんな単純なものではない。
 でも、思考する余裕がない、弱った人の心には、単純な解決策が輝いて見える。ついつい頼ってしまう。弱ってしまうと、考える余裕も余力もなくなる。そして、盲信してしまう。

 たった一つ解決したから、何もかもハッピー、そんな理想は実現しない。現実をみなきゃいけない。どんなに厳しくても、現実は消えてくれない。
 ここからも、終わりの見えない介護は続いていくことになる。

 2013年ごろから肩イターイと母が叫ぶようになった。毎日「ヤイトして」という。お灸のことだ。そして「鍼の先生のとこいく」という。
 鍼灸というのは人によって効く人と効かない人がいる。7割方の人は効くらしい。
 母の場合はよく効くタイプだったらしい。一度の治療で3000円、連続で治療することはできないので3日に1回程度だ。これを1年間、出費が痛かった。
「ゼニカネ関係ない! 痛くてたまらん!」
 鍼灸の先生もずっとあいているわけではない。何か原因があるかもしれないので外科にも診てもらった。さほど大きい原因があるわけでもなかった。
 そこで事件が起こる。母の主治医がいるY病院、外科もあったので診てもらった。母はそこで「あの病院の方が良かった」などと暴言を吐いた。それを真に受けた外科の医師は「そんなんだったら〇〇病院いきなさいよ!」と。「認知症なんです、すみません」とこちらも謝るわけだが「アンタは家族か? アンタも考えときなさいよ」ここで俺はキレてしまった。
「説明してもらいたい! 何を考えろというのだ!」
 さっさと後ろに隠れてしまった。ここで認知症の診断を受けてカルテもあるのに、発言を真に受けて喧嘩するとか、医師として恥ずかしくないのか?
 転院することになったが、紹介状は拒否された。
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